特別編 同じ
第五話のしばらく後の話で、ウィル視点です。
アリアの故郷の村の村長から手紙が来たのは、アリアが『家』に引っ越した数日後だった。
内容は、同封の手紙をアリアに渡してほしいということと、アリアが一度帰郷できるよう手助けしてほしい、とのことだった。
アリアは王城で働くことになったから当分帰れないということは、早いうちに巡視の途中に寄って伝えてあった。
だが、『縁あって自分付きの侍女として働いてもらうことになった』という簡単な説明では、当然ながら納得できなかったらしい。
とはいえ、それが説明できるせいいっぱいだった。
竜騎士団には、任務中に知ったこと、及びドラゴンに関することは、たとえ家族であっても部外者には話してはいけないという規則がある。
規則を破ると、話した本人だけでなく話した相手も捕らえられ、最悪の場合死刑になる。
それほどに、ドラゴンはリーツァ王国にとって大事な存在だ。
だから、竜騎士は伯爵以上の家柄でないとなれないし、兵舎で働く使用人も伯爵以上の貴族の推薦が必要だ。
アリアの場合は、実質はディドの推薦だが、対外的には私が推薦したことにして処理してある。
アリアの前世がドラゴンだということだけでなく、竜騎士以上に意思疎通ができるから特別待遇で侍女になってもらったということは、たとえアリアの保護者がわりだった村長といえど話すことはできないのだ。
帰郷の手助けも、本来は難しい。
王都からアリアの村へは馬車でも五日はかかるはずだから、往復するだけで十日、滞在期間も含めれば半月近くなるだろう。
王城勤めの者が三日以上の長期の休みを許されるのは家族が死んだ時ぐらいで、それも最長十日までだ。
とはいえ、アリアが望むなら王太子殿下はたとえ一ヶ月でも許可を出すだろうし、ディドが送り迎えをすると言うだろう。
詳しい事情説明が無理でも、アリア自身が王城で働くことになったと話せば、少しは安心できるだろう。
だが、アリアはここに来てから一度も帰郷したいようなことを言っていないし、手紙を出したいと言われたこともない。
何か帰りたくないような事情があるのかもしれない。
まずはアリアの意志の確認をしたほうがよさそうだ。
もうすぐ昼食の時間だが、アリアは最近は自分の『家』で食べているから、持っていったほうがいいだろう。
アリアへの手紙を手に団長室を出る。
ゆっくり歩いて竜舎に近づき、入口の手前でいったん止まる。
「すまない、アリアに渡す物と相談があるんだが、入ってもいいかな」
ディドの風の膜があってもアリアと私だけは竜舎に入れるが、住んでいるアリアに配慮して、いつも声をかけてから入るようにしている。
「どうぞ。ディドさんと一緒にいます」
「ありがとう」
風に乗ってアリアの声が聞こえてきて、ほっとして中に入る。
アリアの『家』の前を通り、ディドの仕切りに行くと、手前に椅子が置かれていて、ディドは中央あたりに寝そべり、アリアはいつものようにディドの尻尾に座っていた。
それを『いつものように』だと思ってしまった自分に内心苦笑する。
小さい頃から何度も挑み続けたが、ディドが尻尾に乗せてくれたことは、一度もなかった。
だがアリアには、当然のように許している。
ディドにとって、自分とアリアでは根本的に違うのだ。
「渡したいものってなんですか?」
アリアの問いかけに我に返り、手に持っていた手紙を軽くかざす。
「ああ、これだよ。
君の故郷の村の村長から、君宛ての手紙だ。
今日私宛てに届いた手紙に同封されていたんだ」
言いながら、座ったままのアリアに近づいて手紙を渡す。
「村長から……?」
不思議そうにつぶやきながら、アリアは封筒の端を指先でちぎって、取り出した便箋を広げる。
椅子に座ってその様子を見守っていると、しばらくして読み終えたらしいアリアは私を見上げる。
「ウィルさん宛ての手紙には、なんて書いてあったんですか?」
「同封の手紙を君に渡してほしいということと、君が一度帰郷できるよう手助けをしてほしい、とのことだった。
君宛ての手紙には、なんて書いてあったのかな」
「心配だから一度帰ってこい、だそうです。
でも、往復だけでも二週間近くかかりますし、そんなに長期の休暇は取れませんよね?」
「本来なら無理だが、君が望むなら、王太子殿下は許してくださるだろう」
私の答えにつけたすように、ディドが何か言う。
「ありがとう、助かる、でも……」
アリアは嬉しそうに笑ったが、すぐ考えこむ表情になる。
「……ディドはなんと言ったのかな」
「『帰りたいなら、乗せてってやるぞ』だそうです」
予想どおりの答えに、思わずディドを見たが、ディドはじっとアリアを見ていた。
「……君は、帰りたいのかな、帰りたくないのかな」
考えこんでいたアリアは、瞬きして私を見上げる。
「帰りたいとは思いませんが、……ちょっと確認していいですか?」
「何かな」
「レッシ村が私の故郷だと貴族たちにわかったら、村が危険になる可能性はありますか?」
村長の手紙を読んだ時から考えていたことを聞かれて、目を見開く。
アリアがそれに気づくとは思わなかった。
「……ない、とは言いきれない。
君のご家族はもう亡くなっているから、親しくしていた村人や村長が人質にされる可能性がある。
だが、レッシ村があるルーステッド領の領主のルーステッド侯爵は生粋のリーツァの貴族だし、もし他の貴族の私兵が領内に攻めこんだら即座に捕らえられるだろうから、そんなに心配はいらないと思う」
「ということは、少数で商人のふりをして領内に入りこんで村長だけを誘拐する、とかの可能性はあるんですね?」
鋭い指摘に、言葉に詰まる。
「……ない、とは言えない」
「そうですか……」
つぶやくように言ったアリアは、また考えこむ表情になってうつむく。
「……私からルーステッド侯爵に話して、レッシ村に兵を配置してもらえるようにするよ」
「それは、かえって貴族たちに気づかれると思うので、やめたほうがいいと思います」
あっさり切り返されて、再び言葉に詰まる。
確かに、兵を配置するのは、そこに守るべきものがあると教えることになる。
だが、危険だとわかっていて何もしないわけにもいかない。
とはいえ、アリアがそれを望まないなら、強行するわけにもいかない。
どうするべきか悩んでいると、アリアが顔を上げて私を見た。
「私がここに来た最初の日、竜舎で軍務大臣がフィアに手を出そうとしていた時に、ウィルさんは私の名前や村の名前も言いましたよね。
あれを聞いていた大臣以外の人は、どうなったんですか?」
静かな問いかけに、自分の失言を思い出す。
あの時はフィアに気を取られていて、つい正直に答えてしまったが、今思えば失態だった。
「……ほとんどが大臣と一緒に処刑されたと思うが、詳しくはわからない。
後で調べておくよ」
「お願いします」
淡々と言ったアリアは、ディドを見た。
「ディドさん、ちょっといい?」
短く答えたディドは、アリアに顔を寄せる。
そのまま小声で何か相談しているのを黙って見守っていると、しばらくして話がまとまったのか、アリアが私を見た。
「近いうちに、ディドさんに乗せてもらって、村に行きます。
ウィルさんに頼みたいことがあるので、一緒に行ってもらいたいんですけど、都合はつきますか?」
「大丈夫だよ」
予定は色々とあるが、アリアの頼みは最優先事項だ。
ディドと二人だけで行くと言われなかったことに、内心ほっとした。
三日後、飛行用の制服とマントを着たアリアと共にディドに騎乗して、アリアの故郷に向かう。
一時間ほどの飛行の間、アリアはディドと楽しそうに話していた。
疎外感を感じながらも、口を挟める雰囲気ではなく、黙っているしかなかった。
冬に入ったとはいえ、王都はまだあたたかかったが、北に向かうにつれて景色は白く染まっていく。
アリアと初めて会った湖のほとりは、完全に雪に覆われていた。
ディドがゆっくりと降下しながら何か言うと、アリアがくすりと笑う。
「ありがと、助かる」
ディドが雪の上に着地すると、アリアはひらりと鞍から降りる。
同じように鞍から降りて、ディドから一歩離れたとたん、全身を冷気が包んだ。
飛行用の制服もマントも生地がかなり分厚いが、それでも刺すような寒さを感じて、思わず身震いする。
飛行中はディドの風の膜のおかげで気づかなかったが、かなり寒い。
「ありがと、ディドさん。
悪いけど、ここで待っててね」
ここで生まれ育っただけあって平気そうなアリアがやわらかな声と表情で言うと、ディドも同じようにやわらかな響きの声で答える。
だが、私を見たアリアは、いつもの静かな表情だった。
「行きましょう」
「……ああ」
歩き出したアリアの後を追おうとしたが、寒さに加えて膝下まである雪に足を取られて、うまく歩けない。
「雪が多いんだね」
苦労して歩きながら言うと、アリアは足を止めてふりむく。
「普段の冬は、すごく寒くなるけど、雪はあまり降らないんです。
こんなに積もってるのは、十年ぶりぐらいです。
十年前の時は、吹雪が続いて薪が足りなくなって、数家族が凍死しました。
今年の冬も、危険かも……」
最後はつぶやくように言って、私の背後を見た。
「ディドさん、ウィルさんにもお願い。
このままだと歩くのに時間かかりそうだから」
とたんに、背後からあたたかな風が吹いてきて、身体を包んだ。
身体にまとわりついていた寒さを感じなくなる。
おそらく飛行中と同じような風の膜をディドがつけてくれたのだろう。
アリアが降りる前に礼を言っていたのは、おそらくこれのことだろう。
さらに風が吹いて、今いる場所から森までの雪がかきわけられ、細い道ができあがった。
「ありがとうディド、助かるよ」
ふりむいて言うと、湖のほとりに座っていたディドは何か言った。
「わかった。早まりそうだったら呼んでね。
ウィルさん、行きましょう」
「ああ……。
ディドはなんと言ったんだい?」
「『雪雲が近づいてきてるから、早めに帰ってこい』、だそうです」
すたすたと歩きながら言うアリアの後を追う。
森の中に入っても、アリアが進む先の雪がどんどんかきわけられていくおかげで歩きやすいが、いったいどうやっているのだろう。
不思議に思いながらも後をついて歩き、森を抜けると、村のはずれに出た。
木造の家がまばらに建つ村の中央を通る道は、ある程度雪かきがされて地面が見えていたが、村人の姿はなかった。
「この時間は、みんな畑に行ってると思います。
でも村長は家にいるはずですから」
私の疑問を察したかのように、先を歩くアリアが言う。
「こんなに寒いのに、育つ作物があるんだね」
「ありますよ。
でも雪が多すぎるとさすがに枯れてしまうから、おそらくみんなで雪を払ってると思います」
話している間に村長の家にたどりつき、アリアがドアを軽くノックをする。
しばらくしてドアを開けたのは、中年の女性だった。
以前来た時にも会った、確か村長夫人だ。
「え、アリア!? どうして、ええっ!?」
村長夫人はアリアを見て驚きの声をあげて、アリアの背後にいる私を見てまた声をあげる。
「お久しぶりです、村長さんはいらっしゃいますか?」
アリアが静かな口調で言うと、村長夫人は私とアリアを見比べながらもうなずく。
「ええ、いるわよ、……あの、後ろの方は、竜騎士団の団長様、ですよね?」
「そうです。
突然お邪魔して申し訳ありませんが、村長殿に話がありますので、取り次いでいただけますか」
「は、はいっ、どうぞお入りくださいませ」
アリアの背後で軽く礼をして言うと、村長夫人はあわてたように言って、大きくドアを開ける。
「失礼します」
アリアと共に中に入り、通されたのは、以前と同じ客間だった。
簡素な木製の四角いテーブルと椅子が四脚、さらに壁際にいくつか椅子があるだけの質素な部屋だったが、壁には手作りらしいタペストリーが飾られていて、あたたかい雰囲気を作り出していた。
アリアと並んで座って待っていると、あわてた様子の村長が夫人を伴ってやってきた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ突然お邪魔して申し訳ありません。
すみませんが、急ぎますのでどうぞ座ってください」
村長が夫人ともどもその場に膝をつこうとするのを軽く手を上げて制して、向かいの椅子を示す。
「え、あ、はい、あの、わかりました……」
村長はとまどいながらもおずおずと向かいの椅子に夫人と共に座る。
「あの、お話とは、なんでしょうか。
手紙を出したのは十日ほど前ですし、帰郷するには早すぎますが、もしかして今回もドラゴン様でおいでになったんですか……?」
おそるおそる言われて、小さくうなずく。
「そうです。
以前にもお話しましたが、アリアには私付きの侍女として働いてもらっています。
王城勤めの者の休暇は最長十日までで、馬車を使ったとしてもこの村まで帰郷するには日数が足りませんので、今回は特別に私の巡視に随行するという名目で連れてきました。
そして、今回が最後の帰郷になります」
アリアと相談した通りに言うと、予想通り村長はとまどうような表情になる。
「あの、最後というのは、どうしてですか……?」
頭の中でもう一度内容に矛盾がないか確かめてから、ゆっくりと言う。
「私は竜騎士団の団長ですが、母が現国王陛下の妹ですので、王位継承権第五位の王族でもあります」
「ええっ!?」
村長と夫人がそろって驚きの声をあげる。
「王族の私付きの侍女であるアリアが貴族ではないことに、いろいろと言ってくる者が多いので、アリアを私が懇意にしている侯爵家の養女にしてもらう予定です。
養女になれば、そこがアリアの『実家』となります。
ですから、この村に帰郷することは、もうありません」
「そんな……」
村長夫妻は顔を見合わせ、黙っているアリアを見る。
「アリア、あんたはそれでいいの?」
「はい」
夫人の問いかけに、アリアが短く答える。
村長夫妻は再び顔を見合わせると、村長が私とアリアを見比べながら言う。
「それが、アリアのため、なんですね?」
「そうです」
はっきりと言うと、村長はため息をついてからうなずいた。
「わかりました」
「ありがとうございます。
……アリア、荷造りをしておいで」
「はい」
打ち合わせ通りに言うと、アリアは小さくうなずいて、村長夫妻に軽く頭を下げて部屋を出ていく。
ドアが閉まるまで見送ってから、村長に視線を移した。
「さきほども言ったように、アリアとこの村はもう関係なくなります。
ですから、私にもアリアにも、もう手紙を送らないようにお願いします」
「……わかりました」
「それと、このことは村人には内密にお願いします。
アリアは王都で働いているとだけ言っておいてください。
もし誰かがアリアのことを聞きに訪ねてきたとしても、同じように答えて、詳しいことは話さないようにしてください」
「……はい」
力なくうなずく村長を見ながらマントの中に手を入れ、制服のポケットから小さな布袋を取りだす。
「これを受け取ってください」
テーブルのまんなかに袋を置くと、村長がとまどう表情で袋と私を見比べる。
「これは……?」
視線で促すと、村長はおそるおそる袋を取り、口を結んでいた紐をほどいて中を見て、目を見開く。
「き、金貨……!? それも、こんなに大量に……」
「二十枚あります。
今までアリアがお世話になったお礼です」
最初はアリアが自分の給料から出した五枚分を渡してほしいと言われたが、それに私が追加して、二十枚にした。
「そんな……」
村長夫妻はまた顔を見合わせたが、夫人がどこか怒ったような表情になる。
「これじゃあ、まるでアリアを買うみたいじゃないですか」
「こ、こらっ、王族の方に対してなんて言い方をっ。
す、すみませんっ」
村長はぺこぺこと頭を下げて詫びたが、金貨の袋をテーブルに置き、険しい表情になる。
「ですが、あの、これは、アリアの家族でもない私たちが、受けとるわけにはいきません」
アリアが予想した通りの答えに、内心苦笑する。
「さきほども言ったように、それはアリアが世話になったお礼です。
私の都合でアリアとこの村の縁を切ることになりますから、そのお詫びの意味もあります。
……この村は貧しく生活は厳しかったと、アリアから聞いています。
特に、今年の冬は雪が多くて大変そうだと、ここに来る途中で聞きました。
現金はあったほうがいいでしょう。
村のために役立ててください」
「……………………」
村長は黙りこんで金貨の袋をにらむように見ていたが、やがてゆっくりとうなずいた。
「……わかりました。
村のために、使わせていただきます」
「はい」
再び袋を手に取った村長は、それを夫人に渡す。
受け取った夫人は、袋をぎゅっと握ってうつむいた。
その肩を慰めるように軽くたたいた村長は、私を見て弱い笑みを浮かべる。
「……私には息子が三人いるんですが、今年十一歳になる末息子が、やけにアリアを気に入っておりましてね。
アリアをうちにひきとった直後から、嫁にしたいと言ってたほどなんです」
突然の話に驚くが、六歳ぐらいの年齢差は、貴族の間でもよくあることだ。
「うちは息子ばかりでしたから、娘がほしかったんですよ。
アリアは、無口であまり感情を見せないものの、頭がいいし体力もあるし美人だし、働き者です。
ひきとった他の娘たちも、それぞれいい子ですが、内心ではアリアが一番だと思っていました。
末息子も絶対アリアがいいと言ってたので、息子が十八になったらアリアと結婚させるつもりだったんです」
村長は言葉を切ってため息をつく。
「……ですが、王族の方の侍女になって、しかも侯爵家の養女にしていただけるなら、しかたありませんね……」
「…………」
気まずい雰囲気に何も言えずにいると、軽いノックの音がしてドアが開いた。
布の袋を手にしたアリアが顔をのぞかせる。
「終わりました」
「わかった。では帰ろう」
ほっとして立ちあがると、村長夫妻もつられたように立ちあがる。
そのまま客間を出て、廊下で待っていたアリアと共に玄関に向かう。
ドアの手前でアリアが足を止め、ついてきていた村長夫妻をふりむいた。
「残してある物は、全部エリンにあげてください。
六年間お世話になりました」
静かな口調で言って頭を下げると、夫人が目を潤ませる。
「元気でね、身体に気をつけてね」
「はい」
うなずいたアリアが、私をふりむいてうなずく。
「ではこれで失礼し」
「ただいまー」
言葉の途中で背後のドアが開いて声がして、とっさに身体を引きながらふりむくと、ドアを開けた少年が驚いたように私を見た。
「え、誰……アリア!?
やっと帰ってきたんだ!」
嬉しそうに言った少年はアリアに走り寄り、その勢いのまま抱きつこうとしたが、アリアはすっと横によけてそれをかわす。
十歳ぐらいに見えるが、おそらくさっき村長の話に出てきた末息子だろう。
「なんでよけるんだよ!?」
「あんたがぶつかってくるからよ。
それと、私は帰ってきたわけじゃないわ。
もう出ていくから」
少年が拗ねたように言うと、アリアは淡々と答える。
「え、なんで!? 帰ってきたんだろ?」
「違うと言ってるでしょ。
今日は挨拶に来ただけよ」
「じゃあ、いつ帰ってくるんだよ」
「ここにはもう帰ってこないわ」
「なんでだよ! アリアの家はここだろ!」
「ここはあんたの家で、私の家じゃないわ。
私の『家』は今は王都にあるから、ここにはもう帰らない」
「えっ……」
アリアがきっぱりと言うと、少年は驚いたように言葉をとぎらせる。
そこでようやく呆然としていた村長が動いた。
「こらっ、お客様の前で何騒いでんだ。
すみません、これがうちの末息子です。
毎日のように『アリアはいつ帰ってくるんだ』って言ってたもんですから」
村長がぺこぺこ頭を下げながら、少年の頭に手を乗せて頭を下げさせる。
少年は今にも泣き出しそうな顔をしていたが、アリアはかまわず私を見た。
「行きましょう」
「……ああ。
では、失礼します」
「え、あ、はい」
村長夫妻に軽く礼をして、外に出る。
「アリア……っ!」
背後から少年の声がしたが、アリアはふりむかずまっすぐ歩いていく。
「……いいのかい?」
「ええ、相手をしてたらきりがありませんから」
やはりふりむかないままの声は、いつものように静かだった。
「……ずいぶん君になついてたようだね」
「まわりが甘やかしてばかりだったから、甘やかさない私が珍しかったんでしょう」
そっけないほどの淡々とした返事に、思わずあの少年に同情した。
父親に言っていたほどなら、少年の恋心は本物だろう。
年齢差を考えればアリアが本気にしなくてもしかたないとはいえ、不憫だ。
そっとため息をついて、意識を切りかえる。
「打ち合わせ通りに村長にお金を渡しておいたけど、本当によかったのかい?」
調べた結果、あの時軍務大臣と一緒にいた者の半数は大臣と共に処刑され、禁固刑にされていた者も私が言ったアリアの身元をおぼえていなかった。
罪の軽減とひきかえに尋問したらしいから、その証言は信じられるだろう。
とりあえずの危機は回避できたようだから、私の王族という身分を名目に村と縁を切ることにしてほしいと、アリアは言った。
アリアには話していないが、実際にそういうことを言ってきている者がいたし、そのほうが村のためなのは確かだが、家族はいないとはいえ生まれ育った村と完全に縁を切るのは、寂しくないのだろうか。
アリアは人見知りするようで、村で特に親しくしていた相手はいなかったと言っていたが、家族を喪った後に数年間一緒に暮らしていた村長たちはやはり特別だろう。
「かまいません。
さっきも言いましたけど、私の『家』は今は王都にありますし、一緒にいたい相手も王都にいます。
この村のためにも、縁を切ったほうがいいんです」
そっけなく答えたアリアは背を向けたままで、それが本心なのか、村の安全のために我慢しているのかはわからなかった。
なんとなく言葉が続かず、その後は黙って歩いて森を抜ける。
「ディドさん、お待たせ」
アリアが湖のほとりに座っていたディドに走り寄る。
その声は、さっきとは別人のようなやわらかく優しい響きだった。
答えるディドの声もやわらかい。
その瞬間に、なぜかわかった。
好意を寄せられても、それを気にしない相手。
あの少年も、私も、その程度なのだ。
アリアの『特別』はドラゴン、いや、ディドだけなのだ。
以前西の砦に行った夜に同じように感じたものの、出会ったばかりだから努力すればなんとかなると思っていた。
だが、何年かけてもどれだけ努力しても無駄なのだと、わかってしまった。
何をどうやったとしても、きっとディド以上にはなれない。
親しげに話すふたりの間に入ることは、できないのだ。
「ウィルさん、来てください。
雪雲がだいぶ近づいてきたから、早く出発したほうがいいそうです」
アリアの声に、はっと我に返る。
「……ああ、わかった」
止まっていた足をなんとか動かして近づき、アリアに続いて寝そべったディドの背の鞍に上がる。
ゆっくりと身体を起こしたディドが短く声を上げると、ふわりと浮かび上がった。
そのままいつもより早い速度で飛び始める。
ディドと話すアリアの楽しげな声がやけに哀しくて、ただ黙って空の彼方を見つめていた。




