11.エミリオの事情~手強い
「初めまして、カリン嬢。エミリオ・ガルディーニと申します。この度は美しい貴方と過ごす栄誉と幸せを与えて下さってありがとうございます。」
努めてにこやかに語りかけたつもりが、かえってきたのは「こちらこそ」という一言。しかも聞き間違えかと思える程に声は小さい。
テーブルに移動して観察してみるが、服装も持ち物も控えめだ。流行を追わないきっちりとしたドレスは、はっきり言えば少々もっさりしている。けれど彼女の清楚な品のある雰囲気は損なわれず、美しい所作と相まって嫌悪感はない。
多少動きがぎこちないのと顔色が悪いのは、体調でも悪いのだろうか。
互いに紅茶を一口含む。何時もであれば、何かしら質問をされるが噂通り彼女は何も話さない。エミリオは微笑んでみるが頬を染めることもなく、かえって体が縮んだ気がする。
とりあえず場を繋ぐため当たり障りない話題を口にするが、全く話に入ってこない。時折僅かに動いているから聞いてはいるのだろう。よもや目を開けて寝ているということはないだろう。
確かに聞きしに勝る無関心具合だ。これほどの時間喋り続けた事はない。少々声が掠れてきてしまったエミリオは頃合を見て冷めた紅茶に手を伸ばすと、はっとしたような彼女も同じ動きをする。
本当に、寝ていた訳ではないだろうな…?
だとしたら相当な図太さだ。若干の恐怖を感じ、彼女を帰りの馬車へと促す。これ以上話せるネタもない。エミリオは出来る限るの早さで帰り支度をする。優秀な従業員は目配せ一つで希望を汲み取ってくれる。流石は王都でも有名なカフェだ。
「私ばかりが話して申し訳ありませんでした。美しい貴方と過ごし浮かれてしまったようです。カリン嬢、これからどうぞよろしくお願い致します。」
彼女の乗った馬車が角を曲がり見えなくなったところで息を吐き出す。正直ここまでとは予想外だ。自分は相応の場数を踏んできたとの自負がエミリオにはあった。それなりにウケのよい話を選んだつもりだが、彼女の眉一つ動かす事は出来なかった。
傲慢かと言われれば、少し違う気がする。装いも雰囲気も想像とは違っていた。不平不満を言うことはないが、その代わりにこりともしない。けれど見た目など如何様にも出来るだろう。
手強い。
およそ婚約者に対する感想ではない。これから毎回このような時間を過ごすのかと、流石のエミリオも顔が引き攣る。だが社交シーズンももうすぐ終わりだ。カントリーハウスに行けば交流も減るだろう。
などと考えていたら、二回目会った時にオフシーズンもタウンハウスに残ると言われ驚いた。更に続いたのは週二回の逢瀬の提案。随分と少ない。タウンハウスに残るくらいだから、楽しみにしているかと思ったが、残る理由は別にあるのだろう。まるでやる気を感じない。
この日は理由をつけて早々に解散となったが、気にするどころか何故か満足そうな顔をしている。
これには少々エミリオも苛立った。
やはり噂は本当だったのか。興味がないなら、早々に破談にすればいいものを。こうなったらあの無表情を崩してみたい。
エミリオは今後の予定を立て出来うる限りの予約を入れた。オペラ鑑賞や評判のレストラン、宝飾店から人気デザイナーの洋服店まで。一つくらいは気に入るだろう。多少詰め込み過ぎな気はするが、これ以上孤独な朗読会となるのは御免だ。出来るだけカフェで茶を飲むだけというのは回避したい。
ところが、どこへ連れて行っても大した反応はない。あまりの手応えの無さに、趣向を変え怒らせるつもりで宝飾店では小ぶりなものばかりを用意した。流行遅れを暗に指摘する、最先端の贈り物もした。それでも彼女が大きく表情を変えることはない。
けれど最初こそ噂通りと憤ったエミリオだったが、婚約から一ヶ月が経つ頃には、少しずつ認識に変化が生まれていた。
確かに彼女の表情は乏しい。けれど僅かに開く瞳から驚きが、細める瞳からは感嘆が読み取れる。身体が硬直するのは恐らく緊張によるものだ。眠っているかと感じるのは、考え事をしている時。後ろを歩くのも、話に入ってこないのも、傲慢と言うより極端に自己主張がないからだと感じる。
そして意外にも努力家なようだ。当初感じた場馴れしない雰囲気はなくなり、贈った流行の小物を取り入れ、みるみる装いは洗練された。当てつけのような雰囲気は全くなく、むしろ学ぶ事を楽しんでいるようにも見える。時折教師に向ける眼差しを感じるのは気のせいだろうが。
エミリオはカリンの人柄を正しく理解し始めていた。
やはり、噂は噂でしかなかったな。悪意ある噂は気の毒だが…確かにこれほど自己主張がなく、自己肯定感の低い女性は珍しい。何か理由でもあるのだろうか。
違った意味で興味を持ち始めた頃、今年の社交界の終わりを告げる大規模な舞踏会が開催される事になったのだった。