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ストレイシープ*コンプレックス  作者: 七緒錬
第四章 人には愛が
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人には愛が……11

 そして――

 ルイスは、見た。


 少女のずっと背後。

 荘厳な小田原城よりも遥か先。


 一瞬だけ見えた点のような光。

 先日押収したばかりだからか、ドーム越しに陽光を受けて反射するそれの正体がわかる。


 狙撃銃のスコープ(・・・・・・・・)だ。

 その銃口が向かう先がどこかなど考えるまでもなかった。


「ア――」


 少女の名前を呼ぼうとする。しかしそれより早くルイスの身体が動いていた。

 テイザーガンを手から離し、駆け出して、表情を変えないアリスの前へ。

 勢いを利用する形で彼女の身体を突き飛ばす。


「きゃ――」


 可愛らしい悲鳴。その少しだけ後、


「――――――」


 腹部から背に掛けて、灼熱の感触。

 遅れて、タァァン! という鋭い銃声が、ドームの中に反響した。


 人間(ひと)の聖域であるプリンタードームに持ち込まれた狙撃銃。

 アリスを狙った銃撃の下手人の正体は? ……心当たりが多すぎる。テロリスト、六課、H.A.C.O.……あるいは別のアリスか。


 まったく。

 敵ばかりだな、あんたは――


 刹那の間、そんなことを思った。


「ルイス…………」


 突き飛ばされ、倒れたままのアリスがルイスを見上げ、口を開く。


「ルイス……血が。血が出てるわ……」

「……知ってるよ」


 応えると、口からごぽりと血が零れた。


「ルイス……痛そうだわ」

「……そうだろうね」


 腹部を貫いた灼熱の感触はやがて、蝕むような痛みに変わりはじめる。


「……どうして。なぜ。私をかばったの? かばう理由がどこにある?」


 もっともな問い。ルイスは笑おうとして、失敗する。

 ゴホ、と血を吐く。微かに咳き込んでから、


「考えたわけじゃ、ない……身体が勝手に動いた……それに」

「それに?」


 タンクトップにスパッツという、動きやすそうな服装の少女。

 倒れたままのアリス……


「……やっぱ言いたくない」

「教えないと、とどめをさすわ」

「推定命の恩人に、鬼か……」


 苦笑する。

 まっすぐに無垢な瞳でルイスを見上げる少女。


「……あんたが、ひとりきりだったからだよ、アリス」


 有栖川のクローンだと言う彼女。自分以外の……七七人の姉妹たちと袂を分かったアリス。今日までに、一瞬でも孤独でない時間があっただろうか? 創造者――有栖川博士から見放された彷徨える子羊(ストレイシープ)……彼女はたったひとりだ。


 ルイスをみにくいアヒルの子と呼んだ残酷な少女。

 思うところはある。

 しかし恨む気持ちは、起きなかった。


「やすい同情ね」

「そうだよ……」


 そう答えると、アリスは視線を外す。

 彼女は虚空を眺める。


「天には星が。地には花が」

「……?」


 唐突な言葉。

 弱々しい独り言のようなつぶやき。


「そして人には愛が(・・・・・)


 有名な言葉だった。

 天に星、地に花、人に愛……


「……では私たちには、何があるのかしら……」


 虚空に向けて諳んじる形で彼女は心から問いかける。その答えのない空虚な問いこそが、彼女のストレイシープ・コンプレックス……


 彼女は、クローンは、何を持つのか。

 そしてその手で何を残せるのか。


 ……神のみぞ知る。

 そう思えた。


「アリス」


 名を呼ぶと、クローンの少女はルイスを見上げた。


「怪我は、ないんだな?」


 ちいさくうなずく少女。

 ルイスはほっと息を吐いた。


「なら、よかった…………」


 そう言って、膝から崩れ落ちる。

 ドーム越しに陽光を吸った、温かな土の感触があった。


 ……まずい所を撃たれたようだ。

 そこから身体中の血が抜け出ていくような錯覚を覚える。


 油断すると途切れてしまいそうな意識の中、口を開く。


「……こんなザマだ。邪魔はできない。さっさと……どこへなりとも……」


 行けばいい。


「…………、」


 大地に抱かれるように横たわるルイスに向けて、アリスは口を開く。


「ヒューマニズムを持つのは人間だけ。そう聞いたことがある」


 優しい声だった。


だからあなたはきっと(・・・・・・・・・・)世界で一番(・・・・・)完璧な人間よ(・・・・・・)


 少しも嬉しくない言葉。

 どころか、忌むべき言葉……そう思えた。


 ……それなのに。


「は……そうかよ……」


 涙が出そうだった。


 そんな言葉を手向けた少女の優しさがヒューマニズム以外の何だというのか。

 ……笑えた。

 そんな場合ではないというのに……おかしくてしかたがなかった。


 腹部に巣食っていた灼熱の感触が、気づけば消えていた。

 身体の感覚がひどく遠く感じる。


 霞んでいく視界の中、屈んで駆けるアリスが遠ざかっていく。

 城跡公園の木々の向こうまで消えていく。


 銃声は二度と聴こえなかった。


 どうにか見送ってから、重いまぶたを閉じる。

 まぶたの裏に、三人の少女たちのことを描いた。


 無事だろうか? 今すぐにでも確かめに行きたい……

 許されることなら、もう一度……


(……もう一度、どうしたいって言うんだ、おれは……)


 みにくいアヒルの子である、自分が。

 彷徨える子羊たちの中で、何を。


 答えの出ない問いを胸に抱きながら、意識を手放す。


 …………。

 ……………………。


 それからどれほど経ったか。


「――、――!」


 声……


 声が聴こえた。

 誘われるようにして、ルイスは意識を取り戻す。


 はじめ、幻聴だと思った。


「……センパイ……センパイ!」


 幻聴でもいい。

 そう思って、重いまぶたを開く。


 すぐ側に――迷彩柄。


(……キッカ?)


 どこにそんな力が残っていたのか、知らず、ルイスは手を伸ばしていた。

 その少女はおずおずと、跪いて、ルイスの手を両手で抱いた。


 温かかった。

 そこには紛れもない生命があった。


 とくん、とくん、とくん……


 彼女の中で刻まれる命の音を、皮膚越しに聴いた気がした。

 聴いたことはないが――それは穏やかな潮騒のようだと、そう思った。


 ぽたぽたと、ルイスの手に、雫が滴る。


「センパイ……ひ、ひどい怪我、して…………」


 涙を流すキッカ。

 その涙を拭ってやろうとする。けれど手が動かなかった。


 ただそのことが口惜しくて……


「……う、ぁ……」


 視界が温かな感覚によって潤んでいく。

 悔しかった。彼女の涙を拭えない自分が。


「センパイっ……痛むのか? ああ、あ……どうしよう…………! ……ま、待ってて、いますぐ、誰か呼んでくるから……っ」


 言って、彼女はルイスの手を手放そうとする。

 けど、ルイスは渾身の力でその手を掴む。


 今はただ、少女の温かな感触を感じていたかった。

 ただただ、そこに居てほしかった。


 けれどそれは叶わぬ願いだった。


 渾身の力であったはずのルイスの手。

 しかしなんでもないように、キッカはそれを解く。


「だいじょぶ、きっとだいじょぶだから……! だから待ってて、センパイ!」


 腹部からの出血は、少女の手を掴むだけの力すら、奪っていた。

 潤む視界の中、ちいさくなる少女の背を見て、そして――


 やがてルイスは見た。

 キッカは気づいた様子もなかったが、もうひとつの人影(・・・・・・・・)があった。


 人影は遠い場所からルイスたちを見ていた。


 いつからそこに? 果たして誰だろう?


 ぼやけた視界の中でその正体を探る。

 夢かと、思った。あるいは見間違いかと。


 アリスが少しだけ齢を重ねたような、少女と女性の間に位置するような――少しだけ大人びた顔をした、女性の姿があった。


 上役の言葉を思い返す。


『生きていれば二三才』


 理解が満ちる。

 キッカはおそらく、彼女に連れられて――


「……ぁ……、………………………………」


 ルイスはその呪われた名前を呼ぼうとするも、叶わない。

 まぶたが重くなり、ゆっくりと意識が遠のいていく。


 ただ見ているだけの人影を、意識が途切れる瞬間まで、見ていた。

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