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動き出す人々

9/7.2411


 治安局の一室では『神託』が行われていた。幹部クラスが終結した長机の前には、ホロジェクターを通して緑色の光球が投影されている。

高精度現象予測演算機(フォアヴァイザー)、カンナギの算出結果をもとに、治安局局長へ進言いたします』

 もっとも上座でふかふかの椅子に座っていた男性――アヤヒト・タカミネは無言でそれを聞いていた。

『此度の違法ハッカー組織スペクターによる無差別殺傷事件――以降本件と称します――は、処理優先度Sと判断されました。すみやかに対策チームを編成し、犯人確保をお願いいたします』

 緊急の要件ではあるが文面は平らかだった。渋い顔の幹部たちをよそに、タカミネ局長はさして焦った様子も見せず、尋ねた。

「ついこの間、同じようなケースがあったよね。この局の屋上から飛び降りた女性捜査官。ライフスコアは正常値で、PAIRの緩和措置は空振りしてた。あの子はこの事件と関係してるってことでいいのかな」

『本件と条件が類似しており、昨日の同時多発自殺の前触れであった可能性が高いと見られます。カンナギは81%の確率で関連性ありと判断しました』

「そう。じゃあ捜査チームは統合しよう。ほかの過去の事例との照合作業は?」

『現状では絞り込みの情報が不足しています。不確定性が強く、まだ報告できるだけの信憑性を担保できません』

「お堅いね」

 くすりと笑うと、タカミネ局長は身を乗り出し、指を組んだ。そして年齢の割にやたらと若々しい顔に冷たい微笑を浮かべた。

「カンナギはああ言うが、諸君はおそらくある事件を思い出しているのではないだろうか。原因不明の同時多発自死というと、真っ先に思いつく苦い記憶があるからね。かくいう私もそのことが頭を離れなくて、諸君に集まってもらったわけだが」

 幹部たちが神妙な面持ちで局長を見つめる。誰もが事態の深刻さを共有していた。局長はそれを確認すると、満足げに目を細めた。深い色の瞳には策謀が渦を巻いている。

「正直なところ、状況は芳しくないというのは諸君もわかっているだろう。何せ被害者のライフスコアは直前まで正常値だ。異常が発見できないなんて、もはやライフスコアという制度そのものが欺かれているに等しい。健康省はカンカンだ。ヘルスプログラムが欠陥サービスになってしまうからね。これはノア・ドーム・トーキョーの管理システムに対する挑戦――テロリズムであり、到底許すことの出来ない侵略である」

 よどみなく語ると、局長は一度語気を鎮めた。

「すでに対策本部は立てた。管理官主導のもと対処に当たらせる」

 その言葉に合わせ、美しい女が立ち上がった。局長は軽く手を挙げ、幹部たちに紹介した。

「キョウコ・タカミネ管理官だ。まあ言わずもがな、()()()()()()()()。必要に応じて手を貸してやってくれ」

 女が一礼する。おそろしく整った顔立ちだった。幹部たちの表情は十秒前と何ひとつ変わらなかったが、その胸中には少なからず穏やかでないものが去来していた。

 キョウコ・タカミネの手腕を疑うものは、それほど多くはなかった。振られた仕事はしっかりとこなすし、場合によってはプラスアルファの成果を出せる女だった。媚びず、自立し、意見を主張する。あくまでも論理的に議論し、荒事になるのであれば根回しも怠らない。管理職に求められるしたたかさを充分持ち合わせており、ライフスコアも優秀だった。ただどうしても、そのいっそ異常なまでの美貌と、アヤヒト・タカミネの姪であるという点が、人によってはたまらなく不信感を刺激されるのであった。

「まあ、彼女の手に負えなさそうならさっさと代えてくれて構わない。その判断は……そうだな、ウクモリ刑事部長に一任する。これなら諸君も安心だろう」

 どこか面白がるように局長はそう言った。左手に座っていた中年の女性幹部――ウクモリ刑事部長が目を瞬く。そして局長と視線を交わし、渋々といった様子でうなずいた。お目付け役を押し付けられた格好だ。

 当面の指示を出した局長は優雅にほほ笑み、ぱしりと手を叩いた。

「では諸君。次はよい報せで集まれるよう努力しよう」




 マヤはデスクで難しい顔をしていた。ホロウィンドウには金融機関のクレジット移動記録がびっしりと並んでいる。いずれも不正な取引が疑われている記録だ。これでもかなり条件を絞って抽出したのだが、件数は依然として膨大だった。総当たりを試すには途方もない時間と勇気が必要になる。

 ホログラフィーのパーテーションから、シンドウがひょっこりと顔を出した。手にはコーヒーのカップを持っている。

「やってるかー、コトブキー」

「シンドウ班長……。今総当たりしてみるか考えてるところです」

「おお、そりゃ大変だな。お前さんがやってるのって確かナノテク系企業の資金周りだっけ。よりによって大変なとこ担当したなぁ」

「いやこれ班長が回した仕事じゃないですかぁ……」

「おっと? そうだった気もしてきたな」

「気がするじゃなくて実際そうですよ」

 シンドウの隣にクマのアバターが現れた。つぶらな目を眠そうにぱちぱちさせつつ、マヤの見ていた画面をのぞき見る。のほほんとした顔だが、これでもシンドウと一緒に仕事をこなしてきたベテランの捜査官AIだ。目は確かだった。スキャンが済んだのか、阿蘇(クマのアバター)はパーテーションの上にぺたりと座った。

『んーと……少額をバラして金融機関をピョンピョンさせる手法とかは、わりかし追跡しやすいしオススメ。その程度のことやってる連中は結構ザルセキュリティ。でももしNIC社とかフォーミュラ社みたいな大企業だったら、それだけ取引額も大きくなるし、とんでもない工程数のロンダリングとかやるから、尻尾をつかむのは面倒』

「えっ、やっぱりNICとかフォーミュラもやっちゃってるんですか」

『ものは例え。絶対ないとは言えないけど』

 相棒の軽口にシンドウがにやりと笑う。

「ま、人間がかかわることなら不正は必ず起きるだろ。サルだってエサを独り占めしようとするんだぞ、知恵つけたらもっとズルしたくなるに決まってる」

「はあ……」

 治安局に勤めているとおのずと性悪説論者になる。マヤは入局してから常々そう感じていた。PAIRがいかに犯罪を抑止しようと、それを根絶することは出来ない。監視されようが統制されようが結局逸脱者は現れる。人間というのはそもそも悪性に偏ったものであると思わざるを得ないほどに。

 ミルクがマヤの手元で新しいサーチ条件を設定している。最初よりはいくらかマシな結果が出たようで、耳をピョコピョコさせながらマヤを見上げてきた。マヤはミルクを軽く撫でるように手を動かした。気持ちよさそうにミルクの耳が動く。

 少し考えてから、マヤはシンドウに尋ねた。

「班長、昨日のスペクターの事件、どう思います?」

 シンドウは眉をぴくりと動かした。その肩口で阿蘇があくびをしている。マヤの知る限り、いつも眠そうなPAIRだ。シンドウは口元に手をやり、少しもったいぶるように切り出した。

「まあ……どこもかしこも大騒ぎだな。何が知りたい?」

「昨日の今日なのに、なんでそんなにいろいろ知ってる感じなんですか」

「おっと、それは聞かないお約束だ。童話で読んだだろ、妖精さんの住処を詮索するような真似をする子は、妖精さんに二度と会えなくなっちゃうって」

「……わかりました、出所は聞かないです。それで、モリスエ先輩の件は、このスペクター事件と一緒に扱われるんですか?」

「おう。全部まとめてスペクター対策本部の管轄に入るみたいだぞ。まあスペクター側はモリスエの件について犯行声明は出してないが、手口がまるっきりおんなじだからな」

「じゃあ、トウドウ監察官も担当を外れるんですか?」

「そりゃあなぁ、外部犯なら監察室の仕事じゃないだろ。連中の領分はあくまでも上司の監督不行き届きや捜査中に不正がなかったかってとこだ。まあ()()()()外れるさ」

 にやにやしながらシンドウが答えた。ずいぶんと含みのある言い方だ。今回の妖精さんはシンドウにずいぶんとサービスしてくれたらしい。マヤは内心面倒くさいと思いながらも「何か知ってるって感じですね」と突っ込んでやった。シンドウが得意気に肩を揺らした。

 もう少し自慢話をするかと思いきや、シンドウは急に真剣な顔へと切り替わった。

「スペクターの連中、モリスエに何の恨みがあったのか知らないが、捕まったらなるべく長くぶち込まれてもらいたいもんだよ。なんか知らんがAIの反旗とかわけわからんことも言ってるようだし、情状酌量の余地なしだろ。これだけ社会に与えた影響がデカけりゃ、裁判だってそれを斟酌するだろうさ。何よりやり口がひどい。どんな方法使ったがわからんが、被害者がみんな気が狂ったように自殺するとかなんとか……。自殺を止めても搬送先で死のうとする被害者までいたらしい。仕方ないから身体拘束をやったらしいが、結局どこがおかしいのかわからんまま全員死んだってよ。今のところ完全に奇病扱いだ。PAIRは直前まで以上を検知していないし、緩和措置は見事に空振りしてる」

 改めて聞かされるとマヤは背筋が凍る思いだった。

 原因は不明のままだ。モリスエのときと同じ――突然の自殺。だが犯行声明を出している以上、スペクターは殺意をもって被害者たちを『殺した』のだ。ユーザーをリアルタイムで監視するPAIRすらも欺いて。一体全体どんな魔法を使ったのかはわからない。しかしこれは明確なテロ行為であり、治安局が対処すべき事案である。見えない武器を操る集団に対し、戦っていかなければならない。

 モリスエは自殺ではない。それがこんな形で証明されることになるとは、マヤ自身も思っていなかった。とてもではないが素直には喜べない内容だ。

 そうこうするうちにシンドウのPAIRも端末へと戻った。シンドウがヒラヒラと手を振りながら離れていく。

「ちっと長話だったか。まあとりあえず、それ終わっても終わらなくてもちゃんとメシ行けよー。じゃあなー」

 それまでの真剣な空気は吹き飛び、シンドウはからからと笑っていた。落差が激しい。

 マヤはシンドウを見送り、黙ったまま画面へと目を戻した。ミルクによって少額取引の追跡が進んでいる。集中力が散漫なまま、マヤは検索結果を眺めていた。せっせと分析を進めるミルクを見て、マヤはつぶやいた。

「大丈夫なのかな……」

『何が?』

「なんていうか、いろいろ?」

『うーん。大丈夫だと思うよ。大事件とかいろいろあるけど、今みんな普通に暮らしてるでしょ?』

 その答えにマヤは苦笑した。ミルクの返答から、明らかにユーザーの不安を軽減しようとする動きが読み取れたからだ。そんな答えを引き出したのはほかならぬマヤだ。正常性バイアスを助長させるのは一時しのぎ程度にはなるだろうが、根本的な解決にはならない。あまりよくない傾向だった。

 おそらくこんなやりとりが今あちこちで行われているのだろうとマヤは思った。ノア・ドーム内には不安という黒雲が垂れ込めている。

 マヤは深呼吸し、気分を切り替えた。ミルクの分析画面をのぞき込み、尋ねる。

「なんだっけ、なんか変な名前の解析方法ってあったよね。ピ……ピで始まったような気がする」

『プロヴィデンス・パーフェクト・トレース?』

「それ、それ! 全然違った、ピで始まってなかった」

『こういう変わった名前はクイズの問題とかでよく出るよね。検索項目でも地味に上位に入ってるよ』

 ミルクが耳の後ろを掻く。

『PPTはねー、普通とは違う経緯で発見されたから、名前もよくある法則通りってわけにはいかなかったんだよ』

「へー。どう違うの?」

『普通はセキュリティ会社とか治安局の担当AIとかが新手法を編み出して命名するでしょ。でもPPTはまったく外部の、匿名のハッカーが考案したんだ。その匿名ハッカーは十年前、ベンテンファイナンシャルグループが所得隠しをしている証拠をオープンウェブで公開、晒し上げしたんだけど、そのときの手法がPPTだったってわけ』

「えっじゃあ匿名のハッカーが公開した手法がなんか公式採用されちゃったって感じなの?」

『そんな感じ。まあ公官庁でもウェブ上の知識人サロンからアイデアを逆輸入することはあるからね』

 マヤはデスクに肘をつき、「ふーん」と言った。確かにそういうケースは実際に存在する。当然アークシステム・イザナミによる検査と承認が必要だが、民間の知恵は少なからずノア・ドーム運営に生かされている。ある意味ピーピングモードもそうだ。ルールの抜け穴だったものが一般に広まりすぎた結果、公認せざるを得ない流れになった経緯がある。

 ある程度のケース分析を終えたところで、マヤは時計を見た。そろそろ昼休憩だ。シンドウから言われたことを思い出し、マヤは立ち上がった。ドリンクサーバーでハーブティーを入れると、休憩前の追い込みに取り掛かる。足取りを追えそうなケースを二つほどに絞り、PAIRの開示請求準備を並行して進めていく。キリのいいところで、シンドウの「はい諸君ランチのお時間ですよー」という声が聞こえてきた。シンドウはこういったところには厳格だ。そこが人徳と人気の秘訣でもある。

 ミルクはぴょんぴょんとジャンプしてマヤの装着端末に戻った。マヤもさっさとデスクから立ち上がり、上の階にある食堂へ向かうことにした。いつまでも残っていると逆にどやされる。マヤがエレベーターホールでほかの局員と一緒にエレベーターを待っていると、あとからやって来たシンドウが合流した。ほどなくしてやって来た大混雑状態のエレベーターに乗り込み、十五階の食堂に到着するのをひたすら待つ。幸い、窮屈なエレベーターの旅はすぐに終わり、局員たちはいっせいに食堂へはけていった。

 そんな中、シンドウはかご室の中にとどまっていた。マヤは首をかしげ、声をかけた。

「あれ、班長は食堂行かれないんですか?」

「おーよ、ちょっと野暮用。まあそのついでにいいもん食ってくるわ」

「お疲れ様です」

「人気者はつらいぞー、へっへっへ」

 扉がするすると閉まり、かご室は上へと上がっていく。食堂より上のフロアとなると、別部署に用事があるということだろう。彼も班長であり、よそと連携している立場だ。不思議はなかった。


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