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歴史もの

白髪

作者: しのぶ

 大和(やまと)にて幼武(わかたける)治天下大王(あめのしたしらすおおきみ)の位についてから、幼武は蝦夷(えみし)の国と隼人(はやと)の国を伐って従わせ、また海を渡って三韓(みつのからくに)を伐ってこれを従わせた。しかし高句麗を従わせることはできなかった。高句麗は宋に通じてこれを後ろ盾としており、大和と百済(くだら)に対抗していた。大王(おおきみ)もまた宋に通じて、安東大将軍、倭国王の称号を得ており、百済と組んで高句麗に対抗していた。


 大王は大和の領地を大きく広げたが、その性格は凶暴で、多くの人を殺した。大王は位につく前の跡目争いで、己と同じく跡継ぎだった眉輪王(まよわのみこ)白彦王(しろひこのみこ)黒彦王(くろひこのみこ)を、彼らをかくまった葛城大臣(かずらきのおおおみ)もろともに攻め殺した。

 また特に跡継ぎと見なされていた押磐王(おしわのみこ)を欺いて狩りに誘い、その従者と共に殺した。

 押磐王の子であった大石(おおし)弘計(おけ)の兄弟は逃げ去って行方をくらましてしまい、彼らの姉である飯豊姫(いいどよひめ)は嘆きつつ日を送った。


 大王は位についてからも、他人を軽んじて、よくささいなことで人を殺した。このため人々は戦々恐々として、ひそかに「はなはだ悪しき大王である」と言った。大王もまた人々を信用せず、もっぱら文人である(あお)博徳(はかとこ)のみを信任していた。


 大王はかつて彼が攻め殺した葛城大臣の娘である韓姫(からひめ)をめとって子が生まれたが、この子は生まれつき白髪であったので、白髪王(しらかのみこ)と呼ばれた。

 白髪王は体が弱く、日に当たると肌が焼けて痛み、目も見えにくかった。このため人々はひそかに語らって、これは大王が罪なき人々を殺したために罰が下ったのだと噂した。


 さて大王は病にかかり、死が近くなったとき、(おみ)(むらじ)たちに語って言った。


「汝らも知っての通り、白髪王は体に障りがある。民はこれは我に罪があるためだと噂しているようだが、汝らもそう思っているのであろうな」


「い、いえ、そのようなことは……」 


「そうかな?まあ良い。しかし我の聞くところでは、国によっては白い蛇を神の化身として尊び、また白い鳥や獣が見つかるとこれを瑞祥とすると言う。我にこのような子が生まれたのも一つの瑞祥であろう。そういうわけであるから、我は白髪王を太子(ひつぎのみこ)とする。汝らは我の亡き後、白髪王を助けて天位(あまつひつぎ)を継がせよ」


「え?しかし、それは……」


「何か障りがあるかな?汝らは今、白髪王に罪があることを否んだではないか」


「そうではありますが、もの知らぬ人々が何と言うかわかりません」


「そのようなことを気にしていては何もなすことはできぬ。我が今まで多くの敵をつくりながら長らえてきたのも、我が天祖(あまつみおや)から受け継いだ霊威(みたまのふゆ)があったればこそだ。ことをなすは人にはなく、神にありだ。汝らはここで、白髪王に跡を継がせ彼を助けること、それに背くならば災いが下るようにと誓約(うけい)せよ。我の死んだ後には、恐らく星川王(ほしかわのみこ)が白髪王を倒して位を継ごうとするであろう。汝らはそれを防いで、我の遺命を守れよ」


「承りました」


 さて大王が(かむあが)り、(みささぎ)に葬られた後、やはり星川王は兵を起こしたが、臣、連たちが兵を起こしてこれを滅ぼし、白髪王に位を継がせようとした。白髪王はこれを喜ばず、言った。


「我に何の(あたい)があって、兄弟を滅ぼしてまで位につくべきであろうか。我は天位(あまつひつぎ)を継ぐには値しない身であるのに」


 来目部小楯(くめべのおだて)が言った。


「そうは言われましても、今あなたが位につかなければ、この争いを治めることはできますまい。今や大和は蝦夷の国と隼人の国に三韓までも治めています。国には一日でも、君がいなくてはならぬと申します。これらの民のためにも、位につかれませ」


 白髪王は憂いを含んで言った。


「そうであろうな。このような立場に生まれたからには、やはりそれが務めなのであろう。それではお前達は、我の至らないところを助けてくれよ」


「もとより、そのつもりでございます」


 こうして白髪王は位について、白髪大王(しらかのおおきみ)と呼ばれた。さて大王は、先代の跡目争いのために今は兄弟が行方不明になっている飯豊姫(いいどよひめ)を后として召したが、飯豊姫は言った。


「我は王家(みかど)の跡目争いがどれだけ忌むべきものであるかを知りました。この上それに加わろうとは思いません。大王は誰か他の者を召してください。我にはこの角刺宮(つのさしのみや)にとどまることを許してください」


「わかった。許そう」


 こうして飯豊姫は角刺宮にとどまった。


 さて、白髪大王には子が無かったので、臣、連たちを集めて言った。


「我には子が無いが、誰に跡を継がせればよいだろうか。我の聞いたところでは、押磐王(おしわのみこ)の子、飯豊姫の弟の大石(おおし)弘計(おけ)の兄弟はいまだ行方の知れないままだ。汝らはもし彼らを見つけ出したなら、我のところに連れてきてほしい」



 さて大石、弘計の兄弟は、父の押磐王が殺された後、丹波国(たにはのくに)に逃れ、それからさらに播磨国(はりまのくに)赤石郡(あかしのこおり)に逃れて、屯倉首(みやけのおびと)のもとに身を寄せていた。

 弘計は、大王が自分たちを探しているということを屯倉首から聞いて、兄の大石に言った。


「我らの父の仇である幼武(わかたける)は死んで、()は変わった。いつまでもここで難を避けているべきではない。我は名乗り出ようと思う」


 大石は言った。


「大王が我らを探しているのは、我らを殺して後の憂いを断つためではないのか。名を明らかにして殺されるよりは、身を隠していたほうがよい」


 弘計は言った。


「そうは言っても、それを恐れていれば、一生を家も名も隠したままで、人に仕えて生きることになる。そのような人生を送るくらいなら、たとえ殺されるとしても、家と名を明らかにして死んだほうがよいではないか。兄はそうせずとも、やはり我は名乗り出るつもりだ」


「お前がそうするというなら、我だけが逃れるわけにもいくまい。それでは我もお前と共に行こう」


 屯倉首が言った。


「それでは、大和から使いが来たら、私がお膳立てしましょう」

 

 さて来目部小楯(くめべのおだて)は、赤石郡に来て、新嘗(にいなえ)の供物を献げた。折しも、屯倉首は新しく家を建てたところだったので、その新築祝いの宴に小楯(おだて)も加わっていた。

 そこで屯倉首は大石と弘計を(かま)の傍らに座らせて、あちこちに灯火をともさせた。夜も更け、集まった人々が順番に舞いを終えたところで、屯倉首は言った。


「この灯火をともす者らを見たところ、その立ち振る舞いは礼にかない、卑しい身分の者とも思われません。彼らにも舞いを舞わせ、室寿(むろほぎ)の歌を歌わせてみてはいかがでしょう」


 そこで小楯は二人に舞うように言った。そこで大石は立って舞い、弘計は室寿を歌った。その歌は(はふり)の歌のようで、いかにも、卑しい身分の者とも思えない。さて室寿を終えると、弘計はさらに歌って言った。


稲蓆(いなむしろ) 川副楊(かわそいやなぎ) 水行けば

なびき起き立ち その根は失せず”


(稲蓆(いなむしろ)、川に沿って生えている(やなぎ)は、流れに従ってなびいたり起き上がったりするが、その根はなくなりはしない)


 小楯は言った。


「面白い、もっと聞かせてもらいたい」


 弘計は立ったり座ったりして舞い、さらに歌って、言った。


(やまと)は そそ茅原(ちはら) 浅茅原(あさぢはら)

弟日(おとひ) (やっこ)らま (これ)なり”


(倭はさやさやと音を立てる茅原、その浅茅原である倭の弟王であるぞ、私は)


 小楯は言った。


「もっと聞かせてもらいたい」


 弘計はさらに歌って、言った。


石上(いそのかみ) (ふる)神杉(かむすぎ)

本伐(もとき)り 末おしはらひ

市辺宮(いちのへのみや)に 天下(あめのした)治めたまひし

天万国万押磐尊(あめよろずくによろずおしはのみこと)の 

御裔(みあなすえ)(やっこ)らま (これ)なり”


(石上の布留(ふる)の神杉、その根元を伐り先を払って、市辺宮で天下をお治めになった、天万国万押磐尊の子孫であるぞ、私は)


 小楯はこれを聞いて、跪礼(ひざまずくいや)をして、言った。


「それでは、あなたが我らの探していた方です」



 さて二人が見つかったという知らせが届くと、白髪大王は二人の姉である飯豊姫を伴ってこれを迎え、飯豊姫に言った。


「どうかね。確かに、あなたの弟たちで間違いないかね」


 飯豊姫は涙ながらに言った。


「はい、間違いありません」


 白髪大王は言った。


「我には子が無いが、天神(あまつかみ)は我を恵みたまいて、二人の子を授けられた。我はこの二人を我が子として引き取ることにする。大石を太子(ひつぎのみこ)として、弘計をそれに次ぐ者としよう。汝らは我の跡、天位(あまつひつぎ)を継ぐがよい」


 二人は言った。


「承りました。このご恩は忘れません」


 さて彼らが去った後で、小楯は大王に言った。


「まことに、あの二人を御子としてよかったのですか」


「何か障りがあるかな?」


「彼らは、あなたの父である先の大王に彼らの父を殺されているのです。今は恭しく振る舞っていますが、心の内には恨みを含んでいるように思われます。後の憂いになるのではありませんか」


 大王は言った。


「そう言うな。我は父が多くの恨みを買ったことを知っている。そしてそれが、いわれの無い恨みではないということもな。我は父の罪滅ぼしがしたいのだ。恨みのある間柄だからこそ、その仲を直したい。それが我の務めだと思っている。

我には子が無いからさして後に憂いがあるとも思われぬが、もし後に何かあるようなら、手間をかけるが、お前がそれをとどめてくれ」


「承りました」



 さて白髪大王は位にあること四年で(かむあが)り、(みささぎ)に葬られた。大石が跡を継ぐものと思われたが、大石は言った。


「我は兄であるから白髪大王は我を太子(ひつぎのみこ)としたが、我らが逃げて生き延びたのも、名を表してここに帰ってきたのも、弟の弘計の功績であった。我は弘計に位を譲ろうと思う」


 しかし弘計は、


「大王は兄を太子としたのであるから、やはり兄が跡を継ぐべきである」


と言ってこれを受けなかった。そこで二人の姉の飯豊姫が(まつりごと)を行った。飯豊姫は言った。


「白髪大王にはついに子が無かったが、その名を継ぐ者が無いのは口惜しいことである。大王も生前それを悔やんでおられた。我は大王のためにその名を継ぐ御名代(みなしろ)を設けよう」


 こうして、白髪部舎人(しらかべのとねり)白髪部膳夫(しらかべのかしわで)白髪部靫負(しらかべのゆけい)が設けられた。



 その後飯豊姫も(かむあが)り、陵に葬られると、大石は再び弘計に天位(あまつひつぎ)を継ぐように言った。弘計はやはり受けようとはしなかったが、小楯は弘計に語って言った。


「国には一日でも君がいなくてはならないと申します。民のためにも、位について下さい。そのうえで、兄上を太子(ひつぎのみこ)とされればよろしいでしょう」


「わかった」


 それで弘計は位につき、大石を太子とした。


 さて弘計大王は位についてから二年して、大石と小楯とに語って言った。


「我らの父は罪もないのに、幼武(わかたける)大王に殺され、未だその骨を葬ることもできないでいる。

そもそも位を持たない民草でさえ、親兄弟の仇は討とうとするものである。まして我は大王の位について二年になる。我はあの幼武の陵を暴き、その骨を砕いてまき散らしてやろうと思う。そうするなら、親孝行なことではないか」


 大石は言った。


「いいえ、それはなりません」


「なぜか?」


「そのわけは二つあります。一つには白髪大王のためです。そもそも、白髪大王が我らを探し出して位につけようとしなかったなら、我らはどうしてこのような立場にあることができたでしょうか。彼がそうしなかったなら、我らはいま命があったかどうかも分かりません。幼武大王はその白髪大王の父です。もし君が幼武の墓を暴いて骨を砕きまき散らしたとしたら、それは恩を仇で返すことではありませんか。たとえ君がそう思わなかったとしても、人々がどう思うか考えてみて下さい。

もう一つには民のためです。もし君が先の大王の墓を暴いたら、民もまた、自らの君を敬うことをないがしろにするでしょう。そればかりか民は、人に情けをかけたとしても、後でその恩も仇で返されるのだと考えるようになり、他人を信用しなくなり、もはや他人を助けようとはしなくなるでしょう。

君は今や位のない人ではなく、大王の立場です。この国は今や蝦夷(えみし)の国と隼人(はやと)の国に三韓(みつのからくに)までも治めています。君の行い次第では、国に乱を起こして、そのために人々が苦しむことになるのです。我らは身を隠していた間、民草の間に混じって、親しくその有様を見てきたではないですか。民のためにも、仇討ちは思いとどまって下さい」


 小楯が言った。


「そうです。今だから言いますが、(やっこ)は白髪大王があなた方二人を御子として迎えた時、彼らは心に恨みを含んでいるから、後の憂いになるかも知れないと申し上げました。それでも白髪大王は、我は父の罪滅ぼしがしたいのだと言ってお二人を迎えられました。君が墓を暴けば、それは白髪大王にとっても(そし)りとなるでしょう。みすみす(かたき)に情けをかけて、その恩を仇で返されたのだと。白髪大王のためにも、思いとどまって下さい」


「うむむ……」


 弘計大王は嘆息して、言った。


「わかった。墓を暴くのはやめよう」


 それから言った。


「とは言え、何もしないのでは我らの父のために申し訳が立たぬ。幼武大王の陵に案内してくれ」


 それで弘計大王は大石と小楯を伴って陵に行くと、陵の周りには埴輪(はにわ)が並んでいた。大王は(つるぎ)を抜くとその一角(ひとすみ)の埴輪を斬り倒し、さらに陵に剣を突き立てて、その端を切り崩した。


 そして、言った。


「白髪大王のために、これ以上のことはすまい。今はただ、我らの父の骨を集めて葬ることにしよう」


「それがよろしいでしょう」


 と、大石と小楯は答えた。






 



 









 




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