光の王国……07
その一角はとりわけ人気なく、静謐な空気が漂っている。
通称『霊園区域』。石造りの東屋を中心として広がった庭園だ。レンガの敷かれた小道に沿うように背の低い生垣が並んでいて、小洒落たチャペルの庭園を彷彿とさせる。
こじんまりとしたドーム状の屋根の下、東屋の中央にはモニュメントが立っていた。
ルイスの背丈ほどの大きさを持つそれはオブジェというよりはモノリスに近く、なにかを象った形をしているわけではない。一方で文字が刻まれているわけでもない為、見た目から『それ』がなにかを判別できる者は少ない。
「慰霊碑です」
ルイスはリーヴァに向けて、そう語る。
「クローンが死ぬとその遺体は処分されておしまいです。個々の遺品どころか遺灰すら残らなくて、埋葬の類はありません」
「………………」
「そういう運命を課したのは人間ですが、彼らには喪失を悼むだけの心の機微があったようです。だからこの場所を霊園区域と称して慰霊碑を築いた。クローン種の墓標の代わりというわけです」
リーヴァはその石造りの東屋に足を踏み入れ、慰霊碑に視線を落とす。赤フレームのメガネ越しに見える瞳からは、その胸中は伺えない。何を思い、慰霊碑を見ているのだろう。ルイスもまた慰霊碑に視線を戻す。
(……おれも、いつかは)
クローン種にとって『死』という存在は身近なものだ。
人間の都合によって造られた。だから同じように都合によって消耗される――そういう予感もあったし、もう一つ、クローン種が抱えるひとつのコンプレックスが存在する。
すなわち『クローンは短命』というジンクスだ。
クローン技術の中で無視できないそれは、テロメアという染色体の末端構造に由来する。乱暴に言えばテロメアとは細胞分裂の回数券だ。細胞の老化という現象はこのテロメアが生きていくことで少しずつ『短縮』し、細胞分裂が停止していくことで引き起こされる。
仮にもしテロメアの短縮という現象を引き止めることが叶えば、生命は老化から開放されるかもしれない……そう言われている。
クローンは生まれつきその構造が、細胞分裂の回数券――テロメアがひどく短い。
どういうことか。
クローンとは『オリジナル』が過ごしてきた年別分だけ『回数券を使った後』の、短縮したテロメアを手渡されて生まれ落ちる……
予め寿命が削られた状態で生を受けるというわけだ。
日本がクローン保護という異例の政策を取ったのは当時深刻化されていた少子化の影響があったと言われる。『クローン種を即席の労働力としてあてがう』という目論見は確かに理に適ったもののように見える。クローンハザードに次いで鎖国を強いられる局面でなおも国民が生活に不自由していない現状を見ればなるほど、当時の人間たちの思惑が間違ってはいなかったことがわかる。……正しいようにも思えなかったが。
即席の、まがい物の、老いやすくて儚い、朧な生命……
それがクローンという種だ。
(……この慰霊碑に足を運ぶ機会は、増えていくんだろうか)
クローン……儚い仲間は増えていく一方だ。ならば別れも必定。
その時自分は悼む。
そしてそれは、自分とて例外ではない。
(……いつかはおれも、その中に数えられるんだろうか)
自身の頭に指先を這わす。
メラノサイトの働きが鈍い、老人のそれのような銀の髪。
そのいびつな白さは自らの老い先を暗示しているように思えてならなかった。
(……そのいつかは、いつなんだろうか)
きっと人間ほど遠い未来の出来事でないのだろう。
クローン種にとって『死』はそれほど身近な存在だった。
「祈っても?」
リーヴァが慰霊碑から目を逸らさずに言う。
もちろん。ルイスがそう返すと、リーヴァは目を伏せて胸に手を置き、小さく頭を垂れる。それでルイスは察した。
(……彼女も、死を身近に感じているんだ)
王族のクローン。政治利用できるなんて誰だって思いつく。
オリジナルによって保護されたリーヴァ。彼女は学んで育ったという。国際世論が反クローン感情一色であることなど知っているだろう。もちろん自分の立場がどれほど不安定で危ういものなのか誰よりもよく解っているはずだ。
そうして考えてみればどうだ。
クローン保護を謳い、鎖国している国への入国……
(死をさだめだと……受け入れている……)
その上で彼女は人間とクローン種が共生している国を、その目に焼き付けるために――
……でも、
(果たして……それだけだろうか?)
いくらかしか言葉を交わしていないルイスだったが、この少女がそんな儚い感傷だけでこの国に訪れるようには思えなかった。何か別の目的があるように思えた。
それを問うことは過ぎた干渉だ。
ルイスは口をつぐんで、彼女の細い背を見守った。
「ルイス」
リーヴァは祈りの姿勢のまま、言う。
「わたくしたちは、人間と同じ天国に行けるのでしょうか?」
……答えられなかった。
ただ生きることにさえ戸惑っているルイスに、答える言葉なんて、あるはずがなかった。
「……なんて。今のは、聞かなかったことにしてください」
リーヴァは背を正し、ルイスに向き直る。
澄んだ空のような碧眼が、ルイスを真っ直ぐに捉えた。
「しかしルイス。あなたはわたくしに、訊かないのですね」
「……なにをです?」
「わたくしが、なぜこの国に訪れたのか」
(……!)
ルイスは内心の動揺を呑み込んで、小さく首を振る。
「観光と聞きました。おれはあくまで、その案内をするだけです」
「知りたいくせに」
「……そんなことは」
リーヴァは両手を背に回し、肩を揺らして笑う。
「うそつき。言葉を交わした相手のことを知りたいと思うのが知性です。……ねぇルイス、ところであなたはオリジナルとの面識はあるのですか?」
「……? ない、ですけど」
「気になったことはないのかしら。何をしている人間なのか、息災で暮らしているのか」
「それは……」
「あるんですね。……調べようとしたことは?」
――ないはずがない。身勝手にルイスを造った人間と同様にオリジナルのことを探している。暗い情念かもしれないそれを素直に答えるのは憚られた。わずかに視線を泳がせ、
「あまり。だってもう、生まれたんだ。別にいいじゃないですか」
「……ふぅん」
リーヴァは探るような目をルイスに向け、しかし詮索はしなかった。
「ではあなたの出身地……保護されたのはどこ?」
「センダイ・フラーレン、東北ですが……」
「北の方……ですか。なぜオダワラに?」
「各フラーレンで同数のクローンを負担するからです。かつ保護された位置からは離すことを厳格化していて……」
ルイスはそこで、
「……リーヴァ? どうしておれのことなんて」
言うと、リーヴァはイタズラを告白する子供のように笑う。
つい今しがた聞いた言葉を思い返す。
――言葉を交わした相手のことを知りたいと思うのが知性です――
思わずため息を吐くルイスに向けて、リーヴァは微笑んだ。
「ワガママなんですよ、わたくしは」
「……そうみたいですね」
ルイスは苦笑して、そして尋ねるのだ。
「……リーヴァ。あなたはどうして、日本に?」




