EP.3-1
メルの部屋に顔を出すようになって、もうじき一ヶ月になるだろうか。リュシアンは慣れた様子で塀を蹴り、木を足がけにし、二階のベランダまでやって来た。
「ちわー メル坊、遊びに来たで~……ってあれ、師匠やん。何してん?」
「私はメルの師でもあるんだから、ここにいてもおかしくないだろう? お前こそ、どうして窓から入って来るんだ?」
「いやぁ、あんまり通い詰めると、メル坊のお母さんもいい顔せんやろうし……あとキャロルも」
キャロルに関しては気休めみたいなものだが。堂々と通うよりは幾分マシだろう。
「丁度いい、これから下に降りて剣術の稽古をする予定だったんだ。兄弟子として、手本を見せてやりなさい」
「えー……おれの見たかて、何も参考にならんと思うんやけど」
ちらりとメルの様子を伺うと、期待するように瞳が爛々と輝いていた。
「はぁ、分かったよ。ちょっとだけやからな!」
そう言うとリュシアン達は、メルの部屋にあるベランダのちょうど真下に移動した。
「稽古って木刀か……」
「当然だろう」
ハロルドに手渡された木刀をまじまじと見つめる。普段実戦に使っている大剣でそのまま稽古しているリュシアンにとっては、騎士学校時代を思い出させる懐かしい感触だった。
「このサイズの得物使うなんざ、久しぶりやな」
「これが騎士に支給される標準の剣の大きさだ」
「そういやそうやったな。ほとんど使ってないわ、あの剣」
力任せに一振りで方をつけたがるリュシアンには大剣の方が合っているので、支給された剣は数える程しか使ったことがない。家の隅に放置され、埃を被っている剣を思い出す。
「でもさ師匠、持って来たんこれ一本だけやろ? もう一本はメル坊用の短いやつやし」
「私は今日は見ているだけにするよ。リュシアン、お前がその木刀でメルを指導してやるといい」
「ふーん。おれに任せてええの?」
初対面時この小さな子供へナイフを向けようとした人間に、よく任せるなんていえるもんだと、リュシアンが目を細めて鼻で笑う。
「ああ。私の自慢の弟子だ、何の問題もない」
「……ずるいなぁ」
そんな風に言われて、変なことなんてできるわけがない。いや、もともとリュシアンにそんなことをするつもりなどなかったのだが、今の一言で心にくゆっていた僅かな毒気すら、完全に抜かれてしまった。
リュシアンは気分を改めるように、一度木刀を振り下ろすと軽く構える。
「じゃあはじめよか。どこから来てもええで? どうぞお好きなように」
「行くぞ!」
メルがリュシアンに向かって思い切り踏み込んだ。リュシアンの目が今までと違い、真剣なものになる。
「言っとくけど、おれかなり強いで?」
***
執務室の扉を開けると、そこにはハロルドではなくキャロルがいた。キャロルは本棚の整理をしているようだ。ヒューイの記憶ではそれは今朝、リュシアンがハロルドに頼まれていた仕事だったのだが。
「ヒューイ、どうしたの?」
「あー……その、隊長知らないか?」
「ハロルド様なら、メル様の所だよ……ついでに、リュシアンも」
「へ、へぇ……」
無意識に地雷を踏みぬいてしまった。ヒューイは視線を泳がせる。
「まさか、連れて帰ってこいとは言わないよな?」
「言わないよ」
ヒューイはほっと胸をなでおろす。てっきりまた理不尽な八つ当たりでもされるのかと思った。
「ボクがあれだけ言ったのに、それでもメル様に会いに行ってるんだから、もうあの子のやる事を邪魔したりしないよ」
「一応あいつの意見を尊重してんだな」
「そりゃあ、あれでも僕の大事なご主人様だからね。あれでも」
強調するように二度同じ言葉を繰り返す。やはり不満はあるようだ。
「そんなことより、ハロルド様だよ」
「隊長?」
「そう、ハロルド様。最近……いや」
キャロルは途中で言葉を切ると、何かを思案するように唇に手を当て黙りこくった。
「なんだよ?」
「気づいてないならわざわざ言う必要もないか。ボクの思い違いなら、それに越したことはないしね」
これ以上話す気はないらしい。キャロルは手を一つ叩くと話題を変えた。
「それで、ハロルド様のところに行くの? 伝言になってもいいならボクが聞いてもいいけど?」
「急用でもないから、日を改めるさ。トラヴィス様に言いつけられていることもまだ残っているからな」
「そう、忙しそうだね」
「お互いにな」
ヒューイが机に積みあがった本を指差すとキャロルは「本当だよ」と苦笑した。




