第2話
ゆっくりと湖の脇に降りたディドさんは、風を操って雪を払った地面に、私をおろしてくれた。
「ありがと」
【おう】
軽く伸びをして、周囲を見回す。
降り積もった雪が淡い月光に輝いて、綺麗だった。
「……なんだか、不思議だね。
ここでディドさんに会ってから、まだ半年も経ってないんだね」
【そんなもんだったか】
「うん」
四百年以上生きているディドさんからしたら、半年なんてほんの一瞬だろう。
苦笑しながらディドさんを見上げて、優しいまなざしを見た瞬間、胸の奥に何かがすとんとはまった気がした。
「ああ、そっか……」
【ん? どうした】
「……うん」
ゆっくりとうなずいて、座ったディドさんを見ながら一歩後ろに下がった。
「……ディドさん、お願いがあるの」
【なんだ?】
「顔を見て話したいから、ここにうつぶせになってくれる?
ちょっとおなかが冷たいかもしれないけど」
【この程度の雪じゃあ、冷たくもねえよ】
ディドさんは不思議そうにしながらも、その場に寝そべってくれた。
「ありがと」
少し下になった瞳を見つめて、大きく深呼吸する。
「……私は、人間が嫌いだったのに、人間に生まれ変わってしまって、しかも生活が厳しかったから、ずっと生きることが苦痛だった。
それでも、人間として生きるしかないと諦めていた頃に、ディドさんに出会った。
王都に行って、ディドさんたちと一緒に暮らすようになって、毎日がすごく楽しくなった。
生活する苦労なしで仲間と一緒にいられるのは、ドラゴンだった頃と同じだったから。
記憶と力がよみがえって、人間よりもドラゴンに近い身体になったから、よけい自分はドラゴンだと思いたかった」
それでも、私は風を使えないし、翼も角もない。
人間としての食事は必要なくなったけど、ドラゴンの食事にあたるエネルギーの吸収はできない。
記憶と共に引き継いだ力だけで、この先どれぐらい生きられるのかも、わからない。
どちらでもあり、どちらでもない、中途半端な存在。
そんな自分が嫌で、人間であることを否定したかった。
「……でも、どっちでもかまわないんだって、ようやく気づいたの」
ここでディドさんに出会った時は、ようやく同族に会えたことが嬉しいと思うだけだったのに。
今では一緒にいるのが当然、というより、ディドさんのいない生活を想像できない。
仲間とではなく、ディドさんと一緒にいたい。
ディドさんが一緒にいてくれるなら、自分がドラゴンでも人間でもかまわない。
そう思えるぐらい、誰よりも近くて誰よりも大切な存在になっていた。
「だから」
ディドさんを見つめたまま、ゆっくり近づく。
鼻先の一歩手前で止まって、姿勢を正した。
もう一度深呼吸してから、声にドラゴンの力を込めて言う。
「人間の一族のアリアは、砂の一族のテャリンジルディドさんに、永遠の愛を誓います」
誓いの言葉を言った後、額の角をふれあわせるのがドラゴンの正式な手順だけど、今の私には角がない。
だからかわりに、ディドさんの額の角の先に、そっと額をふれあわせた。
ディドさんは、黙ってそれを受けいれてくれた。
拒まれなかったことにほっとしながら、じっと私を見つめるディドさんに笑いかける。
「人間の私がドラゴンのディドさんの伴侶になれないことは、わかってる。
でも、愛を誓うことはできる。
ディドさんが私に優しくしてくれるのは、私を同族だと思ってくれてて、弱いから守ってやらなきゃって思ってくれてるだけ、だとしても。
ディドさんに伴侶ができたとしても。
私がディドさんを愛してるのは、変わらないから」
想いが伝わるように、一言ずつに心を込めて言う。
「応えてほしいわけじゃない。
ただ、私がディドさんを愛してることを、わかっていてほしい」
ディドさんは、最後まで黙って私の言葉を聞いていてくれた。
やがて少しだけ頭を持ちあげて私と目線を合わせて、諭すように言う。
【本当に、それでいいのか?】
「うん。
私は、人間の男のひとと結婚したり、子供を産んで育てたりすることより、ディドさんと一緒にいられることのほうが、嬉しいし、幸せだから」
今まで生きてきて、好きになったのは、ディドさんだけだ。
この先一生、どんな人に出会ったとしても、きっとディドさん以上に好きになれる人はいないと断言できるぐらい、愛している。
ディドさんが私を甘やかしてくれるのが、弱い私に対する庇護欲でもかまわない。
一緒にいられれば嬉しいけど、もし離れることになったとしても、きっとこのきもちは変わらない。
【…………そうか。
なら、俺も誓おう】
つぶやくように言ったディドさんは、ゆっくりと身体を起こして座った。
一度翼を広げてきちんとたたみ、尻尾を前にまわし、その上に右手を添える。
【砂の一族のテャリンジルディドは、人間の一族のアリアに、永遠の愛を誓う】
私を見つめたままはっきりと言うと、私に顔を近づけて、額の角の先をごく軽く私の額にふれあわせた。
ふれあった部分が、ふわりと熱を持つ。
正式な愛の誓いに、呆然として目の前にある砂色の瞳を見つめる。
「……どう、して……?」
【おまえを愛してるからだよ】
あくまでも優しい声で言われて、かえって混乱する。
「……でも、…………だって」
【なんだ?】
「私は、人間、なのに」
人間に愛を誓ったドラゴンなんて、今まで聞いたことがない。
いくら変わり者の砂の一族の中でも、さらに変わり者のディドさんといえど、ありえない。
ありえない、はずだ。
だけど、ドラゴンは人間のように冗談や嘘で愛を誓ったりしない。
愛を誓う相手は一体だけ、一生に一度だけだ。
そうわかっていても、やはり理解できない。
【人間のおまえがドラゴンの俺を愛してくれるなら。
ドラゴンの俺が人間のおまえを愛するのも、ありえないことじゃないだろ】
「そう、だけど、でも」
【おまえの息子が相談しにきた時にも言ったが、『ドラゴンが伴侶を間違えることはありえねえ』。
だから、俺がおまえを愛してるってのは、同情でも勘違いでもなく、本心だ】
「でも……」
混乱したままの私をなだめるように、ディドさんは私の頬にごく軽く頬をすりよせる。
【『ありえないことは、意外と少ない』って言ったのは、おまえだろ。
ドラゴンが人間に手を貸したり。
ドラゴンが人間に生まれかわったり。
違う種族の者と伴侶になったり。
ありえないはずのことが、ありえる。
……つまり、そういう時期が来てるってことなんだろう】




