復讐者の逃亡劇 11
本当に立ち去ったのかと多少懸念は抱けど、草木掻き分け行く音が遠退き、聞こえなくなるまでの自然さは間違いなく撤退したようだ。
「さて、と。それじゃぁヴィルナークさん、何があったのか教えて貰っても?」
言いながら振り返り、俺はヴィルナーク氏へと視線を向けようとして、はたと一処に止まる。
俺の視線が見咎めたのは弓使いの女性。すらりと高い身長の美女であり、鋭い眼差し故に美男子とも勘違いされかねないが、女性として雪奈に劣らぬサイズをして主張する一点がその誤認を防いでいた。茶色掛かった髪は高い位置で一つ束ねていながら腰に届く程長く、ふわりと広げていた。
大多数が美人と評して然るべき女性だが、俺が視線を止めた理由はそこではない。森の深い暗さの中でも爛と輝くような紫の瞳。透き通った宝石のようなその瞳は、どこの誰とも似つかぬ唯一無二の特徴であった。
「……何?」
バッチリ目が合うこと数秒。何も反応せず固まった俺に首を傾げた彼女を見て、ようやく我に返った。
そういえばガルムが紫晶石の姉さんとか言っていた気がするが、なるほどそういう意味だったか。
「何があったのかって……お二人はイングリッタに立ち寄ってないでやんすか?」
「ん、いや向かう途中でなんか騒ぎが起きてるの見掛けたから首を突っ込んだんだが?」
「え?……ん?ルア村から来てるでやんすよね?なんでカミューの森に来てるでやんすか?」
頭の中で地図を拡げたヴィルナークが、虚空の地図を指でなぞっている。どう繋いでもこの森を通過する道程が見出だせなくて首を傾げた。
「こっちも色々あってな。……それで、どうしてこんなところで厄介事に絡んでたんだ?」
「まぁそうでやんすね。まずこちらから説明するでやんすが、その、周陽の兄やんはこちらの坊ちゃんをご存知で?」
そう言ってヴィルナークが恭しく両手で添えるように示した相手は、逆立てた髪と目つきの悪さ、無愛想な面構えから第一印象が宜しくない子供。
子供とはいえ十は数えているか。頼りない首や腕の細さ、肌の白さは甘やかされた良いところの出を感じさせる。貴族の出身か。フィンアス少年とか呼ばれていたが……。
「知らないな。イングリッタの貴族の子息か?」
「南郡領主の、でやんす」
「……ん?」
「イングリッタを含め、南シルタンス国領の都市、町村約三十域の南郡領主アスペル・ノーアの長子、フィンアス・ノーア様でやんす」
そう説明を受けても無愛想面に変化はなく、むしろその身分を苦々しく思っている印象すら受ける。
だがそんな彼の反応はともかく、領主の息子がこんなところでキャンサー兄弟なる輩たちに襲われていた事実。世情に疎くとも只事ではないと感じるには容易かった。
「詳細を語れば長くなりやすんで掻い摘みやすが、シルタンス国がカキュラム国から侵攻を受けて、大した戦いもせずに降伏したでやんす」
「…………はぁ?」
ヴィルナークの言葉に目を丸くしたのは俺だけではない。雪奈も、また紫晶石の瞳の女性も驚きを示していた。だが三者の反応を当然だと思いながらも、ヴィルナークは虫を払うように手を横に振る。
「確定情報ではないでやんす。ただ、そういう話が流れてきたことでイングリッタでも動揺が広がったのは事実でやんす」
と、そこで一度間を置いたヴィルナークは、ずっと立ちっぱなしであったフィンアス少年を気遣うように、懐から出した布を平たい岩の上に敷き座らせる。
「フィンアス様は御父上のアスペル様とともに領内視察に付き添われていたらしいんでやすが、事の正否の分からぬ中では動けぬと、情報を集めようとイングリッタを離れモウリッシに向かう道中、キャンサー兄弟らを含めた裏ギルドメンバーを主とした賊に襲われてやして。たまたま入れ代わりでモウリッシから戻る道中にあったあっしらの商隊と護衛隊が助勢したんでやすが、規模が大きすぎやしてね。乱戦の中、あっしがアスペル様に直接ご下命戴きやして、フィンアス様を連れて逃げた先がこの森の中だったでやんす」
言われてヴィルナークの姿を確かめると、確かに森の中を駆けずり回っただけで付いたとは思えない汚れ方をしており、自身も多少切り傷を負っているが、傷の程度に比べれば返り血であろう痕跡が見て取れた。
「でも領主の一行なら護衛も腕利きだろう?そこの女性を見ても賊徒に負けるとは思い難いが……」
「あー……それなんでやんすが、こちらの方はアスペル様とは関係無いでやんす」
「関係無い?」
「えぇ。イングリッタでは有名なんでやすが、カミューの森に住まう狩人の御方でやんす」
紹介されて軽く会釈する紫晶石の瞳の女性。腕前の確かさを思えばなるほどとも思うが、漂う気品は狩人という粗野な生業より貴族の身辺警護を担う侍女という雰囲気を感じた。
「追っ手が追い回してきたところを助けて貰ったでやんす。まぁキャンサー兄弟だけはしつこく追い縋ってきてやしたけど」
「ふーん。……えっと、お名前は?」
「無いわ」
「へ?」
ヴィルナークの説明を受けてから気になったので名前を聞いてみたが、想定外の返事に思わず声をあげてしまう。彼女としてはもう慣れた反応なのだろう。特に不愉快にも思わずさっぱりと言葉を重ねる。
「両親は顔も名前も知らない。物心付いた頃にはもうこの森で生きていたわ。弓は自作で我流。言葉は近隣の町や村で学んだけど字は書けない。勝手に呼ばれてる呼称はあるかも知れないけど、私自身は認知してないわね」
思ったよりも自分のことを語りだしてくれたが、抑揚のない語り口は話すのが好きで話しているのではなく、今までの経験則から良く聞かれる質問を先んじて教えてくれているようだ。その様はむしろ不必要な会話をしたくないという意思すら見える。
「物心付いた頃からって、その前はどうやって生き抜いてきたんだ?」
意図を察しながらも思わず声に出してしまった疑問。しかし彼女は特に何とも感じてないのか、俺の勝手な思い過ごしだったのか、その答えを実際に見せるように人差し指に唇を当て、指笛を一つ吹いた。それを合図に木々の間を風が通り抜ける図を示すかのように、白い影が彼女の元へと駆け寄った。
「コォォン!」
彼女の側に侍り、また守るように身体を擦り付けた白い影の正体は、一つ高らかに声をあげる。その見た目と鳴き声から判別するに白い……狐?
「この子の親に助けて貰って生き抜いたわ。名前はコルン。私にとっては姉のような存在よ」
「コォォーン!」
女性が首筋を撫でながらそういうと、コルンと呼ばれた白狐は誇らしげに鳴いた。
現れた白狐に目を白黒させているのは何も俺だけではない。ヴィルナークやフィンアス少年。雪奈……はどちらかと言えば目を輝かせている。
何故ならば、狐と呼ぶには余りにもデカいからだ。
雪奈の跨がる馬よりも大きく、何なら二頭横並びでようやく幅で同等ぐらい。高さに至れば馬上の雪奈をも見下ろす位置に頭があり、女性に擦り寄る様も伏せるような姿勢でようやく出来るという大きさだ。
足元は土を踏みしめ黒く色付いているが、全体として真っ白なその体毛は、狩りの対象とされてもおかしく無い美しさであり、そこまで見識してようやく、この白狐の種族に思い当たる。
「月魄狐……の亜種か?」
呟きながら顎を撫でて小首を傾げる。月魄狐と呼ばれる白狐がいる、というのは村の老人衆から聞いたことがある。だが思い出すにその老爺の説明だと兎のような小さい狐だったはずで、ここまで大きいサイズとなると変異体としか思えない。
とはいえ彼女が姉と慕い触れ合う姿を見て、変異体という言葉を発するのに躊躇い亜種と濁した。それでも紫晶石の瞳は若干怒りの色を灯して眇めてくる。
「……コルンよ。間違えないで」
「あ、はい」
声にほんの少しだが圧を感じて頷いた。コルンはこちらの会話を理解してるのか、月魄狐と呼ばれた時から俺を探るように見つめていた。
「えっと……つまりキミは関係ないけど、この二人が襲われてたから手助けした、と?」
「この森で罪を冒す者は裁く。この森に救いを求めた者は助く。それが母の教えだから」
「コォォーン」
彼女の言葉に相槌を打つように鳴いたコルン。故に彼女の言った母というのが何者を指しているのか、言外に理解させられる。
もう少し踏み込んで聞きたいこともあるが、優先順位は高くない。不完全燃焼ではあるが質問を切り上げてヴィルナークに視線を戻す。
「……で、ヴィルナークさん。今後どうするか考えはあるのかい?」
「イングリッタの領主ティパ・ダイングラン殿に助けを求めるのが一案でやんすかね?ここから支援を求めるにしても、他に当てはないでやんすし……」
「ティパは助けてくれないよ」
ヴィルナークの提案を遮ったのは今まで喋らずにいたフィンアス少年。その心は?と視線で問うという、身分の差異を思えば不敬甚だしい態度を示すも、少年は特に気にもせず語り始める。
「ティパは南シルタンス領内でも一、二を争うカキュラムシンパの領主で、対カキュラム過激派であった父とは平時からソリの合わない存在だったからね。今回の問題も情報の正確さはともかく、ティパに取っては立身の好機。情報がもし事実であったならば、過激派である父の首と俺の身柄は功績として使える道具だと見るだろうね。……さすがにあの襲撃まで彼の手のひらでの謀だとは思わないけど、イングリッタはあまり信用の置ける地ではないよ。少なくとも、俺にはね」
そこまで語りきったフィンアス少年を見つめ、俺はポカーンと口を半開きにした。さすがに俺のその反応は気に食わなかったのか、少年はムッと顔を顰める。
「何だよ?」
「いや、ずいぶんと冷静に判断してるなって」
「農民共みたいに脳天気に生きていないんでね」
言うなりついっとそっぽを向くフィンアス少年。照れや気恥ずかしさなどではなく、程度の低い反応に呆れたような動きは、人によっては腹立たしいものだろう。俺みたいに。
「となるとモウリッシまで森を抜けるでやんすか。……出来なくはないでやすが、距離と方向が不確か過ぎて大変でやんすね」
「モウリッシの領主は大丈夫なのかよ?」
ヴィルナークにではなくフィンアス少年に尋ねる。領主の人柄や思想は商人から聞くよりは貴族殿から聞いた方が早そうだと思ったからだ。
「モウリッシ領主シュ・エンキなら頼り甲斐はある。ただ思慮の浅いところが玉に瑕の人物だけど」
そう言い切るフィンアス少年の表情を見ると、長所よりも短所が気になるのだろう。あまり乗り気とは思えない暗澹とした影を浮かべている。
とはいえ選択肢としてはその二つのどちらかしかなさそうではある。というか、それ以上の提案が出てこない。もう少し知恵を絞れれば良いのだろうが、こちとら城牙ほど頭の出来は良くはない。
…………城牙?
「あ」
「どうしたでやんす?」
思わず声を漏らしてしまい、フィンアス少年に向いていた皆の意識がこちらに向く。いや、そんな衆目集めるほどの何かに気づいたわけじゃないんだが。
「……イングリッタに俺たちの連れの、城牙ってやつが向かってるはずなんだが……」
「え、城牙のダンナもいらしてるんでやんす?」
俺は兄やんであいつはダンナなの、なんか笑えるな。別に良いけど。
「あぁ、俺たちもイングリッタの領主に増援を出してもらうために向かっていたんだけど、その折この騒ぎを見つけて二手に分かれたから……」
「……そのはずなんだよねぇ」
ヴィルナークに説明する俺の言葉を継いだのは雪奈で、その視線はやや離れた木々の間を見ている。どういう意図かと疑問を抱きながらその視線を追うと、そこには馬を手綱で引きながら歩いてきた眼鏡の少年の姿があった。
「……あれ?城牙じゃん。なんでここに?」
「アンタが書状持ってるから一人イングリッタ行っても意味ないから追って来たんだよ!」
肩で息をし乱れた呼吸はここに至るまでの疲労を表しており、その疲労が怒りに変化して語気が荒い。目をひん剥いて怒る彼なんて三日に一度みられるかどうかだ。稀少性はない。
だがまさか二手に分かれたことが痛手になっていると、沈鬱な気持ちになっていたところに現れた我らが頭脳の登場に俺は自然と笑みが零れていた。
「…………どういう状況よ?」
城牙としてはようやく追いついた仲間の下に来たならば、知らん顔の中に見知った顔もあり、馬よりデカい狐が居たりと、見解のみでは理解できない状況に、眉根を顰めて説明を求めた。