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仏師の酒  作者: 小夜
2/8

物乞い

 雪乃が目覚めると、彼女はある1軒の古びた農家の土間に寝かされていた。おそらく人が住まなくなってずいぶん長い時が過ぎた廃屋のようである。土壁は崩れ、囲炉裏には埃が溜まり、人の生活の匂いは感じられない。辺りにはひんやりとした冷たい空気が漂っていて、時は真夜中に差し掛かっているのがなんとなく判る。


 意外に雪乃の意識ははっきりしていた。酒を呑んで卒倒するという失敗は仕出かしたものの、たった数口程度のことなのだから、特に二日酔いになるなどということはない。

 酒が気付け薬になったのか、先程まで彼女を苦しめていた腹痛も今は感じられず、体の調子は悪くはない。


 ふと彼女が辺りを見回すと、1人の男がいびきをかいて眠っている姿が目に入った。

 体に巻きつけた布切れに、ぼさぼささに伸びた髪。

 間違いなく先程雪乃に酒を呑ませた(勝手に呑んだ?)あの男である。


 はっとあることに気付いた雪乃は、急いで自分の衣服をまさぐった。ここに雪乃とその男しかいないということは、男が彼女をここまで運んだということになる。

 男は得体の知れない存在だ。色欲で悪戯された可能性もあるし、亡き母の形見の短刀を奪う物盗りの可能性もある。

 しかし、彼女の衣服に乱れがないことや短刀もしっかり残っていることから、

まずはその心配は無いことが雪乃にはわかった。


 雪乃は物音をたてないように静かに起き上がると、急いでこの廃屋から外に出ようとした。

 今のところ彼女は無事。ここに長居すればこの男に何をされるかという不安がある。

しかし、雪乃が出入口まで歩いてきた時だった。ふいに先程までいびきをかいていた男が目覚めると彼女に声をかけた。


「今宵はここから出ないほうがいいぞ。」


 その不思議な響きのある声色を聞いた雪乃は、はっとしたように男を見た。

「この地には、夜毎に魑魅魍魎が彷徨い歩くと聞いている。米英の新しい風が流れ込んできているとは言え、まだまだここには妖しげな気が多い。命が惜しければ明るくなるまでここからは出ないことだ。」


 ただの泥酔者だと思っていた男がまともな言動をとったことに、雪乃は多少驚いていたが、それでもそれが彼女を狙う男の言いがかりと感じた雪乃は、男にこう伝えた。

「ここまで看病していただいたこと、心より感謝いたします。しかしながら私は先を急がねばならぬ身です。ここで失礼いたします。」

 すると、この雪乃の言葉を聞いた男が、突然大きな声で笑い始めた。


「あはははは・・・・!似合わん似合わん!さっきの酒の呑みっぷりは見事だったな。そんなていねいな言葉遣いじゃなくて、素でしゃべったらどうだ!?」


 見知らぬ男に突然図星を射された雪乃は、頬をプクッと膨らませるとプイと横を向いて廃屋を出た。

 なんでわかっちゃったのさ?ふん!!


 雪乃は廃屋を飛び出すと暗闇の中に山道を探した。

 幸い夜とは言え月明かりがはっきりとしていて、辺りの風景は見ることができる。雪乃は見覚えのある細道を見つけ出すと、森の木々が生い茂る方向へ足を進めた。

 今更言うことでもないが、夜の山道には怪しげな雰囲気がある。

 肌に僅かに感じる程度の冷たい風が木々を揺らし、それが奇妙な音になって雪乃の耳に届く。すっかり眠りに就いた山鳥の代わりに、フクロウやミミズクが彼女を見つめる。先の見えにくい闇の幕は、そこを通過する者に有らぬ奇怪な想像力を与える。

 雪乃はその気味悪さに閉口しながら月光を頼りに道を進んでいった。


 そして、彼女が小一時間ほど歩いた頃だった。雪乃の前に小さな沼が現れた。

 広さとしては、先程の廃屋程度のものだろうか。腐ったような異臭を放つその沼は、辺りの闇の異様さをさらに増大させ、いかにも雪乃をその中に飲み込もうとするような雰囲気を身に付けている。


 雪乃は沼を見渡し、迂回しようと対岸を見た時だった。突然沼の水面が大きくうねった。うねりは大きな波になり、それが不自然な形で空中に静止した。雪乃が唖然とした顔でそのうねりを見つめるとうねりは大きな塊に変わり、急に雪乃を目がけて襲いかかってきたのだ。

 危機を感じた彼女は急いで沼から離れようとしたが、塊となった汚水は本来の摂理に従わず、不自然な動きで雪乃を捕まえようと迫る。その形は巨大なアメーバのようで、いかにも意思があるかのように彼女を捕らえようと触手を伸ばしてきた。

 雪乃は悲鳴を上げた。

 頭が混乱しながらも、雪乃は先程の男の言葉を思い出していた。ここには魑魅魍魎が出没する。外には出ないほうがいいと言ったあの言葉だ。

 人気の無い夜の山道。彼女の助けを求める声は、きっと人には届かないと雪乃は思った。しかしその時、雪乃の悲鳴に応える者がいたのだ。


「だから危険だと言っただろう。」


 声の主は、先程の男だった。男は相変わらず酒の入った瓢箪をぶら下げながら、雪乃の進行方向にふらりと立っていたのだ。

 男は雪乃を手招きする。藁にもすがる想い。正にこの表現通りなのだろう。雪乃は男の背後に隠れると男に向かって叫んだ。

「あれなに!?」

「汚れた水神だ。魑魅魍魎の類に変わりはない。」

 男は瓢箪の酒を煽ると、それを一気に妖しい水に吹きかけた。すると不思議なことに、妖しい動きを見せた水は悲鳴を上げたのだ。

 まるで罠にかかったように暴れる濁った水の塊。それはやがて蛇のようにその場でとぐろを巻き始めた。

 辺りに轟くこの世のものとも思えぬ悲鳴。やがてそれは本来の摂理に従うように、地面の上に音をたてて流れ落ちたのである。


 辺りに静けさが戻った。

 先程までの妖しい空気はどこかに消え去り、再びフクロウの鳴き声が静かに流れる。

 あの恐ろしい光景はいつの間にか陰を潜め、夜のありふれた景色が2人の前に本来の姿を取り戻したのである。


 目の前で起きた怪訝な出来事にしばし唖然としていた雪乃だったが、ふっと我に返ると、男の姿をまじまじと眺めた。

「あんた、何者?」

 廃屋での言葉遣いと全く違う話し方をした雪乃を見て男はからからと笑った。

「それだな!そのしゃべり方が素なんだろう?」

「そうよ!それより、その瓢箪に入っているのはなんなの?もしかして神水とか?あんた祈祷師?」

「これか?これはただの酒だ。」

 男はそう言うと、再び瓢箪の酒を煽った。

「ただし、神前に供えれば酒も神聖なものに変わる。これはそういうものなのさ。」

「ふ〜ん。ところで、結局あんたは何者なの?」

「俺か?俺はただの物乞いだ。」

「物乞い?」

「そう、物乞い。酒をこよなく愛する物乞いだ。俺は酒だけあればこの世に極楽を見出せる。酒のためなら盗みもすれば働きもする。そういう物乞いだ。」


 男はここまで言うと大きなあくびをした。急に酔いがまわってきたのだろうか。突然その場に座り込むと、再び大きないびきをかいて眠り込んでしまったのである。


 雪乃は男を唖然としてしばらく見ていたが、その内あることに気が付いた。男のはだけた胸元から重そうな小さな包みが見えたのである。

 彼女は男が眠っているのをいいことに、その包みを失敬した。

 包みの正体は財布で、中には銭が入っている。

「物乞いにしては、ずいぶんな財産持ちだね。」

 どうせ物乞いならこんなにたくさんの銭は必要無い。もともとやんちゃで自分中心なところのある雪乃は、こっそりとその銭の半分を自分の懐に移した。

 多分どこかから盗んできた銭だろう。この男が持つより私が持つほうがためになる。魔が差した雪乃は勝手にそんなことを思いながら、残りの銭の入った財布を男の懐に戻そうとした。


 その時ふと雪乃が目にした財布の中に、雪乃は一枚のお札が入っていることに気付いた。札は御守というより、どこか手紙の外包みの印象を受ける。

 紙の表面には、文字が1つだけ書かれていた。


たかむら・・・・?」


 よく見ると、その「たかむら」の文字は籠目紋(六芒星)と共に書かれていて、何か陰陽師の流れに基づくものの印象も合わせて受ける。もともと雪乃の家系には巫女の流れを含む者も多く、彼女もその手の知識はいくらか深い。そう言えばこの男は自分のことを物乞いと言っていたが、先程物の怪を見事に仕留めた様子から只者では無いような気もする。

「そう言えば、たしか外法の仏師に『篁』って人が・・・・・・。」


「ふあぁぁ・・・・・。」

 突然男が寝返りを打った。

 驚いた雪乃は銭を持ったままそこから走り出していた。

 男の銭を失敬したまま紅羽への道を急ぐことにしたのである。

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