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ストレイシープ*コンプレックス  作者: 七緒錬
第四章 人には愛が
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人には愛が……08

 有栖川博士。クローンハザードの元凶。

 生体情報から簡易にクローンを生み出す技術を人類にもたらした天才。

 ……悪魔の子。


 そんな人間のクローンであると目の前の少女は語る。

 自らをアリス(・・・)と名乗って。


「………………!」


 不思議と疑う気にはならない。

 それよりも、そんな彼女をプリンタードームの中へ侵入することを許している現実をどう考えるべきか。


「……有栖川の命で動いているのか」

「ふ……」

「……? なんで笑う?」

「おかしくて。クローンがオリジナルと仲睦まじくワルツでも踊っていると?」


 すべからく、それらの関係は険悪である――そう言いたいのだろう。

 確かにクローンハザード以後に自我を得てきたクローンの多くはそうだ。けれどルイスは数少ない例外、××王国の王女のクローンであるリーヴァという存在を知っている。


 それに、何より……


「有栖川にクローンがいるのなら……それには何か意味がある」


 クローンハザードは全人類を(おびや)かした空前絶後の人災だ。有栖川自身がその被害にあって、目の前のアリスが生まれた可能性がないとは言えない。……けれどそれよりも有栖川が独自に生み出したクローンと考えるほうが自然なように思えたのだ。


 だって有栖川はクローンハザードの元凶だ。

 自らもその被害を被っていた、などと。

 上役ならこう言うだろう――面白くもない(・・・・・・)、と。


「意味がある、ね。……ふん、なるほどそう思うのも無理はないわね」

「違うって言い張るのか」

「ええ、残念ながらね。私は自分だけの意思でここにいる……」


 アリスは肩をすくませる。


「七八人よ」

「……? ななじゅうはち……? その数字は、なに?」

有栖川のクローン(アリス)の数」

「……は?」


 完全に想像を逸脱した言葉だった。


「クローンハザードの少し前、有栖川は自分のクローンを七八体造りAIによって三年掛かりで複数の言語と数多の文化圏の風俗を教育、その後に放棄した」

「…………、…………」


 まともな言葉など、出るはずもなかった。


「どうしてって思う? 思うわよね。それが自然よ、有栖川の行動は完全に常軌を逸している。放棄されたことによって、私たちはあらゆるクローンが抱く命題に直面した。

 それは、彷徨える子羊の苦悩ストレイシープ・コンプレックス


 ストレイシープ・コンプレックス。


 その響きはどうだ、ルイスの胸の中に、自然と収まった。

 あるべき言葉を見つけたような気がした。


 人への葛藤。傷だらけの生。答えのない問いかけを重ねる日々。

 造られたルイスたちが胸に抱いているそれは、彷徨える子羊の苦悩ストレイシープ・コンプレックス……


「苦悩した七八人が直面したのは、生まれて初めての、大喧嘩だった。

 有栖川に見捨てられたと泣くアリスがいた。

 有栖川に試されていると諭すアリスがいた。

 有栖川に復讐を誓うアリスがいた。

 ぶつけ合う感情(コンプレックス)は七八通り存在した。まさしくそれは大喧嘩だった」


 過ぎ去った過去を語る冷めたい声音で、アリスは言葉を続ける。


「七八人のアリスは道を違え、それぞれの形で苦悩(コンプレックス)と向き合うことになった。やがて一部のアリスは複製機――『アリスプリンター』を利用した」


 黙って聞いていたルイスであったが、その言葉で一つの想像を働かせる。


 有栖川のクローンである七八人のアリスが生まれたのはクローンハザードの前。有栖川に放棄されたアリスたちは苦悩し、その一部は人類の叡智になりえたアリスプリンターを利用(・・)したという。


 それは――つまり。


「……それじゃ、クローンハザードが起きたのは……たとえばアリスプリンターの設計図が流出(・・)したのは……」

ええ(・・)そうよ(・・・)


 淡々と、ルイスの想像を肯定する。

 人類史上最悪の人災の一端を、彼女たちは担っていると。


「――――――、」


 ルイスは息を呑んで、

 ちいさく苦笑した。


「……はた迷惑な姉妹喧嘩ってわけだ」


 ……他にどんな言葉が言えるというのか。

 責めるべきなのだろうか、彼女たち(アリス)を。自分たちが居なければクローンハザードは起きなかったかもしれないと認める少女を。その権利はルイスの手の中に――人間(だれか)からの借り物(・・・)である肉体の中にあるだろう。けれど、とてもそんな気にはならなかった。


 だって、それは時間の問題だったように思うのだ。

 順序という些細な問題はあれど、技術が生まれた以上、クローンハザードは起きるべくして起きたことなのだと、そう思えたからだ。


 有栖川のクローンたち(アリス)を責めることは、アリス論文を書いた有栖川を責めるのと同じくらい、短絡で見境のないことのような気がした。


 アリスはその稚い顔に微かな微笑みを浮かべる。


「姉妹喧嘩、ね。……ものは言いようね。

 七八人の姉妹のうち、有栖川の命を狙う者、心酔する者たちの間で抗争が絶えない。クローンハザード以後、国家間の疑心暗鬼も手伝って、それはよりきな臭い事になった。本来“アリスチャイルド”という言葉は、有栖川を追うアリスのことを示していたの」


 それが転じて、クローンの存続を願う者を指す言葉になり、さらにその悲願の為にテロを起こす者を指す言葉に変わっていった……そういうわけか。


 アリスを自称する少女によってもたらされた、荒唐無稽な、誇大妄想にも思える言葉。ルイスにはしかし、それを疑う気にはなれなかった。


「……アリス。あんたはなんで今、オダワラのプリンタードームに?」


 アリスは窮屈そうに太ももの辺りで皺を作っていたスパッツの端を引っ張る。伸縮して太ももを叩く『ぺち』という場違いなほど健康的な音がした。


「先日の××王国のリーヴァがやってきた一件を傍受していた」


 腑に落ちる。リーヴァは口にしていた。有栖川の所在の情報と。


「その情報がフェイクである可能性は高い。たとえば姉妹(・・)たちの中には、『顔』を利用して自身を有栖川と語り、アンダーグラウンドを渡る者もいる」

「……とんでもない話だな」

「でも、いずれにしても放ってはおけないと思った。だから私はオダワラに潜んでいたアリスチャイルド(過激なクローン)と接触、取り引きをした」

「取り引き?」

「プリンタードームへのハッキングを行い何体かのバックアップクローンの開放を手伝う。代わりに私はリーヴァと接触する為の手段を得る。そういう約束」


 リーヴァへの接触。アリスチャイルドにそれが出来るのか、疑問ではあった。

 ルイスのその疑問に、アリスはちいさくうなずいて見せた。


「この約束は果たされる必要はない。リーヴァが訪れたフラーレンでクローン絡みの事件を起こせば××王国の手の者は自然とそれを知る。後は何もしないでも、向こうから有栖川のクローンである私に接触してくるはず。……本当に有栖川の情報を掴んでいるのであれば」


 それで――プリンタードームへ侵入したわけか。


 蛇のような企みだった。

 しかしふと、気にかかることが生まれた。


「……なぜ、おれに、そこまで話す?」

「………………」


 まっすぐにルイスを見つめていた目線が外れる。その先を追う。

 小田原城の天守閣がある。荘厳な城を見ながらアリスはつぶやくように言った。


人間(ひと)は、みにくい(・・・・)


 それはルイスの問いに対する答えではなかった。

 風紀委員という立場上、いや、クローンという出自上、分かりきったことだ。


 人間が綺麗な生き物であるならば、自分たちは生まれてこなかった。

 彷徨える子羊の苦悩ストレイシープ・コンプレックスを抱くことも。


 けれど……アリスの口にするみにくさ(・・・・)とは? そしてこのタイミングで言う理由は? 沈黙することで言葉の先を促す。


「ドーム型都市に隔離されたクローン。管理の為に首輪がつけられた。ドームの外に出ても、クローンであることは、これを見れば明白」


 自らの生命を代価とし、首輪からの開放を求めた者たちの存在を思い出す。

 抑圧(コンプレックス)は彼らをそうまで追い詰めていたのだ。


「でもそんなクローン保護のための首輪という魔法には、ある欺瞞がある」

「欺瞞……?」


 そう、と応える彼女の表情は、微笑んでいる。

 微笑んでいるのに――ひどく温度のない表情だと感じた。


「人の群れの中に、首輪を外したクローンが紛れたら?」


 たとえ話。現実には起こり得ないこと。

 ルイスはうなずく。


「……わからないだろうね」


 クローンとは人間の複製だ、外見に差違があるはずがない。

 アリスは、視線をルイスに戻す。まっすぐにルイスを見ながら彼女は言う。


「では逆は?」

「逆?」

「クローンの群れの中に、人間が、紛れたら?」

「…………、……え……?」


 考えてもみなかった言葉。

 クローンの中に、人間……


「ドームの中で、クローンと人間とを見分ける方法は、なに?」

「それは。もちろん、首輪が……」


 はっとする。

 アリスの言わんとしていることに気づく。


「首輪をつけた人間が紛れ込んでいても、わからない。そう言いたいのか」


 アリスは首肯する。


 確かに、ドーム型都市の中、首輪をつけた人間がいたとしたら……

 ルイスには……いいや、どんな者であっても、見分けられない。


 予め聞いていなければ、誰をも欺むくことができるだろう。


(……でも)


 ルイスは首を振る。


「それは……おかしいよ。クローンの保護には、厳正な調査がある……」


 たとえば違法量産された者の保護。より近いフラーレンで保護され、名前を得て、全国八つのフラーレンへと移送される。


 すべてのフラーレンで極力同数のクローンを負担するという試みの中には、保護対象を何度も調査することで、クローンの情報をより確かな物にしていくという側面があるのだ。偽ることは不可能と言っていい。


「第一、意味がない……首輪だけで事足りる話じゃないか」


 バイタルや脳波……どころか音声すらもモニターできる首輪。ドームで暮らす全てのクローンにつけられた枷。言動を制限するのは、それだけで十分に思えた。


 しかしアリスは首を振る。


「首輪の発する情報を改ざんする術は、当然ある」


 どうやって。

 そう言おうとしたルイスは、アリスが手にしたままの端末を見る。


「気づいたようね。今この瞬間も、私はそれを続けている。私たちの言葉は風に溶けて消える。私たちの他に聴く者はどこにも存在しない。……あなたがどこかに連絡を取ろうとしても、繋がらない」


 ……それで堂々と踏み込んだことを話すわけだ。

 ルイスはちいさく舌打ちする。


「この国の人間はクローンのドームの管理を成熟したクローンに一任すると言っている。そうした立場あるクローンには専用の区画が用意されている。H.A.C.O.の政治部や生徒会と呼ばれる者たちの領域ね。そこでは首輪の発信する情報が意図的にカットされている」


 眉根を寄せるルイスに向けて、アリスは言う。


「人間と交渉するような場合、彼らが困ることになるかもしれないから」

「……!」


 人間の損益、都合によって使い分けられている首輪……最悪な話に思えた。


「首輪の発する情報をそんなに当てにはしていない。なぜなら彼ら自身が改ざんする術があることを知っているから。

 そこで彼らは人間(お仲間)をクローンの中枢に潜り込ませることで、人間(自分たち)とクローンのバランスを保とうとしている」


 H.A.C.O.というクローンたちの組織が一枚岩でない事は知っている。今日だってルイスたちがプリンタードームまで訪れる羽目になったのはそれが原因だ。しかし、その不和が人間側の都合である程度コントロールされているのだとしたら……


 ありえない話ではないように思えた。


 では果たして、どうやって、人間をクローンの中に潜り込ませるのか。

 告げられた言葉は恐るべき物だった。


「対象――入り込む人間の記憶を、洗浄して、よ」

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