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無垢の翼  作者: おうか
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EP.1-4

 カディックの別邸二階、メルの自室に通されたリュシアンの心に満ちていたのは、怒りでも憎しみでもなく諦めだった。笑顔を取り繕うことも早々にやめた。


(師匠も、何でおれだけ置いて行くんよ……)


 半刻ほど前、仕事があると言って城へ戻ったハロルドへの恨み言を心の中で呟きながら、リュシアンはテーブルを挟んで向かいに座るメルを見つめていた。


(しかも日が暮れるまでこのボンの話相手になれとか……鬼畜すぎるであのジジイ)


 ルーファスの次男で年は5歳。年齢のわりには少し小柄だった。長めの袖口からは、たまに手の甲に巻かれた白い包帯がチラついた。


「…………」

「…………」


 会話のない時間が続く。

 メルは俯いたまま、もそもそとショートケーキを食べていた。時折、顔を上げてリュシアンを見たが、目が合うとすぐにまた下を向いてしまう。


(……イライラする)


 ハロルドに見せたぎこちない笑顔も、顔色を伺うような目線も、いちいちリュシアンの気に障った。同い年なはずのエディの弟とは、言動はまるで正反対だ。


(言いたいことがあるなら、言えばいいのに)


 イラつきから、自然と仕草も荒くなる。チッと舌打ちをすると、メルは大げさに肩を震わせた。


「何か気になることあるなら、言うてもらえませんかねぇ?」


 テーブルに肘をついて投げやりに言う。話しかけられたのに驚いたのか、メルはぱちぱちと瞬きをした。

 リュシアンとしては会話なんてする気は毛頭なかったのだが、仕方ない。それにもし、早く帰れと言ってくれれば、今すぐこの場からおさらばできるし、ハロルドへの言い訳にもなって万々歳だ。けれどメルの言葉は、リュシアンの期待とは全く違うものだった。


「ケーキ、きらい?」

「へ?」


 あまりに予想外の質問に、思わず間の抜けた声が出る。


「さっきから、ぜんぜん食べてない」


 リュシアンは自分の手元に並べられた、お高そうなケーキと紅茶に視線を落とした。

 別に嫌いな訳じゃない。ただルーファスの息子と仲良く向かい合って食べるなんてありえないというだけだ。

 しかし、さすがにそんなことを口に出すわけにはいかないので、適当な言葉を並べる。


「はぁ、今はそんな気分じゃないもんで」

「……そう」


 これが食べたいんだろうなということは、ケーキをじっと物欲しげに見つめるメルの視線から推察できた。けれどメルはそれを一向に口にはしなかった。


(欲しいものも言えないのか。焦れったい)


 再び訪れた沈黙に耐えきれず、リュシアンはついに席を立った。これ以上この場に居ると、本当に手が出てしまいそうだ。


「……帰る」

「え……?」


 いきなりのことで戸惑っているメルを置いて、リュシアンは足早にその場を立ち去った。屋敷を出て見上げた空はまだ青く、ここへやって来てから幾分も時間が経っていないことを物語っていた。



***



 貴族街から時計塔を挟んで向かいに広がるのが、リュシアンの拠点としている市民街だ。市民街に足を踏み入れるころには、リュシアンも幾分冷静さを取り戻していた。

 騒がしいがどこか温かい雰囲気に安堵する。品がないといえばそうなのだが、リュシアンにはこちらの方が性に合っているらしい。

 噴水広場を通ると、そこにはエディ達と、リュシアンの同僚であるヒューイがいた。ヒューイの姿を捉えた途端、リュシアンに沸々と怒りがこみ上げてくる。


「ヒューイィィイイ!!」


 リュシアンは拳を握りしめ、ヒューイの顔面に殴りかかった。もはやただの八つ当たりだ。


「おっと」


 しかし、遠くからリュシアンが来ていることを認識していたヒューイは上体を逸らして避ける。


「避けるなアホ!」


 渾身の一発をあっさりと避けられて、リュシアンは地団駄を踏んだ。


「いきなり殴りかかられたら、そりゃ避けるだろ」

「うるさい! お前のせいでおれは……」

「な、何だよ?」


 そもそもヒューイがハロルドに訓練をサボったことを告げ口しなければ、執務室に呼び出されることもなかった。そうすればカディック別邸に連れていかれることもなかった。メルとも会わず、何事もない一日だったはずなのだ。


「はあ……もうええわ」


 そんな恨み辛みを述べようかとも思ったのだが、何だか虚しくなってきたので止めた。というかリュシアンにはもうそんな気力もない。今は少しでも早く自宅に帰りたかった。


「リュシアンどうしたんだ? 元気ないぞー」

「おれはもう一週間の気力を、この数時間で一気に使い果たしたんや……ほな、またな」

「どこ行くんだよ! 約束は?」

「悪りぃ、また今度な。今日はヒューイで遊んどいてくれ」


 背後からエディ達が文句を言う声が聞こえたが、リュシアンは無視して帰路についた。



***



 市民街の中でも廃れて、ひと気のない場所にリュシアンの家はあった。周りには猫屋敷と化している茅屋や瓦礫の山しかない。足もとの石畳は所々剥がれていて歩きにくい。しかしリュシアンはそれを意に介する事もなく、門をくぐり玄関の扉を開けた。人が好んで寄り付かない場所なので、家の広さだけは一人暮らしには十分すぎるくらいある。ようやく帰ってきたと一息ついたリュシアンは、一目散に居間のソファへとダイブした。目を閉じる前に見た窓の外は、まだ青空が広がっていた。

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