2.三人目の婚約者
「頼む、僕に興味がないのなら、はっきり断って欲しい。このまま愛のない結婚をするなんて耐えられない!」
目の前でテーブルに額を擦り付ける己の婚約者を無表情で見つめるカリン・パルッツィは、内心では大いに狼狽え泣きそうになっていた。カリンはきちんと彼に好感を持っていたし、一緒に温かな家庭を築きたいと願っていた。残念な事に彼女の想いは一ミリも伝わっていなかったらしい。
どう言えば伝わるかと目まぐるしく思考を動かすが、その間も頭を下げ続ける彼と騒めく周囲にすっかり意気消沈してしまった。結局カリンの口から出たのは「分かりました」という承諾の言葉だった。
せめて感謝を伝えたいと、落ち着くために冷めた紅茶に手を伸ばした。けれどその間に、ついさっきまで婚約者だった男は席を立ち、さっさと会計をして店を出ていってしまった。紅茶の苦味が更に増した気がして、カリンはため息をついた。
こんな時誰かに相談したいが、生憎とカリンにはこういった事を素直に打ち明けられる親しい友人はいない。母親はカリンが生まれてすぐに亡くなっているし、歳の離れた兄は既に結婚し、今は家族を連れて異国で修行中だ。一緒に暮らす父の事は大好きだが、心配をかけたくはない。
「どうすれば良かったのかしら…。」
婚約解消を請われたのは今回で二回目。自分に原因があるのは分かっているが、具体的に何処なのか。自分で言うのは何だが顔はそこそこ整っているし、実家は特別貧乏でもない。特筆した特技もない代わりに、眉をひそめられるような趣味もない。
いや、本当は思い当たる事がある。
カリンには前世の記憶があった。過去のピアドリア国のように男尊女卑の国で暮らした記憶だ。男性は大黒柱と大事にされる一方、女性は家政婦か小間使いのような扱いだった。
「常に男をたて、女は半歩下がって歩け。」
「口を挟むな。女の意見など聞いていない。」
「女は学など必要ない。小賢しい女は目障りだ。」
風呂は最後に入れ、見送り出迎えは三指ついて頭を下げろ、男を捕まえる為には上手い飯を作れ、などなど…。
カリンとて全てを信じている訳ではない。この国では女性は積極的であれ、という事も理解している。けれど骨の髄まで染み込んだソレは、転生してもなおカリンを縛りつけた。
デートでは男性の常に後ろを歩いては不審がられ、話を振られても意見も言えなければ、表情を変えることもない。挽回するため料理をしようと思えば厨房に入るだけで驚愕され、即座に連れ戻された。
そうなるとカリンにはどうすればよいのか、全く分からなった。前世も今世も恋愛の経験に乏しいカリンはすっかり萎縮してしまい、人形のように固まってしまう。その姿は相手の男性からは非常に高慢、あるいは興味も持てないのに断ってもこない、という飼い殺しのように感じられるのだ。その結果が二回の婚約解消だった。
項垂れたまま家に帰り父に報告すると、父は慰めてくれたが上手く視線を合わせる事が出来なかった。
「…そうか。気にする事はないよ。カリンに合う男性は他にきっといるはずだ。丁度今日も縁談の話が来ていてね。これまでとは少し感じの違う相手だが…色々な男性と話してみるのも、案外楽しいかもしれないよ。」
そう言って差し出されたつり書の名前は、疎いカリンでも知っていた。
“エミリオ・ガルディーニ”
若くして伯爵位を得た、長い金髪と青い瞳を持つ長身の美丈夫。頭の回転も速く、鋭い着眼点と独創的な発想で将来を期待される天才。
それだけ聞くとこの上なく良い相手に思えるが、問題はつり書には書かれない部分。知っているだけでも彼の婚約解消の数はカリンを上回る四回。しかも婚約が二ヶ月続いた相手はいない。流した浮名は数知れず。来る者拒まず去る者追わず。国一番の浮気者と有名だ。
ついた二つ名は“ピアドリアの生ける化石”
輝かしい経歴も、彼の不誠実さを払拭するには足りなかったらしい。今では婚約者を探せども見つからず、未亡人と割り切った関係を楽しんでいるとか───。
父はあのように言っていたが、今年十九歳という適齢期を過ぎたカリンに、縁談を申し込むのは彼くらいという事だ。気が進まないのは相手とて同じだろう。父はずっと家にいて良いと言ってくれるが、出来る事なら兄夫婦の邪魔にならないようにしたい。
もう、いいかな。耐えるのは慣れてるし。お父様の言う通り、余り者同士案外上手く行くかもしれない。
見せかけの家族を演じる役割分担が。
カリンは諦めにも似た気持ちを抱えながら、了承の意を示すために頷いたのだった。