鈴の音を鳴らすのは……01
保護される前の姫路ポチは犯罪者の下で不法に作られたクローンだった。
彼を主人として付き従うだけの日々が間違いであったと、彼女を保護した世界は言う。無菌室の都市の中に移送し、衣食住を保障し、似た境遇の同胞たちと共に、彼ら――大人たちが信仰する社会の中で生きるための知識を語って聞かせる。
ポチの知る世界はまたたく間に広がった。大人たちの言葉に嘘はなかった。ドーム型都市は自分たちの揺り籠だ、ルールの逸脱さえしなければそこに根ざした社会は自分たちを守り続けるだろう。
けれど……
かつての『主』の下で過ごした日々。それは本当に、間違いだったのだろうか?
屈折はしていた。それは認める。
決して健全でもなかっただろう。
けど、それを間違いだったと言い切るだけの正しさが、この国にはあるのだろうか?
ポチにはわからない。
だって誰かに従うだけの日々が間違いというであれば、今だってそれは変わっていないのだから。
自分はいつも間違ったままだ。きっと生まれ間違えたから。
「……………………」
姫路ポチは日課としている都市の散歩をしながらひどく後ろ向きな物思いに耽っていた。
かつて小田原と呼ばれていた街には当時の生活の面影が色濃く残っている。古ぼけた建物、経年劣化でくすんで判別不能になった看板や、世話をする者が変わった街路樹。老いた街は人の手を離れ、上から蓋をされて自分たちクローン種の手の中にある。
街は生きている。だからこの町並みも変わっていく。新陳代謝するように住人が入れ替わり建物は建て直されていく。ここだけに限った話ではない。今あるものすべて変わっていく。それが生活していくということだ。
いずれ変わり果ててしまう町並みを心にしまいこんでおきたい……ポチの持つ数少ない感傷だ。突き動かされるように街を歩いていく。時間さえあれば飽きずに行われる散歩はポチにとって唯一の趣味だった。
静かな街だ、いくら音の少ない電気自動車でも立てる音は響いて聴こえる。それが街にそぐわない速度を出していればなおさらだった。
「……?」
背後からやってきた電気自動車には見覚えがあった。見る見るうちに予感は確信に変わる。ひと月ほど前に自分たちの監督生として着任した仙台ルイスだ。見る見るうちに迫ってきて、長いブレーキ跡を残してポチのすぐ側で停車する。
「ポチ」
「はい、サー」
ほとんど反射的に後部座席のドアを開いて中に身を滑らせる。隣には腕を組んで物々しいオーラを醸し出す五稜郭ココロコの姿。シュコー、シュコーという呼吸音を聞きながらシートベルトを締める。それを見届けたルイスがアクセルを踏む。
窓の外の景色が急速に遠ざかるのを見届けながら、そこでようやく尋ねる。
「サー。今日の任務は?」
***
『五分ほど前、首輪外しの宣言が入った』
端末越しに聞く緊張の感じられない声とは裏腹に、上役から告げられた言葉はの示す意味はひどく重々しかった。
「……騙りでは?」
『ところがどっこい、画像が送られきた。どこかの教室だかで首輪を外して首を晒している一〇名の男女が写った画像だ。足元にはずたずたに引き裂かれた首輪が転がっていた』
「……、……まさか、それじゃあ本当に」
『そうだ、フカシじゃない。こいつらは本当に集団自殺を行うつもりだ』
――この国に限った話ではあるが、クローン種は二種類に分類することができる。
すなわち良性と、悪性である。
当然それは『人間』を基準にしたものだ。人間に対し友好的な者は良性、人間に危害を加える者は悪性とされる。どうやってそれらを判別するかといえば保護された経験の有無である。
クローン種は保護された瞬間、IDチップの埋め込まれた半透明の首輪の着用を強制される。飼い犬に埋め込まれるそれと同じように、常に位置を捕捉することができるというわけだ。
それは着用者のバイタルや脳波をもモニターし、その生命を『保護』する。
首輪の果たす役割はそれだけでは終わらない。
首輪の内側には触れてもそれと気付かないほどに微小な針がついている。それは人命など容易く奪えるほど強い猛毒が塗られていて、常に着用するクローンたちの皮膚に刺さっている。
なぜ無事でいられるか。
理由は単純だ。
猛毒の針とは別に、異なる毒が塗られた針が刺さっていて、これらには中和作用があるからだ。
首輪を正規の方法以外で外そうとすると猛毒の針だけが皮膚に残る。微小の針だが、死に至らしめるまでの時間はほんの一時間ほど。
時に枷となり、時に発信機となり、時に処刑器具になる首輪の着用が、クローン種には義務付けられている。
これを非人道的と憤る声は当然ある。今回の『首輪外しの宣言』を行った者たちは要するに自分たちの生命を蔑ろにする、あまり性質のよくない活動家というわけだった。
「……今どきそういう間違った情熱の燃やし方は流行らないの。ナンセンスなの」
ルイスが後部座席に座るふたりに上役から聞いたことを伝えると、ガスマスク越しにも判る呆れた調子でココロコがこぼす。ポチも声色の中に深い同意をにじませながら、
「ルールが気に食わないならルールを変えていけばいい。そのための『生徒会』でしょうに」
そう言って窓の外を睨んだ。
ルイスたちが属する『風紀委員』がクローン種の警察組織の卵であるように、法や政治に進む道もある。ポチの言う『生徒会』だ。
H.A.C.O.の教育課程に属する者はみな『生徒』と呼ばれ、生徒たちは風紀委員や生徒会のような『委員会』に属し、卒業証明書はH.A.C.O.への所属となる。
わかりにくい仕組みにはそれなりの理由がある。生み出された経緯の違うクローンたちには知識の偏りが存在するからだ。識字どころか『言語』という概念の理解すら困難な個体もいる。そしてそれは見た目から判別できない。筋骨隆々で強面だが精神年齢は幼児並の生徒がいればその逆もいる。だから一口に、人間にとってわかりやすいように『生徒』と呼ばれる。
『生徒会』からH.A.C.O.――Human_Assist_Clone_Office.の持つ政治方面に進んで、内部からルールを変えていくよう働きがけていくべきだと、ポチはそう言った。
「思想は自由なの。難しいこと考えるのはご立派なの。でも巻き込まないでほしいの」
「……まあ対処する仕事を選べない風紀委員を選んだのも、他ならぬおれ達自身だしな」
「わかってるの。……でもこぼしたくもなるの」
ココロコの不満は理解できた。しかし、今回ばかりはそんなことも言ってられない。
「ところで、サー。キッカの姿が見えないのは?」
ルイスは自動運転に切り替え、懐から端末を取り出してポチに手渡す。
端末の画面には一枚の画像ファイルが表示されている。それは上役から渡された『首輪外し』を行う者たちの写真だった。どこかの教室だかでまっさらな首を晒す一〇名の男女。
「――――」
それを見たポチの目が細くなった。
「どれどれ、なの。…………、…………」
ポチに肩を寄せて画面を覗き込んだココロコはガスマスクを外す。凍てついた表情で運転席を睨む。
「先輩。これは」
ルイスは頷いて答えた。
「そう。このままだと、あと五〇分足らずで――キッカが死んでしまう」
一〇名の男女の中には、迷彩柄の巫女装束をまとった少女の姿があった。