28.忠告
一目で高位と分かる質の良い服を着てメイドを従えた彼女に見覚えがないが、カリンはとりあえず淑女の礼を取った。
「はい、カリン・パルッツィでございます。」
「グラツィア・ディ・バルマミオンよ。…楽にしていいわ。公の場でもないし、ただの挨拶だと思って。」
その名前には聞き覚えがあった。エミリオの最初の婚約者だった令嬢の名前だ。
「貴方ガルディーニ伯爵の今の婚約者でしょう?」
「はい。」
「もう五ヶ月続いてるって話は本当ですの?」
「…はい。」
正直に答えると頭の先から足先まで、値踏みするように見られた。気分は悪いが、耐えるしかない。
「貴方の何処が良かったのかしら?伯爵の趣味も落ちたわね。」
「……。」
「強いて言うなら凡庸な所かしら。貴方、これと言った魅力もなさそうだもの。」
「……。」
「彼は常に自分が優位でいたかったのね。器が小さい男だったのだわ。」
「やめて下さい!」
堪らずカリンは声を上げる。自分は何と言われても仕方がない。けれど、自分のせいでエミリオが悪く言われるのは耐えられなかった。
「そのように相手を貶める発言など、淑女に有るまじき行為ですわ。」
「なっ…!」
「エミリオ様を悪く言うのは筋違いです。」
言い過ぎたと気づいた時には遅かった。ワナワナと震える彼女の代わりにメイドが一歩前に出た。
「グラツィア様に対してなんて無礼な!」
「公ではないとおっしゃったのは其方です。」
「それは!」
「いいのよ、控えなさい。」
一見落ち着いたように見えるグラツィアはメイドを制した。感情の制御は流石だが、その目には未だ激しい怒りが見える。
「家の者が失礼したわ。」
「いえ、私の言葉が過ぎました。申し訳ありませんでした。」
そう頭を下げてから再度彼女を見る。冷や汗が背中を伝うが、カリンは一歩も引かず背筋を伸ばした。その様子を見て、少し驚いた表情をしたグラツィアは不敵に笑った。
「私はあの男を自分から捨てたのよ。自分が選ばれたなんて勘違いしない事ね。」
「考えた事もありませんわ。」
「…そう。いいわ。今日は貴方に忠告に来たのよ。」
「忠告、ですか?」
カリンは訝しむようにグラツィアを見る。これまでの所、気分の悪くなる事しかないが、果たして有益な忠告なのだろうか。
「貴方に彼の本性を伝えようと思って。何故“ピアドリアの生ける化石”と言われるか、ご存じないようですもの。」
ドキリとした。それは前々から不思議に思っていた事だった。カリンが見る限り、この五ヶ月の間にエミリオが浮気をしているようには見えない。むしろ話しをする程に誠実だとさえ感じるのだ。
ならば、どうしてあのような二つ名が付いたのか。
どうして何度も婚約解消に至ったのか。
何も発せないカリンを見やり、グラツィアはゆっくりと口を開いた。
「私も最初は素晴らしい相手だと思いましたのよ?彼のエスコートは完璧で、話題も豊富で。思えばあの時に気づくべきでしたわ。誰しも経験を積まねば、何事も上手く出来ませんのに、彼は何処でそれを学んだのでしょう。私が初めての婚約者でしたのに。」
カリンの胸はドクドクと嫌な音を立てている。聞いてはいけないと、もう一人の自分が警鐘を鳴らしている。
「でも私に出会う前の話。これからの時間を大切にして下さるならばと目を瞑りました。それに彼との交際はとても順調で、私は最初の違和感なんて忘れていましたの。でもあの日、私の親友を紹介した日に、全てが壊れてしまった。あの男は私の親友を見るなり彼女に乗り換えたのです。親友もあの男に狂わされ、私は婚約者と親友を一度に失いました。」
淡々と告げるグラツィアは覚めた目をしていたが「…そんな。」と思わず呟いたカリンの言葉は、彼女の張り詰めた心に触れたらしい。その態度は急変した。
「私だって信じられませんでしたわ!けれど、他ならぬ彼女の口から聞いたのです。彼女の私を見下した顔は忘れられません。彼は私のお願いを全て聞いてくれる。貴方の婚約者になりたいと言ったら了承してくれた、と。あの男を問いただしたら彼女の願いを断ることは出来ない、とあっさり言ったのです。婚約の解消を告げた後ものの数日で彼女との婚約が成立しましたわ。」
グラツィアの潤む瞳は真っ直ぐにカリンに向く。寒くもないもないのに、体が震えてしまう。早口に捲し立てたグラツィアは浅く呼吸を繰り返してから続けた。
「裏切られたと思いました。憎みもしました。でも時間が経つ中で、一度は親友だと思った彼女の幸せを願えるまでになりました。世の中には運命的な出会いもあるのだと。けれど数ヶ月後に再会した彼女はやつれて酷い状態でした。───私の身に起こったことが彼女にも起こったのです。」
彼女の目に宿るのは怒りだ。先程より激しく燃える怒りの炎にカリンは何も言えない。
「その後あの男が何度も婚約破棄したのは、貴方もご存知でしょう?いずれも酷い裏切りだったと聞いておりますわ。これで分かりまして?あの男は決して一人の女性にだけ愛を注ぐなど出来ないのです。貴方は盲目に信じているのではない?会っていない時間、彼が何をしているか確かめたことはあるのかしら。少し調べればあの男の本性が分かるでしょう。嘘だと思うならその目で確かめてご覧なさい。」
言い終わると彼女は踵を返して去っていった。残されたカリンは立ち尽くして震える事しか出来ない。まるで冷水を浴びせられたように寒くて仕方ない。
本当なのだろうか。少なくとも彼女にとっての真実なのだろう。まさか、でも本当に?
確かにカリンはこれまで誰かを彼に紹介した事などない。他の女性にどう接するのか見た事もない。会わない時間、別の誰かと過ごしているなんて想像した事もなかったのだ。
このまま知らなければきっと穏やかな時間が紡がれていくだろう。けれどその先は?万一婚姻した後に、グラツィアの言葉が真実となったら?
「カリンちゃん!お待たせ~。うっかり話し込んでしまったわ。」
アルバがそう言いながら駆け寄って来ても、一切反応できない。蒼白な顔で震えるカリンにアルバは直ぐに気づいた。
「カリンちゃん!?どうしたの?具合が悪い?それとも何かあったの?」
心配するアルバを震える手で掴む。驚く彼女に構わず「お義姉様、お願いがあるのです。」と続けるカリンは、切羽詰まった表情をしていた。
私は知りたい。知らなくてはいけないのだ───。




