EP.2-1
「おはよう、坊ちゃん」
「もうお昼過ぎてるよ?」
「…………」
メルを前にして早くも笑顔が限界だ。リュシアンは口端をひくつかせる。まさか、二日連続でカディック邸に来るとは思わなかった。
そもそもどうしてこんなことになったのか、その理由は数時間前に遡る。
***
朝、ヒューイと共に執務室に呼び出されたリュシアンは、そこで伝えられたハロルドの言葉に耳を疑った。
「師匠……もっぺん言ってくれへん?」
ハロルドはあからさまに顔が引きつっているリュシアンに、平然と先程告げた言葉を繰り返す。
「昨日メルの部屋に、指輪を落としてしまった。取ってきてもらいたい」
「おれが?」
「ああ」
「またあの屋敷に行けと?」
「そうだ」
「ふふ……ふふふっ」
容赦ない指令に何故か笑いがこみあげてきた。怪しい笑いに、リュシアンの真横にいるヒューイが若干引いている。
「リ、リュシアン……?」
「何でじゃああああ!!」
ちゃぶ台があればひっくり返す勢いで、リュシアンはハロルドに食ってかかった。机に積んであった書類が崩れ落ちる。
「そんなんヒューイに頼めばええやん!」
「ヒューイは私と任務がある」
「じゃあおれが師匠について行くー!」
「駄目だ。どうしても反抗したいなら、この場で私に決闘を申し込みなさい」
この騎士団には出世の方法が二つある。一つは上司からの推薦。そしてもう一つが決闘だ。
「実力で勝ち私の上の地位に立てば命令に従う必要はなくなる」
「そんなん……」
「もっともお前に負けるつもりは毛頭ないがな」
師であるハロルドの実力を、リュシアンは身をもって知っている。その上で決闘を申し込むなど、到底できなかった。
「諦めろ、リュシアン」
ヒューイが哀れむように、リュシアンの肩を叩く。
「リュシアン、お前は昨日メルと何を話した?」
「そ、それは……」
「お前のことだ、どうせろくに会話もしないまま、日暮れも待たず帰ったのだろう?」
完全に見透かされていてぐうの音も出ない。
「一度きちんと話してきなさい。その上で相容れないと言うのなら、私はもうメルに関われとは言わない」
「うう~……師匠なんか嫌いやああああ!!」
どうしようもなくなり、リュシアンは捨て台詞を吐いて部屋から走り去った。
バタンと勢いよく閉まった扉を一瞥してから、ヒューイはハロルドを顧みる。
「……嫌われましたよ」
「ふっ、これは困ったな」
そうは言うものの、困ったような表情には全く見えなかった。ハロルドはくすりと笑って顎髭を撫でる。
「何を考えているんですか?」
「お前が詮索とは、珍しいこともあるものだな」
「貴方があんなことを命じる方が珍しいです。リュシアン、相当嫌がってましたけど」
「あの子に無理やり強いるのは、私も心苦しいよ」
「はあ……どこまで本気なんだか」
この師弟は本当に手がかかるというか……いや、手がかかるのは弟子だけなのだが。ハロルドも火種を蒔くという点では十分問題だった。
(八つ当たりされるのは、俺なんだけどな……)
ヒューイの心労は尽きなかった。
***
執務室を飛び出した後、リュシアンは貴族街に居た女性に次々と声をかけ、たわいない世間話に興じていた。しかしそれも昼を過ぎたくらいに止め、今はあてもなく貴族街の人気のない区域をふらふらと歩いていた。
「おっと、悪……い」
道の角を曲がってすぐ、誰かにぶつかった。リュシアンは反射的に謝罪の言葉を述べたのだが、ぶつかった人物の顔を見上げて固まる。
「げ……シンク」
端正な目鼻立ちに、鮮やかな緋色の髪と瞳。人通りの多い街中でも見つけるのは容易であろう外見のこの人物は、リュシアンと同じ騎士だった。
「こんな所で遊び歩いてんなよ、邪魔だ」
「お前こそ、こんな所で何しとんねん!」
リュシアンよりシンクの方が年齢は一つ上だ。しかし、騎士団では飛び級で入団したリュシアンの方が先輩にあたる。普段の言動が似通っているだけに、お互いに思う所は多いようだ。顔を合わす度に、こうして喧嘩腰になる。
二人は睨み合ったまま動かない。まさに一触即発な雰囲気だ。それを破ったのはシンクの方だった。
「俺は仕事中さ。どっかの不真面目な先輩とは違ってね」
先輩、という言葉を強調して、シンクは冷笑する。
「はあ、仕事ぉ? こんな住宅街ぶらぶら一人で歩いてんののどこが仕事やねん」
「トラヴィス様が『自分の警護に人手を割くくらいなら城下の見回りをしていてくれ』と仰せだからな」
「はっ、どうせ見回りにかこつけて、その辺の女の子ナンパしとるだけやろ」
「それはアンタだろ。そこらの女の子に訊いたらこっちに居るってすぐに教えてくれたよ」
「ならわざわざこっち来んなや」
「俺だって来たくなかったさ。でも隊長の命令だからしかたない」
「師匠の命令?」
「さっさとカディックの別邸に行けよ、先輩」
ハロルドはリュシアンがおとなしくカディック別邸に向かうはずがないのを見越して、シンクをよこしたのだ。
「い、今から行こうと思ったんや!」
「屋敷はアンタの進行方向とは逆だけどな」
「分かっとるわ!」
リュシアンはそう吠えて、ずかずかと大股で来た道を戻る。その後ろをシンクは黙って歩く。
「ついて来んなや、鬱陶しい!」
「ちゃんと屋敷に入るまで見届けろって言われてるからな」
「くっそ……師匠のアホぉ」
シンクにせっつかれて、否応なく再びカディックの別邸に足を踏み入れることになった。
リュシアンは渋々メイドに用件を伝え、メルの部屋に通してもらう。そういった経緯で今現在、メルを前にしているのだ。




