其れは、悲しみの、始まり。11
シルタンス国領・ルア村 南西の泉
ゆっくりと目蓋を開けると高い空は重々しい曇天に染まり、心地の良い目覚めとはならなかった。
むくりと上半身を起こすと両脇には寝転がる雪奈と城牙がおり、目の前には火を焚べる前の組み木が積まれていた。
意識はハッキリとしている。だからこそ呆然と己の手を見つめ握っては開いてと繰り返す。
「夢……と言いたいところだがな」
ゆっくりと視線を手から腕、胸元へと送り下半身を中心に自分の身体を視認する。泉に飛び込んだはずの身体は一切濡れておらず、また脱いでいた上半身は外套を含めてしっかり着込んでいる。外していた剣も肩がけに備えてあった。
30分戻したと管理者が言っていたのを思い出すのと同時に、歯間の異物に舌が触れた。
「ごへーねーなこったな、ふそがよぉ」
「ん……んん?」
歯間の干し肉の欠片との再戦が始まると同時に、雪奈が唸りながら目を開き、ゆっくりと身を起こす。暫くそのまま泉を見据えてぼうっとしていると思ったら、視線を動かすことなくぺたりぺたりと顔を触り、首を触り。鎖骨を通して胸を触り、お腹を軽く撫でつつ太ももへ達すると、ぺちぺちぺちぺちと交互に小刻みに叩いてから、バチンッと勢い良く自分の頬を張る。
その間一切視線を動かさず、無表情のままであったこともあり、思わずビクンッと驚いたが、雪奈は顔に押し付けた手をバッと離すと事も無げに微笑んだ。
「おはよう世界!あたしは目覚めた!」
「……なんだそれ?」
「ん?目覚めのルーティーン」
「……そうか」
変なことやってんな。と、思わず喉から出そうだったが何とか飲み込む。というか目覚めのルーティーンってことは、こいつ、もしかしてさっきの覚えてない?
「雪奈は今の覚えてる?」
「んー、変なとこだったねー。ぶっちゃけ話はわかってない!」
なるほど。覚えてるけど覚えてない、と。ややこしいな。
やや手の形で赤みを帯びてきた頬を擦る雪奈を横目に未だ起きない城牙に視線を向けると、横向きに身体を寝転ばせたまま地面を指で削りながらブツブツと呟いていた。
「ヴィルが言ってたところを鑑みるとやっぱりカキュラム国か?……アリーシ砂国は動く確率高いけど、情報の確度が低いから何とも……スコール領国は政治闘争が終わって三周季経つんだっけ?なら外にも目を向ける時期だろうけど……」
「せめて起きてから考えようや、城牙くんや」
「う?」
声を掛けたらピタリと呟くのを止めた城牙は不思議そうにこちらを見る。いや、めっちゃ漏れてたぞ、声。
ほいっと手を差し出し、それを握り返してきたところでぐいっと引っ張り起こす。勢い余って身体がくの字に折れるが、ふらふらと頭を揺り動かしながら片膝立てて座り直す城牙であった。
「色々話すこともありそうだけど、ここはまず腹を満たすことに専念したいが、如何かな?」
「さんせーい」
「そうだね。頭働かすにも食べておくよ」
俺の提案に賛同した二人は、それぞれ持ってきていた乾物や果物を取り出す。城牙はいつもの肩がけの鞄の中から。雪奈は腰の革袋から。俺は外套の内ポケットから。
「しゅーひ干し肉だけで良いの?」
「出来れば米も食いたいが無いものは強請れん」
取り出した干し肉は猪肉のモノで獣臭さはどうしようもないが、厚み、弾力、食べごたえは十分な代物だ。
「リンゴあるよ、食べる?」
「あー……半分くれ」
「うぃ」
俺の返事を聞くなりリンゴを縦にパキリと割る雪奈。なお素手である。
「豪快」
「コツさえ掴めばじょーがでも余裕だよ、ほい」
差し出されたリンゴを受け取る。瑞々しい汁を滴らせるそれは割れた瞬間から非常に甘い香りを漂わせていた。
「質良いじゃん。野生?」
「うん。あれ、南の岬に続く道から少し外れたとこにある群生樹の」
「そんなんあったっけ?」
シャリっとリンゴをかじりながら思い出そうとするがなかなかピンとこない。
他愛もない会話をしながら食べ続けていると、やはり次第と話は先程の管理者とのやり取りに切り替わっていく。
「動乱ねぇ……パッと思いつくのはやっぱりカキュラム国だと思うけど、今の王ってそういうタイプじゃないんだろ?」
「うん。強硬派というよりは穏健派だって聞くね。余程シルタンス国が逆鱗触れてない限りはないと思う」
「でも気配があるってさ」
「うん……だからまぁ触れまくったんじゃない?シルタンス国が」
あっさりと言い切る城牙に不思議なおかしさを覚えて苦笑する。話の内容からしても笑い事ではないのだが。
「あまりに情報が少なすぎてどう自衛すれば良いのかもわからんな」
食べ終わって胸ポケットから取り出した布で手を拭きながらぼやくと、城牙も頷く。
「でも、管理者殿が言ってた危険ってのと動乱はイコールではなさそうだよね」
「その心は?」
「動乱の情報が贈り物である以上、管理者殿の言う危険な反応がそれを指す言葉とは思えない、ってこと。まぁ質問された内容から推察すると属性指環……ひいては十天指環を問題視してるんだろうなぁ、って感じかな」
「あぁ、そう言われれば確かに?」
城牙の説明に得心しつつもそんな深い話してたのかと疑問も声に滲む。管理者のポンコツな態度が演技で、ミスリードとして排除したらそういう帰結になるかな?とは思うが、どうしてもあれ演じてたとは思えないんだよな。
十天指環。そもそも古代指環すらお目にかかる機会などありはしない。噂や昔話程度に知識はあっても、それ以上知らぬ俺にはどう危険なのかも皆目見当がつかなかった。
「……近々商隊も来るし、なんか情報貰えたら良いかもな」
「あ、そうだったね。二人の誕生日も近いし、贈り物買わないとなー」
管理者関連の話の間黙していた雪奈も不意に声を張る。俺もいい加減用意しないと、と思っていたので雪奈の言葉に一つ頷く。
そしてその話題になった途端、城牙の表情が曇る。
「……じょーが?」
先に気付いた雪奈が問いかけると、彼は逡巡を見せるもハッキリとした声で決意を示す。
「ボク、次の商隊が来たら一緒に村を出ようと思ってる」