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「喜べ、姫。神託が降りたぞ」
何やら重大決心をされたお顔で、お父様が私に会いに来られた。
我が中の国の国王たるお父様だもの、もちろんお一人でのご訪問ではない。王妃であるお母様、長年仕えてくれている宰相、それから小姓数名と、何故か神官長まで引き連れて。同じ王宮に住む一人娘の部屋に来るだけなのに、相変わらず大層な行列だ。
重々しく告げられたお父様の言葉だったけど、私には心当たりがない。話がまったく見えてこなくて困ってしまう。
神託とはなんぞや。そしてそれが降りたからって、何故私が喜ばなくてはならないのかしら。
「お父様……どういう事ですの?」
埒が明かないので、私は説明を求めてみた。
「可愛い可愛い儂のシルヴィアナ。そなたには世界一の婿を、と常々思っておったが、これまではなかなか良縁に恵まれなんだ。隣国の王子は顔は良いが女ったらしだというし、やり手だと噂の北国の王は60過ぎで儂より上、姫とは年が離れすぎておる。西国の王子は気は優しいが賭け事に目が無いそうじゃし、賢いと評判の東国の王子はあの厭味ったらしい親がムカつくわい。南国の王子は凡人なのか良い話も悪い話も聞かないが、如何せん領土が遠すぎて、嫁いだ後の姫の里帰りもままならない。かーっ、この世に姫に相応しい男などおらぬのか!」
「そうやってあなたが全部断ってしまわれるから、姫の輿入れ先が一向に決まらないのですよ」
お母様がにこにこしながら抜群のタイミングでツッコミをお入れになると、ぐはっ、とお父様が胸を押さえて大げさに呻かれた。うん、いつもの夫婦漫才は健在だわ。壁際で宰相が溜め息まじりにスルーしている光景まで込みで、これが我が家の日常風景。中の国は至って平和な国なのだ。
私は、中の国の王女シルヴィアナ。子宝に恵まれなかったお父様お母様にようやく授けられた一人娘。という訳で、溺愛されている。小さい頃はこれが普通の親子愛なんだと思っていたけれど、猫可愛がりする両親の背後から注がれる宰相の生温い視線に、いつしか私は悟ったの。うちの親は相当な親バカなんだって事に……!
そして気がついた。
十六歳になってもなかなか私の縁談が纏まらないと思っていたら、お父様が妨害されていたのね。
おかしいなぁとは思っていたのよ。一般庶民とは違って、王族――特に女性の場合は、もうとっくに婚約者くらい決まっていても不思議ではない年齢なのに。
「可愛い盛りの愛娘を断腸の思いで嫁に出そうとしているのに、愛しい儂のシルヴィアナが幸せになれない相手など絶対に選ぶものか!」
「あなた、それでは国が滅んでしまいます」
お父様とお母様の間で交わされる会話の意味が分からず戸惑う私に気がついたのだろう、宰相が補足説明をしてくれた。
「姫様は一人娘であらせられますので、他国に嫁がれた後、お産みになられたお子のうちどなたかを我が中の国の王位継承者としてお迎えする予定だったのです」
「ああ……そうなの」
それはまた長期遠大な計画ねえ。
……私が早くに子供を複数人授からなかったらどうする予定だったのだろう?
獲らぬ狸のなんとやらだ。
「だが、そこで有難くも神託が降りたのだ!」
お父様が高揚した声と共に拳を掲げられた。
「来たる十二の月の十二の日、十二時ちょうどに選抜の儀式を執り行う! 我こそは、と志願する者全員を王宮の前庭に集め、塔の上から弓矢を一度だけ射る。その矢に選ばれた唯一人が、姫の運命の相手だとのお告げだ……!」
「……でもお父様、それではお相手がどのような人物なのか分からないのではありませんか?」
平たく言えば、王族でも貴族でもない平民、さらには異国民であっても、その場に居さえすれば誰でも選ばれる可能性があるという事だ。
先程挙げ連ねたお父様のリストには王族の方のお名前しか含まれていなかったような気がするのに、いいのかしら。そこがお父様なりのこだわりポイントなのかと思っていたんだけど……。
「なに、託宣に間違いがあろうはずもない。姫はきっと素晴らしい青年と巡り合えるはずじゃ」
「まあ、シルヴィアナ。なんだか夢があって素敵だこと。当日まで何が当たるか分からないなんて、ワクワクしますわ!」
「お母様、それでは年末恒例の夢籤のようです……」
お父様とお母様の能天気さに、慣れているはずの私でもさすがに少し不安になってきた。
まあ、私自身は別にお相手の出自は気にしない。身分どうこう、国籍どうこうより気になるのは、お相手の人柄だ。優しくて誠実な方だといい。お父様とお母様のようなおしどり夫婦が私の理想なのだもの。
「心配は無用だ、シルヴィアナ。神託は実に渡りに船じゃった! 王族との縁談を断っておいて格下の貴族や平民と結婚させますとはなかなかに言い辛いが、神の御意志であれば、他国への顔も立つというものじゃろう?」
「まあ、誰のせいだと思っていらっしゃるの。あなたがあれも駄目、これも駄目、とおっしゃるからどんどんハードルが上がっていったのではないですか」
「しかし妃よ。愛しい儂らのシルヴィアナの伴侶を吟味せずにいられようか?」
「それはそうですけれど」
「……もっと早くに決定して下さっていれば、数多の縁談への角の立たない断り方で悩む必要も無かったのですけどね……」
お父様とお母様の掛け合いの影で、宰相がぼそりと呟く。可哀想にこの人、そんな仕事を押し付けられていたのね。
でも、ようやく納得がいった。それでお父様がこれほど手放しでお喜びになっていらっしゃるのだわ。
「分かりましたわ、お父様。私、謹んでお受けいたします」
もとより私だって、王族に生まれたからには政略結婚もやむなしと覚悟はしていた。お父様とお母様は心から私の事を愛して下さっているけれど、それとこれとは別だもの。一国の王女たるもの、恋愛結婚など望むべくもない。国の為になる婚姻をする事……それが私の務めだと思う。というか、そう思えるような教育を受けてきた。
その意味では、外交手段として有効な他国王族との婚姻ではなくとも、神託によって選ばれた者と結婚する事で国民感情が上向きになりそうだから、まあまあ良い案なのかもしれない。
ただ、一人の乙女として願えるなら―――結婚した後でもいいから、旦那様と私が、ちゃんと愛し愛される関係になれると良いのだけれど。
「ぶっちゃけ何が一番良いかって、可愛い儂のシルヴィアナを他国に嫁がせなくてもよくなったという点だ! この際、婿に貴賤は問うまい。シルヴィアナの幸福だけを願うなら、儂の目が届く距離の方がよーく見張れるではないか。ふふふ、問題があるようなら子を生してから婿だけを放擲してしまうという手だってある……」
「あなた、心の声が駄々漏れていますわよ。婿いびりとか、やめてくださいね?」
笑顔で投げられたお母様の牽制球に、お父様は瞳を逸らして空中に視線を泳がされた。
え、やる気だったのですか、お父様……。
「むふ、ゴホン。では儀式までの手順を神官長から述べてもらおうか」
「かしこまりました」
誤魔化そうとするお父様に促されて、押し黙っていたままの神官長が私の前に歩み出た。
「黄金弓をこれに」
小姓の一人が、きらびやかな弓を抱えて神官長の斜め一歩後ろに立つ。普段はお父様に付き従っている少年だ。弓にも弦にも直接触れないよう、白布越しにいかにも慎重そうに持っている。
黄金弓というのね……とても綺麗。名前の通り黄金で出来ているのだろうか。だとしたらとても高価な品に違いないわ。それで指紋を付けないように気を使っているのかしら?
「姫様、こちらは神代に女神シルヴィア=ナディラが狩猟に用いたと言われる伝説の弓でございます」
思いっきり違った、神具だったわ!
「本日は弓だけを持参いたしましたが、神殿の方には矢も祀られており、当日はその弓矢にて儀式を執り行う手はずとなっております。また、念のために鏃は殺傷力の無いものに取り替えておきますので、御安心を」
神官長の言葉を聞いて私は少しホッとした。
嫌だものね、未来の旦那様との最初の出会いがスプラッタなんて……。
「それから、姫様には前日から禊に入って頂きますので、お心積もりをお願い致します」
「はい」
淀み無く細かな説明を終えると、神官長は淡い微笑みを浮かべて私の前に片膝をついた。神官の纏う長いローブが床に広がる。差し出された神官長の両掌の上に私が左手を乗せると、彼は恭しくそれを押し頂いた。
「お美しく成長されたシルヴィアナ姫様。どうか神の祝福の元、より良きお相手と巡り合うことが叶いますように心より願っております」
「あ、ありがとう……」
神官長から手の甲に口付けを受け、私はドギマギしてしまう。どうしよう、私、多分頬が赤くなっているわ。
なんてったって神官長は夢に出てくるような美青年なのだ。
年に数回の神事の時くらいしか見掛けたことはないし、個人的な会話も今までほとんどしたことはないけど、まさかその彼に目の前で騎士の如く傅かれようとは、想像もしていなかった。私だって花も恥らう乙女だもの、このような状況にときめいてしまってもしょうがないわよね……!
「さもあろう、さもあろう! 我が娘シルヴィアナはまことに美しく育った! 神託を授かるに相応しい乙女じゃ。そなたもそう思うだろう、堅物の宰相よ?」
「ええ、本当に大きくなられましたよね」
いや宰相それ、褒めてないわよ? 別にいいけど。
宰相はお父様の言葉に気のない相槌を打つと、業務予定がみっちりと記載されている羊皮紙を広げ、片眼鏡越しに見つめた。暫し考えてからサラサラと余白に何かを書き込む。
「では、民には私の方から早速布令を出しておきます。最低条件として、男性であること、ある程度の年齢制限、既婚者でないこと等を明記しておきましょう」
「ありがとう、世話を掛けるわね」
多忙な彼にまた余計な仕事を増やしてしまった事を申し訳なく思って言うと、宰相はにこりともせずに一礼した。
「いえ、世界各国の婚約者候補の身辺調査をしてまわる事に比べたら、格段に楽な作業ですから」
この人、そんな事までさせられてたのね……!
私の小さい頃から宰相として仕えてくれている忠臣なのに、お父様ったら扱いが少し酷くないかしら?
四角四面で面白味のないオジサマだけど、のんびりやのお父様には却ってそういう人の方が助けになっていると思うの。機会があったら一度、もっと臣下を大事にするよう、私の方からお父様に申しあげてみなくてはいけないわ。
「うむ、諸々の段取りは宰相に任せておけば安心じゃの。では姫、儀式の日まで心安らかに過ごすのだぞ」
「はい、お父様」
「シルヴィアナ、心配は要りませんよ。きっと何もかもうまくいきますからね」
「はい、お母様」
両親に代わる代わる抱き締められると、温かな愛情を感じる。私は未来への仄かな不安を押し殺して、自分に言い聞かせた。
きっとこれはあれよ、マリッジブルーとかいうもの。結婚前に乙女なら誰もが抱くという、ありがちな戸惑いに過ぎないわ。
大丈夫、こんなに私の事を思って下さるお父様とお母様のなさることに、間違いが起こるはずがないもの。まして神聖な神託にのっとって行われる儀式なのだから、案じる事など何もないのよシルヴィアナ、と―――。
まさか儀式当日、黄金の弓矢があのような人物を選ぶ事になるとは……思いもせずに。