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HALation  作者: 荻布空
1日目
3/11

3 It is REAL Memories.

 ぺたぺたと裸の足が前を行く。木が大きな音で、わざとらしく軋む。

 足の裏が冷えている。床が氷のように冷たい。

 ハルは口で息をしながら、廊下を進み続けている。

 進めば進むほど、窓から差し込む光は弱くなっていく。日が落ちたという訳でもない。カーテンが厚くなったという訳でもない。ただ黄色い光がその色を保ったまま、少しずつ闇をにじませていく。

 やがて最後の薄明かりが消えたとき、ハルは自分がどこを歩いているのかすっかりわからなくなってしまった。それでも躊躇せず、前に進み続けた。

 とろりとした闇が静かに対流を繰り返す、こおろこおろという音を、ハルは確かに聞いた。

 暫く歩いて、何かにぶつかった。両手を前に出すと、のっぺりとした木の感触があった。

 行き止まりだ。

 ハルははあ、と息を吐き、それでも板を手探りで触り続けた。すると、ひやっとした感覚がハルの指に触れた。慌ててそれの形を確かめる。どうやら円柱形の金属らしく、ハルの片手にすっぽりと収まるほどの大きさをしていた。

 ハルは金属円柱をそっと握り込み、息を殺して、回した。

 かちゃん、と扉が開く音とともに、木の板が少し奥へとずれた。隙間から色あせた薄明かりが差し込んでくる。

 息をのむと同時に、ドアの隙間から小さな手が割り込み、大きく扉を開いた。一昔前の写真を思わせる光が、暗闇を次々と自分の色に染め変えていく。次の瞬間。

 ふーたおにいちゃん!

 目の前にいる二人の子供が、ハルに向かって従兄の名前を呼んだ。

 いつの間にか色あせた廊下に立っていた。板張りの床、襖とカーテン。それらすべてがほんの少し色を失っていた。それは目の前にいる子供達も同様だった。片方は女の子、片方は男の子。どこかで見たような顔立ちをしていて、めいめい綺麗な着物を身にまとっていた。何か楽しいことの前らしく、嬉しそうな顔でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、ふーたおにいちゃんのおともだちがきた! と繰り返し笑っている。

 ハルが首を傾げると、二人はこちらを見てにまっと笑い、一人ずつハルの片腕をつかんで走り出した。戸惑ったまま、ハルも長い廊下を走る。どんどんとスピードが上がる。髪が後ろへと流れていく。床と襖がぶるぶると震える。

 足袋を履いた柔らかな足音と、裸の足音が重なり合い、奇妙なリズムを生み出していた。へんてこりんな打楽器の楽団が通り過ぎたところは、何もかもが恐れをなしたように戦慄している。

 そして、どこまでも続いているように思えた廊下にも、ついにその果てが見え始めた。ドアも襖もない、木の壁だけの、本当の行き止まりだ。

 そこに誰かが立っている。鮮やかに青い着物を着た、ハルより少し年上くらいの子供がいる。三人より大人びた顔立ちをしている。背も高い。

 青い着物の子供は走ってくる三人を見て、その一人であるハルを見た。

 ゆっくりと微笑み――


 ハルは音をたてて転んだ。

「……」

 頭を横に振って立ち上がる。ついでにパーカーの裾をぱたぱたと叩いた。

 ようやく一息ついて、顔を上げる。

 色のある廊下に立っている。日の光がカーテンと一緒にゆらゆらと揺れている。襖も同じ色に染まっている。足の裏からかすかなぬくもりが伝わる。

 前を見ると、きちんと行き止まりの壁が見える。

 ハルはふう、と息を吐き、行き止まりの壁まで走りよった。当然のことながらそこには誰もいなかった。誰かによく似た二人の子供も、青い服を着た子供も。

 行き止まりの壁を人指し指でなでた。うっすらと埃の跡が残る。指を見下ろす。

「……うえ」

 まとわりついている蜘蛛の巣を振り払い、ふと窓に目を向けた。

 少し時間が経ったのか、カーテンから差し込む光は茜色へと変化していた。

 指でつかまないように注意しながら、しゃらしゃらと音をたてカーテンを引いた。カーテンを開け、空を見上げる。澄んだ瞳が空の色を映し出しす。

 日のあるところは輝かしいオレンジ色に染め上げられていた。そこから赤、桃、紫、水色と、まるで魔法のようなグラデーションを見せている。ぽつんぽつんと浮かぶ雲がそれぞれの色を滲ませ、混ぜ合わせて、何とも言えない絶妙な色をまとっている。

 その中、水色と紫色の境目のあたりに、白く輝く何かがあった。普通の星より二周りほど大きく、彗星のように尾を引きながらどこかへ落下している。

 ちょうど、電車に落ちてきたときに見た「何か」とよく似ていた。

 透き通った瞳の中に、白い光が映し出される。しゅんしゅんと火花をあげながら、夕焼け色に染まった瞳の中をゆっくりと漂っている。

 思わず、空に手を伸ばした。そのときだった。


     ***


 仏間で気になる物を見つけ、どこかで読もうと思いながら窓側のふすまを開けてみると、そこにはいとこがいた。カーテンが開いており、西日が直接木の床を照らしていた。

「おい、どうした?」

 背中から声をかけると、ハルはハッとした顔で此方を振り返った。どこか、悪戯がばれた悪ガキのような表情でもあった。目を細めるとあわてて手を隠し、「……ふーたさん」と小さな声で名前を呼んでくる。続けて、

「……どうしてここにいるの」

「荷物の整理。ハルは?」

「……たんけん」

 声に少し元気がない。だが何があったのかと問いかける前に、「たんけんおわり!」と元気な声が部屋の中へぴょんと飛び込んだ。

 くるくると旋回する子供を見て、風太はそれでもとがめずに手元のアルバムに目を下ろした。さっき棚で見つけたのである。背表紙に振られた年号が、風太が生まれてからこの家を出るまでの写真が入っていることを示していた。

 だが部屋を出ようとすると、ハルがめざとくアルバムを見つけて「それなあに?」と聞いてきた。ああやっぱりと思いながら、風太は気取られないように息を吐いてその場にあぐらをかいた。

 アルバムを開くと、ハルが後ろから肩に乗っかって覗き込む。耳元で小さな歓声が聞こえた。

「ふーたさんちっちゃい!」

「七歳のときの写真なんだから仕方ないだろ」

 ハルが指差したのは七五三の時の写真だった。子供用の紺色の着物を着て、ぴくりとも笑わずにこちらを見ている少年が風太。その横には、澄ました笑顔を見せる赤い着物の女の子が写っている。女の子だと五歳では普通やらないが、両親がついでにと一緒に写らせたのだ。隣にある写真には両親と、母親の手に抱かれた赤ん坊が写っている。

「こいつが妹の風花。で、こいつが弟。風也」

 女の子と赤ん坊をそれぞれ指差しながら説明すると、ハルが興味無さげに二、三ページをでたらめにめくって、ふと手を止めた。

「……このしゃしん」

 どれどれ、と風太が見下ろすと、そこには数年後の初詣の写真があった。四人の子供達が家の玄関前に並び、仲良く身を寄せ合っている。七五三のときより少し大きな着物に身を包む風太と、茜色の着物の風花。風太のおさがりを着ている風太。そして、

「このひと、だれ」

 ハルが指差したのは青い着物の子供だった。この歳にしては大人びた顔立ちをしていて、背も高い。だが男の子なのか女の子なのか、その容姿だけでははっきりとしない部分があった。不思議な雰囲気の子供。ハルと少し似た――

 風太の胸がちくりと痛む。答えが返って来ないことに何かを感づいたのか、ハルが心配そうに風太の顔を覗き込んだ。

「……ともだち」

「ともだち?」

「そう。……友達だよ。昔の」

 風太は絞り出すようにもう一度答えた。友達だ。繰り返すたび、痛みがゆっくりと胸の中を浸食していく。そう、友達だったのだ。同い年で、家も近かったからよく遊んでいた。仲も良かった。

 だが十五歳の夏休み。その友達は突然、「彗星が見える」と風太に打ち明けた。街の様子が変に見えると、彗星の方に行かなくちゃと、何かの病気のように繰り返し、そして。

「……消えちまったんだよ」

 ぽつりと声を漏らすと、ハルがぴくっと肩をはねさせて風太の目を見た。それにかまわず続ける。

「消えちまったよ。どっかに行っちまった。彗星が見えるとか、街が変に見えるとか抜かして、一週間くらい後に――」

 初めて友人の話を聞いたとき、風太は驚いた。突拍子もない話だと思った。しかし友人が嘘をついているようには見えなかった。だからその度相談に乗り、あまり気にするなと時には遊びにも誘った。それなのに。

「……無理にでも止めておけばよかったのか?」

 病気だと断言して、病院に入れて、それからどうするか彼は知らない。とにかく何か強硬手段に出ていれば、少しはましな結果になったのではないか。

「あいつの言うことを、信じなければ、」

 うめくような声でつぶやくと、ハルが体を離してゆっくりとその場に座った。そして、風太の背中に手を伸ばし、とん、とんと優しくたたき始めた。

 風太は頭だけで振り返り、一瞬ハルの方を見やった後、夕焼けの空に目を向けた。

 美しい色合いが流れる大空に、まだ星は浮かんでいなかった。


 その後の時間はあっという間に過ぎて行った。

 夕飯は、母親がハルのために気合を入れて作ったロールキャベツだった。とろとろのキャベツに包まれた肉には、トマトベースのスープがたっぷりと染み込んでおり、噛めば肉汁と一緒になって口の中で溢れ出した。喜ぶハルに父親が「いつもはこんなもの食べないんだぞ」と茶化し、それを聞いた母親が「お客さんが来た時は特別」と笑う。風太は白飯を頬張りながら、自分が帰って来た時のことを思い出した。夕方に帰って来た途端、「その辺にあるもの適当に食べて!」と言われたことを思い出した。祖母はにこやかに笑いながら、この歳にしてはよく食べた。

 食事を終えた後は、庭に出て花火をした。光を放つ棒を片手に、子供はきらきらと楽しそうに笑っていた。その様子を、三人の大人が微笑みながら見守っている。

 白い火花を散らす花火を横目に、風太は夜空を仰いだ。星ひとつない空だった。

 ハルも同じように空を見上げた。そのまましばらく動かなかった。手元の棒が、ぱちぱちと音を立てていた。父親が慌ててハルに駆け寄った。

 家に戻ると七時くらいだった。ハルは八時くらいに寝てしまうため、祖母の付き添いで風呂に入れられた。その間、風太はダイニングテーブルでアルバムをパラパラとめくっていた。あら懐かしい、と覗き込んだ母親が言った。

 めくっていくうち、不思議な写真を見つけた。全体がホワイトアウトしたような写真だ。そればかりが並ぶページもあった。

 風太は真っ白なページを見つめ、静かにアルバムを閉じた。

 その時、コンコンと扉が叩かれ、小さな頭が顔を出した。少し濡れた茶色の髪と、明らかに子供用でないパーカーを着た子供。

「……お前、それ以外着るものないの?」

 風太が呆れて問いかけると、「おなじやつたくさんもってるの」と拗ねたような声が言い返した。そして、

「ねるとこ、ふーたさんとおなじだから」

「あー……わかった。ついておいで」

 風太はアルバムをテーブルに置いたまま立ち上がり、ハルの手を握った。ハルは一瞬驚いた後、少し微笑んで彼の後をついていった。

 風太連れていったのは、仏間の一つ奥にある部屋で、元々は祖父が住んでいた。大きな振り子時計や箪笥など、数々の骨董品が並べられていたが、今は風太の荷物が色々な所に散らかってそれを台無しにしている。ハルがあからさまに顔をしかめたので、慌てて物を一箇所に纏めた。

 片付けを終えてふと顔を上げた時、ハルは大きな古時計を見上げて固まっていた。

「ああそれか」

 文字盤の下に両開きの扉がある時計を見つめながら、風太は懐かしい気分になった。

「定時になるとさ、扉から鳩が出てきてたんだよ。困ったことに、これが夜でも止まらなかったんだ。お陰で小さい頃はすごく怖かった」

 今は動いてないよと言いながら、つるつると磨かれた木目を撫でる。すると、ハルは不思議そうな顔で風太を見上げた。

「どうした?」

 風太が首をかしげると、ハルはゆっくりと口を開いた。

「……壊れてないよ」

「……は?」

「音がする」

 思わず耳を時計の側面に当てる。昔なら秒針と、歯車がカチカチと噛み合う音が聞こえていた。だが今は。

「……何も聞こえない」

 風太は耳を離し、ハルを見下ろした。ハルは驚きの目で風太を見上げた。純粋な目だった。嘘ひとつなく、素直な瞳。消えた友人と同じ。

「……聞こえないの?」

 瞬間、風太の中で何かが裂けた。裂け目から、ふつふつと何かが湧き上がってくる。それは憤りと言うにはあまりにも重たいものだった。どろどろとした何かを、目の前にいる幼子に投げるのは酷なことだと頭ではわかっている。だが風太は勢いのまま、言葉を吐く。

「……いい加減にしろ」

 いっ、とハルが息を飲んだ。足がずりっと後ずさる。その姿に向けて、風太は叩きつけるように叫んだ。

「お前のデタラメにはもううんざりだ!」

 言ってしまった後、ハッとしてハルを見たがすでに遅かった。

 ハルの顔はかすかに青ざめていた。だぼだぼの袖越しに、手がかたかたと震えている。

 風太の口から、ごめん、と呟くような言葉が漏れる。

 ハルは小さく頷き、おやすみなさいと微笑んだ。引きつった笑顔だ。

 風太は思わず目を閉じた。


     ***


 風太が部屋から出た後、ハルは改めて時計を見た。

 見上げるほどに大きな時計だった。丸い文字盤にはローマ字で時刻が記されている。花の蔓を思わせる装飾を施された二本の針が、十二時の少し前で止まっていた。文字盤の下には、小さくかわいらしい両開きのドアがある。その下のガラスを通して、くすんだ金色の振り子がゆらゆらと揺れていた。

 そして、歯車の音がなっていた。かち、かちという音に合わせて、いくつもの歯車が噛み合うような音が部屋中に響いている。

 ハルは時計のガラス窓に手を当てた。そしてそれを思い切り、押した。

 時計は扉のように、右側を軸として奥にずれた。

「……」

 ハルは驚きもせず、時計の裏に隠されていた景色を見た。そこは、今いる空間とは全く別の場所だった。

 長く、薄暗い廊下があった。床はガラス製で、その下ではいくつもの歯車が噛み合い、カチカチと音をならしている。側面の壁は時計の表面と同じく木製で、等間隔にランプが並んでいる。

 ランプの炎は金色だった。ちょうど、振り子と同じ色だった。振り子に合わせて、ゆらゆらと揺れている。

 不意に、風太の言葉が脳裏によみがえった。ハルはゆっくりと首を左右に振り、つぶやいた。

「嘘じゃないよ……」

 別世界の風景を見つめ、ハルは吸い込まれるように一歩を踏み出す。床はひやりと冷たい。空気も冷たく、歯車の音を耳が壊れそうなほどに反響させている。

「嘘なんかじゃない……」

 ハルはもう一度つぶやいた。その後ろで、ぎいいと音をたてながら時計が元の位置に戻っていく。

 かちっと針が動き、十二時の鐘が鳴った。


     ***


 十時頃。

 勉強を終えて寝る部屋に戻ったとき、風太はハルの姿がないことに気がついた。

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