其れは、悲しみの、始まり。23
シルタンス国領・ルア村 北の森
激しく降り続いていた雨も弱まり、遠くない時間を経て上がるだろうと理解出来た。
その雨をじっと見つめていた俺は一度瞑目して視線を切ると、首だけ傾けて横たわり眠る雪奈と城牙を軽く一瞥する。
ここはルア村とイングリッタを繋ぐ道の途上、何ならば陽夕と別れて四、五キロも離れたかどうかという場所だ。一応もう少し行けば森を抜けることが出来るが、森を抜けると拓けた草原にぶち当たる。だが拓けた草原故に見晴らしが良く、疲労が足に溜まる俺たちが見つかればすぐに捕捉されることは想像に容易い。
だから森を抜ける手前で休息を取ることにした。この辺りには幼少の頃、雹を含めて四人で何度か遊びに通っていたことがあり、日帰りしないで野宿することもあった。その時に使っていた木の洞があったはずと思い当たり、へとへとになりながら転がり込むようにして身を落ち着けた。
正直ここ数周季使ってなかっただけに崩れていたり、獣に使われて使えない可能性もあったが、驚くほどに当時のまま残されていた。
むしろ木の洞の入り口は蔦や草が茂ったおかげでより外から見えにくくなっており、身を隠すのに適していた。雨の浸水は当時も問題となっていたこともあり、土手を作り防いでいた造りが今も活きていた。中は一切雨水に侵されておらず、乾いた空間というだけでも雨ざらしにあっていた俺たちには人心地が付く思いだった。
木の洞の中には昔日置きっぱなしにしていた俺や雪奈の衣類が置いてあった。流石にサイズ的にも汚れ具合にも着替えることは出来ないが、汚れを払って乾布として使う程度には大丈夫だろうと、濡れた身体を拭き、服の上から押し当てて水抜きに使った。完全に水気を落とすことは無理だったが、それでも身体が軽くなった分、気も楽になった。
疲れが溜まりすぎていたため、先に眠らせて貰った俺は雨音が小さくなり始めた頃に目を覚ました。俺が寝てる間は雪奈が見張りをしておくと言ってたはずだが、当の本人は静かに寝息をたてて眠っていた。
一瞬怒りから鼻でも摘んでやるかと思ったが、結果から言えば追っ手に見つかったわけでも襲撃を受けたわけでもないのだからと見逃してやる。実際二人も疲労の極みだっただろうしな。
そうして見張りを続けて今に至る俺は、どうやら一度退いたのだろうか。未だに影も形も見えない追っ手の姿に安堵のため息を吐く。
意外と外からは見つかりにくい場所でもあることから、食料事情さえ問題なければあいつらが諦めるまでここに居るのも選択肢の一つだっただろうが、如何せん腹具合だけはどうしようもない。今は緊張感も続いているから空腹を感じていないが、いずれ来る飢餓に我慢出来る自信はない。
となれば飽くまでここは一時的な休息地に過ぎない。二人が起きたらすぐにでもイングリッタに向かいたいところだ。
「……」
立て膝に肘を付け、頬杖をしながら眺める雨は延々と。話す相手もなく、さりとて気を抜くわけにもいかずに、緊張を持って過ごすには余りにも今日一日で色んなことがあり過ぎた。
村の南西の泉での出来事。村への襲撃。八雲のじいさんの過去。霧雨さんを初め多くの知人の死。……全てが夢であったならばどれほど良かったことか。
八雲のじいさんと雫さんは、多分もうこの世に居ないだろう。陽夕に一抹の期待はあれど、あの馬鹿のことだ。逃げる機がありながら時間稼ぎを是として最期まで踏み止まる道を選びかねない。
ギュッと腕に巻いた布を握る。
もっと俺が強ければ。
もちろんそれだけで何とかなる手合いではなかった。それでもこんな無様に逃げることしか出来なかったのは、自身の弱さ故である。
村一番の武芸者がなんだ。
月代輝煌の息子がなんだ。
一敗地に塗れるを地で晒してようやく知った己の不甲斐なさ。幾らでも自己研鑽を積む機会があったことを思えば、この状況に至った責任は俺にもある。
傍らに置いた剣を掴み鞘から抜く。広場で斬り殺した二人の血を吸っても洗い流したように白刃を湛える剣の銘は知らずとも、業物であることは使い手として十分に理解している。
だからこそ、足りないのは自分の実力。
イティイバとの戦いを反芻しても、明らか本気を出させられていない。無論逃げることが念頭にあったとはいえ、もっとその選択肢を撒き餌に揺さぶりをかける戦い方もあったはずだ。
その択の無さがもう弱い。一本特化した強さがあって選択肢を突き詰めた少なさならまだしも、最初っからの選択肢が少ないのは弱さの証だ。
白刃に映る自分の顔を睨みつける。不甲斐なくも生き延びてしまった男の顔を。
……それでも託された。
俺に与えられたのは己の命のみではない。じいさんが、雫さんが、陽夕が、残さんとしたのは“今の俺”ではない。“未来の俺”が仇を果たすことを願い残したに過ぎない。
ならば、やり遂げよう。
今の俺では奴らに届かない。
今の俺では奴らに敵わない。
それでも未来の俺なら届き得るかも知れない。
まっすぐ見据えた鏡映りに剣に映した己の目は静かに炎を滾らせている。
その宿した炎が決してポジティブな感情のモノではない。それは十分承知の上だが、それだけに深く強い意志が宿っている。
月代輝煌とアイリ・エメリア。そして八雲吹雪。
稀代の英雄たちの血と志を受け継ぎし復讐者が、今ここに静かに生まれた。




