第2話
優しい顔でうなずいたディドさんは、軽く首を動かして、私の顔をのぞきこんでくる。
【ところでな、おまえが眠ってる間に、おまえに会いたいってドラゴンが来たんだが、どうする?】
「えっ? 誰?」
【風の一族のセリオだ。
おまえの友達だと、前に言ってたよな】
「あ、うん、そうなの。
でも、どうして私がここにいるとわかったの?」
時々来るとディドさんが言ってたから、いつかは会えるかもしれないと思ってたけど、人間に見つからない高さを飛んでいて、私の気配に気づけるとは思えない。
【おまえがティアスのやつらと遭遇して力を暴走させた時に、たまたま近くを飛んでたらしくてな。
おまえの力を感じたからと、夜になって訪ねてきたんだ。
だが、おまえは眠ってたから、目が覚めてから改めてってことで、いったん帰ってもらった。
それでも、よほど気になるらしくてな、『まだ起きないのか』って毎晩訪ねてきてたから、たぶん今夜もそろそろ来るだろう。
もう少しおちついてからのほうがいいなら、そう伝えるが、どうする?】
「うーん……」
ディドさんが気遣ってくれるのは嬉しいけど、私も久しぶりにセリオに会いたい。
「今夜も来るなら、会いたいな」
【わーった。
ただし、おまえはまだ疲れてるようだから、ここに招き入れて俺も同席して、つらそうなら途中で止めて休ませるぞ】
「うん、それでいいよ。よろしくね」
再びディドさんのおなかにもたれて尻尾に座らせてもらって、しばらく話していると、ディドさんがふいに天井を見上げた。
【来たな。こっちに呼ぶぞ】
「うん、お願い」
ディドさんが竜舎の入口のほうに風を送ると、しばらくして、ディドさんが張ってくれている風の膜の向こうに影が見えた。
影は滑るように動いて風の膜を抜け、近づいてくる。
私達から少し離れたところに着地し、翼を軽く動かしてから閉じた。
空色の体色のドラゴンで、角は長いのが四本、短いのが一本。
その顔には、確かに見覚えがあった。
じっと見つめる私を、空色のドラゴンもじっと見返す。
どれぐらいそうしていたのか、空色のドラゴンは深く息を吐いた。
【本当に君なんだね、アリア】
懐かしさと優しさと戸惑いを混ぜたような声に、くすりと笑う。
ドラゴンは、嘘をつかない。
まして私の力を感じとって見にきたというのなら、ディドさんの説明を疑ってはいなかっただろうけど、それでも実際に会うまでは信じられなかったのだろう。
私自身も、ドラゴンだった頃に、知り合いが人間に生まれ変わっていたと聞いてもすぐには信じられないだろうから、セリオを責めはしない。
「ええ、本当に私よ、セリオ。
また会えて嬉しいわ」
【私もだよ。
君は眠っている間に還ってしまったから、最後の挨拶ができなかったことが、ずっと心残りだったんだ】
ドラゴンは、四角の半ばをすぎるとだんだん眠る期間が長くなっていき、やがて眠ったまま死ぬ。
人間で言えば老衰のようなものだけど、人間と違うのは、肉体が残らないことだ。
死んでしばらくすると、氷が融けて水になるように肉体がほどけて消え、蓄えていたエネルギーは拡散して、世界に還っていく。
もっとも、死ぬ時はほとんどが里でだから、拡散したエネルギーの多くは近くにいた同族のドラゴン達に吸収され、命をつないでいくのだ。
「ごめんなさいね。
最後に会えればよかったんだけど」
たぶんもう次は起きられない予感がしたから、眠る前に息子のマリノや仲が良かった何体かには挨拶をしたけど、セリオは里を離れていたから、挨拶ができなかった。
【謝る必要はないよ。
生まれたものはいずれ死に、命は巡る。
それが自然で、当然のことなんだから。
……こんな形で再会できるとは、思わなかったけれどね】
セリオに苦笑めいた表情で言われて、私も苦笑する。
「そうね、私も驚いたわ」
【だけど、興味はあるね。
どうして君が人間に生まれ変わったのか。
どうしてドラゴンとしての記憶と力を持ったままなのか。
良かったら、話してくれるかな?】
「いいわよ、でも、あなたの疑問の答えは、私にもわからないんだけど」
私が人間として生まれて、人間として生活し、ディドさんに出会い、今に至るまでの経緯を簡潔に話す。
セリオは驚き、苦笑し、憤りながら聞いてくれた。
感情豊かなところは、以前と変わっていないようだ。
セリオからは、今の里の状態を教えてもらった。
ドラゴンだった私が死んでからまだ五十年も経っていないようで、特に変化はないらしい。
のんびり話していたセリオが、ふと何かを思い出したように瞬きをする。
【そうだ、マリノがね、最近何か悩んでいるようなんだ】
「マリノが? 何かあったの?」
【最近ひとりでいることが多くてね、気になって話しかけたんだけど、私には話してくれなかった。
ただ、『母さんが生きていたら……』と言っていたから、何か相談したいことがあるんじゃないかな。
君さえ良ければ、ここにマリノを連れてこようか?】
「そうね……」
セリオの提案に、しばらく悩む。
ティアスでの騒動の後、私は人間を嫌いになったけれど、マリノは人間を恐がって、ずっと里にひきこもっていた。
そのせいなのかどうかはわからないけれど、マリノは同じ頃に生まれた子たちよりも角の成長が早かった。
二角になって成体として扱われるようになると、このままではいけないと思ったらしく、父親のナリオに付き添いを頼んで、人間がいる南大陸にでかけて行った。
私も付いていこうか悩んだけど、もう成体なんだし、人間を見たら無差別に排除したくなるだろうから、里で待っていた。
マリノは、その旅で人間への恐怖心を克服できたらしく、甘い果物を土産に嬉しそうな顔で戻ってきた。
それ以来あちこちにでかけるようになったから、もう気にしてはいないのだろう。
それでも、自分を傷つけた人間と同じ姿になった私を見て、平気だろうか。
会わないほうがいいと思うけれど、マリノの悩みも気になった。
ナリオは私より前に還ったし、生まれた時からの知り合いで懐いていたセリオにさえ話せないなら、ひとりきりで悩んでいるのかもしれない。
私がその悩みをなんとかしてあげられるとは思えないけど、それでも、気になる。
しばらく悩んでから、返事を待っていてくれたセリオを見る。
「……マリノに、私が人間になっていることを話して、それでもかまわないから話がしたいと言ったら、連れてきてもらえる?」
【わかった。
マリノを連れてくるとしたら、ここでいいのかな?】
「ああ、そうね、えっと……」
今ここにいるのは、私が目覚めるのをディドさんが待っててくれたからで、近いうちに出ていくことは確定だ。
だけど、その後どこに行くかは、まだ決めてない。
セリオの速さなら、ここから北大陸の里まで往復しても一日かからないだろうけど、マリノが里にいなくて、戻って来るのが遅くなったら、ここにはもういないかもしれない。
数日ならともかく、一週間以上かかるなら、どこに来てもらえばいいのだろう。
返答に困ってディドさんを見ると、今までずっと黙っていたディドさんが軽く首を持ちあげて私に小さくうなずいてから、セリオを見る。
【数日のうちに、ここを離れることになる。
その時は、ここからしばらく東に行ったあたりの森にいるから、そっちに来てくれ。
冬に赤い果実をつける木があるとこだ。おぼえてるか?】
前に砦に行って夜に散歩した時に、教えてくれた木のことだろうか。
そういえば、結局まだ行ってなかった。
【ああ、前にディドさんが教えてくれたところだね。
わかった、こっちに来ていなかったら、あの森に行くよ。
マリノが来たくないと言ったとしても、それを伝えにくるよ】
「ありがとう、よろしくね」
【うん。じゃあまた】
セリオが去ると、ディドさんは軽く頭を持ちあげて、私の顔をのぞきこんでくる。
【疲れてねえか? 少し横になったらどうだ】
「大丈夫だよ」
笑って言ったけど、ディドさんの心配そうな表情に苦笑する。
「ん、じゃあちょっとだけ横になろうかな。
そばにいてくれる?」
【おう】
ふわりと風が吹くと、隅に寄せられていた布団と枕がふわふわ運ばれてきて敷かれ、その上に風でくるんでそっと動かされて横たえられ、そっと毛布をかけられた。
添い寝するように寝そべったディドさんのほうに向き直って、気になったことを聞いてみる。
「さっき、セリオに『数日以内にここを出ることになる』って言ってたけど、何かあるの?」
【ああ、ウィルと王太子が相談しててな、そのうち王太子が俺らを説得しにここにやって来るだろう。
竜舎が見えなくなって巡視がとだえてるのは、城のやつらや貴族たちも気づいてて、いろいろ言ってきてるから、あいつらも追いつめられてきてるようだな】
そっけなく言って、ディドさんは私の顔をのぞきこんでくる。
【先に約束を破ったのは、あいつらだ。
後のことを気にする必要はねえ。
おまえが回復したなら、どこに行ったってかまわねえんだ。
俺がどこにだって連れてってやるし、何からでも守ってやるし、おまえの望む通りにしてやる。
だから、何も心配すんな】
「……うん。ありがとう」




