其れは、悲しみの、始まり。7
シルタンス国領・ルア村
「俺じゃなきゃ許されてないからな、真面目に」
朝一番。どんよりと曇った天気のせいで爽やかとは言えない一日は、穏やかとは言えない襲撃によって始まった。
昨日は雫さんたちと若衆の狩った獲物を捌き倒して、それなりに疲れてどっぷり寝ていたのだが、耳鳴り治まらない聴覚は襲撃者による被害を頭痛と共に伝えていた。
眇める眼差しの先にあるのは首謀者たる雪奈。隣に居るのは共謀者の城牙。二人の手に握られているのは鉄鍋と木の棒。打楽器宜しく奏でられた不協和音は、楽器としての造りを求めてられていない鍋としては可能な限り奏者の希望に沿う働きをしていた。
文句は楽器の選択肢と音楽的センスを持ち合わせていなかった二人に向けられるべきであり、勝手に鋭くなる眼差しは遺憾の意を最大限伝えている。俗に言う目は口ほどに物を言う、というやつだ。
ただし、伝わるかどうかは受け手次第であり、輝かせた目の色には懲りた様子はない。
「しゅーひが起きないのが悪いよ、約束は守りましょう」
「ちなみにボクもこれで起こされた」
カンカンと鳴らしながら眉根を顰める城牙。共謀者じゃなくて被害者だったか。
「え、何。マジで行くのか?」
約束、との言葉で思い出されるのは三日前の泉の話。寝起きに加えて遠くにまだ鳴り響く不協和音に麻痺する脳で思い出せた俺偉い。
「マジに決まってんじゃん。むしろ城牙が乗り気です」
「ちょい見てみたいと思っていたのは事実だね」
カンカンと同意するように鍋を叩く城牙。やはり被害者じゃなくて共謀者だったようだ。
「ちなみにしゅーひは今日のご予定は?」
「聞く順序よ」
ずいと顔を寄せながら問う雪奈に不満げに言うが、こういうヤツであることは今さらな話だ。
「あー……今から立てるから少し待て」
「暇ですな、これは」
「予定がないだけで暇とは違うんだが?」
例えば水汲み。直近無くなることはないだろうが、無くなってから汲みに行くのは骨が折れる。まだ余裕のあるうちにそれなりにやっておきたい。剣の手入れも出来ればやっておきたい。ここしばらく使ってないから造りの修正は問題ないだろうが、刃の曇りは出てるかも知れないから確認したいところだ。あと薪割りもしとこうか。寒さは和らいできたからそれ程量を持つこともないが、炊事場に一山置いておくとラクだからな。入り口の建付け直しは……面倒だから完全に壊れてからやるから良いとして……あ、いい加減畑の掘り起こしもせんといかんな。
「……意外とやることあるんだが?」
雪奈に答えたというよりも、自覚からの絶望に呟く。もちろん一日でやる必要もなければすぐにやる必要もないが、今後も頼まれ事やら村の仕事とかを思えばやれるうちにやるべきではある。
「それは大変。じゃぁ準備して行こうか」
「会話の挿し込み方おかしくねぇか?」
気怠く肩を落としつつ尋ねても詮無いこととは知っている。城牙が向こうに付いた時点で押し問答を繰り返しても意味はない。四日前鍛練を切り上げた理由そのままに、反対意見を挙げているのが俺一人だからだ。今だけ滅べ民主主義。廃れろ多数決。
「あー、そいやじいさんは?」
どちらにともなく問い、体全体から億劫さを全面に出しながら、渋々と立ち上がり寝間着を脱ぎ捨てる。無論下着は穿いているが、年頃の娘の目の前で晒して良い様ではない格好をしながらも、俺たちの間に取り乱した反応は一切ない。慣れとは怖いものである。
「八雲さんなら外で薪割ってたよ」
「元気だなぁあの七十三歳!」
答えてくれた城牙の言葉に食い気味に反応してしまう。いや、元気なのは良いことなんだが、齢だけで見たらいつお亡くなりになってもおかしくない歳の頃をして力仕事に精を出している事実は、現実に行われていても信じ難いものがある。
普通寝たきり、良くても家の中を歩き回れりゃ上等な歳なんだが……。まぁ槍を杖代わり持って、しかも体調良ければ手合わせして俺が負けることもあるぐらいだし、普通なんていう物差しで測ってはならないようだ。
「でもまぁ、薪やってくれてんのは助かるな」
「つまりしゅーひを連れ出しても問題ないわけで」
「それとこれとは話が別だが……いや、もういいや」
着替えの衣擦れ音にすら負けそうな小さな声で諦めの語を吐く。じいさんの薪割り話を聞いた驚きで覚醒しきれてなかった頭もハッキリした。可動域限界を探るように一つ身体を大きく伸ばして二人に向き直る。
「とりあえず俺は腹が減っているんだが、お二人のご予定では飯の時間は取ってもらえてるのかな?」
『ない』
「おーけー。道すがら食う干し肉と乾物取りに行くから外行くぞ畜生共。あと、鍋は置いてけな?」
最後に袖の長さが左右非対称な造りの外套を着て、剣を肩掛けに身に付ける。無論使い手のこだわりで持ち手は下に向けて、だ。
ほーい、だのカンカン、だの返事をして付いてくる二人。鍋で答えんな、城牙。
本当に置いていくんだろうな、それ。と思いながら外に出ると、厚い雲が空を閉ざし、世界全体が灰色に染めていた。
「んぁー……テンション上がらんねぇ」
「しゅーひ的には割といつものことじゃん?」
「んだぁ?喧嘩?」
雪奈が要らん一言を言ってきたのを咎めると、本人はにひひ、と挑発的な笑みを浮かべる。
「売ってない売ってない。事実事実」
「んー、まぁ間違いではない」
「よし、無罪確定!証人じょーが、一言どうぞ」
「夫婦漫才やめーや」
俺たちのいつも通りといえばいつも通りな意味のないやり取りに、辟易するような城牙の眼差しが突き刺さる。夫婦漫才と称される俺と雪奈のやり取りを常日頃見ており、有識者として城牙太陽を超える者は居ないだろう。
そんな彼をして呆れた眼差しを向けてくる。うむ、代わり映えのしない平穏な一日の始まりだな。
納屋に目を向け後ろに続く二人には見えないように顔を背けた俺は、そんなことを思いながら小さく口角を持ち上げる。
朝飯代わりの乾物を取りに向かった納屋の外、長らく野晒しにされて雨水溜まった桶に映した己の綻んだ顔を見て、小さな咳払いとともに口元を結び直した。




