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復讐者の逃亡劇 21


「退き際間違えたねぇ」


小高い丘の上から戦況を眺めていた三騎居並ぶ将席位を持つ者たちの右、幾度となく欠伸を噛み締めたが故に目尻に涙を溜めた不衛生な身形の男がぼやけば、左に位置する伸ばした背筋が凛然とした女史も、明らかな落胆を覗かせた溜め息を溢して無言の肯定を示す。


眼下に見える伏兵の襲撃に狼狽する我が軍の、見るに耐えない姿はもはや罪と言えるレベルでひどいもの。


最も、戦果は上々。実戦を経験させるという難事においても果たせたと言って良い。だがやはり彼女ら位階の高い将帥の目からすれば、全てが物足りない。


それは兵の質というより騎兵隊を率いていた将軍の力量に帰しており、今回の戦いにおいて覚え置く名は一人として無いと、キリトは断ずるに至っていた。


むしろキリトが評価したのは敵の方。特に本人であるかは知らぬが、前線で立ち回った赤毛の猛将シーザ・クラウド。そして名を知らぬにせよ本陣の前衛を率いた女将軍と、夕刻を上手く使った本陣の指揮官。スターリン・クラドルという英雄の策であったかも知れないが、それを運用した手腕は然るべき評価に値する。


「結局、西も音沙汰無し。色々と思惑が空振ったなぁ……っとと」


口さがなく舌を回すアスター。聞き耳立てる者全てがこちらの側とはいえ、余りにも軽い口にようやっと視線を向けて窘めるキリトに、彼はわざとらしく慌てて口を押さえる。


朝方の襲撃の際に、シルタンス国軍が援軍を求めて伝令を発していたのを見たキリトは、むしろそれを見逃して西のアディカ砦の部隊を引き釣り出す方策としたのだが、今に至るまで動きが無い様子を見るに見捨てたか、もしくは元より援軍を出せるほど兵が詰めていないのか。


とはいえ騎兵隊のみで構成される破狼軍に攻城能力は無く、野戦に釣り出せないのであればアディカ砦の攻略は白紙に戻すだけ。隣国スコール領国へと繋がる砦なだけあって早めに圧えておきたいところだが、無理はすまいとキリトは頭を振って前線へと視線を戻す。


「敵さんも無理はしない、か。伏兵とはいえ一回蹴散らされた部隊の再編した烏合っぽいし」


首の後ろを掻きながらぼやくアスター。その言外には追撃はないと見ると同時に救出のために動く気はないと宣っている。キリトも特段その判断を否定することはなかったが、目は自然とアスターの呼ばわる烏合の衆に留まり続ける。


それは横撃を食らわせた伏兵の中で一際目立つ白い影。


「……狼?いや、犬?」


「んー、あー、あの白いの?……狼っぽいな。え、カッコいい。白い狼に跨がるってロマン!」


「いや、あれただのデカい月魄狐だろ。鼻筋のなだらかさと髭の多さからして」


遅れて存在に気付いたアスターが微睡みに淀んでいた瞳を輝かせたが、その少年心の高揚に水を浴びせるような淡白な声色が否定する。


「起きられましたか?」


「幾分ダルいけど、まぁ?」


それは寝過ぎからなのでは?と眼差し一つで咎めるに留めたキリトは、顎が外れんばかりに欠伸を放つ破狼軍が長たる青年、グラビスト・サウンゼンに皮水筒から出した水を染み込ませた手拭いを渡す。軽い感謝の言葉とともにそれを受け取ったグラビストは目元を重点的に拭いながら、それでも戦況を見逃すまいと眼下を望む。


「うーん、馬が勿体無かったな。良馬は与えてないが、それでも一頭幾らとか考えたら国庫は痛いよな?」


「バルセウスの小言が大声で聞こえてきそうですわぁ」


「バルセウス翁よりアリアンの方じゃないかしら?あの御仁、人間以外の生き物に対する愛が深いですから」


「まぁその辺は任せるわ、アスター」


「知ってた」


呆れたような諦めたような、それでいて当然の帰結であるかのように頷いたのは、アスターがこの軍閥の内政面を担っている自負からに他ならない。図法螺(ずぼら)さが滲み出る風体には似合わぬ政治手腕はキリトをして敵わぬと舌を巻き、グラビストをして経過報告義務の免除及び自己判断による事後承諾を許可を出している辺りにも、その辣腕ぶりは窺える。


さらに二言三言他愛もない会話をしていた中、不意に馬の腹を叩くようにして蹴ったアスター。その意味するところを受けて数歩前に歩いた馬の上で無造作に虚空へ手を伸ばした彼は、まるでその空間にいきなり現れたかと思わせるぐらいに唐突な、しかして眼下の戦況を眺めていたからこそ、平手を握り締めるとともに掴んだ矢を横目で見る。


「ナーイスショット、大将に直撃コースだったなぁ」


「掴まなくても叩き落としたのに」


矢を掴んだアスターに対し、鞘に納めたままの剣を射線に差し込んでいたキリト。当の狙われた本人は二人が防ぐことを知っていてか身動ぐこともなく、むしろ矢を放った白狐に跨がり背面騎射をして見せた射手を見つめる。その眼差しは先程までのやり取りの中で見せていたモノより温度の低いモノであった。


「……可能性はある?」


「無いと思います」

「無ぇんじゃね?」


敢えて主語を抜いて問いかけるグラビストに二人揃って否定する。無言で理由を聞こうとまずはアスターに目を向けると、彼は矢の真ん中辺りを摘むように持つと親指を支点に力を入れてペキリッと圧し折る。


「腕は上々だが装備の質自体は大したことないんよ。……少なくとも破天軍第二席にあった男を射殺せるような質じゃないし、それだけの大金星を上げた人物が使う武器でも無い。と俺は思いますけどね」


「なるほど。キリトは?」


「ゼンリ殿が討たれたのは四周季前の話と聞き及んでおります。見たところ射手の女性は私と同じぐらいの歳頃かと。そんな若さで暗殺を成し遂げたとあったなら、どれだけ箝口令を敷こうとも多少の報は他国に漏れ伝うでしょう。そうとならなかったという点において無いと判断致します」


「若い無名の女性が大戦果を上げたらば、か。確かに、間者からの報告にはそういう話は一切無かったからな」


二人の意見を聞いて親指で顎を擦るように掻くグラビスト。意見を聞いている間に撤退を始めた敵兵を見据えた眼差しは冷たい感情を乗せていたが、遠のいて行く姿を見送って一つ咳払いをすると、何事もなかったかのように破顔する。


「どちらにせよ今はどうともしようがないしな。予ての通り、退きますか」


そうと言うなりまた馬の背に寝そべると、踵で軽く腹を叩いて馬を操る。乗り手を落とさぬように静かに歩き出した馬は丘を下り始め、キリトとアスターも遅れてそれに従った。

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