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考える女たち

 マヤが食堂へ入ると、そこはすでに大賑わいの様子だった。ここは吹き抜けで三フロアが局員用の食堂になっている。務めている人間が多いので規模も必然的に大きい。厨房では調理ロボットが全自動でさまざまなメニューに対応している。すべての注文はPAIRを通して食堂の統制システムに送られ、順番に処理される仕組みだ。たいていのメニューは網羅しているため、よほどの変わり種でない限りは好きなものを食べることが出来る。

 ミルクが提示したメニュー候補からひとつ選び、マヤは席を探しに歩いて行った。すると同期のリコ・ハヤミが手を振りながら近づいて来た。セミロングの髪にはゆるいウェーブがかかっていて、かわいらしい印象だ。

「マヤー! いたいた、おつかれー!」

「リコ。おつかれ」

「あっちに席あるから一緒に食べようよ」

「うん」

 リコはマヤとは別部署だが、同期入局のよしみで仲はいい。モリスエの一件があってからというもの、リコはマヤを心配しているのか、ほぼ毎日昼食に誘ってくれている。マヤとしてはありがたい反面、たまにはこっそり行動したい部分があるため困りものだった。

 席に着くと配膳ロボットが近づいてきて、二人の注文したランチを置いて行った。マヤが生姜焼き定食に手を合わせていると、リコが急に切り出した。

「えっとね、あたし今回のスペクター事件の対策本部に行くことになったから」

 マヤは危うく箸を取り落としそうになった。

「へ!? 今なんて!?」

「だから、スペクター対策本部に応援行くことになったの。今回のことでスペクターも完璧に反社会組織って扱いになったじゃん。だから組織犯罪対策室とか二課からも何人か協力してあげなさいって、管理官命令が下ったんだよ」

「そうなんだ……。でもリコずっと薬物取引とか追いかけてたのに、ハッカー相手とか大丈夫なの?」

「まあほとんど応援要員だからね。過去の事例とかから組織の規模や構造を割り出したりするのはどこも似たような手順でしょ。それに――」

 リコはイカスミスパゲッティをフォークで巻き、少し周囲をうかがった。にぎわう食堂内では、誰もマヤとリコのことなど見ていないようだった。それを確認すると、リコはマヤに顔を寄せた。

「例の同時多発自殺、薬物が原因じゃないかって疑いも出てるの」

 なるほど、とマヤは合点がいった。リコのいる捜査二課、薬物担当班は普段から違法薬物の取引を追いかけている。間違いなくプロだ。薬物関連で知恵を借りるならベターな選択肢だろう。今まで動きがなかったのが不思議なくらいだ。

 マヤは生姜焼きと白米を咀嚼しながら、リコの話に耳を傾けた。曰く、自殺を引き起こすほどの強烈な精神異常を起こすなら、真っ先にアルカロイド系薬物が疑われること。しかしそれは厳格な規制対象であり、人体に投入された瞬間PAIRが検知するはずだということ。そして当然の現象が起こらない以上、PAIRの監視をすり抜けるような新型の薬物が疑われている――。

 ひとくさりリコの話を聞いた後、マヤは生姜焼き定食を完食し、手を合わせてから尋ねた。これはモリスエの件とも通じる部分がある疑問だった。

「新型の薬物っていう理屈はわかるけど、それをどうやって被害者たちに投与したのか謎じゃない? ああいう薬物って粘膜接種や皮下注射とかが多いでしょ。ハッカーなのに被害者たちと直に接触するなんて、リスクが高すぎない?」

 リコがぴくりと眉を動かした。どうやらそれは本人もわかっていたことのようだ。

「現状それ言われちゃうとねぇ……。注射パッチとか性交渉とか、何かしらの接触だろうとは言われてる。経口接種とか空気感染にしては遺体に痕跡がないし、周囲のドローンやベンダーマシンへのクラッキング痕も見つかってないし。被害者たちも、友達と出かけてる人もいれば自宅でひとりだったって人もいるみたいで……経路が全然絞れてないらしいんだよね」

「うわぁ……」

 マヤは同情した。聞くからに厄介そうな案件だ。スペクター対策本部――前身はサイバー犯罪組織対策班という――も今までずっとオンラインが主戦場だっただけに、実地での調査などには疎い部分がある。今回は現実で死者が出ているため、検死データやPAIR解析の情報も増える。そしてそれらを捌くのはおそらくリコや別の応援要員だろう。もともといるスペクター対策本部のメンバーはあまりあてに出来ない。

 給仕ロボットが巡回して来たので、マヤとリコはトレイをロボットに預けた。周囲では食事を終えた局員たちがわらわらと席を立ち始めている。リコは肩をすくめた。

「スペクターの連中を検挙するか、有力な情報をつかむまではしばらく忙しそうなんだよねー。休み出たらどっか行こうよ、マヤ」

「うん。じゃあ、前にリコが行きたがってたアフタヌーンティのお店でも行こうか」

「いいねー! 行こう行こう、あっじゃあヒナミちゃんとか誘おう。あたしから声かけとくから」

「わかった。じゃあ休み分かったら連絡して。予約は私がやっとくから」

「ありがとー。よーし仕事がんばるぞ」

 二人で席を立ったそのとき、マヤはふと上を見上げた。吹き抜けの手すりのところに、なんとなく見覚えのある顔が見えた気がしたのだ。そしてすぐにそれがヤスタカ・トウドウであることに気付いた。女性と何か話している。

 吹き抜けでは立体ホログラフィーでニュースが流されている。スペクターの犯行声明文について、コメンテーターたちが好き勝手な推測を述べている場面だった。スペクターが案外古い組織であるということや、その組織性格の移り変わりなどについても話している。特に指導者的存在について熱心な議論が交わされていた。とはいえスペクターはあらゆることが『不明』の組織なので、ほとんどはコメンテーターが根拠のない妄想を戦わせているに過ぎない。

 マヤとリコが歩いていると、吹き抜けの上階から美しい女性が下りてくるところだった。周りにいた局員たちがいっせいにそちらを見て道を開ける。凛とした横顔はおそろしく整っていて、女神の彫像が動いているかのようだった。

「タカミネ管理官だ……」

 リコが感嘆のため息を漏らす。キョウコ・タカミネは同性から見ても非の打ちどころのない美女だった。結い上げられた黒檀の髪、きりりとした目鼻立ち、モデルのような身長とプロポーション。治安局で働くより、モデルでもやったほうがよほど儲かりそうなレベルだ。そんなキョウコ・タカミネは職場では常にパンツスーツを着ていることでも有名だった。女子高でのお姉様ポジションに近い雰囲気を持っており、局内には熱烈なファンもいる。リコもたびたびあこがれを口にしていた。

 キョウコは視線に気づいたのか、リコに声をかけた。何か花のような香りが漂ってくる。

「ハヤミ捜査官。ミーティングではありがとう」

「いえいえ、こちらこそありがとうございました……!」

「今後ともよろしく」

 形の良い唇が弧を描く。キョウコのほほえみを浴びたリコは見る見るうちに真っ赤になった。

 続いてキョウコは隣にいるマヤを一瞥した。その目力の強さに、マヤは一瞬気圧されそうになった。

「コトブキ捜査官。シンドウ班長から話は聞いています。大変な時期かとは思いますが、これからの活躍に期待しています」

「あ、ありがとうございます」

 キョウコが通り過ぎるその一瞬、やはり甘い香りがした。おそらく香水だろう。マヤはぼんやりと「やっぱ育ちのいいひとは違うなぁ……」と感心していた。ファンがいるのもうなずける。

 キョウコが去ったあと、周囲はまるで夢から覚めたかのように動き出した。エレベーターホールへ向かう人の流れに沿って歩きながら、マヤはリコをからかっていた。午後の業務に思いを巡らせていたとき、吹き抜けに投影されていたニュース画面に速報が出た。

『――速報です。スペクターがSNS上に次の犯行声明をアップロードした模様です』

 ざわめきが広がった。リコも緩んでいた表情が一気に引き締まる。ニュースを見るために多くの局員が立ち止まった。一部局員はPAIRを通じて招集がかかったために足早に食堂を去っていく。リコの端末からも、小さな妖精の姿のPAIRが飛び出して『スペクター対策室より緊急招集』と告げた。

 リコはマヤの顔を見て、「じゃ、あたし行ってくる」と言った。すでに捜査官の顔だった。マヤはただリコに対してエールを送った。部署が違う以上、出来るのはそのくらいだ。リコの後姿を見送り、マヤはニュース画面へ目を戻した。アナウンサーがスペクターの声明文を読み上げている。

『“かつて偉人(パスカル)は、人間とは考える葦だと言った。しかし現代において、我々は人間の証明たる思考すらAIに任せている。考えることをやめた(ヒト)の末路がいかなるものか、諸君は見ることになるだろう”――』

『文明回帰論者みたいな言い草ですね』

『たかがそんなことで人を殺しているんですか。ただのテロ行為じゃないですか、思想犯でもなんでもない』

『スペクターについては続報が入り次第お伝えする形に――今入って来ました! マルノウチ、ギンザ、ロッポンギで自殺者の報告が上がりました……! さらに被害が報告されています、アオヤマ、アカサカ……自殺者は転落や首吊り、刃物による刺傷など、方法はバラバラですが、ほぼ同時刻に異常行動を始めたとのことです。視聴者のみなさんも十分に警戒をしてください!』

 大混乱だ。それまでニュースを読み上げていたアナウンサーがAIにバトンタッチする。ストレス汚染を避けるためだ。

 それまで騒いでいたコメンテーターたちも、急に落ち着いて『不審な行動を見かけたらすみやかに治安局へ通報してください』とアナウンスを始める。豹変ぶりからして、映像はホログラフィーの合成に差し替えられたらしい。本人たちは今頃ダメージコントロールのケアを受けているのだろう。混乱や不安が一定値を越えれば当然の措置だ。

 マヤははらはらしながらニュースを見ていた。ほかの局員たちも食い入るように画面を見つめている。そんな中、ヤスタカ・トウドウはのんびりと階段を下り、エレベーターホールへと向かっていた。マヤはそれに気づき、慌てて彼を追った。そして呼び止めてしまってから、何の話題もないことに気付いた。

「あの、監察官、昨日はありがとうございました……」

「いえ、こちらこそ」

 非常事態とは思えないほどの淡白さでヤスタカは答えた。そしていつもの少し眠そうな顔をしたかと思うと、「すみません、予定があるので失礼します」と言い残し、足早にエレベーターに乗り込んでいった。

 取り残されたマヤは呆然とそれを見送り、ミルクに尋ねた。

「なんか避けられてる……?」

『昨日の今日だからじゃない? それか普通に用事なんだと思うよ。トウドウ監察官ってそういうとこで気を遣うの苦手そうだもん』

「……ミルクってそういうとこずけずけ言うよね」

『だとしたらそれはマヤからの学習結果だから受け入れてね~』

 ぐ、とマヤは言葉に詰まった。

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