復讐者の逃亡劇 17
30分。ーーーこれは両軍が部隊の再編、及び開戦に至るまでに掛かった時間である。
時間を稼ぐことが命題の一つであったシルタンス軍が動くことはなく、口火を切ったのは破狼軍。
三千を割り込んだ前線騎兵隊だが、騎兵隊としての数が多すぎて一つの部隊として作戦を遂行するのは難しいと、三つに部隊を分けて戦場を駆ける。
対するシルタンス軍は柵を建てた陣中にエベリス率いる六百足らずの兵を本隊に、左翼にスターリン率いる三百の重装騎兵。右翼をシーザの軽騎兵を含めたルークス率いるスターリン隊残党五百。また、柵の外に配置されたエリファ率いる重装歩兵三百が迎え討つ態勢を整えていた。
破狼軍はさらに後方に二千の兵を控えさせており、数の上では圧倒的に不利と言わざるを得ないが、それでも戦えるだけの状態になっているのは重畳という他なく、総指揮を執るエベリスとしても勝ちの目が全く無い戦いをしているとは思っていない。強がりではなく客観的な事実として。
ーーーーイーストリア大陸にある五つの国家。五大国家と呼ばれるそれらはそれぞれに独自の軍の特色が見られる。
スコール領国ならば国の中心に鎮座するアラナス湖を活かした水軍がある。
リーヴィア龍国ならば建国の砌より契し友を伴う“龍騎士”と呼ばれる騎士団がある。
アリーシ砂国ならば砂漠の地を駆る馬上の民としての誇りを持つ“閃駆隊”と呼ばれる弓騎兵団がある。
カキュラム国ならば十の軍閥が個々の色を持つことで千変万化の手札と対応を取れる“十臣軍”がある。
シルタンス国ならば?
その答えはスターリン隊、エリファ隊にある。
重装兵士団。大陸中央部に位置し、商業用通の要として存在した国家に集まる関税は、税率を低く設定したとて潤沢なる資金を生み出す金の卵であった。その元手によって改良に改良を重ね造られた重装具の数々は、鈍重さをデメリットとしても優れた装備としてシルタンス国軍を強化した。
重装騎兵においては止めようの無い矛であり、重装歩兵においては防げぬモノ限りなしと呼ぶべき盾である。それぞれが隊として運用しようモノならば、それはもはや戦場を蹂躙する兵器や動く城塞のような働きを生み出す代物である。
とはいえ運用するのは人である以上、一糸乱れぬ動きは難しい。また装備の重さは体力の消費を大にする。エベリスは自身の部隊の兵を厳しくも強く育て上げた自負を持つが、それでも休み無く運用出来る時間は一時間届くか否か、といったところだろうと試算している。
故に切り札的な部隊ではあるのだが、元々の兵力差と夜までの短い時間の勝負との複合的な要因から初手から投入していた。もちろんそれは、敵の動きを制限させる狙いもあったのだが。
「狙い通り、だな」
敵の動きを見てまずは想定内と頷くエベリス。破狼軍は三隊に分かれてまずは三方それぞれに攻撃を仕掛けた。これが一つの部隊として動き、各個撃破を狙われたなら陣を捨ててでも動かねばならなかったが、初手の最悪の事態は免れた。
そして同時に三隊の動きから敵に一つの塊として動けるだけの統率が無いことを見抜く。三隊の全てがというわけではないが、三方同時に攻撃を仕掛けたい割には足並みが揃っているわけでもなく、勢いに任せた騎馬突撃は錐行陣に至らず、まるで無秩序な面突撃である。
「波状攻撃を狙わないのも、同士討ちを嫌ったか。つまりはその程度の手合いか」
呟きの語だけを聞けば見下しではあるが、無論エベリスの頭の中では最悪の事態まで想定済みであり、そうならないように手配はしてある。
最悪の事態。それはルークス隊を狙い打ちにされること。
ルークス隊には重装兵士団は配置されておらず、兵も敗残兵の掻き集めである。シーザ、フェスト、ダグールという武働きも期待できる将軍を抱えているとはいえ、ルークス、フェストはここまでの撤退戦で損耗しており、シーザも朝から遠駆けしたりして、本人もだが愛馬スカーレットの疲労が心配の種だ。ダグールに他三人と同じレベルの戦いぶりを期待するのは難しいということもあり、懸案事項だった。それが三隊に分けられたことで負担が減り、無視するところまではいかないが、懸念する程では無くなった。
まぁ一点集中で攻められたら森へ逃げ込めるように右翼に配していたのだが。
「ルークス隊、交戦に入ります!」
「弓兵、カフィリアの指揮の下援護射撃の準備を!ルークス隊を突破した騎兵は残らず射殺せッ!!」
右翼は敢えてカミューの森を右側背にする形で構えた。すり鉢状の森は、外周の縁が下り坂になっていることもあり、敵が騎兵隊の勢いのまま横撃に左から突っ込んで来たのなら、走り抜けた先で坂を下り、返して登る苦労を買うところを迎撃出来る体勢を構えた形だ。
無論敵とて無能に非ず。その程度の賢しらは見抜いているぞ、と言わぬばかりに正面から面突撃でぶつかっていった。だが、そうとなれば今度はルークス隊の独壇場と言える。
そもそも、ルークス・バーズが将足り得た最大の理由は、先の大戦で一義勇兵でありながら剣の腕一本で成り上がったその武芸である。三千相手ならいざ知らず、千程度、二倍の差異など文字通り物の数ではなく、正面からぶつかり合うのはハッキリ言って悪手である。
さらにシーザも供に並び立つ部隊。戦略上戦わざるを得なかったとしても、自分なら正面から当たるのは遠慮したい並びだ。
とはいえ数の差で網の目を抜けてくる、または乱戦を嫌って抜けてくる騎兵は少なからずいるだろう。そのような敵を逃さず仕留めることが肝要だ。
カフィリア率いる弓兵二百が柵の内側から援護出来る位置を探りながら構える。百発百中の射手が居なくとも、一射二百発放つ弓隊があれば一発は当たるだろう。
戦なんて、そんなもんでいい。
「スターリン隊、交戦します!」
「イムベル、いつでも出れるな?」
指示を出しながら視線を向ければ、力強い首肯一つ返して軽騎兵を率いて前に立つイムベル。本隊に残した虎の子の百五十騎の軽騎兵を全て預けられた彼の目には気負いと緊張感が見えるが、それ以上に名を上げてやるという野心が窺える。
ともすれば失敗の種になりうる要素でもあるが、エベリス個人としては失敗を恐れて何も成さない人間よりは遥かに頼れると踏む。失態を演じるにも、不変的な失態よりも流動的な失態の方が尻は拭いやすい。
敢えてそれ以上の声は掛けずに戦況を望む。スターリン隊の重装騎兵に対しては三点突撃で向かってくる敵を見て、兵の練度はともかく指揮官の能力は見張るべきモノがあるか、と心中呟くエベリス。
ルークス隊に当たるような面突撃では重厚さと機動力を兼ね備えたスターリン隊を崩せないとの判断。兵を怖じさせることなく突っ込ませたことも大した手腕だ。ただ……。
「スターリンさんが劣るわけないんだけどな」
謙虚なのか目標が高いのか。スターリンは自身の指揮官としての能力を評価していない。それは太平の八傑と呼ばれた他の傑物たちと比してこそ、宣うに至る事実なのかも知れない。それでも彼の培ってきた経験と老獪さは、エベリスが師として崇めるに足り、シルタンス国の将として頼るに足る。
三点突撃による楔の打ち込みから分断を狙った敵の動きを察知して、素早く横列三段を組んだスターリン隊は三点全てを遮るのではなく、左の一点を無視するように他の二点のみを正面から応じて食い止める。
無視された左翼はスターリン隊の中を通って裏に抜ける動きを見せようとしたが、そこを最後列の重装騎兵に横撃を受けて目論見ごと潰される。
向こうが分断策を選んだ時点でスターリンも相手を分断する方向で指揮を執った。
あの部隊には個で勇猛な将は居ないが、スターリンを始め、クイックリー、クラバースの兵を率いることで実力を発揮できる指揮官タイプが多い。遠目から見ているからわかるはずの敵の動きを、対面で相手しながら的確に対応していく様は、指揮官がそれぞれ戦況を正しく判断して連携しているからだろう。
とはいえ重装騎兵の疲労による時間的なリミットもある。イムベルはいつでも救援に出られるよう柵内で戦況を窺い続けていた。
「エリファ隊、交戦に入りました!」
「ジギナ、槍兵の指揮は任せたぞ」
「了解です!」
輜重隊を率いて後から合流を果たしていたジギナも槍兵百五十を指揮する。柵の内側から近付く敵を迎撃。あるいは逃げ延びてきた仲間を助けるための部隊だ。
柵のすぐ外側に布陣していたエリファ率いる重装歩兵も戦闘に入る。もはや一塊になった重装歩兵隊はそれが城塞の様相を呈しており、敵の騎兵も突撃せずに周囲を遠巻きに走らせながら穴を窺う動きは、騎馬の長所を殺す結果になれども、重装歩兵の弱点を突いた采配と言える。
周りを囲いながら陣の穴を穿とうとする動きに対応しようとすればする程に疲労が蓄積され、重装歩兵の機能停止を早めることになる。それを狙った動きであることは一目瞭然であった。
「敵もやるが……エリファは流石だな」
それに対してエリファは常に三分の二を対応に当て、三分の一は休ませるという対策を打つ。忙しなく練度の高い連携を必要とするが、全員で際限無く動き回るよりは余程長期戦向きだ。
何より確信を持たないからこそエベリスがそうと指摘したわけでもないのに、時間を稼げば敵が退く可能性を自発的に気付いてその戦術を選んでいる。柵を建てて守りに重きを置いたことで察したのかも知れないが、自ら思考し行動している辺り、やはり有能ではある。
かくして、各所の戦いはシルタンス軍の奮闘もあり、五分以上の旗色の良さで戦いを進めていた。