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其れは、悲しみの、始まり。18

いつの間にか粒が大きくなり、ボタボタと雨音も強くなり始める中、仕留め損ねたカイエンと呼ばれた男を()め付けるも、相手は不意打ちに驚いてか睨むでも不快に顰めるでもなく、ただただキョトンとこちらの視線をまっすぐ受け止めている。


視線がかち合うもここまで毒気なく向けられては警戒のし甲斐がない。むしろ反撃の一撃を仕掛けてきたイティイバという男の方が、凄まじい殺意を視線に込めて睨んで来ているぐらいだ。


「周陽、アンタ何しに来たんだい!?」


「帰ってきたらこんな状況になってました。……そりゃ原因探るだろーが」


相手から視線を外すことなく雫さんの問いに答える。実際は凄まじい音が響いた後、じいさんの身を案じて来たのだが、口に出して答えるのは幅ったい。


「シュウヒ?……シュウヒ……」


その会話を聞いてかカイエンという男は口に指を当て思案を始める。こちらの警戒など気に掛けるでもない様は、俺を見下してのこともあるだろうが、イティイバという男への信頼感を窺わせる。


「……周陽、周陽よ」


「なん…ちけぇな、おい」


どちらかといえばイティイバに対しての警戒をしながらも、服の裾をクイックイッと引っ張られて振り向く。そこには想像以上に近くにあったじいさんの顔。俺の驚きを他所にじいさんは手にした何かを、俺のポケットにねじ込んだ。


「何をして……」

「良いか。ここを脱して首府ヘル・エン・グラム城に向かえ。そしてスターリン・グラドル、ファルガ・シェルシェイルのどちらかに面会せよ」


「あ?おい…」

「スターリンならば今入れたモノを見せれば全てを察しよう。ファルガは知らんがな」


人の言葉を聞こうともせずに一方的に話すじいさんは言い終えるなり、目の端で捉えていたこちらの視線に合わせるようにしてこちらを見る。


「すまなかったな」


「……?」


「聞いておったのであろう?わしがカキュラム国の人間であり、ぬしの父や母と対峙していた男と」


じいさんは小さく頭を下げた。


「彼奴らとの出会いは戦場の敵味方ではあったが、輝煌の智謀、アイリの武威、二人の人柄は尊敬に値した。戦後、和平交渉の際に面会し、互いに人心地着いたならば酒でも交わそう。そう約してしばらくカキュラム国の立て直しに尽力し、退役してからルア村へと足を運んだ。……だが約束は果たされなんだ」


じいさんが流れてきた時期は記憶にある。俺が父親の顔を知らず、母親も物心付く頃に失った後、雪奈の父に身柄を預けられていた頃の話だ。見知らぬじいさんがこの地に住まうとなって、その世話役や村のしきたりの指南役として俺が選ばれ、そこからじいさんとの共同生活が始まった。


世間に八雲吹雪の名は音に聞こえど、当時生まれてすらいなかった俺には誰かが語らねば知ることはない。


母の死因は流行病であったが、父の死因は先の戦の傷が祟っての死だと知っていた。そして俺がそれを知っていることを、じいさんも知っていた。


故に言い出しにくかったのだろう。月代輝煌と敵対しその死に遠因を持つ身として、何の面目あってその息子を預かろうというのか、という負い目のせいで。


「今さら謝罪をしたところで始まりはせぬが、自分の口で話さねばならぬことであったのを、今まで先延ばししておった」


「まぁ別に気にしとらんが?」


彼の独白にさらりと答える。イティイバへの警戒を弱めるわけにはいかないので視線の端でしか見えないが、じいさんの頭が上がるのが見えた。


「ぶっちゃけ、親父のこと知らん俺にとってはアンタ以上に大事な存在ではないが?むしろ育ての親として感謝してるがな」


「周陽……」


「破天将軍だかカキュラム国の重鎮だか知らん。アンタはルア村の顔役で酒乱爺で俺の親父だ。異論は認めん」


だからここに俺は立っている。そこまで口にすることは無かったが、その気持ちに偽りはない。


じいさんがどんな表情をしているかはわからないが、沈黙する辺り思うところはあるようで。酒乱爺はツッコめよ、と思う。笑いのツボをもう一度仕込み直さなきゃならんな。


「成程。シュウヒくんは月代輝煌の息子、か」


話を一通り聞いていたカイエンとやらは思考を終えて槍を構え直す。その表情には小さな驚きとともに納得の色がある。


「ならば逃がすわけにはいかないな。イティイバ、彼を頼む。八雲殿は俺がやる」


「おーけー。確かにこっちの方が活きが良さそうだし、八雲とやらには因縁あるようだし譲るわ」


今にも噛みつかんとするぐらい殺意を持った眼差しをぶつけてくるイティイバという男は、ぐるりと大剣を回して構える。自身の体躯の陰に隠すように半身に立ちながら大剣を引いた相手の構えは、片手で持っていることもあり大剣という重さを感じさせない。片手剣の剣士のような雰囲気すら漂う。


「気をつけよ。そやつは指環持ちじゃ」


「うぃ」


「あと勝つことを求めるな。逃げることを第一とせよ」


「……アンタは?」


「……くたばり損ないの最期を彩るのに、この場は本懐よ」


肩越しにじいさんを責めるような眼差しで見るが、じいさんはじいさんで覚悟の炎を目に宿していた。ともに逃げたいと思わないではないが、客観的に見れば彼の案が正解だ。


強まり続ける雨はついにザァザァと酷く身体を打ち付け始めた。お互いに目に雨滴が入るのを嫌って細目になりつつ睨み合う。


「悪天候でも戦い慣れてそうじゃん。こんな村で燻るなんて勿体ねぇな」


軽口を叩くイティイバを静かに見据える。己の上官であるカイエンが襲われた時は凄まじい殺意を放っていたが、俺の相手を任されたこともあってか多少圧が弱まる。明らかにこちらを見下しているというのもあるが、不快感を自分の手で払拭出来る機会を得て上機嫌というところか。


それよりも俺は相手の得物を見る。


カイエンという男の槍の刃は見るからに未だ誰をも斬りつけた跡を残していなかったが、イティイバの大剣には雨で流せども落ちきらぬ汚れが見咎められる。


「……霧雨さんを殺ったのはテメェか?」


俺の言葉にイティイバは片眉を上げ、同時に後ろで雫さんが小さな声で驚きの声を挙げていた。


「……あぁ、あの井戸ンとこで会った筋肉野郎か?」


聞いて少なからずの疑問に唸ってから答えたイティイバは、口角を片方持ち上げて鼻を鳴らして笑う。


「あー、殺った殺った。俺が殺ったわ。無駄に筋肉つけてた割には弱かっ……と?」


言葉を遮るように一矢放たれる。放ったのは見るまでもなく雫さん。霧雨雷とは縁がなかっただけで、お互いに想いがあった幼馴染みの彼女が、イティイバのその言葉を黙って聞いていられるわけがなかった。


とはいえその矢を慌てる様子もなく躱したイティイバは、雫さんの怒気の籠もった視線に気付いて呆れた顔を見せる。


「おいおい、ジジババの惚れた腫れたの感情で暴れて邪魔してくれんなよ。先に殺すぞ?」


「やれるものならやってみな、小僧が」


ギリッと弦の引き絞る手に力が籠もる雫さん。彼女の弓の腕は悪くないが、飽くまで狩りの腕。戦闘の範囲外の弓術でこいつの相手は厳しい。


それでもじいさんの提案である俺の退路を切り開くことを念頭に置くつもりだろう。主戦は自分に任せろと言わんばかりの殺意が背中からも感じる。


暖かさが訪れたとはいえ雨に振られては冷えてくる身体。指先の精緻が求められる弓をどれほど上手く操れるか心配しないではないが、二人が命を賭して道を切り開くという意思を見せている以上、俺はその方針に従うつもりだ。


それでも一撃。この不愉快な面を見せる相手に一撃かましたいという欲求も湧いてはいる。


「まぁ逃がすなって話だからな。先にテメェから殺らせて貰おうか!」


言い終わるとともに踏み込み大剣をまっすぐ突き出してくる。質量からしてまともに受けるわけにはいかず、飛び退き間合いを外して躱す。模擬戦ならば剣先掠めるか否かの間合いで避けて反撃に回るところだが、相手のリーチを見極めていない以上賭けは打てない。必要以上に距離をとって躱しつつ、相手の右腕側に斜行しながら距離を詰める。


イティイバの利き腕は右腕だろうか。少なくとも大剣を振るうのが右腕である以上、攻撃後の死角はその外側になる。対人戦の基本的な挙動を取りながら相手に迫る。


一見すればそのまま走り抜ける手立てもありそうだったが、敵は二人だけじゃない。通せんぼをする程度には立ち直った雑魚どもをやり過ごしている間に追い付かれるのは目に見える。ならばイティイバの得物を弾き飛ばすくらいしてから逃亡するのが安全策といえる。


その判断から間合いを寄せた俺に、逃すまいと大剣の振る勢いを活かし半回転。急いで体勢を取り直したイティイバは目を見開く。どうやら彼は俺が逃げの一手を打つと思ったのだろう。大剣を十全に振るうには空間の余白が足りない。そう気付いたならばこそ、反射的に間を空けようとする。


ただしそれは退くことで成すようではなかった。


「うらぁっ!!」


こちらの剣撃が振るわれる前に左肩からぶつかってくる。大剣の追撃を警戒して身体を寄せすぎたのが仇となり、ショルダータックルをまともに受ける。


こちとら180の上背があれど、縦にも横にもさらにデカいイティイバの当たりを受け止めることが出来るわけもなく、吹き飛ばされながらも無様に倒れるのを堪えるように着地する。


大剣を振るに十分な間合いが開いたところを見てイティイバは力任せに振り抜こうとするが、完全に雫さんから視線を切る体勢になっていた。


「そこっ!」

「だわなっ!」


無論俺が離れたこともあり矢を放つ絶好機と雫さんも放つが、流石にそれは見抜けるか。イティイバは左手の鉄甲で裏拳よろしく振り抜いて矢を弾く。


一瞬程度の隙。さりとてその瞬きを逃さず低い姿勢で間合いを詰めに行く。


「死ねぇ……ッ!!」

「テメェがな、っと」


矢を弾いて体が開いたイティイバに正面から剣を振り抜いて斬りつけたのだが、それが届く前に顎に強い衝撃が走る。


勝手に跳ね上げられた視線と衝撃は何が起きたのか瞬間わからなかったが、可能性から見るに蹴り飛ばされたのだと察する。


鼻の奥に鉄の香りが強く感じ、焦点が合わずに視界がブレる。膝から力が抜ける足は痛み以上のダメージが身体にあることを示す。


しかし何とか踏み堪えて、倒れるにしても自分の意思を持って倒れるようにと、イティイバの左腕側に滑り込み追撃を避けようとする。


「粘んじゃねぇ、よ!」


仰向けになりながら転がる俺の顔に足を落とす。ヤツの狙い通りなら踏みつけて後は大剣を突き立てるだけ、といったところだろうが、雨でぬかるみ始めていた地面を滑った俺の身体は、その分狙いがズレて足先で俺の頬骨を削るように掠めるだけで、踏みつけた先は地面だった。


背中から転がって立ち上がるつもりだったが、掠められたことで立ち上がるまでの勢いがなく、横倒しに数回わざと転がって間合いを空ける。無防備な回避方法故に追撃が怖かったが、雫さんが弓を射ってくれたのだろう、その最悪の事態は免れた。


片膝立ちでしゃがみ込み、鼻奥の鉄錆の臭いを伴う違和感を、親指で方穴塞いで勢いよく息を抜いて押し出す。べチャリと固形になりきれなかった血溜まりが地面で爆ぜた。


イティイバが軽くブレて見えるが、脳が揺られた感覚はない。蹴りが思いの外深く顎を捉えたからだろう。カス当たりされた方が後々厄介だったかも知れない。


ストンプで擦られた頬を撫でる。ヌルっと肌を滑ったが、血と言うよりはあいつの靴底に付いていた泥が付着していたのだろう。微かにだが砂利の感触もある。


総じて泥まみれで不快だ。だがそんな不快感を抱くよりも眼前の相手に小さく辟易のため息を吐く。


一連のやり取り。その前の襲撃への対応も含め、現時点に置いて俺が勝てるビジョンが浮かばない。村一番の武芸者などと担がれようとも、世の中には自分より上手の者など幾らでもいる。そしてこのイティイバという男はその中の一人だ。


倒すことは目的ではないが出来ることなら、と僅かながら思っていたのは確かだ。だがその考えは完全に捨てるべきだと悟る。


となればどうやって出し抜くべきか。雫さんに邪魔されて追撃を止めたイティイバは悠然と立ちはだかる。仕切り直しだと言わんばかりの立ち居を見て、俺もゆっくりと立ち上がる。実際脳は揺られてなかったとはいえ、軽く足に力が入らない程度にはダメージがあったので、この慢心は有り難かった。


「水も滴る色男が泥塗みれで魅力半減だな、勿体無ぇ」


「泥も被らず苦労も知らず、男を語るほど野暮じゃない」


喋って初めて口端に違和を感じた。どうやら切れて血が出ているらしい。


手の甲でグイッと拭っていると、こちらの反応が意外だったか片眉を上げて当惑の色を見せたイティイバは、すぐに潜めてクックックッと喉を鳴らして笑う。


「言うねぇ。……良いじゃん、月代の小倅。真剣勝負の経験浅い割に落ち着いてるし、会話にも知性がある。いやぁ、本当に勿体無ぇ」


雨に濡れて貼り付く長い銀髪を一度掻き上げたイティイバは、心の底から惜しむような沈痛な面持ちを一瞬だけ見せる。


「出会い方が違えば仲良くなれる歴史もあったかもな?」


不意に情に訴えるような言葉に少なからずの動揺を覚える。村を襲った悪人というレッテルでしか見てなかった男の述懐に対する困惑と、意図を察しきれない不可解さからの動揺だ。


いや、もしかしたらこの会話の中に出し抜くための好機が見出だせるかも知れない、という単純な打算からの動揺だったかも知れない。


しかしその動揺もイティイバから少し視線を外した瞬間、スッと収まった。


「……遠慮する。友誼を結ぶにしてもアンタみたいなガサツな人間は一人で良い」


「それは誰のことを言ってんのー?」


俺の呟きに答えたのはイティイバ……ではなく、その後方に立つ黒髪の少女ーーー雨宮雪奈が答えた。


「あ?」


イティイバが肩越しに振り返った瞬間、雪奈の振るった鋭い剣閃がイティイバの脇腹を薙ぐ。普通ならば裂いて鮮血の飛び散るべき一撃ではあったのだが、その攻撃はガギィッという鉄を叩いた音を残して止まる。


「ぱや?」


「おぉ、惜しかったな嬢ちゃ……おわっ!?」


青い外套に身を包んでいるためわからなかったが、中に着込むタイプの鎧を着ていたらしいイティイバに、攻撃が通じず驚きを見せていた雪奈だが、それならそれで、とでも言ってそうな得心の面持ちで脇腹をなぞるようにして短剣を斬り上げる。放っておけば当然脇の下から肩に掛けて腕が切り落とされるため、イティイバは慌てて身を捩りながら躱した。


「なっ…んっだこのガキゃぁ!?おい、テメェら!こんなん言われんでも止めと……け?」


不快感を隠さず後ろに控えていた手下たちに振り返ったイティイバは、己が見た光景に言葉を失う。


雨音と俺たちの戦いに注意が逸れていたのだろう。彼の手下たちは雪奈が一人背後から仕留め、残りを頭巾被りに布を巻いた十字槍を持った男ーーー陽夕明に斬り伏せられていた。


「はあぁぁぁぁ……ざっこぉ!?」


驚きながらも心底呆れた声を挙げるイティイバに他人事ながら眉を顰める。仲間……少なくとも手下である者たちに対するその反応は不愉快に感じる。


だがそんな俺の反応や感情を気に止めず、まず行動を示したのは雪奈。


「今だよしゅーひ!」


言うなり走り出した雪奈にほぼ反射に近い反応で付いていく。遅れて気付いたイティイバが舌打ちもそこそこに立ち塞がろうとした一歩目に、牽制するような一矢が地面に刺さる。


「くっそウゼェなぁババァッ!!」


「そいつは何より。バタ坊!周陽と雪奈は頼んだよ!!」


「……任せろっ!!」


雫さんの言葉に多少の逡巡を見せた陽夕だったが、俺たちが脇を駆け抜けるのと同じくして強く答えた。霧雨さん、雫さんと良くつるんでいた陽夕にとって後ろ髪を引かれないわけがない。それでも自分が残ったところで役に立てるとは思えなかったのだろう。本心の籠もった感情を封じ込めて俺たちの後に続いた。

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