復讐者の逃亡劇 4
シルタンス国領・ヘイムラウ平原
逃亡中に出会った赤毛灼瞳の青年に頂いた肉にむしゃぶりつくこと三十分程。空腹という最強のスパイスによって止めどなく平らげ、肉のスジや骨の残骸を積み上げた俺たちは三人揃って合掌して食事を終えた。
正しく餓鬼の化身とも見間違えるばかりの俺たちに、赤毛の青年も食い差しの骨付き肉を食べるのも忘れ、ポカンとこちらを見ていた。
彼の身形からおよそ平民とは思えず。故に焼かれていた肉は暴角牛だったことから半生でも食あたりの危険がないと察し、ほぼほぼ炙る程度で食べていた俺たちの姿は、奇異を通り越して恐怖にすら感じられたのかも知れない。
何より百歩譲って俺や城牙の男衆ならともかく、雪奈も同じように血の滴る肉と表現出来る肉塊を貪り食っていたのだから、ドン引きされても文句は言えない。
「まさか全部食べきるとはなぁ……どう、落ち着けた?」
青年の問いかけに三人共々強く頷く。
「あー……満腹だわ。血抜きが酷くて臭いが鼻に付いたのが残念だったけど」
「うん、あたしも満足したー。肉の捌き方がめちゃくちゃだったから口当たりすごく悪かったけどね」
「お陰様で人心地付きました。内臓の処理が荒かったところが素人仕事感ありましたけど」
「うぅん?まさかの概ね不評?」
満足そうな表情でダメ出しする俺たちに、悩むように腕を組んで首を傾げる青年。確かに城牙の言うことではないが、暴角牛の捌き方が素人仕事であったように思う。まぁ俺たちみたいに狩猟が生活の一部でなければそうそう身に付かないスキルではあるし、こちとらなまじ大概の獣を捌けるだけに採点が辛くなるのは仕方ない。
とはいえ食事を振る舞った側としては腑に落ちない寸評であろうと気付いて、不快にさせたかと少し申し訳なく思いつつ彼を見遣れば、青年は組んだ腕を解いて胸を張るように腰に手を当て直す。
「だはは!まぁ、初めて捌いたのは事実だしな!今後に生かすとしよう!」
へこたれてへん。強いやん。
さっぱりと爽やかな笑みとともに覗かせた白い歯を見て少し違和を感じ取る。何が気にかかるのか正直わからないでいたが、その疑問を指摘したのは雪奈だった。
「ほえ、ギザ歯」
「おん?おぉこれ?生まれつき」
言うなり左の口端に人差し指を引っ掛けてニィッと見せてくる。なるほど、違和感の正体はそれか。確かにパッと見わかりにくいが整った上下の歯が全部犬歯のように尖っている。本人はどう思ってるのか知らんが、噛み合わせ悪そう。
「だはは!いきなり歯を言及してくる奴、雪奈ちゃんが初めてだわ。自分で言うのもなんだが、普通もっと他の所から指摘されるんだけど」
そう言って指を口から外した青年。それは確かにその通りで、鮮やかな赤毛や燃えるような灼瞳。それらを意識した炎をイメージした色彩と意匠の服と、傍らに置いてある朱槍。刃が曲線描く片刃であることから薙刀の様相が強いが、薙刀に比べて柄が長く、持ち手と刃渡りの比率も薙刀とは異なることから槍と呼ぶべきだろう。
さらには高身長で二枚目。……と人となりを尋ねられる時に取っ付く要素は幾らでも見受けられる中で、一番最初にギザ歯を言及するヤツはそうはいないだろう……な?
「……雪奈ちゃん?」
ふと彼の言葉を振り返り首を傾げる。
「はて、自己紹介したか?」
浮かんだ疑問を口に出してみると、雪奈もようやく気づいてか「はにゃ?」などと声を漏らして小首を傾げた。
「いや、キミら飯食ってる時、煩いくらい名前呼び合ってたじゃん?キミが周陽で、そっちの眼鏡くんが城牙で、雪奈ちゃん」
それぞれを指差しながら名を当てていく。そうか、そういえば肉の取り合いになってた時に名前を呼び合ってた気ぃするわ。ティーボーンのヒレ部分を奪った雪奈に文句つけてた覚えはしっかりある。むしろ忘れてやらん。
「なるほどね。じゃぁこっちの紹介は省くとして、兄さんのことはなんて呼べば良い?」
「俺?俺の名前は……」
と、青年が言葉を紡ごうとしたと
ころで、彼の表情から笑みが消える。きょとんと何かに気付いたその眼差しは、俺たちを越えてさらに先を見ているようで、俺たちとの目線に合っていない。
何事かと、その反応に半ば反射的に振り返ると、ダカラッ、ダカラッ、と重々しい足音を立てて駆けてくる騎馬の一団を発見する。
『追っ手か!?……は?』
村を襲撃してきた奴らが追い付いてきたのだと身構えたが、同じような反応で青年も身構える。あまりにもタイミングが揃いすぎてお互い顔を見合わせながら、どういうことだと困惑気味に首を傾げる。
だが騎馬の軍勢がこちらの戸惑いに頓着することはない。真っ直ぐ駆け寄ってきた馬群は、俺たちを逃すまいと適度な距離を保ちつつも周囲に展開して包囲する。
「ようやく見つけたぞ。まさかこんなところで悠長に食事を取っているとはな」
黒い甲冑を着込み、フルヘルムのせいで顔がわからないが声質からして男であろう騎兵が、こちらに駒を寄せつつ話しかけてくる。こいつが部隊の指揮官であろうか。村で会ったカイエン、イティイバとかいう奴らではない。とはいえどうやら村を襲った奴らで間違いはなさそうだ。
「あ、そちらのお客さんか。道理で変な方から来てるなーとは思ったわ。だはは!」
自分と無関係だと分かってか緊張感無く笑う青年。包囲の内側に自分も巻き込まれていることに気付いてないのか、気にしてないのか。
「これがさっき言ってた面倒事かい?何しでかしたんよ?」
知らないこととはいえ少し茶化すように、そして俺たちに非があるような言い方にカチンと来る。
「……村焼かれて襲われただけだよ。しでかしたと言うなら俺たちが逃げるために時間を稼いでくれた人たちを見殺しにしてここに居ることだな」
後に思えば、ここまでトゲのある言い方をしなくたって良かったのかも知れない。それでも青年の気安い言葉に苛立ってしまった自分の感情を抑え偽ることは、この時分の俺には出来なかった。
そんな俺の言葉に彼がどんな表情や反応を示したか、敵への警戒を強め振り返れない俺に窺い知ることは出来なかったが、自己の失言に気付いてか続く言葉はなかった。
彼が押し黙ったところで相手の数を目算する。総数十騎。さすがにイティイバとかいうヤツほどの腕前のあるヤツは居ないだろうが、広場で戦った二人組程度には見ていいだろうか。
となると骨が折れるな。雪奈は自分の身を守ることが出来るが、城牙には無理だ。とはいえ彼を守りながら戦うのは難しい。
頭数がある。戦いとはそれだけで圧倒的に有利になるということを実感させられる。
「なんか派手なヤツが居るな。傭兵かどこぞの自警団か知らんが、命が惜しいなら武器を捨てて下がれ。そうすれば見逃してやる」
そんなことを考えていた俺を他所に、虫を払うように手振りしながら敵指揮官が青年に声を掛ける。飽くまで狙いは俺たちであって、関係ないヤツまで構うつもりはないのだろうが、その言葉に乗られては困る。思わず振り返って青年を引き止めようとしたが、彼は神妙な面持ちをしながら敵の指揮官を見据えている。
「なるほど、ね。これが面倒事の中身ってことか」
「あ?」
独り言のような呟きは敵の指揮官には届かず。当然だ。俺ですらギリギリ聞こえた程度の呟きなのだから。
「周陽くんたちさ、こういう問題ならもっと早く言いなよ。賊の討伐は俺たちの仕事なんだから」
「仕事?」
彼の発言にオウム返しに尋ねるが返事なく。彼は槍を肩に担ぎ、肘で挟みながら支え、空いた両手を重ねてパキパキッと指関節の音を鳴らす。同時に首も回してパキッと乾いた軽い音を響かせた。
「そういや、自己紹介の途中だったな」
思い出したかのように一言そう前置きを置いて、青年は数歩前に歩き出る。
「俺の名前はシーザ・クラウド。シルタンス国軍所属、階級は上級中位将軍。 暴れたい盛りの二十四歳だ。よろしく!」
そう言ってニカッと曇りのない笑顔を見せた青年ーーーシーザ・クラウドは、その名乗りを待っていたかのように寄せてきた赤毛馬の鐙に足を掛けるなりひょいと騎乗した。