光の王国……09
瞬間。
言葉を発したリーヴァ当人が倒れ込むのが見えた。
華奢な身体を後部から押し倒される形だった。
「センパイ! 伏せろ!」
キッカの声にほとんど反射的にその場に伏せる。
二度『タン』という乾いた音が聴こえた。それは七ミリのライフル弾が生け垣を貫通して敷かれたレンガを穿つ音だった。
狙撃。ドーム内で。護衛を仰せつかった王女相手に――
重く伸し掛かったその現実をどうにか飲み込む。
「ケガは!?」
ルイスは身体を伏せたまま東屋を遮蔽物にするキッカたちに尋ねる。
「……だいじょぶ! 傷ひとつ負わせてない!」
キッカが応じる。リーヴァは途端のことで驚いているのか声はない。一瞥するに確かに怪我の類は見つけられない。
「……キッカは? 大丈夫だった?」
尋ねると「へ……!?」と素っ頓狂な声が上がって「へ、へーきに決まってるし!」そう返ってきた。
ルイス自身も東屋と生け垣の合間に身体を潜めて状況を整理する。
(……狙撃。最低二発。いや、十字砲火? ……それにしては少しタイミングがズレたみたいだけど……)
同じタイミングなら着弾の音は二回は聞こえないはず。ということは未熟な手合いが――? ドームの中への侵入を遂げるような者たちの腕前が未熟とは考えにくいが……
(……それにしてもリーヴァを守るキッカの動きが迅速だった)
ルイスはそう考えながら、
「ココロコ、ポゥ! 状況!」
胸ポケットから無線イヤホンを取り出し声を向ける。通話モードにしていた携帯端末が音声を拾っているはずだ。すぐにイヤホンに返事が入ってくる。
『ココロコなの。ふたりそれぞれに別れて追ってるの』
「別れて追ってるって……場所がわかったの?」
狙撃されてから数秒と経っていない。
『別々に霊園区域を見通せる高台を確保したの。そしたらそれぞれ、違う場所に潜伏していた怪しい人影を見つけたの。数はひとりずつ。……本当は王女の言葉より早く無力化しておきたかったんだけど、ビル間の移動はしんどいの』
ココロコの声の合間合間に『びゅう』『びゅう』という風を切る音が聴こえる。おそらくは現在も全力疾走しながら話しているのだろう。
状況を理解する。
ココロコとポチは潜んでいた怪しい人物を発見。それぞれが確認に向かって動いた。それを聞いていたキッカはいつでも壁になれるよう狙撃者の位置関係を整理しながらリーヴァの側へ忍び寄っていた、というわけだ。
(……やっぱ予めつけておくべきだった)
王女の前でイヤホンを着用するのはできるだけ避けろ――というお達しだった。
(あくまで観光という名目。物々しいのはよくない、って建前はわかるけど……)
上層部からの方針だという。物々しさが礼を欠くというわけだ。ドーム型都市の内側で滅多なことは起きないという確信もあったのだろうが、
(二人が狙撃者を見つけてなかったらどうなってたか……)
ルイスは内心、ポチの『散歩』という趣味に感謝する。続く発砲がないのは撤収を決めたのか、あるいは場所を変えている為だろうか。いずれにしてもココロコ・ポチが無力化に成功できればいいのだが……
リーヴァのつぶやくような声が聞こえた。
未だ狙撃されたことへの衝撃が拭えないのだろう、微かに震えていた。
「……狙撃されたのは初めてです」
「……二度目だったら驚きですが」
ずいぶんとまあ気の抜けることを言ってくれる……
緊張が解けそうになるのを堪えながらココロコから聞いたことを説明した。
「精度の低い十字砲火……。妙ですね」
やはりそう思うか。
狙撃の対象となった当人が漏らす言葉にしては冷静過ぎるように思えたが、王女のクローンという立場が彼女の精神をそこまで鍛え上げたという現実を理解し、ルイスは場違いな疎ましさのような気持ちを抱いた。
感情を飲み込みながら「妙ですね」と応えた。
「……異なる勢力がたまたま同じタイミングで発砲した、というのは?」
「なんですって?」
思いつかなかった発想。
リーヴァの声はもう震えてはいなかった。
「それにしても、××王国がクローンに人権を与えても、またクローンの王国を作ろうとしても構わない……けれど有栖川博士の所在を耳に入れられるのは困る……そういうタイミングでしたね。果たしてそれってどこの誰でしょう?」
有栖川博士の情報。それは世界各国が喉から手が出るほど欲しい情報だった。
なぜなら有栖川博士は、クローンハザードより少し前に、世界から姿を消しているからだ。
クローンハザードが起こった後から現在においての扱いはほとんど重犯罪者のそれで、どの国もが身柄の確保は最優先としている。有栖川博士自身がこのクローンの時代を作ったわけではないにしても――それは仕方のない憎悪なのだとルイスには思えた。
ちなみに現在、世界で最も信憑性の高い噂は日本に潜伏している、というものだ。鎖国している以上は確かめようもない。悪魔の証明、というやつになる。
国内にいるルイスとしては『違うだろうな』と考えていた。ほかならぬ日本政府が最も欲しているように思えたからだ。もし有栖川博士の身柄を確保できているならきっと国のあり方は異なっていたと考える。たとえばドーム型都市にクローンを隔離するというその場しのぎ的なことには至らなかっただろう。
諸外国のいずれかに身柄を確保されてるというのも考えにくい。連合が一枚岩でないと言っても、そんな抜け駆けをする度胸が反クローンという方針を取った各国の中にあるとは思えない。
どこぞの地下深くに潜伏して独自の研究を続けるマッドサイエンティスト……ルイスの中のイメージはそんな形だった。
はっとする。
そのどこかというのが、
(……まさか××王国の……、王室と接触を果たしたってことか……?)
であるならば、リーヴァがこの国にやってきた理由としては十分に納得が行く。ルイスは身を潜めたまま、リーヴァの言葉に応じる。
「……××王国にクローン保護のノウハウが伝わるのは許せても、有栖川博士に関する情報が日本に伝わるのは阻止したい。そういう相手に心当たりが?」
「いいえ。それだけで断定することはできません。
だからもう少し、絞ろうと思います」
なに、とルイスが言う前に、リーヴァ・サンは言うのだ。
「わたくしの体内には、心臓が停止すると作動する爆弾が入っています」
「――――――」
リーヴァの言葉に思考が凍てつく。
数秒の沈黙。
イヤホンに声。
『こちらポチ。確保。今の王女の言葉が発せられた瞬間、明らかに動揺しました』
『ココロコなの、ダメなの、止まる様子がないの! も、格闘に持ち込むの!』
二つの連絡が入ったことで、動けずにいたルイスに代わりキッカが口を開く。
「……王女さん? 片方が動揺したから、確保できたって」
そうですか、とリーヴァは言って、
「では残念ながら、そちらは××王国の暗部で動いていたとみていいでしょうね」
ルイスは、察する。
(……自分の言葉、自分が聞く言葉、全部が盗聴されてるのを前提に動いて)
(……自分を餌にして交渉のカードを引き出そうとしたってことか……?)
整理すれば。
クローンの保護も王国の建造も勝手にすればいいが有栖川の情報が提示されることは阻止したい――そういう意図で動く者たちをポチとココロコが発見した。
けど彼らは別々の思惑で動いていた。
リーヴァの身体に入った爆弾が爆発することに困る相手と、困らない相手だ。
前者を王国の暗部で動く者とリーヴァは断じた。彼らが手にしている有栖川博士の何らかの情報が渡るのも、それから××王国の王女を名乗る人物がオダワラ・フラーレン内部で爆弾を抱えていることも、困る……そういう立場の人間は××王国の人間であると考えられる、と。
では後者は? オダワラ・フラーレンでの爆発すら恐れない者……その正体は?
「もう片方は多分、過激なアリスチャイルドの類でしょう」
リーヴァは伏せたままそう言った。
アリスチャイルド。
それはクローンハザード以後に誕生した国際的なテロ組織だ。元はアリスプリンターで誕生した後に逃げ続けていた者たちが名乗っていたものだったが、一部の過激な者の所為でテロ組織としての側面が肥大化していった。独自に同胞――違法に造られたクローンを保護する活動を続け、現在では日本の次にクローン種を擁していると組織であると言われている。
一枚岩でない彼らがクローン保護を謳う日本に対して持つ感情は様々だったが、敵対姿勢を持つ者も少なくはない。理由は単純で、保護はしても自由を与えるわけではないからだ。そうした者たちこそクローンの王国を築くというリーヴァに賛同するように思えたが、事はそう単純な話でもないのだろう。
しかし……
「ドーム型都市の中に……アリスチャイルドがいると?」
「きっかけがあれば、そうした考えに恭順するのも無理もないことです」
ルイスは先日の『首輪外し』に殉じようとした者たちを思い返す。
ああいった者にアリスチャイルドが接触すれば、すぐに一人前のテロリストが誕生すると言うわけだ。
(……ココロコとポチが見つけた二人だけ……ってわけじゃないだろうな)
ルイスがそう警戒を続けていると、携帯端末が震える。
上役からの着信だ。無線イヤホンを操作することで通話モードに移行する。
『ルイス。六課がドームに潜伏していた者たちを追いはじめた』
上役の言葉に(案の定か……)と息を飲む。
『やはり六課の動きは迅速だな。ハハハ面白くなってきたなルイス、おまえ達に任せてよかった』
「言ってる場合ですか……」
ちいさく応じながら視線を辺りに這わせ、警戒を続ける。
キッカに覆われたリーヴァと目が合う。眉根の寄った、何かを案じるような表情。
「……リーヴァ? なにか?」
僅かな沈黙の後、リーヴァは答える。
「……あなた達のお仲間を危険な目に合わせてしまっています」
ルイスが携帯端末に向けた言葉などから、アリスチャイルドを追う仲間……ココロコの身を案じているのだと判った。テロリスト相手に『格闘戦に持ち込む』と言っていた。
ルイスは微笑んで見せて、
「その点はまったく、どこにも、問題はないですよ」
本心からそう答えた。




