第2話
「それで、ティアスのことで、ディドにも聞きたいことがあるんだ」
しばらくの間をおいて、ウィルさんがおずおずと言う。
そういえば、最初に私とディドさん両方に聞きたいことがあると言っていたんだった。
【なんだ?】
「半年ほど前に、南のほうへ巡視へ行った際に、ティアスの海岸で大きな穴を見たのをおぼえてるかな。
端のほうは海に沈んでたけど、直径一キロぐらいのすりばち状の穴、というか、大地がえぐれた跡だ」
【…………ああ、あれか】
ディドさんはしばらく間をおいてから答える。
「ディドは、やけにあの穴を気にしていたのに、理由を聞いても答えてくれなかっただろう?
私も気になっていたから、昨日会談のついでにティアスの一行に聞いてみたんだ。
そうしたら、あれは百五十年ほど前にできたもので、『神の裁き』と呼ばれていると教えてくれたんだが、それにティアスでドラゴンが神の使いとされることが関係しているらしいんだ」
「どうしてですか?」
私の問いかけに、ウィルさんは言葉を選ぶようにゆっくりと言う。
「ティアスは、百五十年ほど前までは、ティアス王家と少数の貴族が武力で支配する王国で、国民は奴隷のように働かされて塩を作っていた。
あの穴があったあたりは、当時王家の離宮があって、ある日国王一家と貴族のほとんどがそこに集まって宴会をしていたら、鋭い咆哮が聞こえた直後に大地が揺れ、あわてて付近に住む者が様子を見にいくと、離宮が土地ごとなくなっていて、あの穴ができていたそうだ」
いったん言葉を切ったウィルさんは、ちらりとディドさんを見た。
「その大きさから人にできることではないのはすぐわかったが、では誰がやったのかと騒ぎになった時に、ある聖職者が『国民の嘆きを聞いた神が、ドラゴン様に命じて国王や貴族の傲慢さに裁きをくだされたのだ』と言い出した。
数キロ四方に轟いた咆哮を聞いた者は多く、離宮近くでドラゴンの姿を見かけたという者も複数いたこと、何より自分たちを苦しめていた国王や貴族をまとめて葬ってくれたということで、ドラゴンが神の使いだという説はすぐに受け入れられた。
そして自分たちを圧政から救ってくれたドラゴンと神に感謝して、聖職者が交代で国王となる今の体制を作りあげたらしい」
黙って聞いているディドさんを見たまま、ウィルさんが言う。
「巡視の際に私もあの穴の表面にさわってみたが、まるで大理石のような手触りと硬さだった。
ティアスの使者に聞いた話では、波に洗われても鉄製のつるはしで掘ろうとしても崩れることなく、また魚が棲むことも苔が付くこともなく、百五十年間変わってないらしい。
人にできることとは思えないが……あれは、本当にドラゴンがやったことなのかな。
ディドは、あの時何かわかったのかい?」
問いかけに、ディドさんはしばらく考えるような間を置いてから答えた。
【あの穴を作ったのがドラゴンなのは、本当だ。
人間が、ドラゴンを怒らせたんだ】
「そう、か……だが、どうやって?
風の力で、あんなふうにえぐることもできるのかい?」
【力の使い方次第だな。
説明しても人間にはわからないだろうから、ドラゴンがやったってことでいいだろ】
どこかそっけない答えに、ウィルさんは納得できないのか、私を見る。
「アリアは、何か知っているかな。
ドラゴンだった頃に、見たり聞いたりしたおぼえはないかな」
問いかけに、ドラゴンだった頃の記憶をたどってみる。
何かが、記憶の底で揺らめいた気がしたけど、ぼやけて消えていった。
四百年以上生きていたから、すべてをはっきりおぼえてるわけじゃない。
人間が増えてきてからは南大陸にあまり来なくなったから、記憶はよけい曖昧だ。
「たぶん見てないし、聞いたおぼえもないと思います。
……どうしてそんなに気になるんですか?」
「気になるというか……ティアスのドラゴン信仰があの『神の裁き』から始まっているなら、それについて詳しいことがわかれば交渉の材料にできるかもしれないから、ディドに確認してほしいと王太子殿下に頼まれたんだ」
ウィルさんの苦笑いしながらの返事に納得する。
「なるほど。
だったら、『あまりしつこくしたらドラゴンに嫌われますよ』と言ったら、諦めるんじゃないですか?」
【そうだな。
なんなら、俺がティアスの王都に新しい穴を作ってやってもいいぞ】
ディドさんが不機嫌そうな口調で言う。
「あ、いや、あの、大丈夫だ、レシスはきっぱり断っているし、アリアにその気がないのもちゃんと伝えておくから、何もしないでくれ」
ディドさんの言葉を伝えたとたん、ウィルさんはあわてた口調で言って立ちあがった。
「すぐにレシスに伝えてくるから、ありがとう、それじゃ」
早足で出て行くウィルさんを、呆れながら見送る。
王太子を名前で呼ぶぐらいあせるなんて、ディドさんの脅しを本気にしたのだろうか。
「……ディドさん、さっき言ったのって本気じゃないよね?」
なんとなく聞いてみると、風を操ってウィルさんが座っていた椅子を壁際にかたづけていたディドさんは、ふりむいてじっと私を見つめた。
【ティアスの奴らがおまえに手出ししてくるなら、本気でやるぞ】
からかうようでも怒ったようでもなく、静かな口調だった。
本当に本気らしい。
くすぐったいような嬉しさに、思わず笑う。
「ありがと。
でも大丈夫、もし手出ししてきたとしても、自分でふっとばすから。
それに、王太子もウィルさんも、それを許すほどバカじゃないだろうし」
【まあな。
だがあいつらには、外交だの取引だのの都合があるからな】
「そうだね。
……一昨日からディドさんが今まで以上に私のことを気にしてたのって、ティアスの人が来たからなの?」
竜舎から出る時だけじゃなく、竜舎の中でも、防寒のためだと風の膜をつけられた。
確かに寒いけど、故郷の村に比べれば耐えられないほどじゃないから大丈夫だと言っても、念のためだと押しきられた。
過保護だと思ってたけど、違う理由があったようだ。
じっと見つめると、ディドさんは渋い表情になってうなずく。
【……ああ。
おまえに話しても鬱陶しい思いをさせるだけだし、王太子どもがさっさと追い返せばすむと思ってたんだが、やけにティアスの奴らが粘って長引いてやがってな。
さっきウィルが言ってたように、ティアスの国王ってのは聖職者の中から選ばれるんだが、人気がある奴は再選される場合もあるんだ。
だが今の聖王はあんまり人気なくて再選が危ういらしくてな、おまえを使って功績を作ろうとしてるようだ。
建国以来百五十年間叶わなかったドラゴンの招待が実現したら、再選確実だろうからな】
「なるほど……でも、どうして今まで誰も行かなかったの?
住みつくならともかく、ちょっと遊びに行くぐらいなら、一体ぐらいその気になりそうだけど」
ふと思いついたことを聞いてみると、ディドさんはさらに渋い表情になった。
【たとえ今いる奴らは無関係だとしても、どこかのドラゴンを本気で怒らせた国に行きてえと思う奴は、俺を含めいなかったんだよ。
それに、『ちょっと遊びに行く』だけじゃすまねえで、必死に引きとめてくるだろうからな。
想像しただけで鬱陶しいだろ】
「……確かに」
大歓迎されるだろうけど、だからこそ帰ろうとしたらしつこく引きとめてくるだろう。
もしかしたらその強引な引きとめが、百五十年前にドラゴンを怒らせた原因なのかもしれない。
「……?」
そう思ったとたん、また記憶の底で、何かが揺らいだ。
潮騒のような、強い風の音のような、何かが耳元でざわめく。
思わず眉をしかめたとたん、その音は消えた。
【どうした?】
「……あ、ううん、なんでもない」
なんとなく指先で耳元を撫でながら言うと、ディドさんが顔をのぞきこんでくる。
【調子悪いのか?】
「ううん、ほんとになんでもないから。
大丈夫」
笑顔を作って言っても、ディドさんはじっと私を見つめてくる。
「ほんとに大丈夫、ちょっと耳元がくすぐったかっただけ。
ディドさん、過保護すぎだよ。
甘やかしてくれるのは嬉しいけど、ちょっとは私のこと信じてほしいな」
わざとすねたように言うと、ディドさんは苦笑めいた表情になった。
【おまえを信じてないわけじゃねえ。
それでも、心配しちまうんだよ】
「ありがと。
でも大丈夫だから」
【……わーった。
だが、何かおかしいと感じたら、すぐに言えよ。
外からなら何が相手でも守ってやるが、身体の中の不調は、俺にはどうにもできねえからな】
気遣うまなざしと口調が嬉しくて、くすりと笑った。
「うん、何かあったらすぐ言うよ。
ありがと、ディドさん」




