10.エミリオの事情~噂
数回エミリオ目線のお話が続きます
「エミリオ、次の婚約者が決まったって?良かったなぁ、まだ物好きがいて。」
ニヤニヤしながら話しかけてきたのは、職場の同僚だ。もっとも爵位は彼の方がずっと上で、仕事はエミリオのほうがずっと出来る。それが気に入らない彼は、こう言った話題に飛びついては嫌味を言いに来る。
つまらぬ話をしている暇があるなら手を動かせばいいものを。
そう思いながらも表面上はにこやかに対応する。
「本当ですね。有難いものです。」
無難な答えはお気に召さなかったらしい。小さく舌打ちの音が聞こえたが知らないフリをする。すると再度ニヤリとして懲りずに話しかけてきた。
「良かったじゃないか。でも相手はあのカリン・パルッツィなんだって?」
「えぇ。ご存知なのですか?」
「お前こそ知らないのかよ。“孤高の淑女”だぞ?」
勿論知っている。笑う事はおろか、表情を変える事すらない高飛車な態度。どんな贈り物にも心を動かさない高慢ぶり。どれほど話をしようが興味を示さず、会話はほとんど続かない。極めつけは歩調すら合わせず、常に探るように後ろを歩くという奇行。
つい先日、二度目の婚約が解消となったばかりだ。
「…噂は噂ですから。」
「はは!そりゃ賢明な事だ。お前みたいに噂通りの奴もいるけどな。」
「…。」
「噂通りなら少し痛い目みせてやったらどうだ?せいぜい頑張って落としてくれよ、色男。」
気が済んだのか上機嫌に去っていった。これで暫くは静かになるだろう。ため息をついて仕事を再開しようとしてエミリオはふと手を止め、机の引き出しを開いた。
自分が特殊な環境で育った自覚はある。そのせいで誤解される事もあったし、その通りの振る舞いもしてきた。今更訂正しようとも、分かって欲しいとも思わない。俺には幸せになる価値も資格もない。
そう思っているのだが、不思議なもので縁談は定期的に舞い込んでくる。まぁ、お節介な知り合いが所構わずつり書をばら撒き、偶然にもタイミングよく手に取った令嬢から連絡をもらう、というのが常なのだが───。
引き出しの一番上には例の婚約者のつり書が入っている。それを取り出し、改めて視線を落とした。
噂は噂でしかない、というのはエミリオが一番よく知っている。人の事など言える立場にはない。それでも新たな婚約者は気になる事が多かった。
価値観の違いや生理的な問題はどうしても出てくるものだ。従って婚約を解消する女性はそれなりの数はいる。しかしその殆どは婚約者から二ヶ月以内の話だ。この期間はお試し期間とされ、その期間内での婚約解消はなかったものとされている。
女性の経歴に傷をつけないために設定されているご都合主義な期間ではあるが、理にかなってはいる。結婚適齢期は短い。けれどこの国の暗黙の了解は六ヶ月間の婚約。時間は有効に使うべきだ。
だからこそ、六ヶ月近くまで婚約しておきながら二度も解消となった彼女は非常に珍しい。そこまで婚約を継続しているということは、当然婚姻が大前提となる。それを直前で、しかも男性側が懇願しての解消など聞いたことがない。何か理由があるのかもしれないが、それを考慮しても彼女にまつわる噂は酷かった。
「余程、元婚約者が悪かったか…。」
噂で聞いた彼女の最初の婚約者の名前を思い出す。そういえば気位ばかりが高い、少々、いやかなり口数の多い男だった。あの男ならば婚約解消の腹いせに、多少誇張した悪口を吹聴してもおかしくない。少しだけ彼女に同情したが、それでも少なからず彼女に原因はあるのだろう。
痛い目…か。
俺にはそんな資格はない。どうせ女性側からは同じように悪し様に言われているのだろう。そういう意味では自分と似ている気もする。
どんな女性だろうか。
珍しく気になった女性だとは思った。酷い噂を自分に重ね、同情していたのかもしれない。けれどそれ以上の思いはある訳もなく、エミリオは早々につり書をしまい仕事を再開した。
次の休み、顔合わせに少し早めに向かったのはあくまで礼儀上の事だった。噂通りの傲慢な女性なら、時間通りに来るはずもないと思っていたが、予想に反して時間ちょうどに彼女はやってきた。
扉が開く気配に立ち上がり、真っ直ぐに入ってきた女性の元へ向かう。近づくほど硬直していくのが分かる。目の前に立てば、踏ん張って何とか耐えているというのがうかがえる彼女は───噂には程遠い女性に見えた。