鈴の音を鳴らすのは……04
その少女は保護されて間もないクローンだった。医療の分野などでの検体としてクローンを造ることは限定的に認められている。厳重に管理されているはずなのだが、それでも年間を通して結構な数のクローン体が『流出』する。少女はそうした個体の一体だった。
クローン達は生まれた時から孤独だ。無菌室の都市は彼らの孤独を癒やす為に、保護されて間もないクローンに対し様々な形で交流の機会を与える。似たような知識水準のクローンたちを集め、合同で座学やオリエンテーションを行う……文字通りの『生徒同士』のような繋がりを得ていく。
それでもあぶれるものはいる。少女もそんなひとりだった。
『――騒がしいのは苦手なんだよ』
接触に飢えていた少女に手を差し伸べたのが、五稜郭キッカだった。
『だからってひとりが好きってわけじゃない。むしろ寂しがり屋なんだ。……内緒だぞ』
キッカは独りきりでいた少女のことを放っておけなかった。
好きで一人でいるならば話は別だ。たとえば姫路ポチのように孤高であることを好んでいるのなら余計なお節介を焼いたりはしなかっただろう。
けれど少女の横顔は雄弁に淋しいと物語っていた。独りは、つらいと。
だからキッカと少女は友達になった。
キッカという友達を得たことで少女は少しずつ自信を持ち、キッカ以外の相手とも繋がりを得ていく。
保護されて間もない少女。故に義憤を覚えるのも早かった。
『人間たちは我らクローンに非人道極まる首輪の着用を強制している』
『その家畜のような扱いに傷つく心がないと、その痛みを叫ぶ口がないと、そう思っている』
『思い違いは正されなければならない』
『しかし口で言って聴くような相手じゃない』
『だから――――』
半紙に垂らした墨汁のように、活動家の言葉は少女の心を支配していった。
実行当日。
少女はしかし自分たちが行う『首輪外し』に恐怖し、友達であるキッカに相談を持ちかけた。
キッカは少女の下に駆けつけ、しかしもはや止める事は叶わないと知った時――
自らも、その中に加わった。
“アタシたちを見つけて。あの子たちを助けて……”
そのメッセージを伝える為。
それが事の真相だった。
***
H.A.C.O.Pの事情聴取から開放されたのは夜中になってからだった。
『首輪外し』の実行犯たちは、ルイスたちの活躍によって全員が一命を取り留めた。『見届人』を自称する連中の身柄も拘束できたし、万々歳の結果であるはずだった。
けれどH.A.C.O.Pの上層部の反応は渋かった。
H.A.C.O.Pを差し置いて下部組織である風紀委員の一つの班が活躍したことが気に食わない。また六課と競争し彼らを出し抜いたせいで妙な目の付けられ方をしている。高層ビルの窓をぶち割った。
おかんむりの理由はいくらでも思いつく。
そんな中にあっても上役だけはずっと上機嫌だった。
『やらかしてくれたな! ブラボー! よくやった、面白い、面白いぞルイス班! アハハハハ!』
こんな具合であっても、自分たちの行動を褒めてくれる相手がいるのは、まあ……報われるかな、などと考えながらルイスは電気自動車のハンドルを切る。
後部座席には二人。ポチとココロコだ。
キッカは何日かの入院が必要ということだった。
「しかし、おばかさんなの」
ココロコが後ろへと流れる夜景を眺めながら、つぶやくように口を開く。
「自ら命を断ってメッセージを発信する。そんな勇気があれば、きっとなんだってできるの」
それは『首輪外し』に加担した彼らに対する感想だった。勇気を持った強い子たち――そういう微かな羨望のような感情が声色には籠もっていた。
「……そうでもないですよ、ココロコ」
答えたのはポチだった。
「たとえば我々は、オリジナルにはなれない」
「…………それはそうだけど、なの」
クローン。
贋作の生命。
たとえその勇気を間違わずに使ったとしても、結果はたかが知れている。
そんな後ろ向き的な言葉はあらゆるクローンが持つコンプレックスのような物。口が裂けても、それを間違いと言うことはできない。
ルイスはしかし、微笑んで見せた。
「……キッカは『首輪外し』の実行に怯えた友達の隣に居てあげることを選んだ」
上役から聞かされた聴取によれば、そうらしい。キッカらしい話だった。
「正しかったか、間違いだったか。もっといい方法はなかったのか。そういう疑問はたくさんあるよ。でも」
「でも?」
「キッカにしかできない行動だって思わない?」
「………………、」
先に頷いたのはポチだった。
「……はい、サー。キッカらしい選択でした」
「まったくなの。どっちつかずでちゃんちゃらおかしいの。……まったくなの」
ルイスは苦笑しながら、
「自分にしかできない行動を重ねていけば、いつかそれは誰でもない“ホンモノ”になれるんじゃないかって、最近、思うようになった」
「………………」
「………………」
「どうかな?」
少しの間があった。
口を開いたのはココロコだった。
「恥ずかしいこと言ってるの。服装だけじゃなくて頭の中も紅白なの」
「ぐ」
「よく聞こえなかったからー、もっかい言ってみてほしいのー」
「……もう言わない」
「えー」
少しヘソを曲げながら、反応のないポチの様子を伺う。
フロントミラーに映ったジャージ姿の少女の顔はどうしてか、和らいで見えた。
……何か思うところがあったのだろうか? それなら、いいのだけど。
そんなことを考えながら、そうだ――と時折思っていたことを口にする。
「ね、ポチ。前から言おうと思ってたんだけど」
「……はい、なんでしょう、サー」
「ポチって呼ぶの、ちょっと抵抗があるんだけど」
着任してからというもの、ルイスは直接その名前を呼ぶのを控えていた節がある。だってポチって。君の名は犬の名だ。
言われたポチはきょとん、とする。
「それは改名しろということでしょうか、サー」
「極端だな!」
ルイスは戦慄する。
「そう仰るのであれば近日中に届けを。これからはタマと名乗りましょう、サー」
「待て待て待て、それには及ばない!」
自分の何気ない一言で班員が名前を変えてしまうところだった。
……っていうかタマだと大して変わらない! 君の名は猫の名だ!
ルイスの戦慄は留まる所を知らない。
「そうじゃなくて、あだ名の類はないのかな、って」
クローンの名前は多くの場合、クローン自身が保護された段階で決定できる。一部のフラーレンによってはこれは異なり、たとえば仙台ルイスはその場に居合わせた職員が決めた名前だ。センダイ・フラーレンにおいての名前決定は、そういうことになっている。
ゴリョウカク・ヒメジのふたつはそれぞれ、自身の意思決定が出来るはず。となれば、ポチという名前は自身でつけたことになる。……そのまま呼ぶには抵抗を感じる名前を。だから尋ねたのだ、あだ名の有無を。
「……あだ名?」
言われたポチはきょとんとする。
「親しい関係で築かれる、気安く呼べる俗称のことなの」
ココロコが補足するように言う。
「それはゲーム機がピコピコ、二輪自動車がラッタッタ、と呼ばれるようなものでしょうか、サー」
ルイスは、ちょっとそれは違うような気がする、と思いつつも頷く。
「特にありません。お好きなように呼んでいただければ、と思います、サー」
「そうだなぁ……」
あだ名と言うのは略称のように使ったりするのが一般だとルイスは考える。だからもとが二文字であるポチは縮めようがない。そういった方向で付けることは難しい。
それでも何か、と考えた末、
「……ぽ、ぽ……ポゥ? ポゥとか、どうかな」
ポゥ。
ルイスは、ただ伸ばしただけの安直な呼び名にたどり着く。
「ポゥ……。ぽーちゃんなの、ぽーちゃん。……かわいいの」
ココロコが気に入ったように言う。当のポチはといえば、
「……………………………………………………」
なんだかすごい釈然としない顔を浮かべていた。
お気に召してはくれなかったかな、とルイスは違うあだ名を考えはじめる。ココロコが、じゃあ、と声を出す。
「先輩、いっそ夏目漱石ふうに呼んでみるといいの」
……漱石風?
「ぽ……」ルイスは悩んで「ぽっちゃん」
電気自動車というのは優秀なもので『安全運転モード』では無用な加速、つまり踏み切ったアクセルをカットしてくれる。これがなければ大加速していたところだった。風になってしまうところだった。
「……文学的それでいてバカみたいなあだ名だね!」
ルイスはなんとかそう言う。
ココロコは肩を揺らして笑い、
「先輩、じゃ、わたしの名前を後に続けて呼んでみるの」
「えーと」ルイスは考え「ぽっちゃん、こころ……こ」
電気自動車は優秀。
「君らは本棚の一角か!」
「後はキッカを改名させれば完璧な布陣なの、まさにタマとかがベストなの」
「『吾輩はネコである』って言わせたい一心で班の仲間にそんな改名を……!?」
そんな、気の抜けるような話をしながら電気自動車は帰路を辿る。
「……………………………………………………」
その間ずっと、ポチはくすぐったそうな表情を浮かべていた。




