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33.背中を押すもの

ディーノから差し出されたのは小さめの紙の束。前世で言うところの葉書のようなそれらは、かなりの量で片手では持てぬほどだ。


「貴方発案の“ご意見カード”です。是非見て頂きたくて。」


ご意見カードとは前世で言う“お客様の声カード”だ。無記名で自由に意見が言える手段があれば面白いのではと、軽い気持ちで伝えたのは大分前でカリン自身が忘れていた。


何故今この話をするのか。緊急を要するほどの何かが書かれたのかと不安に思いながら、促されるまま内容に目を通す。


けれど予想とは全く別の内容が書かれていた。


“これまで肩身の狭い思いをしていましたが、心から茶会や舞踏会を楽しめるようになりました。発案者に心から感謝申し上げます。”

“こんな流行が出来るなんて夢のようです。下位貴族の救世主ありがとう。”

“ドレスに新たな可能性が生まれました。デザイナーとしてこれほどやり甲斐を感じた事はありません。”

“色々な家柄の方と話す機会が増えました。仲の良い友人に出会えて感謝しております。垣根を越えた交流は新たな価値観を生み出してもいます。素晴らしい取り組みだと感じております。”


そこに綴られたのは感謝の言葉の数々。発案者に対する心からの称賛だ。驚いて顔を上げれば、柔らかに微笑むディーノと目が合った。


「パルッツィ嬢。貴方は決して自分の手柄とは言わないでしょう。確かに案をまとめ、必要な調査と資金を出し形にしたのは私です。けれど貴方が口にしなければ何も始まらなかった。新たな流行も出会いも。皆それを分かっています。そこに書かれてある感謝や称賛は全て貴方への物です。」


信じられない思いで固まるカリンの手を、殊更優しく握ったのは隣に座るアルバだ。


「カリンちゃん、貴方はいつだって自慢の義妹よ。貴方は貴方自身が思っているより、ずっと凄いことをしているの。」

「当然じゃない。この私がここまで駆けつけているのよ。貴方、もっと自信をお持ちなさい。」


そう言ったのはガブリエラだ。その後方でエドアルドがため息をつきながら口を開いた。


「エミリオといい、お嬢さんといい、全く似た者同士とは困った者だ。どうしてそこまで自身を後回しにするのやら。」

「そこがいい所ではないですか。でも本当に譲れない物にまで目を瞑って幸せを逃すようではいけませんね。」

「その通りだ。エミリオの目を覚ませるのはお嬢さんだけだろうよ。」

「えぇ。これまでの様に驚く方法で解決してくれるでしょう。」


これは夢だろうかとカリンは思う。

驚きに手が震える。

湧き上がる喜びに心が震える。


変わりたいと思っていた。今世こそは誰かと心を通わせたいと願い、小さな努力をしてきた。前世の記憶に助けられてばかりではあるけれど、それでも自分の出来る事をしてきた。そうする事で繋がった縁が、今歩みを止めようとする自分の背中を押してくれている。その先にいるのは勿論、優しげに微笑む彼だ。


会いたい───。


もう誤魔化すことなど出来ない。自分を卑下しなくていいなら、彼の隣に立てる自分になれるのなら、諦めたくない。


「それで?エミリオを愛していないのね?」


意地悪く笑うガブリエラの問いに、カリンは今度こそ正直に頷いた。


「いいえ。誰よりもお慕いしています。」


溢れた本音と涙は、優しい微笑みに受け止められた。



※※※


「今日はありがとうございました。」


深々と頭を下げるカリンにガブリエラはヒラヒラと手を振った。


「別に気にしなくていいのよ。丁度用事があったの。ついでよ、ついで。」

「用事…ねぇ?」

「ガブリエラ、素直になったほうが楽ではないか?」

「煩いわね!ところで今日は屋敷に泊まるわよ。」

「もう準備は済んでいますよ、母さん。」


プリプリと怒りながら歩くガブリエラと執事を先頭に皆で玄関へと向かう。外の太陽はすでに傾いていた。カリンの涙が落ち着いた後、場所を応接室に移して更に話が続いた。


「パルッツィ嬢を会議室に連れて行った男ですが、エミリオ殿の同僚に当たる方のようです。」

「気位ばかりが高い奴でな。爵位が下なのに評価の高いエミリオに嫉妬して、度々嫌がらせをしていたらしい。」

「もっとも嫌がらせと言っても嫌味を言う程度のものらしかったようですが…。貴方を誘導したのも、惚気けるエミリオ殿を冷やかしたかった、程度の事のようです。」

「…何処の誰なのかはっきりお言いなさい。」

「ガブリエラは大人しくするように。まぁそんな訳でお嬢さんが聞いた話も本心かどうか怪しいという事だ。」

「そうですね。本人に聞くのが一番でしょう。」


何気なく言ってはいるが、わざわざ調べてくれたのだろう。そもそもエミリオ本人に聞いていれば…と、今更ながら思う。有難いやら申し訳ないやら、眉を下げるカリンにガブリエラが言った。


「まぁ、恋とは遠回りするものよ。最終的にあるべき場所に戻ればいいじゃない。」

「母さんがそれを言うの…?」

「ディーノ諦めろ。ある程度年をいくとそうそう自分を変えられんし、反省もできん。」

「聞こえてるわよ。」


そんなやり取りやら、ガブリエラの近況やらを聞いていて遅くなったのだ。自分を気遣ってのことだと、その温かさにカリンの涙腺が緩む。それと同時に一つの決心をしていた。


明日、エミリオ様を訪ねてみよう。


ガブリエラ達を玄関まで見送りながら、カリンはそう考えていた。拒否されるかもしれないが、もう一度だけぶつかってみよう。


「それじゃ、我々はこれで───。」

ドンドンドン!!


別れの挨拶を仕掛けた時、玄関の扉が激しく叩かれた。


何事かと思っていると、執事が開けた扉から男が転がるように入ってきた。身なりの良い、けれど使用人と分かる男には見覚えがあった。ガルディーニ家で御者を務めるその男は口早に問うた。


「恐れ入ります。こちらに我が当主、エミリオ・ガルディーニがお邪魔していないでしょうかっ?」


カリンの心臓がドクリと嫌な音を立てた。


「いえ、こちらには───。」

「何かあったのですか?」


執事の言葉を遮ってカリンが進み出る。男からはただならぬ雰囲気が漂っている。嫌な予感が身体にまとわりついていく。


「お願いです。教えてください。何があったのですか!?」

「カリンお嬢様。」

「でも…!」


詰めよろうとするカリンを執事が止める。分かっている。他家の事情を易々と聞くのは失礼だ。目の前の男は迷うように視線を揺らしている。


けれど男は一つ深呼吸すると、意を決したように口を開いた。


「エミリオ様がもう三日も行方知れずなのです…!」



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