虐殺
その夜、尼寺を1人の老人が訪れていた。
齢の頃は80前後ほどであろうか?
足腰も定かではない老齢の男性で、寂風の話によると、例の鳳凰の彫刻を譲ってほしいという用件でこの寺を訪れたということである。
時は深夜。元々彫刻を譲る気のない寂風は、老人に丁重に断りの意を伝えたが、代わりと言ってはなんだが寺の敷地外にある離れに宿泊するように老人に提案した。
老人はそれを快く受諾。畳敷きの1室に、寝床が設けられたのである。
しかし、それが騒ぎの始まりだった。雪乃が離れで眠っていると、本殿の方から尼僧たちの悲鳴が聞こえたのだ。
驚いた雪乃は、急いで本殿に向かった。
中からはむせかえるような血の臭いがする。
雪乃が寺内を見回すと、そこには尼僧たちの無残に殺された遺体が散らばっていたのだ。
腹部を深く突き刺された者がいれば袈裟懸けに両断された者、後ろから斬られた者もいる。1度は悲鳴を上げた雪乃だったが、冷静になるように自分に言い聞かせると、その尼僧の遺体をつぶさに観察した。
どの遺体も、まるで鋭利な刃物で切られたような新しい傷が残っている。
ふと本殿を見ると、そこにはあの老人がいた。老人は先程のよろよろとした足腰の雰囲気とは一転していて、今は両の脚で仁王立ちになり、黙って鳳凰像を睨み付けている。
よく見ると老人の懐から3本の鋭利な刃物のような爪が伸びていて、その先にはまだ渇ききっていない艶かしい血が滴っていた。
犯人はあの老人?
雪乃はすぐに理解した。
老人はその3本の爪を振りかぶると鳳凰像に切りかかった。その時である。鳳凰像はふいに強い輝きを見せると、まるで邪悪な存在を退けるかのように、老人を吹き倒してしまったのだ。
1度は倒れた老人だったが、すぐによろよろと起き上がると、「さすがは皇の鳳凰だな。おいそれとは壊せぬか・・・。」と言葉をもらした。
その時、老人が雪乃の存在に気付いた。
雪乃は悲鳴を上げて逃げ出したが老人は執拗に彼女を追う。
そして、雪乃が大仏殿の本尊の後ろに隠れた時だった。
「大変だ!!尼さんたちが殺されているぞ!!」
寺の境内のほうから大きな声がした。それも1人や2人の声ではない。おそらく寺の異変に気付いた付近の住民が駆けつけたのだろう。
その声に老人もすぐに反応していた。姿を見られてはまずいと思ったのだろうか。老人は短く舌打ちすると、まるで霧が晴れるように消え去ってしまったのだった。
「なんだ!?尼さんたちが殺されているぞ!!」
「誰の仕業だ!?」
「寺女の死体が見当たらない!」
「あの女が犯人か!?」
「探せ!女を捜せ!!」
付近住民が老人の存在を知らなければ、真っ先に疑われるのは雪乃自身。雪乃はそのことをよく理解していた。
どうせ彼女は根無し草。長くここに居る理由もない。
雪乃は本尊の裏から1度だけ、世話になった寂風や尼僧のために手を合わせると、
身を隠すため寺の裏から竹林の中へ飛び出していった。