其れは、悲しみの、始まり。12
「ボク、次の商隊が来たら一緒に村を出ようと思ってる」
不意に呟かれた言葉に俺たち二人は一瞬呆然とし、無言のままお互いに視線を合わせてから、再度城牙に視線を戻す。
「実は前々から村を出ようとは思っていてね。どうせなら成人を迎えてから、とも考えていたんだけど、今回の件を見知ってしまった以上、ゆっくりとして居られないって思ったんだ」
「つまり、今決めたってことか?」
俺の問いにこくんと頷く。
「え、出てくって……お金はあるの?行く宛は?もしかして霧葉さんのと……」
「あいつだけには絶対頼らないッ!!」
バンッと自分の膝を拳で打ちつつ語気を荒げた城牙。咎めようと雪奈をチラリと見遣ると、流石に今のは失言だったと気づいて申し訳無さそうに肩を竦めた彼女の姿を見ては、続く言葉も飲み込まざるを得ない。
城牙霧葉。城牙の実父で十二周季前にルア村を出ていった男の名だ。
当時六歳頃の俺でもしっかり覚えている。霧葉は病弱気味であった城牙の母・美風さんとその子供である城牙を置いて、村の若い娘とともに、まるで夜逃げでもするかのように村を去った。
残された母子は祖父に当たる盛光さんと共に生活することになったが、元々病弱だった身体に加え心労も祟った美風さんは翌周季に亡くなり、城牙は盛光さんに育てられることになった。
盛光さんは若い頃から書物や本を数多く集め、写本なども書き溜めていた。今をして城牙が村一番の知恵者と呼ばれるのも、祖父の教えを学び、目についた書物を貪るように読み耽った幼少期に由来している。
その盛光さんも二周季前に天寿を全うし、今では城牙一人で生活をしている。無論未成年一人は周囲の大人からしても心配故に、身請けを申し出る人たちは少なくなかったが、本人にその意思はなかった。
それは盛光さんが遺した大量の希少な書物に目が眩んだ大人たちの欲を、幼いながらも聡く、敏感に感じ取った城牙の保身でもあった。
とはいえそのような保身をせねばならなかったのは、彼の父親がその責務を放り出したからでもあり、城牙としては常から憎み恨むほどの熱量を傾けるほどではないが、関わりを持ちたいと思わないのだろう。
この場に居ないから無関心でいられるが、そうでなかったら感情の昂りを抑えられはしない。……というのは飽くまで俺の想像だが、当たらずとも遠からずと言えると思っている。
「……お金なら前からちょくちょく書物を売って貯めてきたから、多分大丈夫だろうとは思ってる」
話題を変えるように雪奈の質問にあったお金の話をし始める城牙。ゴソゴソと鞄を漁るとジャラリと紐に通した金貨を取り出す。
この大陸の通貨は全て貫穿貨と呼ばれる穴開きの硬貨で取引される。そして高価値な硬貨から七色虹貨、金貨、銀貨、銅貨、錫貨となる。
ちなみに通常錫貨10枚が銅貨1枚相当で、同じように各10枚ごとに上位価値硬貨1枚相当になるとされている。
実は七色虹貨の上に黒白晶貨なるものがあるそうだが、俺は見たことがない。
上級貴族の極々一部が持ってるかどうか、という代物なので辺境の平民が見る機会など生涯あるまい。
とはいえ城牙の取り出した金貨はその連なり一つで50枚ぐらいはありそうだった。
「そんだけありゃ確かにな」
「まぁ悪銭もあるから額面通りの価値ではないけどね」
そう言って何枚か摘んで引っ張り上げ、間にある金貨を1枚見せてくる城牙。それは長いこと多くの商人の手を渡り歩いたのだろう、酸化して赤を通り越してちょっと黒ずんでいる。
無論他と同じく1金貨ではあるが、人によっては悪銭扱いで多少価値を低くする可能性がある。
「まぁこんなんでもお金はお金だし、銀貨5、6枚よりは価値あるからね」
ジャラジャラと音を立てながら鞄にしまい込む城牙。俺と雪奈の全財産合わせても半分行かないんじゃないだろうか。そう考えるとだいぶ溜め込んだものだ。
「んで行く宛なんだけど、雹さん頼ろうかなって思ってる」
「ん、雹の居場所わかってんの?」
「いやさすがに?でも、ヴィル……えっと、商隊の人に探って貰ってるから、手掛かりくらいは貰えるんじゃないかなって」
今決めた、というだけあってだいぶ行きあたりばったりな予定である。
雹こと神水流雹は俺たち三人の保護者面していた男だ。周りからは雹を含めて放蕩四人衆として認識され、村の中でも少し浮いた四人組ではあった。というのも、割と自分たち四人に関しては助け合うことに頓着はなかったが、他の村の人たちの頼み事や仕事の手伝いは、気が乗らない限りやらなかったためだ。
無論、俺はそんなことなかったと、視線こそ明後日を見据えて断言しておく。
雹は雪奈に恋慕していたのだが、再三再四の告白が実らなかったため、押して駄目なら引いてみろの精神で雪奈の気を引くために「村を出ようと思う」と宣言したところ、半日保たずして村全域に知れ渡り、引くに引けなくなって村を出ていった男だ。恋の駆け引きって難しいんだね。
そしてその喧伝を一人でやってのけたのが陽夕である。あいつ真面目にお口が軽い。
「ちなみ、なんだけど……」
そんなことを考えていると、城牙も俯きながら暫し考え、意を決したように言葉を紡ぐ。
「……例えば何だけど。周陽とか雪奈ってさ、一緒に村を出ないかって聞いたら……どうする?」
「どうす……ん?どうする?」
城牙らしからぬ雑な問いかけに聞き間違えてないか問い直すが、彼はこくんと一つ頷いて押し黙る。
「どうって……んー……ぅぅぅぅん?えぇぇ……まぁ別に、村を出るのは吝かではないけども?」
「ホント!?」
想定外の答えだったのか、城牙が思わず身を乗り出して確認してくる。だが俺は慌てるなと平手をその眼前に突き出す。
「うん、そうだなぁ……ぶっちゃけ考えたことはあるし、外に行ってみたいとは思わんでもないんだけど、俺はほら、八雲のじいさんおるし?」
そこまで言えば聡い城牙ならば理解する。
確かにいずれは外に出るのも悪くないと思っている。それは事実なのだが、どうしても俺には幼い頃から面倒を見てくれた同居人の存在が頭から離れない。じいさんがもっと若ければ良かっただろうが、歳の頃を言えばいつお迎えがあっても不思議ではない。
本人に言えば喜んで送り出してくれることだろう。しかしそれがどこか不義理に思えてしまうのだ。
「雪奈はどうなん?村出たいと思ったことない?」
「んー?村がどうこうというか、しゅーひが居るならどこでも」
なんで俺に依存してんだ、こいつは。……まぁ別に、悪い気はしないが。
「そっか……そうだよね」
ふぅ、と溜め息を吐いた城牙は天を見上げてから晴れ晴れとした笑顔を作ってこちらを見る。
「んじゃ、残り短い間だけど宜しく」
無理矢理作った割にはしっかりと微笑んでいる。きっと聞く前からこの答えは想定していたのだろう。むしろ淡い希望を断ち切るために聞いてきたまであるかも知れない。
その心の内は俺にはわからないが、今までの付き合いからわかる限りには、そう思えた。
「別に改めて言われることじゃないけどな」
フッと肩の力を抜くようにして微笑み返してやる。どちらかというと照れ隠しのようなものだが、思わず出てしまったものは仕方ない。
「よっし、昼も過ぎたしそろそろ帰る……ん?」
ゆっくりと立ち上がりながら尻や膝の砂を払っていると、じぃっと北東の空を見つめる雪奈の横顔を見咎める。
俺の反応で雪奈の異変に気付いた城牙も、彼女があまりにも無表情に呆然と見つめているもんで自ずと二人して視線の先を追う。窪地の真ん中にいるせいもあって丘陵で視界が遮られ、見えるのは厚い雲が浮かぶ空。それ以外の視覚情報が無い俺はもう一度雪奈を見る。
「何か見えてんのか?」
雪奈の視力は俺たちの比ではない。俺たちには見えてなくても雪奈が何か見えると言うなら、雪奈が正しい。それが暗黙の了解になる程度には彼女の視覚情報は群を抜けている。
「煙?狼煙にしてはあまりにも量が多い……火事だとしても……あんなに?」
「狼煙?火事?」
雪奈の呟きに再度目を細めて空を見る。すると確かに、曇天でわかりにくいが一つ、あるいは二つほど立ち昇る煙の筋が見えた。
北東。その方角は……ルア村の方角。
『動乱の気配が高まってるから、気をつけてね』
何故か頭の中で再生された管理者の言葉に俺は……俺たちは愕然と目を見開いた。