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其れは、悲しみの、始まり。20


ーーー時間は少し遡る。



イティイバが出し抜かれた瞬間を横目に、俺は八雲殿と槍を構えあっては向き合い、そのまま睨み合っていた。


一合とて得物を合わせていないが、お互い思考の中では幾重とも無く斬り結んでいた。


ただ睨み合っているだけではない。お互いほんの少し重心を、それこそミリ単位で動かしたならばそれに対して五手、十手。あるいはそれ以上の先を読み合い、槍の(きっさき)をズラセばその対応を思考する。


十五周季近く会わなかった相手とはいえ、互いの手の内や癖を知るが故に動きなくともお互いに消耗していった。


「いい加減、くたばれッ!!」


「ぐっ!?……がはっ…」


視界の外でイティイバが足止めしていた女性を斬り捨てた音が聞こえた。僅かながら八雲殿に揺らぎが見えたが、出し抜けるほどの動揺ではない。すぐにこちらへの警戒を戻して心静かに落ち着ける。


「……兵をまとめてアイツら追いかける。そっちはゆっくりやっててくれ」


こちらの様子を少し窺ってからそう言って去っていくイティイバ。一言余計ではあるが悪気はないことは分かっているので目を瞑る。あの男は意図しないで煽る習性がある。それで幾らか損している部分もあるが本人は気付いていないし、それで他人と軋轢が生まれたからといって問題に思わないタイプだ。


去っていく気配を背で感じ取りながらも視線は揺るがず八雲殿に向ける。


正直、警戒し過ぎのきらいがあるのは自覚している。どう仕掛けても負けはないのだろうが、それでも警戒してしまうのは昔日の記憶。十五周季前は苦杯をなめること一度ならず。むしろ負けることのほうが多かった記憶があるからこそ、慎重になってしまう。


特に最近俺自身、政務や指導。軍整備や警邏巡回などを主とし、個人の武というモノを研いでいなかった故に確固たる自信を抱けていないのが二の足を踏む結果になっているのだろう。


だからといってイティイバがこっちに参加すれば良かったかと言えば、それも異なる。八雲殿は一対多を得意とする武人であり、俺の実力はイティイバに劣る。そこのギャップを上手く使われたら逆に危険である。


結論、八雲吹雪は一騎討ちにて倒すべき相手である。


睨み合うばかりで時間を浪費しているように見える戦いは、しかしてほんの僅かな綻びで一気に決着することは両者の理解のうちであった。


「……」

「……」


いつまでそうしていたか。しばらく経ったようでもあり、イティイバが去ってすぐのことだったかもしれない。八雲殿の身体に異変が現れる。


身体から微かに湯気が立ち昇る。それは不動でありながらも繰り返された思考の応酬から疲労が溜まり、高まった体温を雨が冷やしたことで起きている変化。


ぽたり、ぽたりと顎を伝って滴っているのが雨か汗か。少なくとももう八雲殿に待ちを選択し続ける体力は残されていないだろう。


気を引き締めつつも去来する切なさは禁じ得ない。彼の全盛期……とまで言わずとも、円熟の域にあった武威が老いにより保てなくなっている事実。今も脳裏に焼き付いているあの雄々しさが、眼前の人物と重ならなくなっていく哀しさ。


「……さようならです。八雲殿」


意を決して踏み込む。無論これが罠ではないという確信はない。八雲吹雪なれば自分の体温をわざと上げて体力の限界を演じることも無くはない。


それでも隙と見て攻める。腕の一本ぐらいは必要経費として払う覚悟はある。


真っ直ぐ、というよりは相手の左側面に回り込むように膨らみながら走る。迎え討つ八雲殿は軸足を残して回頭することで俺を視界から外さない。


初撃、右から横薙ぎに胴を狙い振るう。半歩下がられ躱される。

二撃目、刃を返すことなく一歩踏み込み左腰を峰打ちに狙う。槍を立てて受け止められる。

三撃目、槍に当てた刃を返し滑らせ、柄に絡めて引く。相手は得物を奪われまいと力を込めるが、狙いはそうではない。


足場の悪さを利用して引くとともに、足の踏ん張りを抜いて滑り込むように八雲殿に接近すれば、彼の顔の引きつるのを見る。


体術交わせる間合いにまで入り込めば、俺は八雲殿の手首を掴みまずは槍による反撃を封じるとともに、体勢崩されまいと踏ん張る彼の身体を利用して上体を起こし、その勢いを使って槍の上を滑らせながら掌底を放つ。


「ぐぬっ!?」


反応しきれず鼻先掠めて首を捻る八雲殿。彼の手首を掴んでいた左手は掌底とともに離し、重力に逆らえない槍が落ちる前に逆手に掴む。


そのまま脇に挟むように捻り上げ、左足を槍の(きっさき)に絡めると、右足を軸に独楽のように回転して回し蹴りとともに槍刃で八雲殿の腹を狙う。


どちらといえば回し蹴りを当てたいだけではあるが、漫然と放って反撃の刃を合わせられたら致命傷になりかねない。左腕が柄を掴んでいるのでカウンターを躱すことも出来れば、槍刃を重ねて凌ぐこともできるので槍を絡めて放つ。


だが八雲殿も経験則からか偶然か。回し蹴りに槍の柄を縦に当てて防ぐ。とはいえバランスを崩していた彼は堪えきれず背中から倒れる。


好機と見て左足を外しながら右手で槍の石突を掴み、槍を手元に納めながら回転の勢いをいなして片膝立ちに体勢を留めると、慌てて立ち上がろうとしている八雲殿の姿を捉える。


「貰ったぁっ!!」


一連の流れとして片膝立ちから立ち上がり、彼の胸骨の間を目掛けて突く。胸骨狙い、あえて片手、石突を掴んでの貫穿は、槍で受けようとも点で受けきらねばズレて身体に届く一撃とするため。慌てて身を起こした八雲殿にその精密な受けは出来ないと見ての一撃。


果たして、狙い通りの攻撃は凌ごうとした彼の槍の柄を削りながら、右胸を刺した。


「ぐあぁぁぁっ!!」


痛みに歪んだ顔と叫声。それは初めて見る八雲吹雪の表情であった。


ただ抜くのではなく上に払い上げると、ビシャッと血が雨に混じり空に散り、白刃はぬらりと朱に染まった。


利き腕の肩口を裂いた以上、最早決着は着いたも当然。万全であっても遅れを取るとは思えないところでハンデを背負う形になったのだ。この差は覆せまい。


掲げた槍を勢いよく下に振り下ろし、刃についた血を払い飛ばす。それでもぬめり付く朱は雨に当てて流すしかなかった。


「まだ息はありますね。一思いに終わらせるのも吝かではありませんが……冥土の土産でも包みましょうか?」


そう口を()いたのは我が事ながら少し驚いた。この状況になって話を切り出すなど、俺自身何をと思わざるを得なかったが、同時に納得する自分もいる。


よもや生きているとは思わなかった八雲殿と会話を交わす機会は今しかないのだ。そう思えばこそ、自然と出た言葉は会話を求めていることを自覚させるに容易かった。


肩を抑えて座り込む八雲殿は、疲労に加えて血を流し過ぎたか、目元に深いくまを浮かび上がらせていた。それは彼が長く保たないことの証左のようでもあった。


「きっと八雲殿なら今回の戦の称賛に疑念を抱かれているでしょう。ですが貴方が隠居なされてからシルタンス国もだいぶ様が変わりましてね」


「……ファルガが死んだこととスターリンが冷や飯食いにされておることか?」


滔々と語ろうとしたところを差し挟まれた言葉に目を丸くする。こんな辺境でその情報を知っているのか、と。


「ファルガは病に没し、スターリンはシルタンス国の六督位にこそ選ばれているが、後進の育成と地方の巡警が主とされ、残りの五督位は上級貴族の位を持つ将軍らが据えられて、太平の八傑とはいえ下級貴族のあやつは爪弾きにされておるらしいな。……しかもシャクラスはともかく他四人は戦の“い”すら知らぬ素人とか」


「詳しいものですね」


「まぁ……そういうのが好きな輩と知り合っていたからのぅ」


遠くを見据えるような眼差しは口に出した人物を幻視してか、あるいは血が足りない故か。それでもゆっくりと立ち上がった彼は左手で槍を拾う。


「ぬしらもわしがいた頃の十臣軍より遥かに粒揃いで優秀な将が集まっているらしいのぅ。……なるほどそれならばこの凶行に浮かれてしまうのも仕方ないやも知れぬな」


「……まだ戦うおつもりですか?いくら八雲殿とてその深手で俺を倒せると思っているのなら愚弄の沙汰でしょう」


「?……無論、戦うに決まっておろうが。わしはまだくたばっておらんでな」


血色悪く、生気が失せた表情をしてなお武器を構える八雲殿に驚嘆に近い感情と、呆れるような感情が()い交ぜになった心境に至る。


「何より、ここで死を受け入れて何も足掻かぬではあちらの世界でオリヴィスに会わせる顔が無い。のぅ、カキュラム国の勇者殿(・・・・・・・・・・)


その言葉に片眉がひくついたのを自身でも感じ取る。


オリヴィス・パニッシュ。我が父親の名にして、当時破天将軍・八雲吹雪と並び立った威天将軍の名。


だが俺が反応したのはそこではない。その後の呼称だ。


「子の過ちを質してこそ父足り得る。オリヴィスの今際に託された以上、その務めは果たさねばならぬでな」


「……そうですか。なれば仕方ありません」


静かに瞑目し、そしてゆっくりと開き直す。見据えた先の八雲は右半身を完全に朱に染め上げながらも、しっかりと槍を構えている。


そんな彼を冷めた視線で捉えてこちらも構える。いくら八雲吹雪とて……いや、八雲吹雪だからこそ出してはならぬ言葉というモノがある。



カキュラム国の勇者



先の大戦が終結する前後、フォントを狙った四国連合側の襲撃があった。その時傍に居た俺が襲撃を退け、火の手上がる室内からフォントを助け出したことに由来された呼称。


しかしそれは同時に俺にとって悔いても悔いきれない罪の称号でもある。


八雲がそれを知らぬはずもなく。で、ありながら口にすることの意味は挑発以外の何物でもなかった。


そうとわかっていれば冷静に対応するのが正解。何よりあの深手だ。手当ても出来ぬまま放っておけばいずれ死ぬことは明白だ。


だがそれでは許せない。その言葉を吐いた以上、眺めて終わらせるなど出来ない。


それこそがアイツの狙いなのだろう。自ら動くだけの力を残していない八雲の最後の手立て。


「……乗ってあげますよ。ただし……情けは欠片も掛けんからな?」


鏡が無い以上己の顔を確認することは出来ないが、きっと人生でも五指に入るほどに凶悪な表情を晒け出したことだろう。


そう思える程度には八雲を憎しみを持って睨んでいた。

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