14.ソワソワ
初めてエミリオ自身の言葉を聞く事に成功したあの後も、カリンは少しずつ彼の事を知ろうと努力している。最初こそ、二者択一の質問ばかりしていたが、今では一番好きな物、嫌いな物といった聞き方も出来るようになった。
ワインなら白が好き。
一番好きな紅茶はアールグレイ。
苦手な食べ物はクリームたっぷりのケーキ。
好きな時間は朝。
シガーは好まない。
まだまだ緊張しているし、そこから話を広げるなんて高度な事は出来ない。けれど一つずつ増えていくそれは、まるで宝箱に宝石が増えていくような、輝きと幸福感をカリンに与えてくれている。
勿論これは、エミリオの協力もあってのことだ。子供でももう少し上手いと思えるくらいたどたどしい質問にも、彼はしっかりと向き合い、時間をかけて答えてくれるのだ。
エミリオ様はとても律儀な方なのね。
カリンが気づいた新たな一面だ。この頃は少なくとも、婚約当初よりは人間らしい関わり方になってきたと思う。その事が嬉しくてカリンはついニマニマとしてしまうのだ。
ただ、一つ気がかりなのは最近エミリオの体調が悪そうなことだ。
最初はエスコートされた時だった。馬車から降りる際、彼の差し出してくれた手に触れた瞬間、ビクリとその手が揺れた。驚いてエミリオを見れば、こちらも驚いたように自分の手を見て立ち尽くしている。
「すみません、立ちくらみ、が、してしまいまして。」
大丈夫かと声をかけると、いつもより少し歯切れの悪い答えが返ってきた。それからというもの、馬車でのエスコートは御者の役目となった。「身の安全が第一」と言われたが、過保護すぎではないだろうか。
次の異変は、向かい合ってお茶を楽しんでいる時に起こった。
いつも通り流暢に話していたかと思ったら、突然止まってじっと顔を見られたり、はっとして同じ話を二回したりするようになったのだ。「どうしましたか?」と聞くと決まって、「何でもありません」と返ってくるが、どうにも不機嫌そうなのだ。
あまり指摘すると気を悪くするかもと遠慮して、最初は気づかないフリをしていたが、結構な時間ぼうっと見つめられるため、今では控えめに伝えるようにしている。
特に初めて一番好きな紅茶を聞けた時、カリンは嬉しさのあまり興奮してしまい、火照る頬に両手を当てながら緩む口元を必死に戻していた。その対面でエミリオは紅茶を喉に詰まらせ、慌ててカップを置いた先は茶菓子の上。倒れたカップから零れた紅茶がズボンにかかり───ちょっとした大惨事になった。
狼狽するエミリオという大変珍しいものを見たのだが、この時に体調が優れない様子であるにも気づいた。彼の傍らに座り、濡れたズボンにハンカチを当て手伝っていると、彼の赤い頬と息苦しいように胸に当てた手、更にはその手が微かに震えているのが見えたのだ。
余程お疲れなのね。体調も悪いみたい。
カリンは「お仕事お疲れ様です。どうぞゆっくり休んでくださいませ。」と伝え、次回の約束をキャンセルするくらいには心配した。「…ありがとうございます。」と言ったエミリオは本当に元気がなかった。
次に会った時にエミリオは「大丈夫。気のせいだ。」と呟いていたから、まだまだ万全ではない体調をおして会ってくれたのだろう。つい前世を思い出し、額に手を当ててしまった。大胆だったかもしれないが、過労を甘く見てはいけないとカリンは知っている。幸い熱はなかったが、顔色がおかしい気がした。
「どうか無理をなさらないで下さいませ。深刻になる前に対応すれば、回復も早いと思いますので。」
「……今、まさに、取り組んでいるところです。」
「それでしたら良いですわ。気のせいなどとおっしゃらず、大切になさって下さいね?」
「…貴方がおっしゃると胸に響きますね…。」
カリンはよもや自分がダメージを与えているなどとは予想だにしていない。珍しくバツの悪そうな顔をしたエミリオを見て、無理をしている自覚はあるのだろうと思った。
いつもこんな風に無理を重ねていらっしゃるのかしら。
自分がこんな風に彼の心配をするなど、婚約当初には想像すらしなかった。勿論、今でも変わらず完璧なエスコートをしてくれるし、凡庸な自分に付き合わせてしまっていると引け目も感じている。
けれど彼の人間らしい表情を見る度に、どうにも本来の彼はもう少し違う顔をしているのではないかと感じて、もっと知りたいと思ってしまうのだ。カリンは己の変化に驚きながらも、嫌な気分はしなかった。
不思議ね。今までこんな事なかったのに…これもエミリオさまの包容力のせいかしら。本当に凄い方だわ。せめて何かお返し出来たら良いのだけど…。
次の約束は庭園散策だったと思い出し、カリンは何か滋養のある物を作ろうと思い立った。何とかメイドと料理長を説得して、サンドウィッチとジンジャークッキーを作り、庭園のベンチでそれらの入った籠を差し出した。一通り説明すると、エミリオは驚いた顔をした。
「粗末な物で申し訳ないですが、滋養のあるもので作りましたので…早いご回復をお祈りしております。」
心配のあまりいつもより力が入ってしまった。前世の自分を思い出し、薄っすら涙が滲んだほどだ。素人の手製のものなど受け取ってもらえるか心配したが、籠にの中を見ながらエミリオが「ありがとうございます。」と言ったのでカリンはほっとした。
しかし彼はなかなか顔を上げない。籠の中をじっくり見られていると思ったカリンは、今更ながら恥ずかしくなり、俯いてソワソワと視線を揺らした。
対面に同じくソワソワと挙動不審な男がいる事は、幸いにもカリンに気づかれる事はなかった。
「悪化…。」
その小さな呟きも。