表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ストレイシープ*コンプレックス  作者: 七緒錬
第四章 人には愛が
31/34

人には愛が……10

 ルイスにはアリスの口にした言葉の意味がわからなかった。


「人間の記憶を洗浄して……クローンとして保護させるって……」


 理性がそれをゆっくりと認識し、感情が理解を拒んだ。

 だってそれは、あまりにも、罪深すぎる。


 クローンの中に人間を潜り込ませることで、人間に都合の良い状況を作るように画策させる――そこまでは理解できない話ではない。そのみにくさ(・・・・)は如何にも人間らしい。


 しかし人の記憶を奪ってクローンの中に送るという行為には、底のない悪徳に対する嫌悪の予感を抱くことしかできなかった。


 いや……待て。

 記憶がないのであれば。


「そんなことして、何になるって言うんだ……ドームの中で暮らして……クローンとして育つ……だけじゃないか」


 人間としての記憶がないなら、人間に都合の良い振る舞いをするはずがない。

 そう言うルイスに向けて、アリスはちいさくうなずく。


「そうね。だから人間特有の弱点を使う」

「弱点だって? それは」

「家族よ」

「――――――」


 絶句する。

 家族。


 なんて聞き馴染みのない言葉だろう。

 なんて羨ましい言葉なのだろう。


「潜入させた人間に、本当の家族の情報を与える。本来の居場所のことを教える。

 クローンには存在しない、受け継がれてきた血の存在を、命のバトンを、自覚させる。するとね、知らない家への帰属本能とでも言うべきものが芽生える。会ったこともないはずの家族の夢を見るようになる。母の夢。父の夢。兄弟や姉妹の夢をね……」


 アリスは言った。人間は、みにくい(・・・・)と。

 度し難い行為。それは決して荒唐無稽な試みとは思えなかった。


 記憶を洗浄した人間をクローンに紛れこませ、成熟した者に外の世界の居場所を与える。血の繋がり、帰属本能……それがどれほど強力な物なのかはわからない。けど有栖川が生んだクローン種という生まれながらにして孤独な生命にとって……その自覚を持つ者にとって……孤独に生まれ落ちてきたわけじゃないという希望は、誰かに望まれて生まれたという事実は、どれほど大きな存在になるだろう?


 その希望とは、心の麻薬に他ならないように思えた。


「………………………………」


 アリスが語ってきたこと、現実味を帯びて聞こえる。

 その上で――ふたつの疑問があった。


「……どうして、それをあんたが知っている?」

「他のアリスが仕組んだことだから」


 なんてことないように言う。姉妹の仕業であると。

 記憶を洗浄した人間をクローンとしてクローンの都市に紛れ込ませる……最悪の企み。七八人の姉妹たちの誰かが描いた絵図なのだ、それは。


 ルイスは息を吐く。それからふたつめを尋ねた。


「もうひとつ。どうして、それをおれに教える」

「記憶を洗浄された人間のひとり――それがあなただからよ(・・・・・・・・・・)


 アリスと名乗った少女は、あまりにもあっさりと、そう言い放った。


「………………、………………」


 ……人間の記憶を洗浄してクローンとして保護させる。

 おまえはその悪魔の所業の成果であると、そうアリスは言った。


 ――予感はあった。彼女がその話をした時から、あるいはと思っていた。

 記憶を洗浄されてクローンたちの都市に、クローンとして投げ込まれ……

 いずれ立場を得ていった暁には、忘却した記憶を人質にされる運命にある……


 どうしようもなく哀れで無力な人間……

 そのひとりが、ルイスなのだ。


 ルイスは手のひらに視線を落とす。

 生命線の短い、借り物だったはずの、手のひら。


「……この銀の髪は? 傷んだテロメアのせいで、老いて白髪になったわけじゃ」

「ただの遺伝よ。――親からのね」


 遺伝。

 遺伝だって?

 なんだ、それは。


 足元が揺らいだような気がした。視界が遠くなったような気がした。


「あなたには、家族がいる」


 ルイスは瞳を閉じる。強く強く、暗闇の世界を睨めつける。


「あなたには、帰れる場所がある」


 両手で握りこぶしを作る。ぷるぷると震えるほど力強く握る。


「あなたには、傷んでいないテロメアが、長い人生がある」

「よせ……」


「あなたには、子を持つ資格がある」

「やめろ……」


 黙ることなく、彼女は言った。聞きたくなかった言葉を。


「あなたは――――苦悩する子羊(ストレイシープ)ではない(・・・・)


 瞬間……深く閉じられた瞳の中、よぎった顔があった。

 自分を監督生と慕う三人の少女の顔。上役の顔。リーヴァの顔……


 ルイスにとって短くはない時間を過ごして築いてきた絆。

 ルイスが人間だと言うなら、それらは――まるで茶番じゃないか。

 だってルイスは、苦悩する羊では、ないから。


 望まれて生まれ落ちた生命だから。

 望まぬまま造られた彼女たちと……何を分かち合うことができるというのだろう。


 今日まで分かち合えていたことは全部、偽りの上にあったのだ。

 虚飾の絆。そう思った。


 そしてそれは、きっとルイスに限った話ではないのだ。


(……そうか。都市に投げ込まれた人間は……人であることを教えられた者は……みんな、こんな苦しみを抱くのか……)


 クローンの中で心を培った者が抱く、共通した苦しみなのだと判った。

 それはまるで彷徨える子羊の苦悩のようで……けれど違っていることを知ってしまった。


「……苦悩する子羊でないなら、おれは一体、なんだ……?」


 答えを期待した問いではなかった。つい発してしまっただけの言葉。

 それに、アリスの声が返ってきた。


「差し詰め――みにくいアヒルの子(・・・・・・・・・)ね」


 アヒルの群れに紛れ込んだ白鳥の雛。

 皮肉の効いた答えに、ルイスは、そっと瞳を開く。


 表情のないアリスが目の前に立っている。


「どうして! ……どうしてそれを、おれに……教えた!」


 さっきと同じ言葉。

 さっきとは違う意味で尋ねた。

 アリスにはそれが伝わった様子だった。


「他の誰よりも先に、あなたの力になる」

「力だって?」

「家族のことを教える。探してみせる。必要なら面会の手筈も整える」


 本来のルイスの居場所。

 帰るべき場所のことを、彼女は見つけると言う。


「…………その見返りにあんたは、なにを求める?」


 長々と語ってきた、彼女のその真意。

 シンプルな解答が返ってきた。


「この場を見逃してもらう」


 用意周到にプリンタードームに潜入したアリス。彼女にとってイレギュラーになったのが、たまたま居合わせて行動を起こしたルイス班だったのだ。


「飲むと思うか? そんな条件」


 ルイスは懐のテイザーガンに手を這わせる。


「おれは、風紀委員、仙台ルイス(・・・・・)だ」

()()()()()()()()()()()?」

「……、……第一、あんたの話を信じてやる理由もない」


 テイザーガンをアリスに向ける。

 アリスはしかし、動じない。


「信じる信じない、ではない。受け入れるか投げ出すか」


 身を切るような言葉を浴びながら狙いを定める。仕損じる距離ではない。

 けれど……


 風紀委員としての役目。

 それを果たそうとする自分。


(……本当にそれで良いのだろうか?)


 良いはずがない。でも、だったら、どうすればいいというのか。


 キッカたちの期待を裏切って、アリスの逃亡に手を貸せばいいのか。

 キッカたちの期待はしかしルイスが同族――クローン種であるから抱かれたもので……その身が記憶の洗浄を受けた人間だというなら、はじめから裏切っているのと同じことだ。


 アリスの言葉に惑わされずに風紀を執行するべきなのか。思考を停止し彼女の言葉を毒だと耳を閉ざして。この世界のどこかにいるという、家族の存在に目を背けて。


 人差し指をテイザーガンの引き金に掛ける。

 ――受け入れるか(・・・・・・)投げ出す(・・・・)か。

 聖なる罪深き二者択一は、ルイスの人差し指にとって、あまりにも重かった。


「どうする? 仙台ルイス――――いいえ、×××××(・・・・・)


 人名。

 本来(・・)の自分の名前を呼んだのだと判った。


 知っている……?

 彼女は人間・仙台ルイスの本名を知っている……?


 どうやって。いつ。きっとその答えは彼女が手にしている端末にあるのだろう。自分を追っていたルイスの素性を知ったから、立ち止まって対話を決めたのかもしれない。


 ×××××。


 まるで赤の他人の名前のように、その響きはルイスの耳を通り過ぎていく。

 けれどルイスの心に、残る。


 ×××××……


 同じ姓の中に、血の繋がった家族が……


「……惑わすな…………!!」


 テイザーガンを強く握りしめ、そして――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ