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HALation  作者: 荻布空
1日目
5/11

5 Time is Coming.

 ハルは息をのんだ。と同時に、ノイズでとぎれとぎれの声が受話器から流れ出した。

『……ら、ス……ハル……聞こ……ま……か……』

 ハルはぱっと受話器を取り、しかし何を言えば良いのかわからずに固まった。相手はそれを察したらしく、優しげな声で話しかけてくる。

『……りで、いいから……教え……きみは……ハ……だね……?』

「ハル! ハルです!」

 異形達の声に負けじと、大声で叫ぶ。すると相手は安堵したように息を吐いた。

『そう……わかっ……あれ、電……、悪……待っ……』

 ガーガーと何かを調整するようなノイズが受話器から流れる。そして、

『……れで、良いはず。ハル……聞こえるかい?』

 急に鮮明になった声がハルの名を呼んだ。声色からして十五歳ほどだろうか。落ち着いていて大人びているが、性別はよくわからない。ハルが「聞こえるよ!」と返事をすると、電話の向こう側で小さな間があった。

『わかった……。ハル、この質問に正直に答えて』

 ハルがうなずく前に、相手が尋ねる。

『電車の子から聞いた。君は、彗星を見たんだね?』

 突然、ハルの体を軋むような感覚が襲った。背筋が凍りつき、電話の向こうに広がる暗闇を見た気がした。得体の知れないものと話しているのだと、今更のように感じたのだ。しかし、

「……見た」

 絞り出すような声で、しっかりと答えた。

 思い出されるのはあの白い物体だ。電車から落ちて来るとき。夕焼け空の境目。花火のときにも、空に流れていた。もしかしたら、トンネルの中で見たのもそれだったのかもしれない。

 思わずせき込んで問いつめる。

「あなたは誰? あれがなんなのか知っているの?」

 声は細い息を吐いて、言葉を練っていたようだ。だが、

『……あの彗星は、君以外には見えていないよ。それ以上は、今は教えられない。ごめんね、君はこれからとても難しいことをしなくちゃいけない』

 優しい声が『よく聞いて』とハルをいさめる。その厳かな雰囲気から、これから話されることの重大さがにじみ出ていた。ハルがゆっくりと頷くと、電話の向こうの相手は大きく息を吸って、告げた。

『五日後、あれが北の山に落ちる』

 ハルはこくんと頷く。真剣味がハルの背筋をピンと伸ばす。

『いいかい、五日後だ。五日後にあれが北の山のてっぺんに接近する』

 声は神様のお告げのように、ハルのするべき事を述べていく。

『そのときに……壊すんだ』

 がんがんがん、と音が響き続ける。だがハルの耳にそれは届いていなかった。相手は冷静な声で続ける。

『……どういうことか、不思議かもしれない。だけど時間がないし、できるのは君以外にいないんだ。……本音を言うなら、君にはこんなことをさせたくない。でも、あれが落ちたら、町が大変なことになってしまう』

 まちが、たいへんなことになる。

 もしハルが普通の子供だったら、これらの意味も訳も分からなかったに違いない。伝わるのは、ことがどれほど重大かと言うことだけだっただろう。

 だがハルがゆっくりと言葉を飲み込み、選び出したのは次の言葉だった。

「……どうやって」

 電話の向こうで相手が息を飲んだのがわかった。そして『……君は本当にいい子』と優しく笑う。

『ちょっと触るだけでいいよ。それだけであれは割れてしまう。大丈夫、君ならできるから』

 きみならできる。その言葉を頭の中で反芻し、ハルは、この仕事が自分にしかできないような気がしてきた。

「……わかった」

 ハルは言葉とともにうなずいた。

 だがゆっくりと顔を上げて、異形達を見た。扉をたたきながら、異形達もハルを見下ろす。

 ハルの顔が恐怖に染まり、首を横に振りながら、「やっぱりむり……」と口を動かした。声が困った風に尋ねる。

『無理そう?』

「……いま、化け物達に囲まれてる」

 無意識のうちに自分の声が震えている。それを察したのか、電話口の相手はあえて冷静さを装い、一言一言噛み締めながらハルに言い聞かせた。

『大丈夫だよ。僕の、言う通りにして』

「どうやって!?」

『落ち着いて。声は、小さく』

 扉をたたく音がさらに大きくなる。ガラスにぴしりとひびが入る。

「ひっ!」

『大丈夫……。ハル、机の下をよく探して』

 怯えて体を縮こませるハルへ、相手は優しい声で指示を出した。

 ハルはあわてて机の下に目を向けた。服の中で鍵がかしゃんと音をたてる。それを取り出して片手に握り、反対側の手で机の下を探ると、ふわりと柔らかなものが手に触れた。

 ハルはそれを拾い上げた。

 それは一枚の尾羽だった。白く輝く羽毛が、風を受けふるふると震えている。

「……あった! 白い羽!」

 思わず声を上げるとよっし! と電話越しから嬉しそうな声がした。そして、

『その調子だよ。それを食べて!』

「えっ!?」

『いいから早く!』

 声に促されるまま、ハルは躊躇なく羽を飲み込んだ。羽はほのかに甘い味がして、口の中でほどけるように消えた。

 同時にがしゃんと音をたてて、電話ボックスのガラスがすべて壊れた。破片が飛び散り、異形の手がハルに迫る。その瞬間。

『ハル、飛んで逃げろ!』

 切迫した声が合図でもあったかのように、子供の背中から一対の翼が生えた。

 戸惑うよりも前に翼がはためき、ハルの体がふわりと宙に浮く。

 そのまま囚人の群れの中を、猛スピードで滑空する。不気味に冷たい手がハルの体をかすめたが、引き止めることはできなかった。

 あっという間にエレベーターの中まで到着し、ハルは一度着地した。

 化け物の群れを見やる。化け物たちは雄叫びをあげ、もつれるようにしながら狭い廊下を走っている。

 ハルはゆっくりと息を吸い込み、地面を蹴って再び飛び立った。羽がはためき、小さな体がエレベーターの天井を突き破る。破片を追い越すと歯車だらけの天井がぐうんと近づき、通り過ぎていった。一度翼を動かす度に、見覚えのある風景がどんどんと下へ流れていき、小さな体は上へ上へと導かれていく。

 気づけば最上階の、屋根裏部屋のような部屋にたどり着いていた。

 ハルは木の床に音をたてて着地し、大きな声で鳩に呼びかけた。

「来たよ!」

 鳩はぱっと顔を上げ、ぴょんぴょんと扉に近づいた。南京錠をずいずいとくちばしでつつく。

 ハルはⅦと書かれた鍵を差し込み、回した。かちゃり、と音をたてて南京錠が下に落ちる。

 なぜか、嫌な焦りが心を包んだ。

 下の方から、不気味な雄叫びが聞こえる。

 考えすぎだと頭を横に振り、ハルは続けて一番の鍵を探し出した。鳩に向かって手招きする。

 鳩は素直に尾羽をあげ、足に括り付けられた南京錠を見せた。それに鍵を差し込む。

 かちゃかちゃ、と動かす。だが、どこかが噛み合っていないのかなかなか外れない。

 近づいてくる大きな声。ぺたりぺたりと何かが壁を這い上がってくる音がする。

 かちゃかちゃ、と鍵を動かす。鳩の瞳に、青ざめた子供の顔が映る。

 はやく、と祈るようにハルが口を動かした。その瞬間、かちゃ! と音をたてて鎖が外れた。

 ハルはぱっと顔を輝かせた。だがそれと同時に、でろでろとした不気味な音がエレベーターの方から聞こえた。

 鍵束が手から落ちた。

 エレベーターの前に、囚人達がいた。汚れた水をちたちたと体からたらし、体に響くような大声を上げながら、這うようにして迫ってくる。

 ハルは思わず目をつぶった。


 刹那、地響きのような鐘の音が鳴った。

 囚人たちが動きを止めた。再び鳴る鐘の音。鐘と鐘の合間の静けさで、ハルは何かが変化していることに気がついた。

 鳥かごを見る。そこに鳩はいない。

 鳩は窓辺にいた。窓の外を、まっすぐな眼差しで見つめている。

 三度目の鐘の音が鳴り響き、音もなく窓が開いた。

 鳩はおもむろに翼を開き、パタパタと外へ飛び立った。翼を月光が照らし出し、その姿を神々しく見せる。ハルは状況も忘れ、見とれた。

 四度目の鐘の音。

 突如、大声が轟いた。断末魔のようにも思える、つんざくように低い声が耳の中で回り始める。

 見ればエレベーターの前で、異形たちがのたうちまわっていた。助けを求めるように、天井へ手を伸ばすものもいた。

 だがそれも虚しく終わった。

 五度目の鐘と同時に、囚人たちはドロドロと溶け始めた。茶色の液体がどちゃっと床に散らばる。ハルは思わず後ずさった。助けることはしなかった。

 そして六度目の鐘が鳴り、全ての囚人たちは溶け去った。後には茶色の液体だけが残った。

 ハルはへなへなと床に座り込んだ。同時に、淡い光を上げて翼が消えた。

 その後何回鐘が鳴ったのか、ハルは覚えていない。


 かちかちかちと歯車の音が聞こえて、ハルは我に帰った。

 うつむかせていた顔を上げる。同時にチーンと綺麗な音が響いた。エレベーターの音だ。

 音の方向に顔を向けると、かなりぼろぼろなエレベーターが見えた。ドアと天井は、突き破られたせいで見る影もない。が、床だけは無事なようだった。

 いつの間にか汚れの消えた床を歩き、ハルはエレベーターに乗った。チーンと音がなり、エレベーターはゆるゆると下降する。

 一番最初に来た場所で、エレベーターはその動きを止めた。

 ハルはエレベーターから降りて、それを見上げた。

「……ありがとう」

 小さく微笑むとエレベーターはひゅん、と音を立て上へ上へと昇って行った。

 ハルは大きな柱に背を向け、元の道を戻り始めた。

 ランプはいつの間にか黄色に戻っていた。歯車も動いている。だが壊れたような音ではなく、一定の秩序とリズムを持った、程よい大きさでかちかち、かちかちと回っている。

 両開きのドアを開き、薄明かりのついた廊下を進む。足元で、可愛らしい音を立てながら歯車が回っている。

 やがて目の前に大きなドアが見えて来た。時計の裏側に取っ手をつけただけの、装飾もない木の板だ。だが、何処と無く懐かしい色をしていた。

 ハルは取っ手に手をかけ、開いた。生ぬるい空気が流れ込んで来る。

 息を殺して覗き込むと、時計の目の前に空っぽの布団があった。その左隣の布団では、風太が寝相悪く息を立てていた。

 ハルは足音も密やかに、布団の上に降り立った。

 音も立てずに時計が動き、元の位置で止まった。

 静かになった。

 ふーっと大きく息を吐き出すと、途端に眠気がやって来る。ハルはふわふわと欠伸をして、布団の中に潜り込んだ。

 眠りに落ちる少し前、脳裏をよぎったのは電話越しに語られた事だった。

「……彗星」

 ハルは呟いた。途端に口が動かなくなる。

 今、ハルが思い出しているのは花火をしていた時の風景だ。

 ふと何かに呼ばれた気がして顔を上げると、夜空のてっぺんに真っ白なほうき星があったのだ。手元の花火も忘れ、ぼうっとして口を開ける。

 ほうき星はしゅんしゅんと光を上げて、夜空を悠々と飛んでいた。まるで何かの前兆のように、どこかへ向かって飛んで行っていた。


     ***


 ごーん、ごーんと鐘の音がする。

 差して来る光に目を細めながら、風太はうなり声と共に体を起こした。誰がこんなにうるさいアラームを鳴らしているのだろうか。

 とそこまで考えたとき、彼はハッとして古時計に目を向けた。

 かぽん、と音を立てて文字盤の下の扉が開いた。そして、ばたばたした機械の音と共に、羽を広げた白い鳩――正確にはその彫刻が出てきた。

「……」

 風太が見ている前で、鳩はゆっくりと扉の中へ戻って行った。がちゃんと閉まり、後には歯車の音だけが残される。

 風太は目を大きく見開き、そしてなぜかハルの方を見た。

 時計のすぐそばで寝息を立てる、不思議な子供に目を向けた。

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