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32.扉を開いて

「カリンちゃん、入ってもいいかしら?」


暗い自室でぼんやりと栞を撫でていたカリンは、ノックの後に続くアルバの声に手を止めた。エミリオの母の訃報を受け喪に服している、という建前で自室に引き籠って二十日あまり。この言い訳がそろそろ限界だと分かっていた。


掛けていた椅子から立ち上がり扉に向かう。このままではいけないとカリンが一番よく分かっている。それでも普通の顔が出来るか自信がなく、緊張しながら扉を開けた。


「…美味しいクッキーを頂いたのよ。良かったら一緒に食べましょう?」


アルバの瞳が揺らいだのは目が合った一瞬で、すぐに彼女はいつもと変わらない笑顔を見せた。その心遣いが有難くて、カリンは彼女を招き入れた。


部屋に入るとアルバは自ら運んできたティーセットをテーブルに置き、「少し空気を入れ換えましょう?」と言いながらカーテンを開けた。外は穏やかな陽の光が注いでいる。自分の心とは真逆の天気は眩し過ぎて、いつもは開ける厚手のカーテンを閉じたまま過ごしていた。久しぶりの日差しは目に痛かったが、開けた窓から入る風は心地良い。そう思えた事に少しだけ安堵した。


そのまま対面ではなくソファの隣に腰掛けたアルバと一緒に紅茶を飲む。クッキーの甘さと紅茶の温かさが身体に染みる。


ふとそれまで無言だったアルバがカリンの手を取った。不思議に思ってそちらを見れば、もう一方の手で頬を撫でられた。


「…痩せてしまったわね…。」


そう眉を下げるアルバを見て初めて、自分が心配を掛けていたのだと気づいた。周りを気遣う余裕など一切なかったが、考えてみれば理由も何も言わずに引き籠り続けていたのだ。


「ごめんなさい。心配かけて───。」

「カリンちゃん。」


慌てて謝ろうとするカリンにアルバを声を被せた。


「私はね、いつも優しいカリンちゃんが大好きよ。いつだって自分を後回しにして、他の人を優先するなんてなかなか出来ることじゃないわ。でもね、私だってカリンちゃんの幸せを願っているのよ。私だけじゃない、皆がそう願っているの。」


ゆっくりと紡がれるアルバの言葉は僅かに残っていた緊張を解いていく。同時に我慢していた涙が溢れ頬を伝った。


「無理に話せなんて言わないわ。でももし話す事で少しでも軽くなるならいくらでも聞くわ。何か力になれる事があるなら、何でもする。」


優しく涙を流し拭いながら話すアルバに、カリンは力無く首を振った。湧き上がるのは申し訳なさだ。自分には、そんな風に思って貰える価値などないのに。


「大丈夫です。私が勝手に思い上がって、身の程知らずな幻想を描いていたんです。私なんかが───。」


そう話し始めた時、扉の向こうからと物凄い音が聞こえてきた。そのまま「あの小娘はどこなの!?」「恐れ入ります、その。」「いいから案内なさい!」という話し声とバタバタとした足音が近づいてくる。そのままノックも何もなくバターン!と部屋の扉が開いた。


入って来たガブリエラはツカツカと進んで、呆気にとられているカリンの目の前に立ち、こちらを睨むように見下ろした。


「貴方、エミリオと別れたんですって?」


どうしてここにガブリエラがいるのか。

何故知っているのか。

突然どうしたのだ。


驚きのあまり涙が引っ込む。疑問がグルグルと頭を駆け巡るが、とりあえず物凄く不機嫌そうなガブリエラの問に答えなければ命が危うい気がする。そもそもの誤解も解かなくてはいけない。


「私は…エミリオ様の婚約者だっただけです。誤解をさせて申し訳ありませんが心を通わせていた訳ではありませんので、別れたというのは違うかと…。」

「何を言ってるのよ。あれだけ…。貴方、本当に自覚がないの?」

「…?エミリオ様本人の口から聞きました。「私とは最初から婚約を破棄するつもりだった。」と。」


その時の事を思い出しまた落ち込む。視線を下げたカリンは、目の前のガブリエラが「とんだヘタレね。」と小声で呟き舌打ちしたのには気づかない。


あの日の事は引き籠っている間、何度も何度も考えてきた事だ。考えるうちに納得もしていた。カリンとて、自分が不釣り合いだと最初から分かっていた。お互い様だ。ただ、痛すぎる胸と溢れる涙をどうにも出来なくて、引き籠ってしまったのだ。


カリンは先程アルバに話したのと同じように口を開いた。


「当然の事です。ただ、私が勝手に思い上がって、身の程知らずな幻想を描いていたんです。私なんかがお傍にいていいはずがなかったのに。」

「お止めなさい!」


大きな声で遮られ、驚いて顔を上げる。


「そんな風に自分を卑下するのはお止めなさい。過ぎた謙虚さは美徳でも何でもないわ。自分で自分を傷つけないで。自分を誤魔化さないで。」


真剣な表情のガブリエラはそのまま言葉を続けた。


「貴方はエミリオを愛しているのでしょう?」


それはカリンが心の奥深くにしまい込んだ感情だった。気づいてはいけないと無意識に蓋をした。怖かったのだ。認めてしまったら、傷付くだけだと分かっていた。だからそうではないと必死に目を逸らしていた。


「…いえ。」

「貴方!」

「ガブリエラ、その辺にしないか。」


溢れる涙を拭いせず首を振るカリンに、更に言葉を重ねようとするガブリエラを止めたのは、入室してきたエドアルドだ。その後ろのディーノは笑いながら口を開いた。


「母さんは疲れているから気がたっているんです。少し落ち着いてください。」

「うむ。知らせを聞いて五日かかる道を三日で来たのだからなぁ。」

「えぇ。寝る間も惜しんで移動したと御者が嘆いていましたよ。」

「な!貴方たち、お黙りなさい!」


改めて目の前のガブリエラを見れば、確かに服には皺がよっているし、髪も所々に乱れが見える。目の下に薄ら見える隈は疲労のためだろう。もっとも、今は耳まで赤くしてそっぽを向いているので指摘はできないが。


驚きに涙が止まるのは本日二度目。ここに何故エドアルドとディーノがいるのかも気になるが、とりあえず目の前の疑問を片付けたい。


「…何故?」

「あ、貴方が不甲斐なくエミリオの手を離そうとするから!」

「違うでしょ、母さん。」

「全くだ。パルッツィ嬢が心配でいてもたってもいられなかったと正直に言えば良いものを。」


そう言われカリンは目を丸くする。ガブリエラは相変わらず赤い顔のまま明後日の方向を向いている。困惑するカリンに、エドアルドはため息をつき、ディーノは苦笑いを浮かべた。


「突然すみませんでした。まさか母が直接突撃するとは予想出来ませんでした。でも、そのくらい貴方を心配していたのですよ。勿論、ここにいる私たちもね。」


そう言われ、更に戸惑うカリンの前にディーノがある物を差し出した。


「パルッツィ嬢、見て貰いたいものがあるのです。」




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