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短編

お菓子が今日も美味しいので結婚とかありえない

作者: どっすん丼


 青い空が何故こんなにも青いのか。太陽は何故こんなにも暖かいのか。私はその恵みを受け取る一つの生命として、考えねばならないだろう。

 美しい緑を揺らしながら、私の慈しむ農場一杯の野菜たちが、そんな自然を嬉しそうに受け取っている。


 そんな光景を見ながら紅茶を飲み干すと、時空妖精が手を翳して"時を巻き戻して"紅茶を一杯にしてくれる。凄いね精霊って。

 茶菓子を摘んでお礼をすると、きゅるきゅる鳴いて拳大の美少女がくるんと一回転する。可愛い。この世が皆可愛いもので溢れていたら良いのに。そうしたら嫌なことなんて全部忘れてしまえるに違いない。


 ぴょこん、と足元に何かが飛び降りた感触がした。使い魔のマックスというカエル(熟女かつ二百匹の子持ち)が魔法で来客の接近(嫌なこと)を知らせる。


 「んー今日もいい天気ダナー」


 念話という脳内に直接メッセージを届ける魔法だったが、私はマックスの言葉が聞こえなかった振りをして伸びをする。

 キュルリ、と水の妖精が鳴いて首筋に水鉄砲を食らわせてきた。マックスはしっかりしろよとばかりに背中を叩いてきた。この二人はデキてる。


 それでも耳を塞いでアーアー言っていると、いよいよ時空妖精が作ってくれた結界を越えた者がいることを示す音が聞こえた。あああああもう嫌だ全てから逃げ出したい。


 貴族御用達になるのは諦めた。儲かるしいいかなって思ってた。


 でも、王族が来るなんて、聞いてない!!





 私の名前はユリウス・アルカイネ。ただ今二十三歳。前世の記憶を覚えている奇特な人間である。


 前世のお母さんお父さん、娘のこと見てますか!? 今世のお母さんお父さん、息子(・・)の評判届いてますか!? こんな私も今は立派な農家を営んでいます! コカトリスを二十羽飼い、商業ギルド調べ野菜高額交換レート新記録を達成しました!


 農業って()でもとっても辛いんですが、命を育む仕事ってとっても遣り甲斐があるんですよ! 私は頑張ってますよ!


 ……ええそうです男です。娘で息子です。色んなものを失い色んなものを得ました。

 こう見えてもハイエルフの私、生まれた瞬間に思ったことは「あれっ」です。目が覚めたらおくるみに包まれていて、あれ私どんな状態だよ今、という。それが人生で初めて思ったことです。


 それから成長していくにつれ、私は理解しました。私は赤ん坊(男)になっていたのです。母親に乳を貰い、立派なハイエルフとして育てと真心込めて育てられました。

 混乱は少なかったです。だって、赤ん坊として目覚める前の最後の記憶では、泥酔してベランダから落ちてましたからね。薄々は「あれっ、私生きてんの? どんなミラクル?」と思ってましたからね。私落ちたの七階でしたから。本当に、酒は控えろと、あれほど……。


 さてはて、それは置いておいて。仏教の概念でありましたね、輪廻転生。死んだ魂がまた別の生き物になって蘇るやつですね。神様はお優しいから、泥酔して転落死した私も転生してくれたみたいです。

 最初に自分が男になった時は「うっそーん」という気持ちで神を多少は恨んだものですが、五歳になった頃の私が神童と崇められ始めた辺りで、母に「貴方が生まれた日、母さんは神様に教えてもらったから全然怖くないのよ。これから生まれる子はとっても凄い子だって、知ってたんだから」と言われ、神に向かって祈るのが日課になりました。

 アフターケアバッチリすぎんだろ惚れるかと思ったわ。


 ハイエルフたちは私のことをかなり手厚く育ててくれ、私もそれに応えるよう、なるべく即効性のある現代知識を披露しました。十八歳になったら旅立つという風習もちゃんとこなし、一人前として立派に里へ戻ってきました。


 ちょっぴり信心深いユリウス・アルカイネ君、ただ今二十三歳。五年前の私ぃー、エルフの里でニートしようとしてる私ぃー、五年後のお前農家やってっから。貴族御用達の農家やってっから。教えてやりたい気持ちが溢れてくる。お前の野望は叶わないぞ、と。


 当時一年旅をして十九歳、里に戻ってきたばかりの私には、目を背けることも出来ないほどの大きな問題が提示された。

 実家が、おぞましい魔物に支配されていたのだ。奴隷扱い、というほどではないが、美味を捧げよと命じられ、ハイエルフたちの農作物は奪われ、残りは辛うじて皆に行き渡る程度。


 選択肢は二つ。逃げるか、抵抗するか。


 葛藤なんて一瞬で吹き飛んだ。やつれた母が私を抱き締めて、「お逃げなさい」と言った瞬間に。


 この一年、私だって遊んでいたばかりではない。世界の秘境という秘境へ行き、時空妖精や水妖精と契約して力をつけた。

 チートではないが少しはやれるはずだ。そんな考えで、魔物を観察した。


 一目見た途端に無理だと悟った。

 生きた年月の分だけ蓄積された魔力は山の如し。アレに比べれば私なんて塵である。積もるまで何千年だって話だ。

 であれば次善の策として、美食を献上する他ない。ちょっと危ない成分の入った草でも混入させれば美味いって言ってくれないだろうか? 駄目もとで村長に聞いてみると毒素は自動的に無効化されるらしい。

 私は時空妖精に頼んで保存してもらっていたとある山岳地帯の凶暴な牛モドキの最高級の乳と、とある火山の奥に住む獰猛な鶏モドキの最高品質の卵を使って、ある物を作った。


 この世界で高価な食べ物とは何か?

 新鮮なもの、目新しいもの、言わずもがな美味いもの。そして――柔らかいもの、だ。


 須らく世の物は劣化する。米もチーズも最初は柔らかくても何れ硬くなる。そして、硬い黒パンと柔らかい食パン、どっちが美味いか。好みは別れるだろうが、この世界には黒パンしかない。

 であれば、食パンが選ばれるのは自明の理。そう、柔らかいものはこの世界では高級品なのである。


 私は魔物用に巨大な"ある物"を作り上げた。種類も三つで多様性をつけ、一つには蜂蜜を使った酒を入れた。

 魔物は痛く喜んだ。"ソレ"をもっと欲しがった。私はぶるぶる震えながら言った。


 「それは私の知る中で最も優れた素材で出来たものです。しかしあれを二度も摂れるとは思いませんし、貴方も"ソレ"が気に入ったご様子。差し出がましいことは承知の上で御座いますが、貴方が手伝って下されば、私が安定して差し出すことが出来ます。どうか、ご助力願えませんでしょうか?」


 魔物は暫く黙ったが、鼻の頭に付いていた"ソレ"の欠片をペロリと舐めると、肯定に首を振った。

 私を決して逃がさない為にと私の腰に括りつけていた水時計の中に潜み込んだ(つまりこうして思考に耽っている間も私の水の中で爛々と目を輝かせているという訳だ)魔物と共に、私はハイエルフの里を永遠に去った。






 魔物は"ソレ"が余程気に入ったらしく、私の言うままに木を伐採し、土壌を整え――奴は巨体だった――世界で危険生物ランキング三番目と二番目を占めている牛モドキ(マグナワッカ)と鶏モドキ(コカトリス)を家畜とする為に攫ってきて、自身が目を光らせることで飼い慣らした。

 非常に協力的な魔物は、私の農業が安定しマグナワッカとコカトリスが脱走を諦め家畜として生きだした辺りからは、引きこもりがちになった。そしてケーキなりなんなりを私が献上するのを待つスタンスになった。


 私は拳サイズの自分の時計に怯えるという精神病待ったナシの状態で農場を切り盛りした。頼れる友人マックスは子供たちと水妖精のフリィと共に魔法で水遣りをし、時空妖精のルリィは、私の農場に意図せずして侵入した哀れな生き物が水の中の魔物に食い殺されないように結界を張った。

 私の魔法が主に水系統に偏っていたことが悲劇を生み、私は魔物が陥没させた大地に水を召喚させられて、宿敵の為に湖まで作らされた。奴は私が農場から離れない限りはそこで悠々と泳いで水中を楽しんでいる。


 ここまでは良かった。一人は寂しいがマックスも精霊も……不本意ながら魔物も居る。農業も悪くないし、私の料理を本気で美味しそうに食べる魔物を見るのは嫌いではなかった。


 雲行きが怪しくなったのは、人間の領主が軍を率いてやって来た時だ。時空精霊ルリィの結界が激しく警戒音を鳴り響かせ、侵入者の量が1000人程であることを知らせていた。

 たまたま水時計に戻っていた魔物が蠢くのを撫でて宥め、すわ「魔物のことがバレたか?」と慌てて「何があったんですか!?」と善良な市民面をして話しかけると、なんと――ここは紛争地帯のすぐ近くにあるらしい!


 間違いなく巻き込まれるから逃げろと言われた。私は迷うが、足が固まったように動かないことに気づく。見下ろせばいつ移ったのか、水溜りからデッケー爪の先が一本出て私の靴を地面に縫い付けている。


 「……お気遣い、ありがとう御座います。国のことですから、他人事ではありません。巻き込まれても良い。どうか、食事と寝床だけでもご用意させて下さい」


 水妖はどうやら、過去私が言った「ここまで作物が美味しく育つ土地は初めてだ」という発言を覚えていたらしかった。


 土地に縛られた(物理)私は泣く泣く兵士に食料を与えると、彼らは一々絶賛してくれた。嬉しくて、調子に乗って、この世界で最も好かれる"柔らかいもの"を出した。今回のは抹茶風味だ。

 兵士たちが紛争地帯に到着するのに一日かかるというので弁当までサービスした。握り飯は美味かろう。柔らかいしな。兵士は喜んで出兵していった。


 「……後何回来るのかねぇ。"倉庫が空っぽになる"前に戦争が終わればいいんだけど」






 二日後、紛争地帯が敵陣ごと更地になっていたと、狐につままれたような顔で兵士たちが帰ってきた。とりあえず持て成した。


 その夜、私はベッドで寝た振りをした。すると水時計の中身は空中へ浮き、形を変えて大きくなり、窓へとその鋭い鉤爪が伸びていき器用に鍵を開ける。壊れたら直すのが面倒くさいと言ったのを気にしてくれているらしい――じゃなくて!


 「ヤメロ!! マジで!! 私の不用意な一言で何万人も死んだら後味悪いだろうが!!」


 『■■■■■■■……■■!』


 「待て、だからってこっちの兵士を殺そうとするな! ええと、あれだ、利益あるから! 今王都で流行ってるマドレーヌのレシピとか! ほら、お前好きでしょ!? 後人間と交流したら金が貯まる! お前の好きな貴金属も買えるから!」


 『■■■■■■?』


 「何言ってるか分かんねーよ意思疎通難しすぎんだよお前……こっちは両生類のマックスでギリギリなんですけど」


 『……■■■■■■■』


 「分かんねー……」


 布団に仰向けにぶっ倒れると、窓から離れて時計に戻っていく。どうやら諦めたらしい。強制共同生活送らされてるんだから言語ぐらい通じて欲しい。


 翌朝に兵士たちは上空を飛んでいたという"黒い影"について話しながら帰って行った。持て成しの礼にと何が欲しいと問われたので菓子のレシピを頼んだら沢山くれたので、我が家の"黒い影"さんは湖を泳ぎながら満足そうに私の体ぐらいある目玉を細めてました。


 どうか、どうかここで終わっていて欲しかった。軽いセンチリズムに浸ってハイエルフ一人で寂しく、でも忙しく農業の楽しみを味わって生涯を終えたかった。

 しかし、悲劇は起こってしまったのだ。そしてそれは覆せない。私が太陽の暖かさを生き物として享受することしか出来ないのと同じように、私は最早広がり捲くった評判をかき消すこともまた出来ない。


 だから私は今こうして――


 「このような場末の農場にまでご足労いただきまして、その慈悲深さには最早感謝の言葉も御座いません」


 「うむ」


 ――第一王女を接待しているのだ。


 水がざわめく。頼むから静かにしてろお前の分の"アレ"は昨日鱈腹食わせてやっただろうが。


 ああ、何故こんなことになった……? 眩暈がして額を押さえると、面だけはハイエルフらしく美形だからかメイドさんが支えてくれた。ありがとう可愛いねでも今世では結婚しない予定なんだ……。


 ええと、まずは、だ。最初の客は、あの味が忘れられないとふらっと現れた兵士だったのだ。次に、同じく領主。そして次が何故か男爵。いつの間にか兵士が遣わされて、他の貴族が注文に来たり、私の土地行きの馬車がギルドにいつの間にか登録されてたり。本当にいつの間にか、私の農場は有名になってしまっていた。

 どうしてこんなことに……。再びの眩暈。思い返してみても全く分からない。


 『噂の菓子を頂きたいのだが』


 『はい、承りました。……あの、すみませんが、ここのことはどうか他言無用にお願いいたします』


 『うむ、分かっておる』


 『あのぅ、本当にお願いし、』


 『――おお、美味い! こんなに美味いマドレーヌは食べたことが無い!』


 『え? そんなこと言っちゃいます? ます? お代わりとか入りますか?』


 『ああ、頼む! また友を伴って来よう!』


 『喜んでー! って、ッエ、それは、』


 『――嗚呼、これも美味い!』


 『その笑顔、プライスレス! とっておきがあるんですが食べますか!?』


 『うむ、頂こう!』


 何が原因でこうなったのか……私は今になって考えても分からない。ただ、気がつけば、この世界では水妖しか食べたことの無いはずだった"アレ"の知名度が天下に広がってしまっていた。それだけだった。


 姫様が来てしまうまでに広まるのも納得だ。最高品質かつ、私の菓子作りの腕前はここ四年で、そんじょそこらのパティシエに負けないくらいには上達しているのだから。

 マックスと水妖精、時空妖精が護衛の騎士を引率しているのを確認してから、私は毒物が混入されないかチェックされる為に魔道士の男を二人ほど引き連れ、自宅へと戻った。






 「では、昨日作って寝かせておいたバターたっぷりのマドレーヌの生地が此方です」


 「ああ」


 「そして此方が型です」


 「分かった」


 こんな間抜けな確認多分生まれて初めてしたんだろうなぁ……。

 生真面目で筋骨隆々な近衛騎士が戸惑った顔をしていることに同情しつつ、アイスクリームのように硬くなった生地を木のボウルの中で四等分する。

 水の魔物が機嫌の良い時にくれたオリハルコンを使って作った巨大スプーンで生地を掬い取――


 「待て待て待て」


 「はい? 温度が命ですので作業をしながら失礼しますね」


 「あ……どうぞ、じゃなくて、ほら。こいつの奴の間抜けな顔見て? アンタ、平然と何使ってんの?」


 偉くフランクな騎士殿だと思いつつ、生地を入れ終わった型を持ち上げて窯へ持っていく。確かに、フランクな騎士が指し示された堅物そうな騎士はポカーンとして私の手元を見ていた。心配だが時間は有限だ。使い終わったスプーンを洗い場にポイと放り投げ駆け足で冷蔵庫から卵と牛乳を取り出す。


 「待って? 今……オリハルコン……投げ……?」


 「此方がコカトリスの卵、此方がマグナワッカの乳です」


 「待って」


 「待てません。時間が命です」


 「アッハイ」


 「此方が砂糖です」


 「へえ」


 「クーラービリス地方のとある老人から仕入れた一品です」


 「クーラービリ……ッ!? あそこに人が住んでいるのか!? 年中黒い嵐の吹き荒れる不毛の地だと聞いたぞッ!?」


 堅物な方の騎士が両肩を鷲掴みしてくるが、こんなことに構っている場合ではない。私には時間が無いのだ。今も肩を掴まれながらも卵と牛乳と砂糖を混ぜている。それは勿論生地の温度やらベストタイミングでの加熱を目指しているからだが、それだけではない。


 「もう煩いですよ! 姫様をお待たせする気ですか!? 姫様をお待たせした罪とかで私が斬首刑に処されたら貴方たち責任とってくれるんですか!? 取れませんよねぇ!!?」


 涙目になりながら高速で生地を混ぜると騎士は二人とも黙ってくれた。そうだ……それでいい……。私の邪魔をするものは皆時空妖精の能力で海の底に飛ばしてやる……。


 「ひ、姫様はお優しい方だ。そんなことはせんから安心しろ!」


 「嘘だ……偉い人はみんな嘘つきなんだ……」


 瞼の裏にトラウマが浮かぶ。とある令嬢が私のお菓子を食べた途端にぶっ倒れ、私は投獄されかけた。辛うじて妖精使いということで身の潔白を証明してもらったが(妖精は悪い人間には懐かない)、その令嬢何の為にそんな嘘吐いたと思う? 私を貶めて慰めて囲い込みたかったんだって!

 しかもこれ一件ではない。男爵令嬢伯爵令嬢侯爵令嬢子爵令嬢、爵位コンプリートも夢じゃないくらいに何度も起こった事件なのである。ある時は薬を盛られ、ある時は暴力で、またある時はバックグラウンドを使用しての脅し……。


 暗い雰囲気がキッチンに下りた。私は例の"柔らかいもの"の卵液を混ぜ終えると、濡らしたタオルで包み込み窯に突っ込む。

 俯き気味で椅子に腰掛けると、騎士たちも同じく無言で向き合って座った。


 「あのさ……。私は某お方みたいに……静かに、穏やかに……植物のように生きたいだけなんだよね……」


 「アッハイ」


 「ハイエルフなのに何で農業してるんだよって思ったでしょ……その通りだよ……私だって里で親孝行したかったよ……」


 「お、おう……」


 「なのに今は大農家……。水魔法で阿呆のように広い作物に水遣り……私は全自動作物お世話マシーンかっつーの……」


 「か、金は十分に貯まってるんだろ? ほとぼりが冷めたら辞めたらいいじゃねーか! ほら、ハイエルフって長生きだろ!?」


 人付き合いの上手そうな方の騎士が肩をポンポン叩いてくる。生真面目な方の騎士も同情的な目で私を見てくる。


 「――それが出来れば苦労しないよネ」


 真っ白に燃え尽きた顔で立ち上がる。そろそろマドレーヌ焼けるから。最早体に染み付いたタイマー機能。

 美味しそうな匂いに魔物が反応をしているのか不自然に揺れ動く水面を宥めようと、水時計を撫でる。こいつが居る限りこの農場辞めらんないんだよ。私も長生きだけどこいつも長生きなんだよ。


 出来上がったマドレーヌは得も言われぬ甘美な香りと共に窯から取り出される。狐色の生地はホカホカと湯気を放っていて、荒熱のこと等気にせず、一つひょいっと摘んでしまいたくなる甘美な具合に焼けていた。

 念の為と一つ取り出し、アイスピックで突く。うん、ちゃんと焼けてる。


 「では、此方を毒見として私が食べますね」


 「……俺も一個貰っちゃ駄目か?」


 「こら、セシリオ!」


 「いえ、多めに作ったので宜しければどうぞ」


 「っつ、あっちぃ! よっ、クラウディオも貰っとけよ」


 チャラい方の騎士――セシリオが美味そうに一つ食べて早速「うまっ!」と言う。真面目そうなクラウディオも釣られてかモグモグと食べだした。


 「これは……本当に、美味いな」


 「っあ、そう思います? ですよねそうですよね! いやーこれは自分でもよく出来たと思うんですよ! よかったらもう一個食べます? もう一つの方が出来上がるまで一緒に紅茶でも飲みませんか!? 良く合う銘柄があるんですよね~!」


 うきうきしながら戸棚に走り高めのティーカップと茶葉を取り出す。すると二人の騎士が付いていけないといった様子で此方を見ていた。


 「……その、貴殿は、菓子屋に向いているように思えるな」


 「ああ、アンタこのままでも良いんじゃねぇの?」


 何でそんな事言うんだよ!!! おこだよ!!






 三人で散々茶を堪能した後、出来上がった"ソレ"を大切に抱えて家を出る。王族に私のお菓子が食べられるとかそんな……。緊張で手が細かく振動している。


 「ッオ、オ、オモチシマシタ……」


 「うむ、頂こうか」


 侍従さんに"ソレ"を渡し、侍従さんが姫様に捧げる。お姫様はなぜか震える手で"ソレ"を掬い上げたかと思うと、小さな口で咀嚼した。


 「…………!」


 暫しの沈黙の後、ッカと見開かれた目。私は胃腸が痛くてぶっ倒れそうになったが、セシリオにさりげなく背中を殴られて正気に戻された。


 「これ――"プリン"じゃねぇか!!」


 姫様は男のような言葉で言うと、二口、三口と美味そうにバクバクと食べ始める。私は内心、プリンの名前が出てくるなんて、と自分と同郷の人間と初めて会えたのかもしれないとちょっと感動しつつ、それでも彼女はお姫様なので冷や汗を垂らしながら傅いていた。

 美味いか不味いかハッキリ言って欲しい。イマイチとか言われたらショックで倒れるかもしれない。


 「――しかも超絶美味い!!」


 「……よっし」


 小声でガッツポーズを作る。斬首回避! ユリウス・アルカイネ君、斬首回避オメデトー!!

 心の中では長編映画の終わりのように、感動的な音楽とエンドロールが流れていた。勿論混ぜたのも焼いたのも蒸したのも全部私だ。味見係りにセシリオとクラウディオが居るが。

 お祭り騒ぎの内心で、侍従さんと共に暢気にお代わりの用意をしていた私。その背を誰かがぐいぐい引っ張る。


 「はい、何事……?」


 「お前、名前なんて言うの?」


 背後にはなんと姫様がいらっしゃった。近衛騎士たちはおろおろしつつも、私に名乗りを求めている。そうだよな、無視しちゃ駄目だな。直接触れてもらうことも恐れ多いもんな、本当は。

 口から魂が出て行く姿を幻視した。私は気力で踏ん張り、名乗りを上げる。


 「ゆ、ユリウス・アルカイネと申します……」


 「――ユリウス・アルカイネ? エルフ連合の族長の一人息子の、ユリウス・アルカイネ!? お前が!?」


 何でお前農家やってんだ? って顔で色んな人に見られる。いいんだよ仕方ないんだよ放っといてくれよ。視線の集中度合いが凄い。確かに族長の息子だけどそんなに有名になるようなことしたっけ?


 「時空、水の精霊と契約し、マグナワッカとコカトリスを下したという、あのユリウス・アルカイネ……?」


 そこまで言われて初めて思い出した。あ、自分、結構強かったんだっけ、って。完全に忘れていた。


 よく考えたら、こんな阿呆みたいに広い農場全部に結界を張るのも、水遣りをするのも、普通は出来ない。私は結構強かったのか。……しかし、今となっては関係の無い話である。名前が広まっていたのは想定外だったが、しがない農家を強制させられている今の私には過ぎた名前だ。アルカイネの苗字をお父さんに返還しようかな。


 そういえば、どうして姫様は私の名前を聞いたんだろうか。


 「このプリン、お前が作ったのか?」


 「ええ、他にも苺の乗ったショートケーキや、一風変わった練りきりというお菓子もありますが……。お味は如何でしたでしょうか。舌の確かであらせられる姫様から、どうかアドバイスを頂きたいのですが」


 「いや、改善点なんか無い。これは完璧に美味い。生まれてから今までで一番美味かった」


 姫様の背後でセシリオが親指を立てている。奴の言ったことは本当だった! 姫様は心優しい方だった!


 「そ、そうでございますか!! っあ、よろしければ向こうの方に最近作ったチョコレートというお菓子が、」


 「チョコレートに、和菓子、ね。これは間違いないな」


 何が間違いないのだろう? 首を捻っても答えては下さらず、ただニィ、と彼女は笑った。私は嫌な予感に身を焦がしながら、姫様が何度か一人得心いったように頷くのを見ていた。


 「何もかもが丁度良い――ユリウス・アルカイネ、どうか俺と結婚してくれ!」


 私は失神した。


 トラウマスイッチ、君のは何処にある? 私はねー、『結婚』ってワードが地雷!

本当はお姫様もTS転生者で、中身女かつ肉体男の主人公が割と本当に丁度良いってオチをつけたかったんですが……また時間がある時にでも書けたら頑張りたいです

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