新月の願い
新月に願掛けをしたことはありますか?
その願いがもしも自分の望まない別の形で叶ってしまったとしたら…
そんな物語を公式企画「夏のホラー2022」に初参加して書いてみました。
怖いの苦手な人でも読んでいただける物語を、楽しんで頂ければ幸いです。
大好きな彼とのデートの帰り道、彼が運転する車の中でさっき観た映画の話をしながらラジオを聴いていると、新月にまつわる特集をしていた。その時話題は、新月のもつパワーの話になっていき、ある特定の時間に願掛けをすると、願いごとが叶いやすいというような話をしていた。
二人で観た映画の内容が、主人公が願い虚しく、記憶を失くしていくストーリーだったこともあってか、冗談半分で新月の願い事をするなら何を願うのかを話していた。そんな他愛もない話がきっかけで、現実が大きく変わるなんて、誰が想像出来ただろう……。
その日は朝から空が濃い赤紫色をしていた。不気味な空の色だった。まるでこの世のものとは思えない、異次元のようにも感じられる空だった。昨晩がどんな空だったのか、気にしてみてはいなかったけれど、いつもと変わらない夜空だったはずだ。その前もずっと、月の満ち欠けは変わっても、空はずっと同じ色だったはずだった。嫌な空だな…と感じたものの、自分の生活サイクルが変わるわけもなく、私はいつものルーティンで仕事へと出かけていった。
不思議なことが起きている、そう感じたのは翌日からだ。一人、また一人…と、私を知らない人間が増えていく。最初は仕事の取引先の人からだった。それがだんだんじわじわと広がっていくように、私を知らない…いや、私をまるで忘れてしまった人間が増えていったのだ。その対象は取引先の人に留まらず、勤務先の同僚や友人、そして家族までもが私のことを忘れていく。まるでこの世に一人ぼっち、世界に取り残されていくみたいだった。
「どうして? 何が起きているの?」
考えても解らない。何も思い当たる節はない。何がきっかけで忘れられてしまうのか、私はよくよく思い出してみる。そして一つの仮定を導く。
「…名前、名前を呼んだ人が翌日になると、みんな忘れてしまったかのように私を知らないと言った…?」
仮定を導き出したところで、なぜこんなことになったのか解らない。そんなドラマや映画みたいなことが、現実に起きているなんて信じがたい事実だ。
「映画…あ」
そこで私はふと気づく。先週彼と行った映画デートの帰り道でのことだ。帰りの車の中で記憶喪失の話をしていた。そして車内に流れるラジオのこと、次に二人で話した願いごとについてを思い出す。
冗談半分だった。こんなことがまさか現実に起きるなんて想像さえしなかったから。
『誰に忘れられてもいい、一番好きな人と世界に二人きりの存在になれたら、それでいい』
あの時願ったことが本当の現実になっているのなら、あの時一緒に居た彼はどうなっているんだろう。
彼とはあのデート以来、自分の身に起きる現実と、彼も私を忘れていたらどうしよう…って恐怖で、連絡を取ることを避けていた。でもあの時私の願いに対して、彼も同意してくれたはずだ。それならば、彼の身にも同じ現実が起きているのかもしれない…そう感じた私は、悩みに悩んだ末、メールを打ってみる。
何度も文面を考えては打ち直し、本当に私だけだったらどうしよう。そんな不安に駆られながらメールを送った日の夜、電話がかかってくる。相手は彼だった。電話に出てすぐ、お互いの名前を口にしようとして、何かに気づいたようにお互い押し黙った。名前を呼ぶこと、呼ばれることへの恐怖を私たちは、お互いに感じ取った。そして深呼吸をしてから、名前を呼ばないというルールを決めて、お互いの実情を確認し合う。彼もまた同じ現実を体験していた。それでもまだ彼を憶えてくれている人は居るようだ。けれど家族はもう自分のことを忘れてしまったし、仕事先の人も自分を憶えていないという状況は私と似ていた。
私は彼が憶えてくれている安堵と、同じ境遇を生きていたことに対する共感が、二人の関係をより特別なものにしている感覚から、彼がいれば大丈夫と安心感を得た。けれど安心を感じる一方で、寂しさも感じた。もう二度と彼の名前を呼ぶことも、私の名前を呼んでもらえることはないのだと。
大好きな人から忘れられるかもしれない恐怖と、名前を呼ぶことへの不安、いつ呼んでしまうかもしれないという恐怖。せめていちばん大好きな人には忘れられたくないという想いから、好きな人の名前を呼びたいけど呼べない葛藤の毎日を過ごす。
どうしてあの願いが叶えられたのか、どうして叶えられた願いが私たちのあの願いでなければならなかったのか…そう思えば思うほど、自分を責める気持ちが強くなる。けれど私の傍にはいつも彼が居て、名前を呼べなくても気持ちに変わりがないことを示してくれる存在に、何度も勇気づけられた。
偶然あの日、願ったことがその通りになった現実。冗談半分で願ったことだったけれど、現実になっている。この願いはいつまで続くのか、新月の願いはいつまで有効なのか。気になった私は、それから自分で新月について、調べるようになった。その中で解ったことは、新月は毎月必ず1度あることと、願いが叶いやすい時間帯と願ってはいけない時間帯があることを知った。あの日の私たちの願いがどうだったかは解らないけど、次の新月にもう一度願いをかければ、この現実に終止符をつけられるかもしれないし、元通りになれるかもしれないと期待を抱いた。
希望をわずかに感じられるようになり、次の新月までの周期を数え始めた頃、不安と期待が入り混じる中で、私はふと気づく。
「本当に願い通りの現実が起きているのなら、私が彼の名前を呼んでも忘れられることはないのではないだろうか…」
あの日、願った私たちの願いは、『誰に忘れられても、いちばん好きな人と世界に二人きりの存在』だ。つまり誰かを忘れることはあっても、彼のことは忘れないのではないだろうか。
勿論不安はある、もし彼の名前を呼んだ翌日、忘れられてしまう恐怖がないといえば嘘になる。でもやっぱり大好きだから、名前を呼びたいし、呼んで欲しいと思い願ってしまう。
日に日に大きくなる願いと、あと少し待てば次の新月がやってくることへの期待と不安。気にしないようにしても余計に気になって、それでも必死に葛藤していたけれど、彼の優しさと愛されていることをもっと感じたくて、不安を拭い去りたくて、私は次の新月を迎える前にとうとう彼の名を呼んでしまった。少しだけ彼は驚いていたけど、耐え切れなかった私の涙をそっと拭って、せめて次の朝がくるまでは…と時間を共に過ごしてくれた。
翌朝、不安から彼より先に目覚めてしまった私は、不安とほんの少しの希望と自分の切望の中で、彼が目覚めるのを待った。その時間はまるで、永遠のようにも感じられるほど長かった。彼が目覚めてすぐ、まだ少し寝ぼけていた彼に、差し迫るように何度も何度も確認したが、彼は私を忘れていなかった。やっぱりあの願いは、私たちには無効なんだと安堵して胸を撫でおろす。彼が戸惑う中で、私は彼の胸に飛び込んで何度も確かめるように、彼の名前を呼ぶ。誰に忘れられたとしても、彼と本当に世界で二人きりの存在になったとしても、彼の名前を呼べるんだと、愛おしさがこみ上げる。涙を流しながら何度も確認し、彼にも名前を呼んで欲しいと願い、ようやく願い叶って彼の口から私の名前が呼ばれる。なんて幸せな時間なんだろう…と感じていく中で、どんどん目の前が真っ白に染まっていく。頭の中から彼と過ごした記憶がひとつずつ消えていき、聞こえていたはずの声が聞こえなくなり、抱き締められた手の温もりも彼の体温も感じられなくなっていく。
そうして私は、彼を忘れていった……。




