指名される男
エレベーターの中でヤスタカは眉間を揉んでいた。
ホロウィンドウの中では被害者たちが自殺に走る瞬間をとらえた映像が流れている。映像の出所はホームセキュリティや街頭カメラ、個人の録画などさまざまだ。投稿されたものもあれば、盗撮と思しき怪しい角度からの映像もある。もう数分すれば健康省の検閲が入って削除されるだろうが、ウキョウは先回りして動画を入手していた。
若い女性は衣類をロープ代わりにして首を吊り、壮年の男性は調理ロボットに身投げして文字通りミンチになった。本来なら設備の安全装置が働くのだが、こういったものは当人が意図的に解除ないし突破してしまえば無意味だ。攻撃と防御では圧倒的に攻手にアドバンテージがあるように、人間が一度決意したら実行を防ぐのはなかなか難しいものである。
動画はどれも見ていて気持ちのいいものではない。だが一部の物好きがスナッフムービー扱いで確保に動いている様子も見える。ヤスタカは動画をスキップし、苦い顔で相棒の名前を呼んだ。
「ウキョウ」
『現在死者三十二名、意識不明二十名、重傷者四十七名。遺体はほとんど治安局のロボットが収容済み、通報や民間人の協力で阻止したケースはメディクロイドが病院へ搬送している。身体拘束つき、優先順位A+の扱い。現場付近など十一ヵ所でストレスハザード警報。健康局のサーバーにでかい負荷がかかってヤバそうなのと、治安局のユニバーサルマシンベースは限界レベルで稼働中って感じ』
「被害規模がでかすぎる。上はこんなの想像してないだろう」
『そうだな。カンナギの予想でも可能性は低かった。多くても三十人程度だろうって予想が優勢だったようだぞ』
「いくらなんでも飛ばし過ぎてる……」
ヤスタカはエレベーターの壁にもたれ、ため息をついた。昨夜少し夜更かしをしたせいもあり、少々頭が重い。ライフスコアも若干下がっている。監察室の主任には当然バレているが、この局内状況ならさして言及もされまいとヤスタカは踏んでいた。
昨晩、ヤスタカとウキョウはボイジャーという名前のスペクター構成員をずっと追っていた。
ボイジャーはシャドウレルムと呼ばれるウェブ上のアンダーグラウンドに出入りしている、いわゆるそちらの住人だ。もちろんただの利用者ではなく、違法レートの闇カジノ運営者である。彼の運営するカジノは、短命が宿命の違法カジノ界においては珍しく長続きしており、一部のハッカーたちなどの間では非常に有名だった。巡視や捜査をかいくぐり、うまく資金繰りをこなし、ハッカーたちや犯罪者たちの情報交流の場として共生関係を築いている。運営者であるボイジャーがスペクターメンバーという折り紙付きのハッカーで、現実でも投資家というステイタスがあるからこそのものだ。とはいえ彼も人の子であり、他者と共同で運営をしている。ヤスタカは以前、ひたすら地道にそのつながりをたどることで彼の情報を特定した。そこに至る過程は、半ばネットストーカーの執念じみたものがあった。
ボイジャーはスペクターの中では堅実派であり、金銭が絡むことにはうるさいタイプのメンバーだ。彼はスペクターの後ろ盾やネームバリューを気に入って参加しているようでもあった。スペクターが派手な行動を起こすことには消極的なはずだ。それが愉快犯的な行動を起こしたことについて、ヤスタカとウキョウは調べる余地があると判断した。
『製薬会社と医療関係の株がガンガン上がってるぞ。ボイジャーが今いくら儲けたか聞く?』
「ビル買えるくらいだろ」
『それはビルのグレードによるな。でもいい線行ってる』
そしてウキョウが言った金額を聞いて、ヤスタカは「俺の給料何年分かな?」と自嘲的なつぶやきを漏らした。監察官の月給は決して悪くないのだが、現在進行形でそれすらはるかに凌駕する額が動いている。
ボイジャーが参戦した理由はこれだ。いわゆるマッチポンプ――広義でのインサイダー取引に当たりそうな事象である。自分たちで問題を起こして、その余波で利益を得るという自作自演。しかし被害者の規模や社会的影響の大きさからして、利益もとんでもなく大きい。
「いくら金に目がくらんだって言っても、今回はリスクが勝ちすぎてるはずなんだが……。金融商品取引法違反と大量殺戮テロじゃえらい違いだ」
『トレーダーってのは用心深いギャンブラーだしなぁ。捕まらない確証でもあるんじゃないのか?』
「……そういやあいつの通信履歴、追えないのも結構あったよな」
『ああ。何人かは割ったけど、肝心のリーダーとかはさすがに向こうが対策してるからな。ボイジャーがザルでもリーダーがしっかりダミーやフェイク挟んでる以上、追跡には限界がある』
そのときエレベーターのドアが開いた。二十階、監察室のフロアだ。
ヤスタカはエレベーターを下り、自分のデスクへと向かう。すでに昼食から戻ってきている監察官たちもいた。ほぼ全員がホロウィンドウで自殺者多発のニュースを見ている。担当部署が違うとはいえ、これだけの大ごとだ。関心は当然高かった。
『続報。死者四十六名に増加。さらに意識不明、重傷者のうち十八名が心肺停止』
「待てよ増加のスピードがおかしいだろ」
『おかしくない。意識不明だった被害者八名が死亡、重傷者六名が再度自殺企図により死亡確認』
「は……?」
『わかってるだろ。彼らは確固たる意志で自殺してるんだよ』
ヤスタカの脳裏に、駅で搬送されていった少女がよぎった。彼女もそうだった。何かにとりつかれたように壁に頭を打ち付けていた。もし直前までの会話を聞いていなければ、ヤスタカは彼女に重篤な精神疾患があるのではと疑っていただろう。そしてほんの一瞬、ヤスタカの目を見て縋るような顔をした。まるでこれは本意ではないとでも言いたげな顔だった。
そのとき監察室内でどよめきが上がった。ヤスタカはさっと顔を上げる、同僚の何人かと目が合った。いずれも動揺した様子を隠すように険しい顔をしている。
『――治安局エントランスで死人が出た』
ウキョウの言った内容にヤスタカはぞっとした。治安局の玄関先に死体を置くというのは、あまりに派手な宣戦布告だった。
治安局全体を揺るがす事態が進行している。その認識が局員たちに広まっていく。ヤスタカは刻一刻と変化する空気を感じながら、ウキョウに尋ねた。
「エントランスで自殺を図ったのか?」
『半分正解。近くで飛び降りたけど死にきれなかったようだ。血痕が確認されているし目撃証言もある』
「じゃあ飛び降りた後にここのエントランスまで歩いて来たのか? それで事切れた?」
『ああ。おそらくは最初に飛んだ場所よりもっと高い場所から飛ぼうとしたんだな。被害者が自殺企図を止めない以上、死にきれなければ何度でもリトライってわけだな。だが足を負傷していて動けなくなったらしく、エントランスの噴水に突っ込んで死亡確認だ』
「ふざけてんのか、あんな噴水ぐらいで溺れるわけ――」
『あーっと入電、入電ですよ。ヤスタカ・トウドウ監察官』
急に事務的な口調になったウキョウに、ヤスタカもひとまず憤りを押さえた。
ホロウィンドウを通してメッセージの送信者が表示される。ヤスタカは一瞬それに面食らったが、意を決して回線をオンにした。間髪入れずに挨拶を済ませる。こういうのは先手を取るに限るのだ。
「お疲れ様です、ウクモリ刑事部長」
ホロウィンドウの向こうには中年の女性がいた。薄く刻まれた皺と鋭い眼光が、役職相応の貫禄を感じさせる。サナエ・ウクモリ刑事部長は、治安局の中ではナンバースリーの座にいる人物だ。現在治安局で一番強い女と言っても過言ではない。若いころにはさまざまな事件の解決に尽力したという、歴戦の女傑だった。
『やあトウドウ監察官。今現在治安局を揺るがしかねない大事件が起こっている真っ只中で、のこのこ君に連絡をよこした私の危機管理姿勢について、何か言いたいことはあるかね』
しょっぱなから飛ばしてきたウクモリに対し、ヤスタカは緊張しつつも答えた。
「いえ。これまでの経験から、刑事部長にも何かお考えがあってのことかと思います」
『そう言ってくれて助かるよ。今エントランスを鑑識ロボットが調べている。相手が市民である以上、こちらの警戒態勢にも限界があるのだが、まあポーズだけでも取っておかねばなるまい。事態が切迫している。それで君にも一足早く情報を渡しておこうと思ってね。君が持っていたミオ・モリスエ捜査官自殺の件だが、あれはスペクターによる今回のテロ事件の先触れとして扱うことになった。今後、当該事件の捜査権限はすべてスペクター対策本部へと統合する』
「わかりました」
『ここからがお知らせだ。君が捜査権を委譲することはない。君ごと対策本部に移動してもらう』
想定外の言葉にヤスタカは言葉を失った。どういう意味か理解するまで一瞬かかった。
ウクモリはヤスタカの入局以来、何かと目をかけてくれている。やたら面倒な案件を回してくることもあったが、おおむねヤスタカの技量を見抜いていた。ヤスタカの監察室への配属を後押ししたのも彼女だ。恩人と言っていいレベルにある。だからウクモリの意向に対して、ヤスタカはあまり強く出られないところがあった。
「……監察官が一般の事件捜査をですか」
『まあ普通ならありえない人事だが、今回は特別だ。なりふり構っていられん。対策本部には君が必要だ。拒否するなら無理にとは言わないが、一度モリスエの件を受け持った以上、最後まで付き合ってくれるだろう?』
嫌な聞き方だった。この場合、ヤスタカに拒否権はない。
ウクモリはヤスタカが答えないことくらいは想定済みらしく、静かに続けた。
『何も重大な責任を押し付けようというわけではない。そもそも私の権限で無理やりねじ込む格好になる。歓迎はされないだろう。だが君の分析が欲しい。対策本部が情報の最前線であることも自明だ。君はモリスエの件を調べつつ、スペクターの追跡に協力してくれ。ついでに対策本部内での動きを見張ってくれるとなおよい』
「そちらが本題ですか」
『まあね』
網を張るにはちょうどいい、とウクモリは静かに言った。ヤスタカも彼女の意図するところを察した。
ウクモリは内通者を――あるいはスペクターが捜査員のPAIRにハッキングをかけている可能性を憂慮しているのだろう。無理からぬ判断だった。それにしたって監察官のヤスタカを送り込むのはかなりの無理筋なのだが、彼女にとって有効な手であることも事実だ。対策本部が何かするより早く最悪の状況に陥りつつある以上、力業でもなんでも使っていく気なのだろう。
「わかりました。微力ではありますが精一杯やらせていただきます」
『よろしい。ならばあとは君に一任する。好きに動きたまえ』
接続が切れ、画面にウェブメディアの速報記事が表示される。ヤスタカは重いため息をついた。
モリスエの事件からは外されるものだとばかり思っていた。だから捜査データはウキョウにバックアップさせ、独力での追跡を考えていたところだ。だからこんな形で続投を求められるとは、つゆほどにも思っていなかった。
不意をつかれた。それはヤスタカにとってあまり面白くないことだった。理屈としてはわかる部分もあるのだが、ウクモリからの指名は得体の知れない気味悪さをはらんでいた。ヤスタカは捜査本部にスパイとして送り込むにはあまりにも異質なのだ。
ヤスタカの頭痛を悟ってか、ウキョウが端末から浮かび上がった。光の粒子を振りまきながら何かを計算している。
『とんでもねえお知らせだったな。あれかな、タカミネ管理官にこれだけのデカいヤマを対処させるとなると、どうしても心配ってことなのか?』
「あー、それか……。今回に関しちゃ、もし不手際でもあったら普通の引責じゃ済まないだろうしな。解決が遅れるだけでも針のむしろって感じだろう。そもそも局長はなんで管理官を対策本部のリーダーに据えたんだ? 元からいろいろ言われやすい人なのに、こんな重大事件を担当させるなんて……。健康省だって文句言ってくるぞ」
『さあなぁ。でも、だからこそタカミネ家のご令嬢を生贄にしたんじゃねえの? 健康省だってあの華麗なる一族にはそこまで強く出れねえだろ。あとは少なくともPAIRの性能だけなら、そのへんの管理職よりタカミネ家カスタムメイドちゃんのほうがいいに決まってる』
「それ自虐ネタか?」
『残念ながらAIに自虐ネタって概念はないんだよなぁ』
ウキョウがゆるやかに端末へ戻る。そのついでに時刻表示が出てきた。昼休憩はもうすぐ終わりだ。これだけの騒ぎが起きた以上、午後の業務が無事に始まるかも怪しいのだが、ヤスタカはなんだかんだで監察室は平常通りになる予感があった。
『とりあえずオレはモリスエの周辺関係洗い直してみる。あとボイジャーのことも追っとくから、お前は素知らぬ顔で仕事してろよ』
「おー。頼むわ」
相棒が水面下でタスクをこなしているのを眺め、ヤスタカは窓の外をちらりと見た。近隣に建っている経済省や自然省といった巨大建築の向こうに、バラルタワーがそびえたっている。
そのとき、ヤスタカの肩を誰かが叩いた。少々驚きつつ、椅子を引いて仰ぎ見れば、そこには上司のアキヅキ室長が立っていた。ヤスタカは慌てて椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢で待機した。このあたりは文明がどれだけ進歩しようと変わらない儀礼的なものだ。アキヅキは苦笑し、「楽にしてくれ」と声をかけた。お許しが出たのでヤスタカも肩の力を抜いた。
「トウドウ、上からのお達しだ。超特急で支度して上の階に向かってくれ」
「すぐですか?」
「タカミネ管理官ご指名だ」
「ああ、管理官から……。今持ってる確認作業は誰に回しますか?」
「それならサイトウが受けてくれる。彼に回してくれ。必要ならばメッセージを送る」
「わかりました」
「局の都合で振り回して悪いな。今度メシでも行こう。酒代くらいは出すよ」
「いえいえ、上の都合ですしお気遣いなく。でも食事は今度ご一緒させてください」
アキヅキ室長は闊達に笑い、ヤスタカの肩をぽんと叩くと、デスクへと戻っていった。シンドウとはまた違った意味で面倒見のいい人物だ。監察室の室長という肩書のせいか、威厳のある怖そうなイメージを持たれがちだが、話してみればスマートで物腰も柔らかい。ヤスタカにとってはやりやすい部類の上司だった。
ヤスタカはデスクにいたサイトウに声をかけ、取り急ぎ重要な事項だけをとりまとめてウキョウに転送させた。さっさと着手するに越したことはない。幸いすぐに連携がとれた。
アキヅキに急かされる格好で監察室を出ると、ヤスタカはエレベーターに乗り込んだ。ウキョウのもとにはすでに、二十四階の会議室に来るようにとの連絡が届いている。
到着するとそこには大規模な捜査本部が置かれていた。設営の真っ最中という印象だ。壇上にいたキョウコ・タカミネがヤスタカに気付き、その美しい目を細めた。緊急事態だというのに、その美貌に数名が気を取られる。
「急がせて悪いなトウドウ。今は被害状況の把握中だ。とりあえずハヤミを手伝ってやってくれ」
御意、とヤスタカは内心つぶやいた。ウキョウが端末から矢印を表示し、ハヤミのいる方向を示す。
リコ・ハヤミは次々飛び込んでくる死亡者の情報にあっぷあっぷしていた。若干不憫に思いつつ、ヤスタカは彼女に割り振られていたデータをいくらか受け取った。PAIRによる記録と巡回ロボットなどの記録がごちゃ混ぜになっている。関連している記録を片っ端から集めてきたようだった。
午後の時間はあっという間に過ぎていった。ヤスタカは被害者たちや周辺状況の情報整理に忙殺される羽目になった。事件発生当時のタイムラインと被害者たちのリストを作ったものの、ほかの捜査員とフォーマットの統一について無用な衝突をすることになる。
夜勤当番を数名残し、帰宅が許されたのは深夜近くのことだった。いかな重大事件対応であろうと、ヘルスプログラムからの休養勧告に逆らえなかったのである。