23.陥落
エミリオが花嫁という言葉に過剰に反応してしまったのは、ほんの少し前だ。間接キスに狼狽え、彼女の手を額に受け入れ、そしてエドアルドと互角に渡り合うチェスの腕前に驚かされた。
僅かな時間でカリンの新たな一面を見て、もはや心は疑いようがないほど傾いている。
チェス盤を前に真剣な表情の彼女はとても美しかった。けれど重要な局面に入った時、どこか迷うように怖がっているように動きを止めた。最近は無くなっていたが、それは出会った頃よく感じていた彼女特有の孤独とも拒絶ともとれる表情だ。
「カリン嬢。」
思わず声を掛けてしまった。目が合った彼女は安堵したように肩の力を抜く。彼女が少しずつ心を許してくれている証拠のようで嬉しくなった。
だが、それもすぐに消え去った。ガブリエラの刃のような言葉がカリンを傷つけたからだ。
途端に彼女の表情が消えた。全てを諦めるように、魂すら抜け落ちそうなその表情に、いてもたってもいられず庇うように彼女の前に進み出た。
ガブリエラの言葉も酷いものだったが、それ以上に彼女が恐怖するのは他に理由があるように感じる。彼女はあの細い体で、一体何と戦っているのだろうか。
守りたい───。
エミリオははっきりと自覚した。他の誰でもない自分自身が彼女の盾となり、叶うなら彼女を幸せにしたいのだと。
そのためには今日を乗り越えなければならない。
憂鬱な侯爵家の晩餐会に来たのは、何も招待状を貰ったからだけの理由ではない。次の日訪ねてきたディーノに協力を求められた事も大きかった。
先程ガブリエラに話した侯爵家の内情を聞いた時にはエミリオも驚いた。ディーノが包み隠さず話した事自体にもだ。けれど切羽詰まった様子と疲れきった顔は言葉以上に彼の現状を語っていた。
母が持つ人脈を取り込みつつ一掃したい。
ディーノの要望には頭を悩ませたが、同席したエドアルドの「ここはピアドリアだぞ。」の一言に妙案が浮かんだ。それからはガブリエラと繋がりを持つ者をひたすら洗い出した。その数と年齢層の広さに眉を潜めながら、ディーノと手分けしながら何とか今日に間に合わせたのだ。
「ご機嫌ようダルザス様。お久しぶりですことね。」
入室して来たのはにこやかに微笑む着飾ったご婦人方。彼女らの登場で部屋は一気に華やいだ色合いになった。
が、その手にあるモノがおかしい。
ある者は胸ぐらを、ある者は髪の毛を、またある者は首根っこを捕まえているそれは、各々の伴侶である。つい先程まで別室で談笑していた───そう、ガブリエラと繋がりを持っている男性方だ。その奥方たちが隠しようのない怒気と半ベソの夫を連れて入室して来たのだ。
この場を整えたエミリオすら思わず背筋が伸びた。老獪なエドアルドも一瞬揺れた。流石のガブリエラも真っ青で小刻みに震えている。
「まさか主人が“お世話に”なっているとは露知らず。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんわ。」
笑顔の凄みが増した気がする。思わず視線を逸らした先、カリンがキラキラと瞳を輝かせている。何故だ。
「私共はダルザス様の業績については素晴らしいと思っておりますのよ?ピアドリア国において女性はより良い婚姻のために手段は選ばない。その点において最も成功された方の中の一人と認識しておりますの。」
先頭のご婦人が代表で語りかける。確か公爵家の奥方なはずだ。
「過去の過ちということもあるでしょう。失敗があってこそ人生には深みが出るというもの。ですが───夫を未だ顎で使っているというのでしたら、お話は違ってまいりますわよ。」
そのドスの利いた声はどこから出ているのだ。彼女には可憐な二つ名があった記憶があるが、流石高位貴族ともなれば肝が据わってるという事なのだろうか。
どこかで「私は断ったんだ!でも仕方なく。」と聞こえたのを皮切りに「そうだ、そうだ。」と呼応する声があがる。「初心者がダンスで足を踏むようなもので。」「むしろ我々は被害者なんだ。」そんな声がこだまする。
「お黙りなさい。」
大きくはないその声で水を打ったように静まり返った。そこここでギリギリと締め上げる音と、男性の呻き声が漏れ聞こえる。何かが縮みそうだ。
「どの口が言っているのかしら?断る度胸もないのかしら、この小心者が。その上腹いせが息子のような歳の侯爵様に“お仕事を任せること”ですって?紳士の風上にも置けない最低な行為よ。恥を知りなさい?」
各々笑顔で締め上げるその様子に少しだけ同情してしまう。帰ったらどれ程の地獄が待っているのだろうか。エミリオは少しだけ遠い目をしてしまった。
「この度は母がご迷惑をお掛けしました。」
笑顔のディーノが真っ白な顔のガブリエラに代わって進み出る。途端彼女たちはコロリと態度を変えた。
「侯爵様には感謝こそすれ、謝罪など必要ありませんわ。こちらこそ主人が申し訳ありませんでした。大変よく出来た素行調査書でしたわ。こちらの手間が省けましたもの。」
そう、エミリオとディーノはガブリエラの人脈を洗うだけではなく、洗い出した人物の周辺を洗った。未だガブリエラと繋がるような、引き際の見定めもできぬ者たちだ。結果は上々だった。
夜会でとあるご婦人と消えた、花街の女性に入れ込んでいる、賭博場に足繁く通っている、借金がある。少し叩けばすぐに綻びが見つかった。それらを簡単な素行調査としてまとめ、奥方に渡していたのだ。
今すぐ問い詰めに行こうとする奥方たちを何とか宥め、晩餐会で纏めて粛清しついでにガブリエラとの関係も終わらせたいと願えば、二つ返事で協力してくれたのだ。
「教育し直しますので、また何かあればいつでもご相談くださいませね?ご協力は惜しみませんわ。」
「それは心強い事です。あぁ、母は色々と無理がたたり、今後は領地にて静養の予定ですので。」
「まあ!そうなのですか?確かに無理はよろしくないですわ。食べ物にも気をつけませんと何処でお倒れになるか分かりませんし、暴漢に襲われても逃げられませんものね。ツケの取り立てが突然重なったり、夜会の予定を間違えたり…疲れたお身体には何が起こるかわかりませんもの、ね?」
それは脅迫ではないか?笑顔の彼女が怖い。
「ご心配ありがとうございます。今静養に入ればそういった心配もないでしょう。」
「えぇ、えぇ。けれど私、人伝と言うのは信用しておりませんの。ご本人の口からお聞きしたいわ。」
「だ、そうだよ?母さん。」
綺麗に弧を描く瞳と口許は、まるで矢をつがえた弓のようだ。絶壁に佇む心地のガブリエラは、震える唇を開いた。
「…領地で…ゆっくりしますわ。」
エミリオは小さく息を吐いた。
無事、魔女は陥落した。
誤字報告、本当にありがとうございます!
多すぎて恥ずかしいですが、いつも助かってます((。´・ω・)。´_ _))ペコリ