人には愛が……11
そして――
ルイスは、見た。
少女のずっと背後。
荘厳な小田原城よりも遥か先。
一瞬だけ見えた点のような光。
先日押収したばかりだからか、ドーム越しに陽光を受けて反射するそれの正体がわかる。
狙撃銃のスコープだ。
その銃口が向かう先がどこかなど考えるまでもなかった。
「ア――」
少女の名前を呼ぼうとする。しかしそれより早くルイスの身体が動いていた。
テイザーガンを手から離し、駆け出して、表情を変えないアリスの前へ。
勢いを利用する形で彼女の身体を突き飛ばす。
「きゃ――」
可愛らしい悲鳴。その少しだけ後、
「――――――」
腹部から背に掛けて、灼熱の感触。
遅れて、タァァン! という鋭い銃声が、ドームの中に反響した。
人間の聖域であるプリンタードームに持ち込まれた狙撃銃。
アリスを狙った銃撃の下手人の正体は? ……心当たりが多すぎる。テロリスト、六課、H.A.C.O.……あるいは別のアリスか。
まったく。
敵ばかりだな、あんたは――
刹那の間、そんなことを思った。
「ルイス…………」
突き飛ばされ、倒れたままのアリスがルイスを見上げ、口を開く。
「ルイス……血が。血が出てるわ……」
「……知ってるよ」
応えると、口からごぽりと血が零れた。
「ルイス……痛そうだわ」
「……そうだろうね」
腹部を貫いた灼熱の感触はやがて、蝕むような痛みに変わりはじめる。
「……どうして。なぜ。私をかばったの? かばう理由がどこにある?」
もっともな問い。ルイスは笑おうとして、失敗する。
ゴホ、と血を吐く。微かに咳き込んでから、
「考えたわけじゃ、ない……身体が勝手に動いた……それに」
「それに?」
タンクトップにスパッツという、動きやすそうな服装の少女。
倒れたままのアリス……
「……やっぱ言いたくない」
「教えないと、とどめをさすわ」
「推定命の恩人に、鬼か……」
苦笑する。
まっすぐに無垢な瞳でルイスを見上げる少女。
「……あんたが、ひとりきりだったからだよ、アリス」
有栖川のクローンだと言う彼女。自分以外の……七七人の姉妹たちと袂を分かったアリス。今日までに、一瞬でも孤独でない時間があっただろうか? 創造者――有栖川博士から見放された彷徨える子羊……彼女はたったひとりだ。
ルイスをみにくいアヒルの子と呼んだ残酷な少女。
思うところはある。
しかし恨む気持ちは、起きなかった。
「やすい同情ね」
「そうだよ……」
そう答えると、アリスは視線を外す。
彼女は虚空を眺める。
「天には星が。地には花が」
「……?」
唐突な言葉。
弱々しい独り言のようなつぶやき。
「そして人には愛が」
有名な言葉だった。
天に星、地に花、人に愛……
「……では私たちには、何があるのかしら……」
虚空に向けて諳んじる形で彼女は心から問いかける。その答えのない空虚な問いこそが、彼女のストレイシープ・コンプレックス……
彼女は、クローンは、何を持つのか。
そしてその手で何を残せるのか。
……神のみぞ知る。
そう思えた。
「アリス」
名を呼ぶと、クローンの少女はルイスを見上げた。
「怪我は、ないんだな?」
ちいさくうなずく少女。
ルイスはほっと息を吐いた。
「なら、よかった…………」
そう言って、膝から崩れ落ちる。
ドーム越しに陽光を吸った、温かな土の感触があった。
……まずい所を撃たれたようだ。
そこから身体中の血が抜け出ていくような錯覚を覚える。
油断すると途切れてしまいそうな意識の中、口を開く。
「……こんなザマだ。邪魔はできない。さっさと……どこへなりとも……」
行けばいい。
「…………、」
大地に抱かれるように横たわるルイスに向けて、アリスは口を開く。
「ヒューマニズムを持つのは人間だけ。そう聞いたことがある」
優しい声だった。
「だからあなたはきっと、世界で一番、完璧な人間よ」
少しも嬉しくない言葉。
どころか、忌むべき言葉……そう思えた。
……それなのに。
「は……そうかよ……」
涙が出そうだった。
そんな言葉を手向けた少女の優しさがヒューマニズム以外の何だというのか。
……笑えた。
そんな場合ではないというのに……おかしくてしかたがなかった。
腹部に巣食っていた灼熱の感触が、気づけば消えていた。
身体の感覚がひどく遠く感じる。
霞んでいく視界の中、屈んで駆けるアリスが遠ざかっていく。
城跡公園の木々の向こうまで消えていく。
銃声は二度と聴こえなかった。
どうにか見送ってから、重いまぶたを閉じる。
まぶたの裏に、三人の少女たちのことを描いた。
無事だろうか? 今すぐにでも確かめに行きたい……
許されることなら、もう一度……
(……もう一度、どうしたいって言うんだ、おれは……)
みにくいアヒルの子である、自分が。
彷徨える子羊たちの中で、何を。
答えの出ない問いを胸に抱きながら、意識を手放す。
…………。
……………………。
それからどれほど経ったか。
「――、――!」
声……
声が聴こえた。
誘われるようにして、ルイスは意識を取り戻す。
はじめ、幻聴だと思った。
「……センパイ……センパイ!」
幻聴でもいい。
そう思って、重いまぶたを開く。
すぐ側に――迷彩柄。
(……キッカ?)
どこにそんな力が残っていたのか、知らず、ルイスは手を伸ばしていた。
その少女はおずおずと、跪いて、ルイスの手を両手で抱いた。
温かかった。
そこには紛れもない生命があった。
とくん、とくん、とくん……
彼女の中で刻まれる命の音を、皮膚越しに聴いた気がした。
聴いたことはないが――それは穏やかな潮騒のようだと、そう思った。
ぽたぽたと、ルイスの手に、雫が滴る。
「センパイ……ひ、ひどい怪我、して…………」
涙を流すキッカ。
その涙を拭ってやろうとする。けれど手が動かなかった。
ただそのことが口惜しくて……
「……う、ぁ……」
視界が温かな感覚によって潤んでいく。
悔しかった。彼女の涙を拭えない自分が。
「センパイっ……痛むのか? ああ、あ……どうしよう…………! ……ま、待ってて、いますぐ、誰か呼んでくるから……っ」
言って、彼女はルイスの手を手放そうとする。
けど、ルイスは渾身の力でその手を掴む。
今はただ、少女の温かな感触を感じていたかった。
ただただ、そこに居てほしかった。
けれどそれは叶わぬ願いだった。
渾身の力であったはずのルイスの手。
しかしなんでもないように、キッカはそれを解く。
「だいじょぶ、きっとだいじょぶだから……! だから待ってて、センパイ!」
腹部からの出血は、少女の手を掴むだけの力すら、奪っていた。
潤む視界の中、ちいさくなる少女の背を見て、そして――
やがてルイスは見た。
キッカは気づいた様子もなかったが、もうひとつの人影があった。
人影は遠い場所からルイスたちを見ていた。
いつからそこに? 果たして誰だろう?
ぼやけた視界の中でその正体を探る。
夢かと、思った。あるいは見間違いかと。
アリスが少しだけ齢を重ねたような、少女と女性の間に位置するような――少しだけ大人びた顔をした、女性の姿があった。
上役の言葉を思い返す。
『生きていれば二三才』
理解が満ちる。
キッカはおそらく、彼女に連れられて――
「……ぁ……、………………………………」
ルイスはその呪われた名前を呼ぼうとするも、叶わない。
まぶたが重くなり、ゆっくりと意識が遠のいていく。
ただ見ているだけの人影を、意識が途切れる瞬間まで、見ていた。
 




