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ストレイシープ*コンプレックス  作者: 七緒錬
クローンハザード
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クローンハザード……表紙あり

 二〇〇九年。

 合衆国国籍の若き天才、有栖川 (ありすがわ )博士によって論文が提出された。博士の名にちなみ通称『アリス論文』と呼ばれるそれは、世界に多大な影響をもたらすこととなった。


 ――いわく、生体データを基に、人体の複製が可能になるという。


 それまでの『挿し木』のようなクローン技術では霊長類のクローンを作ることは不可能と言われていた。霊長類の持つ染色体整列の仕組みは未だ神の奇跡そのものであり、人類の手の届かぬ神秘の領域であると。


 そう認知されている中での、まるで同じ鋳型でも使ったかのような『複製』の生命を造れるという『アリス論文』……


 まるで空理空論。

 そんな絵空事を謳うという行為自体が物笑いの種となったのだが――


 二〇一二年。

 合衆国にてアリス論文を基にした『複製機』が生まれ、人類史上最初のクローン人間が造られた。それまでいわゆる『クローンベビー』の存在すら倫理的な危うさを持っていたのに、複製機が生んだのは成長過程を省いた、大衆娯楽にあるようなイメージ通りの複製の人間(レプリカント)……


 倫理や道徳は彼らの誕生を嫌ったが、複製機がもたらす医療分野を始めとしたあらゆる『見返り』の前では、不毛な正論などただのさえずりだ。クローンを受け入れんとする大勢の中で、そんなさえずりはいつの間にか聴こえなくなっていった。


 オリジナルの『記憶』という物が引き継がれないこと。それがクローンを受け入れる大きな要因だった。試験体として自身のクローンを造った人間の話によると『自分を象った知らない生き物でも目にしたよう』だったという。クローンは生きてはいるが、記憶を持つわけでも、赤子のように何かを求めるわけでもなかった。


 オリジナルと同じ成分によって構成される身体を持つ、記憶を持たない生命体……それが複製機の生み出した二一世紀の新人類だった。


 合衆国はこの発明(クローン)の画期的な運用法を提唱した。


『バックアップクローン』。


 自信の肉体の複製を造り保存しておくことで、有事の際にこれを利用できるという仕組みだ。バックアップというより『スペア』と言う方が適当かもしれない。


 有事の際。たとえば事故に巻き込まれて身体を損傷することになった時。あるいは重い疾患の類により臓器移植が必要になった時。


 心臓、骨盤、脊髄、網膜、etc……


 親と子のような間柄であっても適合し辛い臓器だって、自らの肉体をもとにしたクローンであるなら、理屈上は外科手術の不手際以外での『失敗』はなくなる。また自身の『バックアップクローン』を残していない人間であったとしても、他人の『バックアップクローン』を参照することでドナーとしての役割は十全に果たすことができる……


 クローンを受け入れることに人々はある懸念を抱いた。生体データひとつでクローンを造れる複製機が存在している時代……たとえば毛髪一本から勝手にクローンを作られたりはしないだろうか? そういう懸念だ。複製機その物がどれだけ厳重に管理されていたとしても、人々のそんな不安を拭うことは不可能だった。


 合衆国はそんな懸念をケアする方策を整えていた。複製機を利用した際、使われた生体データの情報が残るようにしたのだ。国民はいついかなる時もあらゆる複製機に残った情報と自身の生体データを照会し、違法にクローンが造られてはいないかを知ることができる。


 複製機を使う際、あるいは照会する際の生体データの提出という手間を省くため、あらかじめ国民IDに生体データを登録しておく仕組みさえも整えてみせた。


 これらシステムを取り入れた当時の大統領ならびにホワイトハウスのブレインたちの支持率は戦争に絡まないものでは歴代最大の数字を記録した。


 先進国は我先にと『バックアップクローン』のあり方を模倣し、また合衆国側も複製機の提供を惜しまなかった。たとえば日本は普及の進んだ『マイナンバー』に生体データを登録する仕組みなどを倣った。当時存在していた『ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律』を撤廃し、クローンという新人類を受け入れた。


 ……複製機はそうして商品的価値を帯びた頃から、新たな『名前』で呼ばれるようになっていった。有栖川博士の論文が『アリス論文』と呼称されたのと同じように――


『アリスプリンター 』、と。




クローンハザード(・・・・・・・・)』はいくらかの段階をおいて発生した。逆説的にこの段階のうちひとつでもクリアできていれば発生は防げたのではないかとも言われている。


 たとえば生体データを入手する方法は星の数ほど存在している。中でもその時代で最も悪質な方法は国民IDに登録されたデータからの逆算だ。それを閲覧できる管理者という立場があるのは運用の上では必然であり、悪用は可能だろう。このような要素が積み重なり、そして致命的な一点となったのが『アリスプリンター』の設計図の流出だったと言われる。


 無論、そう簡単な話ではなかったのだ。アリスプリンターは特殊な構造をした培養槽であり、設計法が分かっても個人の手で作れるというわけではない。仮に作れたとしても稼働には莫大な電力が必要で、それこそとても個人で賄えるものではない。ゆえにアリスプリンターが流出してなおあり得ないと言われた。不法にクローンが誕生することは。


 しかし、起こった。より度し難い形で。


 はじめは合衆国の各地で『ドッペルゲンガー』が目撃されるに留まっていた。ものの数ヶ月でドッペルゲンガー現象はアリスプリンターを導入した各国で巻き起こった。


 ところで法治国家・日本においても例年千件ほどの殺人事件が起こっている。この件数のうち数%は未解決として捜査が続いている。捜査において最重要なのは容疑者の足取りなわけだが、これがもしドッペルゲンガーによる犯行である場合、立証は困難を要するだろう。それどころか無関係の『オリジナル』を巻き込む可能性が高い。


 ……銃犯罪がまかり通る他国においての混乱などは、言わずもがな。


 国民IDから、口をつけたペットボトルから、満員電車で抜け落ちた髪の毛から、学園の机についた指紋から、知らぬ間に自身のクローンが造られるかもしれない。見知らぬうちに生み出されたクローンが、何らかの犯罪に関与しているかもしれない……前代未聞の恐怖は堰を切ったように溢れ、国際世論は反クローン感情に染まっていった。


 その悪質さを理解できるまでに、各国は要人たちの命という代償を支払うことになった。

 クローンを使った、要人たちに対する、テロ。


 それはまるで国が感染する感染病かなにかのように数多の国や政府を、社会を蝕んでいった。皮肉なことに先進国ほど手痛いダメージを被ることとなった。逆にアリスプリンターを設置できなかった後進国などにはほとんど無縁の問題でもあった。


 各国が事の深刻さを理解した後の対処は迅速だった。研究目的などの例外を除き、国際法によって地球上からクローンは排斥されることになった。人の叡智の結晶であったクローン技術はしかし当の人類規模で見れば、過ぎたおもちゃに過ぎなかったというわけだ。


 人が自らの手で生み出した脅威に蓋をした人類史上最悪の人災。

 これがクローンハザードの顛末だった。



 しかし、時代の流れに取り残される国があった。



 世界各国が反クローン感情一色に染まっていく一方で、終始に至って『クローン保護』を訴えていた我が国――日本である。


 二〇二〇年に開催が決定されていた平和の祭典を同盟国にボイコットされるという経過を経て、日本は数百年ぶりに鎖国の道を取ることを選んだ。



 世界からの孤立は、クローン種という新しい同胞の、代償だった。



挿絵(By みてみん)

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