EP.2-2
「いきなりすんませんねぇ、すぐ帰りますんで」
「え……」
「おれがおっても邪魔でしょ?」
リュシアンはそう決めつけて、部屋を見渡す。昨日と何ら変わらない部屋だったが、勉強机に広がる本を見る限り、ちょうど自習をしているところだったようだ。
「じゃまじゃ……ないよ?」
メルがぽつりと呟く。しかし既にメルからこの部屋自体に興味の対象を移していたリュシアンの耳には届かなかった。
「坊ちゃん?」
メルがその場に立ち尽くして動く気配がないので、リュシアンは訝しがる。
「あ、うん……忘れもの取りに来たんだったな」
勉強机の引き出しを開けるメルの表情が浮かない気がして、リュシアンは首を傾げた。もっとも、リュシアンには言葉少ななメルの真意を測り知ることなど到底できないのだが。
「これ、昨日落ちてた指輪」
メルは引き出しにしまっていたシルバーリングを取り出して、リュシアンの手に乗せる。
「ああ、おおきに……ってこれ師匠の嫁さんの形見やないか。あのジジイこんな大事なもん落とすとか何考えとんねん」
自分をこの場に向かわせる為とはいえ、妻の遺品まで持ち出すのはやり過ぎではないかと、リュシアンは内心呆れた。
「はぁ……まあええわ。勉強中に悪かったな」
ふと、メルがどのような勉強をしているのか気になって、リュシアンは机の上を覗き込む。
「歴史の本か」
分厚い本に小さな文字がびっしりと詰まっている。普段本なんて読まないリュシアンは、数行流し読みしただけで、軽い頭痛に襲われた。
「こんなん読めるなんて、えらいですね~」
「こんなの、できて当たり前だから」
褒められたのにも関わらず、メルは不貞腐れた態度で応える。
「当たり前、ねえ。そんなことないと思いますけど」
「兄上はもっとできたって言われた」
「そらお兄さんはもっと賢かったんかもしれんけど、坊ちゃんがえらいことには変わりありませんよ? こんなん、坊ちゃんくらいの年頃の子は普通読まれへんし」
少なくとも、リュシアンがメルの年頃の時は読めなかった。
「できて当然なんてことないやろ。坊ちゃん読めるようになるまで頑張ったんやろ? 十分えらいですよ」
リュシアンがそう言うと、メルは驚いたように目をぱちくりとさせた。
「な、何か?」
「そんな風に言われると思わなかった」
「なん、師匠かてそう言うはずやで?」
「うん。昔、言ってくれたの思い出した」
「そうですか」
メルが嬉しそうに笑う姿を見て、リュシアンは肩の力が抜けた。その笑顔は年相応に幼くて純粋なもので、会う前から悶々と抱いていたメルへの嫌悪の気持ちが幾分和らぐ。
「坊ちゃん、今日これから何か用事あったりします?」
「ないよ」
「暇ならちょっと話でもしませんか?」
「え……?」
「別に嫌なら今すぐ帰りますけど」
「い、嫌じゃない!」
どうやらメルは積極的に発言することはなくても、問いかけられれば自分の意思はある程度、示してくれるらしい。断ってくれれば今すぐ帰ってもハロルドに言い訳ができたのだが仕方ない。
少しくらいなら話をしてやってもいいかなという気分になっていたリュシアンは、昨日と同じ椅子に腰かけることにした。
「……なあ、坊ちゃん」
「なに?」
「おれのこと、怖ぁないんですか?」
リュシアンの向かいに座ったメルは、質問の意図がよく分からないといった風に不思議そうな顔をした後、ふるふると頭を横に振った。リュシアンはメルに対して、他の子供達よりもずっと辛く当っていたのだが、本人はそうとらえてはいないようだった。
「怖くない」
「なら、いちいち顔色伺うのやめてもらえませんか?」
「顔色なんて見てない」
「見とるわ。喋る前にいつも考えよるやん『これ言っても大丈夫かな?』って」
「それは……変なこと言ったら駄目だから」
「そういう気遣いがいらん言うてんねん」
「僕が失礼なことすると、父上と母上にめいわくかける。それに……」
目線を落としたメルは、耳を澄まさないと聞こえない程小さな声で呟く。
「嫌われたくない」
ほら、やっぱり怖がっていたんじゃないか。リュシアンは心の中でそういった。けれど恐怖の対象が『リュシアン自身』ではなく、『リュシアンに嫌われること』だったのは予想外で、少し驚いた。メルはリュシアンの言動から、自分が好かれていないことを、薄々察していたのかもしれない。
「でもそんなんやったら、おれ坊ちゃんの好きなもんも、嫌いなもんも分からんのですけど?」
リュシアンは意識的に語気を和らげて話す。
「嫌いになったりせんから、教えてもらえません?」
「じゃあ……それ、嫌い」
「はぁ?」
メルはリュシアンを指差した。
「ど、どれ?」
「話し方」
「訛ってて分かりにくいですか?」
「違う。ていねいなの、嫌い」
「ああ」
そこまで言われてメルが何を言いたいのか、リュシアンは何となく理解した。
「僕は、父上と違う。父上みたいに、えらくないから」
「だから敬語止めろと?」
こくりとメルは頷く。
昨日この屋敷の門前でハロルドに言われたことを思い出し、リュシアンは思わず吹き出した。
「はは、自分も師匠と同じこと言うねんな」
「……?」
メルにルーファスとは違うと直接言われて、混同していた自分が何だか馬鹿らしくなったからだ。
「まあ確かに、弟弟子に敬語ってのもおかしいしなー 普通にしとくわ。敬語とか慣れんし、使いにくいでな。」
リュシアンは手を伸ばして、テーブルを挟んで座るメルの頭を撫でる。
「ほな、改めてよろしくな、メル坊」




