人には愛が……04
監視カメラの中に複数の人影を見つけたことを報告すると、応じる上役の声には即座に緊張が含まれた。
『……さっき話した通りH.A.C.O.に数的なゆとりはない。六課の人間がそっちに行くという話も聞いていないし、王女の時と違っておまえたちに監視が着いてるわけでもない。今プリンタードームに立ち入ることが許されているのは、仙台ルイス、五稜郭菊花、五稜郭心子、姫路ポチの四名のみ』
「じゃ、じゃあ……あの人影は」
上役は『フン』とちいさく鼻を鳴らす。
『お手柄だ。……侵入者を見つけたわけだ』
「……!」
『面白くなってきたな、ルイス』
……言ってる場合か。
侵入者。その言葉の意味する重みにルイスは背筋が凍るのを感じる。
アリスプリンターによって新たなクローンを生成する他、造られたバックアップクローンを保護・管理するという側面を持つプリンタードーム。立ち入りは困難なはずだ。なにせ風紀委員という立場のルイスたちにも場所すら明かされてはいない。アリスプリンターの機能の重要性を考えればそれは自然なことに思える。
侵入者はプリンタードームの場所を知っていて、その上セキュリティの網をくぐり抜ける方法を持っていることになる。果たしてその目的はなんなのか。思いつく様々な可能性の中に明るい想像はひとつとしてない。最もありえそうなことはバックアップクローンの盗難だ――頭が痛くなる。
『最速でH.A.C.O.Pを向かわせる』
「……おれたちはその間、どうすれば?」
『待機していろ。おかしな動きがあれば報告。いいな?』
「わかりました」
通話を終えると、三人を代表するように、キッカが尋ねてくる。
「センパイ、それで……どうすりゃいい?」
「……待機。ここを動かず、逐一報告」
反応は三者三様だ。ポチがこくりと頷いて、ココロコは無言のままモニターを見て、キッカは不満顔で腕を組んだ。ルイスはそんな面々を見てから、監視カメラの捉える侵入者たちの姿を見る。
粗い解像度のせいで顔を観察することはできないが、いずれもが少年少女の背格好だ。数は見たところ……十六名。
内部を進む足取りはバラバラ。練度のある集団というわけではないようだ。
(……何者だ?)
果たして何の目的でプリンタードームに侵入したのか。
ルイスが想像を続けていると紅白の背広の裾を引っ張られる。肩越しに振り返ると、すぐそばにキッカが立っている。迷彩巫女の少女は迷ったように視線を泳がせてから、ルイスを見上げる。
「……アタシたち、これで、いいのかな」
「え……?」
「だから、その……」
キッカは視線をモニターに移す。侵入者たちの足はまっすぐとバックアップクローンの管理区画を進んでいる。
ルイスは別のモニターを見る。
高所に設置された無数の監視カメラが俯瞰する、広大な空間がある。数多のコンテナのような物が立ち並んでいる。中身は培養槽だろう。
そしてその中には――眠り続ける無数のバックアップクローンがいるのだ。
「アタシたちで、止めることはできないかな」
モニターを見上げたままキッカはそう言った。
止める。自分たちの手で。
キッカらしい言葉。ルイスには思いつかなかったことだ。
上役はH.A.C.O.Pを向かわせると言った。実際にたどり着くのはいつだろう? この空間がオダワラのどこにあるのかも知らないルイスには、判らない。……そもそもH.A.C.O.全体の人員不足を理由としてルイスたちはここにいるのだ。上役が動いてくれたとして、組織に迅速さを期待できるだろうか?
対して侵入者たちの目的がバックアップクローンの盗難にあるなら、時間はそう掛からないだろう。間に合わない可能性だってある。
(おれたちが動けば……最低でも時間稼ぎにはなる、けど……)
やってみる価値はあるかもしれない。けれど、
「独断専行だよ、それは……」
ルイスは深い息を吐いて、そう答えた。
「でもさ!」
「キッカ、落ち着くの」
くぐもった声が嗜める。
ガスマスク越しのココロコの声だ。
「キッカの関心は、奪われてしまうかもしれないクローンたちにあるの。それはいいの」
ココロコは「でも」と言って、
「――だったら、彼らの邪魔をしないことがベストなはずなの」
「!? さらわれるかもしれないんだぞ! どこがベストだって言うんだ!」
怒気を孕んだ声で言うキッカ。
対するココロコは対象的で、あくまでも淡々としている。
「だってそもそも、流出でもしない限りは、オリジナルのスペアでしかないの」
「……!」
「スペアでしかない肉体に自我はないの。自我のないクローンを救うことはできないの。……それともキッカは、わたしたちのような自我を得ないまま消費されることが救いだと考えているの?」
「な……」
痛烈な言葉だった。
けれど紛れもない事実だった。
冷たい現実。ルイスたちは検体の流出や違法量産されたの後に保護されたクローンであり、誰かが望んでこの世に生を受けたわけではない。オーダーメイドというポチのような例外こそあれど、彼女だって誰かの代わりとして造られて、結局は一ミリの愛も向けられずにルイスたちの隣に立っている。不自然な生命なのだ、クローンとは。人間の不手際によって自我が付随し、今のルイスたちのような存在が育った。
ルイスたちはその事実を言葉にならない複雑な心境で受け止めている。
時に呪い……時に呆れ……時に嘆き……
折り合いをつけて、生きる他ないのだ。
ココロコの言う極端な言葉にも、だから一理はあると言えた。
(そんな理不尽に、折り合いをつけなくちゃ生きていけない。それは確かに……)
不幸なことなのかもしれない……
ルイスにはそう思えた。
「……だからって! さらわれるのを見過ごした方がいいって、そう言うのか!?」
ココロコはちいさく首を振る。
「わかんないの」
「わからない、って……」
「わかるわけないの、そんな難しいこと」
「じゃあ!」
「でも、黙っていることはできるの」
肩をすくませてココロコは言葉を続ける。「キッカ、ひとつ言える確かなことは、この場の感傷で行動するのは、とても軽率ということだけなの」
キッカは拳を握る。目を伏せ、ポチを見た。
「……ポゥ、ポチ子! ねえ……あんたはどう思う?」
問われたポチはモニターから目を離すことなく、
「どうかしていますよ、キッカ」
諭すような口調。
キッカは叱られた子犬のように身をすくませた。
「我々は“待機”というミッションの渦中にある。無駄口は慎むべきです」
厳しい口調。
そのことが、彼女の胸にも余裕がないことを示しているように思えた。
当然の話だった。バックアップクローンを流出させかねない者たちをただ、黙って見ていることしかできないのだ。それしか、許されてはいないのだ……
何も思う所がないはずがない。
「……っ、…………、…………!」
キッカは何かを言おうとし、けれど口を閉ざし、モニターを強く睨む。
侵入者たちは立ち止まる様子も見せず、ただ施設を歩いて行く。
モニターの中を横切っては次のモニターに姿を現す。
それを何度か繰り返した時。
「………………パイ」
吐息のような声。すぐに、二度目が発せられる。
「センパイ……」
「うん……?」
ルイスはキッカの呼ぶ声に応える。
迷彩柄の巫女装束を着た少女は、たどたどしく言葉を紡いでいった。
「ココロコやポチ子の言う通りなのは、わかる。わかるよ……自我のないクローンを救うことはできないってこと……命令された待機以上のことをするべきじゃないってこと……それが正しいって、判るけど……」
再びルイスを見上げて、そして言うのだ。
「それでも、アタシは、助けたいって思う……」
ルイスはそれに、「そうか」と応える。
「センパイは、やっぱりさ……ココロコやポチと同じ気持ち……なのか?」
キッカの頭に、ルイスは手を伸ばす。ぽん、と頭の上に手のひらを置くと、その拍子に左右に結われた髪がふわりと揺れた。
「キッカ。それを言うなら、ひとつ誤解してる」
「誤解……?」
「ココロコもポチも、キッカとおんなじ気持ちなんだよ」
「ぇ……」
痛烈な言葉を口にしたココロコ。
余裕なくキッカを叱ったポチ。
内心でどう考えているかなど考えるまでもない。
(……それでも、ふたりはキッカより少しだけ先に……保護されたから)
その時間の分だけ、持て余した感情の波を、理性によって押さえ込む術を知っている。だからこのあまりにも不条理な待機の中、キッカを窘めることができる。
「………………」
「………………」
勝手に心を代弁されたふたり。しかしルイスに異を唱えることはしないでいる。
そのことでキッカは、ルイスの言葉が確かなのだと悟ったようだった。顔を伏せて、沈黙し、そして三度――ルイスを見上げる。
赤くなった頬。両目には涙を溜めていた。
「…………センパイはさ、アタシを助けてくれたよな……」
『首輪外し』の時のことだとすぐにわかった。
「うれしかったんだ……あの時さ、アタシは……アタシたちは生きてていいんだって、そう思えたんだ……」
「………………」
「なにが正しいのかなんてわかんない。わかんないけど――あの日救ってもらったアタシがここでぼんやりしてるのは、違う」
「………………」
無言のままでいるルイスに、キッカは真っ直ぐに言った。
「あいつらを、止めたい。
自我を持つこと――生まれてくることが不幸なことだなんて思わない。
でもだからって、あんな風に間違った形で『望まれる』のだって、違う――絶対に違う。
眠ってる奴らが不幸な形で目を覚ましちゃうのを、食い止めたい。それが先に保護されたアタシたちの……責任だって思う」
「その結果、夢から覚めることなく、永遠に眠り続けることになっても?」
「……うん」
「人の肉体のスペアとして切り刻まれる役割しか待っていなかったとしても?」
「うん」
迷いのない澄んだ瞳がこれ以上の問答の無意味さを語っていた。
強い少女。仲間であることをこの瞬間ほど誇らしく思ったことはなかった。
その髪の中に手を埋める。
「ひゃっ……なにすっ、……あーうー」
キッカの頭部を掴んでグリグリと左右に振る。
ひとしきり子供扱いをしてから、ルイスは宣言する。
「班を二分する」
「!? 待つの――!」「サー、それは――!」
異を唱えようとするふたりを遮り、
「向かうのは、おれとキッカ。ココロコとポチは引き続き、待機! 責任なんて全部、監督生のおれが取るよ」
ピシャリ、と言い放つ。
ふたりは押し黙り、制御室には沈黙が満ちる。それを破ったのはポチだった。
「そんなのは…………ずるいです、サー」
ジャージ姿の少女はまっすぐにルイスを見上げている。その目を見てルイスは頬を掻いた。ずるい……そうかもしれないと思った。
「……キッカとふたりというのも心細いかもな」
だから、よりずるい言葉を言う。
ポチは一瞬だけ目を見開いて、それから無表情に戻る。
「それは……自分も同行しろと、そう仰るんですか、サー」
「来てくれる?」
「あなたの命令ならば」
「上役からの待機命令を蹴ってまで?」
ポチは視線を逸らす。
「……その命を、直接受けたわけではないので」
「そういう避け方をするか……」
たくましい少女だった。ルイスは微笑んで、
「よろしく頼む、ポチ」
「はい、是非もありません、サー」
普段通りの無表情の中、少しだけ柔らかい空気を湛えてポチは答えた。
ルイスはそれから、ココロコに視線を向ける。
何事もなかったかのように、白ゴスガスマスクの少女はモニターを見ている。
「ココロコ」
名前を呼ぶ。ガスマスクの呼吸音が返ってくるのみで、応えようとはしない。
(ココロコは、揺るがないか)
そう考えるも、シュコー、シュコー、という音に紛れ、
「……残る者も必要なの。しょうがないから、わたしが見てるの」
そんな声が聴こえた。
「不穏な動きをしたらすぐに教えるの。心置きなく取り締まればいいと思うの」
ルイスはモニターを見上げ続けるココロコの頭に手を置く。ガスマスク越しに、少女の微熱がルイスの手のひらに伝わる。手を離した拍子にストレートの長い黒髪がちいさく揺れる。
そしてルイスは、キッカを見る。
すっかりぼさぼさになった髪のまま、ぽかん、としている。
「行こう」
言うと、少女の顔がぐにゃりと歪む。
「あ、れ…………なんだこれ……悲しくないのに…………」
ビー玉のような涙の雫がキッカの頬を撫でるように伝っていく。
ルイスがその雫を指先で拭ってやると、恥ずかしそうに背を向ける。
ごしごし……と背を向けたまま、腕で顔を拭いてから、
「……行こう、センパイ!」
真っ赤な目をした五稜郭菊花は、けれどまっさらな笑顔を浮かべた。




