当たり前に生きる決意
荒波の海に船を出す吉蔵の思い
仲間の制止する腕を振り切って荒れ狂う海に吉蔵は船を漕ぎだしていた。
それは、南シナ海の海上で発生した大型の台風が日本のはるか南の海上で迷走し続け、挙句の果て異例のコースで東北地方の三陸沿岸目掛け接近し続けていた。今までに経験したことのない東北地方直撃の恐れが出てきていた。折からの海水温度の上昇傾向が続く中、海水温27~30℃のエリアが三陸沿岸まで広がっていて、台風の勢力は衰えるどころかかえって勢力を増す勢いで北上を続けていた。それはローカルテレビ局をはじめ、全国放送でも四六時中特別警戒情報を報じていた。
そんな中で、漁師仲間の第二海運丸は船を出していた。
どうしてこんな時に船を出すんだと漁師仲間が止めたにも関わらず、その制止を振り切ってまで船を出したかというと、それはアワビ漁の解禁の日だった。アワビを誰よりも先に多く獲るということは、大きな儲けにつながるということだった。
今度高校に進学する娘には学費や進学のための費用がかさみ、常に頭を悩めていた弥太郎にしてみれば養殖イカダが流されてカキが全滅することの上、娘に進学を断念ささねばならないという局面だけは避けたいという一心で、船を出して「アワビ漁で稼ぎたいのだ」と後からその難破船から救助された弥太郎からそう聞かされた。
確かにせっかくのカキの出荷までには2年の月日を要し、それがようやくの事出荷にまでこぎつけたその矢先の大津波の襲来で全滅し、何としてでも荒波であろうがはやる気持ちを抑えきれぬ彼の心境がわからないわけでもなかった。
吉蔵のところにも遭難の話が飛び込んできた。吉蔵は日ごろほとんど漁師仲間とは付き合いもなく、道ですれ違っても挨拶することすらなかった彼であったが、その日の出来事が一大事であるということが誰しもわかっていた。何しろこのシケにもかかわらず船を出すということはまさしく正気の沙汰ではなく、自殺行為そのものであった。
どんな理由があろうともこの嵐に向かって漁にでるなどとは尋常ではないことくらい誰が考えても危険すぎる行為であり、いつも寡黙な吉蔵ですら言葉を荒げて怒鳴り散らした。
「ふざけるのもええ加減にせんか!」
「誰が見たってこの嵐のなかじゃまず助かるまい、自業自得というもんじゃけんのう」
「人の忠告を無視して海の怖さを小馬鹿にしすぎた罰があたったんだべさ!」
漁師仲間の一人がその言葉を聞いて思わず言い放った。
「吉! そりゃいくら何でもいいすぎだべ!言っていいことと悪いことがある」
「今日という今日は、おら黙ってらんねぇ。弥太郎だって好きで船さ荒海に出したんでねえぞ!」
誰が聞いてもそういいたくなるのもわかる気がして、皆は下を向いて黙りこくっていた。
「だったら、おめぇら助けにでもいけばいいべさ、文句ばかりこきゃがって誰一人他人事だべなぁ」
と一言言い放つと吉蔵は漁協の事務所を後にした。
「やっぱりあいつはだめだ」
「あんな奴には知らせんでよかったのに、だれだあんやつに話したのさ?まったくもう」
と口を揃えて皆が言った。
「どうせ奴ら、『心配だ心配だ』と口先ばかりで言ってたって、そんなことはなんぼでも言えるさ。しかし俺からすりゃおめえらただのやじ馬だべさ!」
と怒鳴りつけて事務所から出ていったのだった。
吉蔵は少し項垂れるようにして、ぼそぼそと言いながら自宅へと帰っていった。
しかし、それは口先だけで心配だのと言っていても何も始まらないと彼は考えていた。
どんなにテレビに噛り付いて気象情報を何度も見ていたって、第二海運丸の消息が分かるものでもないのは皆が承知していたことだった。
吉蔵は家に帰るなり、御櫃に残っていた冷や飯で大きなおにぎりを二つ、そして少々の身支度をしてカッパを着込むなり、荒れ狂う嵐と暴風雨の中で自分が船を留めてある漁港へと足早に駆けて行った。
漁協の事務所でテレビにくぎ付けになっていた漁師仲間が吉蔵を罵倒する声を背中に聞きながら、彼は彼なりに自分が今できることをひたすら真剣に考えていたのだった。
そして、彼らはくちばしに
「あの因業やろうが」
「自分さえよけりゃそれでいいって顔しやがって、おらにゃかんけいないべって顔しやがって」
「俺らがみんなで弥太郎のことこんなに心配しているっていうのに、気楽なもんだよあいつは。」
「だからあいつはいつもつまはじきになるんだよ。あれだから」
「ほっとけほっとけ!あんな人でなしなんざ相手にしてられねぇや」
そんな彼らが自分に散々罵声を浴びせて罵っていることなどわき目もふらず気にする様子もなく、吉蔵は既に船を出していた。
荒れ狂う海に漕ぎ出していったのだった。さっき漁協の事務所で言ってた自分の言葉を忘れてしまったかのように、まさしく無謀そのものであり自殺行為に見えたが、彼は自分の命を顧みず助けたいの一心で勝負に打って出た。
ただでも吉蔵の乗っている船は、仲間の船から比べればなるでオモチャの船のような代物であり、無線がついているわけでもなければ、レーダーがあるわけでもないのにこの嵐の最中に船を出すなど丸腰で敵陣の突撃していくようなことは彼自身が一番よく知っていたはずなのに、なぜ彼はそんな無謀は行動に出てしまったのだろうか?
それは、彼が若いころにも同じようなことがかつてあった。
突然見ていたテレビで過激派の学生たちがシュプレヒコールで仙台の大通りを行進していた姿を目にするや否や、何を血迷ったのか訳も分からずに列車に飛び乗った時の心境と同じだったのかもしれない。
それが彼の独特の価値観でもあり世界観であった。
生まれつきの後先を考えず、まるで神の啓示を受けたかのように無鉄砲で猪突猛進に身体が動き出す特性そのものの表れなのかもしれない。自分のことは差し置いてでも今できることを精いっぱいやりぬくことそれは彼のかねての生きる信条がであり、生き様であり、彼を突き動かす原動力なのかもれない。ある意味”そんな性格の持ち主”に他ならない。
未だ見たことのない世界に誘われて
巨大台風はいまだかつてない進路をとって、三陸沿岸直撃し上陸するコースをとっていた。荒れた海の勢いは増すばかりで、一向に収まる気配はなかった。まさしくその襲い掛かる巨大台風にまともにぶつかっていくようなものであり、その勝負に勝ち目がなかったことは火を見るよりも明らかな戦いに挑んでしまっていたのだった。しかし彼にとってはたとえ僅かな可能性であっても遭難した弥太郎を助けたい一心であり、それを止められるものはいなかった。
第二海運丸は、大波に押し戻されるように海岸付近の岩礁に打ち付けられて座礁し、身動きできなくなっているところを台風が去って海上保安庁の監視船が発見し、船はほとんど大破していたが船長の弥太郎は何とか救出された。
しかし、無謀にも救助に向かった吉蔵の船は、その後も行方が掴めず海上保安庁の巡視船の懸命の捜索でもその安否すらわからずじまいになっていた。
地元漁協でもほぼ諦めムードが漂っていた。
「だから言わんこっちゃねぇんだよ。あの馬鹿が人のいうことをきかねぇもんだから」
「自業自得ってもんだなぁ」
「だから日ごろから変わり者だったから、仕方あんめぇな」
ほとんどの漁師仲間からも彼の勇気ある行動を罵倒する者はあっても彼の勇気ある行動を称賛する声は誰一人として口にする者はいなかった。
そし、さらに1週間が経ってそのことすら心配するどころか、口にする者すらいなくなっていった。やがて月日の流れの中で記憶の闇の中に消えようとしていた。
吉蔵の船は、荒波の中で必死にかじ取りをしながら船が横波を受けぬようにかろうじて波を乗り越えて必死に耐えていた。
そして台風が過ぎ去り、徐々に荒波の勢いも落ち着いては来たが、その時には船外機もすでに機能は果たすことなく、推進力を失った小舟はただただ波の合間を漂い続けるしかなかった。
船にはかろうじて乗り込むときに持っていた大きなおにぎりが一個とペットボトルに水が二本だけ。それしか口にできるものは残されれてはいなかった。
吉蔵は、冷静であった妙に。
このまま漂流し続けることになれば、どこにたどり着けるやもしれない。こうなりゃ持久戦だ。耐えられるだけ耐えて何とかしてでも生き延びることに執念を燃やした。
まずは、残り一個になっていたおにぎりを三つに分けて、少しずつ食べて空腹を凌いだ。一日1/3ずつのおにぎりのかけらとペットボトルの水を口に少し含める程度にして少しずつ飲むことにした。
そして果てしない漂流生活が始まった。
しかし、少しずつと思いつつ食べたおにぎりは3日目には干し米のようにカリカリに乾燥してしまい、喉に通すのも儘ならない状態だったが、それでも口に僅かな水を含ませながら柔らかく喉に通るようにふやかして何とか飲み込んだ。しかしその後は残り一本のペットボトルの水しか口にできるものもなく、容赦なく降り注ぐ直射日光を遮る僅かな小屋根の影を太陽の動きに合わせて少しでも日陰に身を寄せるしか方法はなかった。
そのうちに意識が遠のくのを感じていたが、寝てはいけないと思い大声でありったけの力を振りしきって歌を歌い続けた。その時には決まって岡林信康のの”山谷ブルース”であった。というよりそれ以外で暗唱できる歌が彼にはなかった。
しかし、その歌を何度も何度も壊れたテープレコーダーのように繰り返し口にして残り僅かな気力を振り絞っていた。
最後には、水もついに底ついて、挙句の果ては自分の尿をペットボトルにとって、それを少しずつ口にして喉の渇きを癒して、生き延びる術を探し続けた。
しかし、それも限界に達してたまに遠のく意識も、ついに完全に意識を失うには時間はあまり必要ではなかった。
そして、彼を目覚めさせたのは大きな岩にぶつかった衝撃の音であった。音と揺れが彼をこの世に呼び戻してくれた。このままあと一日漂流を続けていたら、きっと三途の川を渡っていたに違いなかった。
そして、大破した小舟から放り投げらるように彼は海に投げ出されて冷たい海に浮かんだ。そして大きな岩に打ち付ける波に飲み込まれないように岩の出っ張りに手を伸ばして、何とか岩にしがみつくように陸によじ上がった。
ようやくのことで波打ち際にたどり着き、その安堵感のせいもあって彼の意識は遠のいていき、やがて完全に気を失ってしまった。
それから何日完全に意識を失っていたのかは誰にも、まして本人ですらわからなかった。
どこに打つあげられたのかということ以上に、今自分が生きているのか、それともあの世にすでに逝ってしまったのかも定かではなく、確かめる術もなかった。
彼はまさしく、幻覚の世界の中を彷徨っていた何日も何日も。しかし正確に言えばそれが数日だったのか相当の長い時間だったのか、それともその時間は息を引き取るまでにほんの一瞬の出来事だったのかすら本人にもわからなかった。
しかし、その時の出来事を鮮明に記憶だけが脳裏に焼き付いていた。
一部始終を彼の記憶中枢の奥深くにかつ鮮明に刻まれた。その意識を超えた記憶こそが、仏語でいう阿頼耶識だと彼は確信した。
吉蔵はそれほど敬謙な信仰の持ち主ではなかったが、しかしそれは信仰というあいまいなものではなく、体現した事実そのものだった以上、信じる信じないという領域のものではなかった。
しかし明らかにその経験こそが彼の残りの人生観の礎になったことだけは間違いないなかった。
見知らぬ子供たちからの感謝の言葉
浜に打ち上げられたはずの彼は、不思議なことにその時無数に蛍が飛び交深い森の中にいた。
それはそれはこの世のものとも思えぬ光景が闇の中で輝いていた。目を凝らしてみると怪しげな光を放つ蝶がゆらゆらと宙を舞い、空中を無重力の空間に浮かぶ宇宙飛行士のように闇の中に消えてはまた姿を現し、森の妖精のように何か宴の始まりを告げるが如く闇夜を漂っていた。
森一面にホタルの群れは広がっていて、その放つ小さな光は星空の天体ショーよりも幻想的であり、またその森を厳粛であり崇高な空間を形作っていた。
そんな幻想的な空間の中に子供たちの姿が見えた。よく見ると子供は少なくとも数人はいただろう。その子たちは何やら可憐に踊っているようにも見えた。バレーを舞踊するバレリーナのようでありその姿は実に優美であり、気品に満ち溢れていた。ホタルの放つ光、そして飛び交う綺麗な蝶たち、そして可愛いバレリーナの舞踊、まさしく森の妖精リトルダンサーであった。
それはまさしくこの世のものではなかった。しかし吉蔵には妙にその空間に心の底から安らぎに似たものを感じていた。その幻想に世界こそが本当の世界であり、ユートピアそのものだと思えてならなかった。そこには今までに感じていた恨みの憎しみも悩みも妬みもそんなものとは無縁の世界が広がっていて、その空間に今自分が存在しているだけでしあわせだと感じていた。できることならばこのままずっとこの幻想の世界に居続けたいとも思っていた。
そしてやがて、東の空が薄青く染まり始め闇夜の宴の終わりを告げるように今まで森一面に乱舞していたホタルの姿が闇の中に吸い込まれるように姿を消し、神々しい光を放って空中を漂っていた蝶もその姿を見ることはできなかった。
吉蔵にとってはなんとも寂しくもあり、残念な気持ちに苛まれていた。できることならばずっと永遠にその空間に居続けたいと思っていた。それほどに絵も言えぬ心地よさがそこにあり、釈尊が言った涅槃とはこのことなのかと改めて知った気がしていた。吉蔵にとってはその宴の終わりは残念でならなかった。非常に心惜しく思えてならなかった。叶うことならばもう一度目の前にその光景が現れて、自分を包み込んでくれたなら心置きなく死んでも構わないとまで考えていた。
しかし、その闇夜の宴が戻ってくることはなかった。
がしかしそこに現れたのはさっきまで可憐にバレーを踊っていた可愛いいバレリーナたちではないか。
その姿は決して、よくテレビで見たあのボリショイバレー団の華たるプリマのような姿はしておらず、どこにでもいる子供の姿であり、公園で泥遊びでもしていたかのように足元を見れば泥まみれであった。そんなごく普通の子供の姿がそこにはあった。
そして、その子らの一人が吉蔵の方に駆け寄ってきた。最初吉蔵は少し気味悪がっていた。あの夜の出来事が幻想だとするならば、今目にしている子らは亡霊なのかもしれないと思っていた。
しかし、近寄ってきたその子は特段おどろおどろしい容姿でもなく、”うらめしや~”とでも言いたげな様子はまるでなく、ほんのりあどけない微笑みを浮かべながら吉蔵に隠し持っていた手紙を手渡して、また黙って帰ろうとした。
吉蔵は思わず、その子に声をかけた。このまま森の奥に姿を消されたんじゃあまりに不思議が重なりすぎて何が何だか分からなくなってしまいそうで、不安でたまらなく言葉を発した。
「ねぇ、君らはどこで暮らしているの」
「お父さんとかお母さんはどこにいるの?」
と
しかしその子は、何も言わずにそこに立つすくんでいた。
「ねぇ、お願いだから教えてよ、ここってどこなの」
「おじさん、決してあやしいもんじゃねぇから、安心して」
「人さらいなんかじゃないからさ」
怯えた様子でその場を立ち去ろうとするその子の手を強引につかんで吉蔵は続けた。
「お願いだから、おじさん困ってるんだ」
「おじさん、ここがどこなのか、今がいつなのかもわからないんだ」
「お願いだから何でもいいから話してよ」
するとその子は一言だけ口にして森の奥に帰っていった。
「その手紙は、おじさんが帰ったらその時に読んでね」と言って。
その後、吉蔵はあわよくばもう一度という淡い期待を込めて、夜が来るのを待った。
しかし、あの夜見たような宴の情景どころかホタルの乱舞、光を放つ蝶の姿を見かけることはなく、ひっそりと静まり返った真っ暗な闇に包まれた深い森がそこにはあるだけだった。
翌日も吉蔵はひたすら待ち続けた。来る日も来る日もただただ夜を待ち続けた。しかしあの日のような宴が催されることもなければ、ホタルの一匹も飛び交うこともなかった。
しかし、ある日のことである。昼の照り付ける太陽の光を遮ることのできる森の中で木漏れ日だけがキラキラと輝いていた。
するとそこにはあの時見た子供たちが、あの時のように無邪気に遊んでいるではないか。それは都会の公園で楽し気にジャングルジムや滑り台で遊んでいる姿とは一風変わっていた。
彼女らが遊んでいる姿をずっと静かに息を潜めてみていると、それは遊んでいるというよりも会話しているようにも見えた。そしてその話し相手は子供同士ではなく、どうやらその相手は想定外のものと会話している様子を見て、すごく奇異にしか見えなかったのは変わり者で、人付き合いの悪い吉蔵だけだったのだろうか?
よく見ると、子供らの頭には小さなハチドリほどの小鳥がちょこんと乗っかり、肩から背中にかけて這いずり回っているのは可愛いシマリスであった。そして広げる手の平の上には何やら木の実なのかヒマワリの種なのかは判別できなかったが、それを啄みに新たな野鳥が入れ替わり立ち代わり訪れ、シマリスとその餌を分け合うように啄んでいた。
まるでその光景は、人間と野生動物の関係性ではなく、その垣根を超えたところに存在する生物間のやり取りしか見受けられなかった。まさしく相互扶助の関係性がそこには成立していた。共に生き、共に暮らしていく術がそこにはあった。
何も無理して、野生生物に餌付けをしている風にも見えず、はたまた人間が野生動物をペットとして飼っている様子でもなく、ごく普通に共に助け合い、実に普通に居心地のいい空間を共にしているだけにようにしか見えなかった。人間が自然界の頂点にいるという威厳めいたものはそこには存在せず、いかにも人間もその自然の営みの一部として存在していることを物語っていることをその空間は証明していた。なぜあそこまで人がいるにも関わらず、野生動物があそこまで無防備に人と触れ合うことを許しているのかを理解するには、現代社会に生きてきた吉蔵にしてみれば、奇怪なる現象に他ならなかった。それと同時に自分は常に心掛け自然の大切さを優先し、実践していたつもりだったのにそのこと自身が実に詭弁であり、驕りの上にあったのかを知ることになった。
常に口先ではきれいごとを並べていても所詮、人間目線で自然と接しそして自然に対峙している風でいて実はどこかにやってやっているという気持ちがあったからこそ、漂流ごみを拾い集めても
「昨日も拾ったにもかかわらずまたうちあがってら」
と愚痴の一つも口にしないとやってられなかったんだと自分の度量の小さささを情けなく感じずにはいられなかった。
ごみを拾い集めているくせに、実際の暮らしでは洗うのが面倒という身勝手な理屈で使い捨てのコップを平気で使い、料理をするのがめんどくさいと言ってはレトルト食品の温めれば封を切ってすぐ食べられることに慣れきって、油物で汚れた食器はいつしか使い捨てのお皿に変えていたことに何の疑問も抱かずに生きていた自分を思いっきり恥じた。自分の驕り高ぶりの中から生まれた自分の生きざまにとことん嫌気がさしていた。
上辺だけの理屈の酔いしれて、自己を肯定したかっただけなのかもしれない。
そして吉蔵はその子らの遊びの様子に興じていた。
何やらシマリスの土にしまい込んだ木の実が彼らが忘れてどこにしまったのかわからなくなり、そこから芽の出た苗木を掘っては違うところに植えなおしているではないか。あたりをうろつき回るシマリスを横目にせっせとその苗木を空き地に運んでは植えなおしていた。
それは、小鳥がエサがなくなると困るだろうという気持ちで、今のうちに新しい木を植えて大きく育つのを楽しみにしているようにも見えた。そしてその脇の方に目を向けるとそこには以前に植えたであろう木々には既に多くの野鳥が群れを成して木の実を啄んでいた。
小鳥が木の実を啄ばみ、それから落ちた食べそこねた木の実をシマリスがそっと自分の食べ物の貯蔵庫にしまい込んで、その隠し場所を忘れた種はやがて芽を出して、その芽の出た苗木を子供たちが小鳥のためにと掘り起こして、植え替えてあげている。
そんな姿を垣間見た吉蔵が感じた安らぎとはこういうことから起因しているのかと一人頷きながら納得していた。
今までに感じたことにない心地よさとはこういうことなのかと初めてその意味を理解した気持ちであり、それは大きな驚きであった。
夢のような世界が一変した瞬間
吉蔵にとってこの上もない安らぎの空間にずっとい続けたいという願望で、その場を立ち去ることができずにいた。
しかし、既に子供たちの姿も小鳥もリスの姿ももうそこにはなかった。ふと気が付いた時にはいつに間にやらどこかに行ってしまっていた。
吉蔵はまたそこで待ち続けた。来る日も来る日も。
あのホタルが飛び交い、光り輝く蝶の舞が見たくて。そして子供らと野生動物が戯れる森にもう一度会いたくて待ち続けた。
そんな彼に身体に急に異変が現れた。
急に身体全身に悪寒が走るや否や激しい嘔吐、ハンマーで殴られたような激しい頭痛が彼に襲い掛かってきた。吉蔵はいてもたってもいられないほどのその激しい痛みに耐えかねて、地べたをのたうち回った。耐え難い激痛がしばらくは続いただろう、そんなとき彼はさらなる幻覚の世界に足を踏み入っることとなった。
そこは、今まで見た深い森の様相とは打って変わって、荒れ果てていた。
もうすでに建築して何十年も経っただろうかその長きに渡って放置された時間は彼の目にも容易に想像できた。窓ガラスはどの窓もほとんどが壊れており、周りは雑草が鬱蒼と伸び、いたるところには蜘蛛の巣が張り廻らされていていた。
吉蔵は息苦しさと先ほどまでの激痛とが相まって、倦怠感と脱力感に苛まれた。
飛び交うのはホタルではなく、ハエが飛び交っていた。どこかで腐ったものから湧き出たのだろうか?
よく見るとそのハエの湧く場所は、なんと既に死んで横たわっていた野生化した豚の鼻の穴やお尻それに一部下っ腹から飛び出した内臓に群がっていたものだった。
その豚はエサを貪るようにレジ袋やビニール袋に入った生ごみを漁っていて、その袋がきっと腸かどこで詰まって死んだのだと容易に想像できた。
それは死んだ豚の口にも食べ散らかしたものがつまったままであり、袋ごと生ごみを食べていたのは一目瞭然であったからだ。
そしてその死体にはネズミやイタチがお尻の穴から内臓を貪るように大量に出入りしていて、まるで地獄絵巻のような情景がそこにはあった。
可愛い小鳥の代わりには変わり果てた建物の屋根にはカラスの大群が留まっていて、怪しげな鳴き声がこだましていた。
カラスは不気味な声でいかにも彼を上からあざ笑うように鳴き声を上げていた。
吉蔵は思った。
人間の無秩序な自分本位の考えで自然界に土足で上がり込んできた人間の成れの果てがそこにあることを。人間こそが一番偉いんだ、この世界の頂点に立ち、この星の支配者であり、自然をいいように利用するだけ利用し、挙句の果てが飽きたら捨てる、その暮らしぶりの産物だとその情景を見て確信していた。
まさしく現代社会のなれの果てがそこにあった気がしていた。
そこに漂う空気は違和感を超えて嫌悪感でしかなく、そこには安らぎもここと良さもなくあるのは後悔の念とこの世の哀れさしかなかった。その空間にいることそれだけで疲れが倍にも3倍にもなって膨れ上がった。生きていることすら辛く感じた。
なぜなんだろう、どこからくるのだろうかこの倦怠感は?
吉蔵は、以前それと似た感覚に襲われたことがあった。
ずっと田舎暮らしをしていて、田舎生まれの田舎育ちの若者が都会にあこがれて、っというよりも煩い親父の手伝いの漁師に飽き飽きして、列車に飛び乗って東京に行った時のことを思い出していた。あこがれで行ったはずの東京駅に降り立って感じたのは、そのにはまず海がなかった。今まで朝起きた時から寝る時まで海を見、海と共に生きてきた吉蔵にとって海の見えない暮らしは初めてだった。次に気づいたのが土も草もないことだった。確かに道脇の街路樹にはきれいな生垣とお花が植えてあり、それはどれもこれもきれいに手入れが行き届いていた。しかし吉蔵に言う草とは手入れしてある植物ではなく、適当にそこいらに気ままに生えている所謂雑草のことであった。
そして時には無駄な場所がなかった。疲れたkらと言って誰のお咎めおなくごろ寝できるそんなどうでもいい空間が都会にはなかった。すべてが計算ずくであり、すべてが合理的かつ緻密に仕組まれた迷路のように組み込まれていて、その緻密さが田舎育ちの吉蔵には耐えがたい空間であった。
しかし整然と並んだ大通りを一歩入るとそこには何十年も人が住んでいないことが一目でわかるよな古びた建物があったり、ごみ袋を漁るカラスのいたずらで散らかされたごみ、公園に行けばまるで生きる意味すら見失ったようにしゃがみ込んで動かない老人の多いこと。
さっきまで見ていた丸の内の華々しいビル街のほんの数十分歩いたところにある裏びれた世界が同居する都会。
彼はふとその時感じた歪感といま目にしている情景が酷似している気がしていた。
その殺伐とした風景には安らぎを感じることはなかった。人間のエゴで踏みにじられ、人間の身勝手のなれの果てが自然の営みをこのような無残な姿に変えてしまってしまったことに目を背けることは決してしてはならないと吉蔵は思った。
便利を求め、豊を求め、他を顧みず、身勝手に自分だけの無責任な欲望を求めた結果がどのような結末を引き起こしたのかをこの情景と向かい合って考えなければ、人類は取り返しのつかないところまで行き着くのかを想像しなければならない。
一旦傷つた自然はそう簡単には復活することはできないことを知るべきだと吉蔵は痛感していた。
自戒の念に苛まれながら目を覚ました。