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仏師の酒  作者: 小夜
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 篁の庵は、紅羽からいくらか離れた森の中にひっそりと建っていた。彼の話によると、黒い海の侍従より身を隠すためにここに建てたのだという。

 半ば拉致同然にここに連れてこられた雪乃は、最初こそ多くの不満を口にしていたものの、真剣に鳳凰像の制作に取り組む皇の姿を見ているうちに次第に彼に心魅かれ篁の言葉を信じるようになっていった。

 もともと2人は性格的に似通った部分がある。

 今まで素の自分を隠して暮らしてきた彼女にとって、在りのままの自分をすんなりと受け入れてくれる篁に好意を持つのは当然かも知れない。


 こうして篁の鳳凰造りは半年にも及んだ。

 その間雪乃は篁の身の回りの世話を甲斐甲斐しく行い、晩の食卓にはできるだけ酒を準備した。

 戦後の物資の乏しい中、酒の類を準備するのは余程の労を要する。そんな雪乃の内助の功を彼は無駄にはしなかった。時は着実に成果を積み重ね、鳳凰は次第に完成形を見せてきた。


 そして、完成まであと1日程度に迫った時だった。篁と雪乃のもとに、災厄が振りまかれてしまったのである。



 その日、雪乃はいつものように酒入りの瓢箪を持って篁の庵に向かった。

 鳳凰は今日にも完成する。それならわずかでもお祝いぐらいはやらないと・・・・。

 雪乃の心は多少なりともわくわくしていた。

 彼女が庵の入り口に立つといつもと違う雰囲気がある。普段なら鳳凰を彫るノミの音が聞こえるのだが、今日はそれが聞こえない。

「完成したんだ!」

 雪乃は躍り上がった。これで災厄は免れることができる。篁の努力は報われると。

 しかし彼女が庵に脚を踏み入れた時、彼女はそこで信じられないものを見てしまった。


 そこには、あの尼寺を襲撃した老人がいたのである。

 老人は凶悪な爪を伸ばし、庵の居間の前にゆらりと立っていた。そして爪の先には雪乃のよく知る人物が体を貫かれ、まるで人形のようにぶらりと垂れ下がっていたのである。

 それはもちろん篁の姿だった。篁は鳳凰の完成を目の前にして、黒い海の侍従による襲撃を受けてしまったのだ。

 篁の目に光はない。体は痙攣しているが、それはあたかも魂を失ってしまったかのように無造作に首をうなだれている。


 凄惨な光景を目の当たりにした雪乃は、悲痛の声を上げた。

「篁!!」

 しかし、篁は応えない。その代わりに老人が雪乃を気味悪く見つめながら言葉を発した。

「連れがいたか。だがもう鳳凰は完成はしない。旧き支配者を遮る血脈を造れるのは、『篁』の血が流れる者だけだからな。」

 雪乃は鳳凰像を見た。長い時間篁と一緒にいた雪乃である。彼と語り合った時間の中で、彼女にも鳳凰の完成形の姿は理解できていた。

 見ればあと一太刀の彫りで鳳凰は完成する。

 雪乃は急いで鳳凰像に駆け寄ると、懐にしまっていた短刀を抜いた。

 これは、彼女が母の形見として大事にしていた物で、どんなに生活が苦しい時でも、決して手放さなかった雪乃の宝である。

「無駄なことはしないほうがいい。篁に親兄弟はいない。お前がその鳳凰を完成させても、血脈は働かない。」

 老人は爪から皇を落すと、ゆっくりと雪乃に近づいた。


 雪乃は涙を流して老人に叫んだ。

「うるさい!篁は・・・・、篁はお前なんかに負けない!」

 だが、老人は不気味な笑いを浮かべながら雪乃に近づいていく。それを見た雪乃は鳳凰像を振り返ると、最後の一太刀を像に加えた。

「莫迦め・・・・・。無駄なことを・・・・・?」


 その時だった。今まで静かに佇んでいた鳳凰像が、雪乃の心に応えるように輝き始めたのである。

 鳳凰の光は老人を包み、その衝撃を受けた老人は苦しみに声を上げた。

「莫迦な・・・・・!!」

 旧支配者の一員と言い伝えられる、謎の破滅の存在『黒い海』

 その侍従として姿を現したニャルラトテップ。


 あまりに強大な存在である旧支配者に対し、人間には本来抗う術は無いはずだった。しかし血脈の力は、人類にとって数少ない旧支配者の力を削ぐ武器となる。その力をまともに浴びてしまっては、ニャルラトテップとて退かざるを得ない。

 老人の姿を借りていたニャルラトテップは、呪いの言葉を残して消えていった。


 雪乃は倒れている篁に駆け寄ると彼を抱き起こした。ニャルラトテップの爪は致命傷だが、まだ彼には息があった。

 雪乃は篁を抱き、涙を流しながら彼に話しかけた。

「できたよ・・・・。鳳凰像が・・・・。」

 意識を取り戻した篁が、消え入りそうな声で彼女に応えた。

「雪乃・・・・お前が完成させたのか・・・?」

「うん。だって・・・・・。」

 雪乃が皇を見つめる。

「だって、あたしのお腹には、篁の子どもがいるんだから・・・・・・・。」



 短くも楽しかった篁との生活。それはある日、突然終結を迎える。

 しかし、2人の間にはその証が確かに存在していた。

 2人の愛が育んだ新しい命。

 雪乃の体には、篁の血を継ぐ命が宿っていたのである。


「そうか・・・・。それならしばらくは黒い海は降りてこないな。」

「しばらく?」

 雪乃は不思議そうに篁を見た。

「鳳凰と言えど、所詮は木でできた彫像だ。

 黒い海の脅威から日の本を護り続けるのだから、朽ちるのも早く寿命は短い。

 彫像が失われた時、また黒い海は舞い降りてくる。」


「その時は、どうすればいいの?」

「その時は・・・・、誰かが俺の意思を受け継いでくれるさ・・・・・・。」

 篁は最期にそう言うと、そのまま目を閉じた。

 そして、その目は永遠に開くことは無かった・・・・。

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