EP.1-1
西の国オフェリア。資源に恵まれたこの国の王都、カルトブランシュは活気に満ちていた。賑やかな商業地区を挟み街の上下に位置する貴族街と市民街。貴族街のさらに上にあるオフェリア城からはそれらが一望できた。
この国の騎士であるリュシアンは城の廊下を歩いていたが、ふと鐘の音を聴いて立ち止まった。
「もう昼か」
襟足にもう少しで届くかという所で、適当に切り揃えられた濡れ羽色の髪が、リュシアンの動きに合わせてさらりと揺れる。
城内の廊下から外に目をやると、商業地区の中心にある広場の時計台が見えた。時計台の針は長短共に真上を向いている。
「呼び出しやなんて、やっぱお説教やろか……」
この王都では聞き慣れない変わったイントネーションでリュシアンはぼやいた。それはリュシアンの出身地方で古くに使われていた訛り言葉らしい。
ポケットから煙草を取り出し口にくわえた所で、リュシアンの動きが止まる。
(煙草の匂いなんぞさせとったら、余計怒られそうやな)
リュシアンは渋い顔をすると、くわえていた煙草を箱の中に戻した。思い止まったはいいものの何だか口寂しくて、黒い手袋をした左手の人差し指で自分の唇をなぞる。
「はあ……行くかー」
いつまでもこんな所で時間を潰しているわけにはいかない。それこそ本当に怒られてしまう。リュシアンは煙草の箱を再びポケットにしまい、真後ろにあった扉をノックした。名前を名乗ると中から低い声が帰ってきたので、リュシアンはそのまま部屋の中へと足を踏み入れる。
部屋の左右には棚があり、そこには書類や資料の類いが整理されて並んでいた。中央のテーブルを挟んで両側にソファーが置かれている。そして部屋の一番奥、大きな窓の手前に置かれた作業用のデスク。
訪れる度、一人で使うには広すぎるのではないかとリュシアンは思う。
リュシアンを呼び出したこの部屋の主は、奥の机で書類に目を通していた。
「お呼びですかー? ハロルド隊長」
机の前まで行き、改まったような丁寧な口調でリュシアンは口を開く。
ハロルドと呼ばれた壮年の男は、一つため息をついてから視線を書類からリュシアンに移した。
「リュシアン。お前はまた訓練に出なかったそうだな」
「あー、ちょっと頭痛が痛くて」
「頭痛が酷くて、だろう」
「ああうん、それ」
適当な受け答えに、ハロルドは眉を寄せる。
「訓練の時刻間際までは、貴族の女性達に囲まれて元気だったようだが?」
「……何でバレとん」
「とある隊員から申告があった。昨夜は酒場で暴れて、酒場の店主に明け方まで説教されたことも合わせて聞いている」
「とある隊員って、そんなん知ってる奴ヒューイしかおらんやないかい!」
リュシアンは思わず声を張り上げた。そんな申告をできる人間は、昨晩一緒に酒場へ行ったヒューイ一人しかいない。
(あいつ黙っとけって言ったのに……後でしばく)
そう決意したリュシアンは、机の影で左の拳を握りしめた。
「さ、酒場のはちょっと拳で語り合っただけやし」
「拳ではなく、言葉で語り合いなさい」
「だって酔っぱらいのおっさんが『こんな女みたいになよっちい奴に負けるはずがない』って喧嘩吹っ掛けてきてんもん!」
「酔った者の言葉を真に受けるな。まったく、騎士のお前が国民を困らせてどうするんだ」
ハロルドの正論には返す言葉もない。それでもリュシアンは自分は悪くないと主張するかのように口をヘの字に曲げてそっぽを向く。
「まあいい。今日は説教のために呼び出したわけじゃない」
手にしていた書類にサインをすると、ハロルドは腰を上げた。
「私はこれからお前の弟弟子の所へ行く。ついて来なさい」
「へ、何で?」
「来れば分かる」
「ふーん。ていうか、おれ以外に弟子なんかおったんや。師匠もう年なんやから、ほどほどにしときや」
「お前ほど手はかからないから、心配ないよ」
「む、なんそれ」
なんだか弟弟子の方が立派だと言われているようで、いい気分がしない。
「おれかて優秀な弟子やん?」
「優秀な弟子は隊の訓練をすっぽかしたりはしないさ」
ハロルドはリュシアンの頭をぽんと叩いた。
「どうした」
「おれ、これから昼寝しようと思ってたんやけど……」
ふわあと一つ、リュシアンは大きな欠伸をした。明け方までの説教のせいで、ほとんど眠れていないのだ。
「たまには師匠に付き合いなさい」
「へーい」
「返事くらい、きちんとしなさい」
「ええやん。おれと師匠の仲やし」
「お前は陛下の御前でも、その話し方を直さないだろう」
「だって気に入ってんねんもん」
今となってはほとんど聞く機会のなくなった方言を真似て話すリュシアン。現地出身の者からすれば微妙に違う所もあるらしいのだが、本人はこの話し方をいたく気に入っていた。
「それに今のおれには、これくらいがちょうどいいんよ」
含んだ笑みでリュシアンは語る。その瞳には先程まで見受けられなかった影あった。




