第6話
ディドさんが軽く翼を動かすと、私の周囲にあった風の膜と、めくらましの膜が同時に消えた。
【俺がいねえ間に何もなかったか?】
「うん。
あ、副団長さんが来たけど、ディドさんが確認中だから待っててって、ウィルさんを通じて言っておいたよ」
【そうか、ならウィルに伝えてくれ。
『さっきの音と揺れはドラゴンどうしの訓練で、危険は何もない』って王太子に伝えて、その内容で城下にも伝令を回すよう手配しろ、ってな】
「わかった」
ディドさんの言葉を、近くで待っていたウィルさんに伝える。
ここは王城の広大な敷地でも端のほうで、城下町とはかなり離れているけど、さっきの音はおそらく城下でも聞こえただろう。
不審がらせないよう伝令を回したほうがいいだろうし、近衛騎士団の総帥でもある王太子の名前で出せば信頼性も高いだろう。
「……つまり、さっきの音と揺れは、ルィトが……?」
ウィルさんは、ディドさんの隣にいるドラゴンの様子をうかがうように、小声で言う。
だけどルィトさんは、そわそわしながら竜舎のほうを見ていて、ウィルさんには気づいてもいないようだ。
【そういうことだ。だから何も危険はない】
かわりに答えたディドさんの言葉を伝えると、ウィルさんはようやくうなずく。
「わかった。
至急王太子殿下にお会いして、伝えておこう。
だが、東の砦にいたルィトが、なぜ急に戻ってきたのかな」
【砦に行ったキィロが、ルィトにフィアが幼生生んだ話をしたんだよ。
大急ぎで戻ってくるのはしかたないだろうが、その勢いのまま竜舎につっこもうとしたから、いったんおちつかせるために、風ではじきとばしたんだ。
あの勢いじゃあ、衝撃で俺が張った風の膜も竜舎もぶっ壊れて、疲れて寝てるフィアや幼生を驚かせただろうからな】
ディドさんの答えは、ほぼ予想通りだった。
あの音は、私がドラゴンだった頃に聞いた、幼いドラゴンたちが風をぶつけあって遊んでいた時の音に似ていたのだ。
今ここにいないドラゴンはキィロだけだけど、キィロは帰ってくる時にあんなムチャはしない。
そして、今朝キィロが巡視に行く時に、王太子の親書を届けるために東の砦に寄ることを説明する通訳をウィルさんから頼まれた。
それを考えあわせれば、砦にいるルィトさんがキィロからフィアと幼生の話を聞いて飛んできたのだろうと予想がついた。
「そうか…………わかった」
まだ少しふらふらしながら兵舎に戻るウィルさんを見送って、ディドさんの隣にいるルィトさんを見る。
「ルィトさん」
呼びかけると、竜舎の出入口をじっと見ていたルィトさんは、ちらっと私を見た。
「挨拶は後で改めてするとして、今はひとつだけ。
フィアはすごく疲れてるし、幼生は生まれたばかりだから、なるべく優しく接してあげてください」
【……ああ。もちろんだ】
答えたルィトさんは、今度はディドさんをじいっと見る。
すぐにも駆けだしたいのをこらえているのは、ディドさんに説教されたからだろう。
ディドさんはため息をついて、翼をたたんだ。
【おちついたんなら、行ってこい。
まずはフィアに角の力を渡して起こしてやって、それからアリアが言ったように、優しく話しかけてやれ】
【ああ! ありがとう!】
嬉しそうに言ったルィトさんは、軽く浮きあがって、すうっと移動して竜舎の中に入っていく。
短距離の移動なら、歩くより浮いて滑るように動くほうが速いのだ。
【ったく、迷惑な奴だ】
呆れたように言うディドさんに、苦笑する。
「初めて幼生に会うんだから、しかたないよ」
【まあな。
しっかし、これでまたさわがしくなるな】
「ルィトさんて、さわがしい性格なの?」
【おう。
キィロみたいにギャーギャー言うのとはまた違うんだが、なんつーか、暑苦しいんだ。
熱血漢ってやつだな】
「なるほど……」
ドラゴンはあまり感情的にならない生き物だから、熱血なのは珍しい。
ルィトさんの角は二本と半ばすぎぐらいだったから、人間でいうなら二十代後半ぐらいで、おちついてくる年頃だ。
キィロのように若いからではなく、そういう性格なら、確かにさわがしくなりそうだ。
「でも、フィアと幼生のためには、帰ってきてくれてよかった」
【まあな。
だが、ちょっと厄介なことになりそうだな】
「どうして?
ルィトさんを呼び戻すのは、王太子も了承してることでしょ?
キィロが運んだ親書は、そういう内容だったんじゃないの?」
きょとんとして見上げると、ディドさんは渋い表情で言う。
【ルィトは、竜騎士が話しあいをしてる間にキイロからフィアと幼生の話を聞いて、砦を飛びだしてきたと言ってた。
王太子の親書で王都に戻っていいと伝えられた、からじゃねえ。
それに、さっきウィルは『なぜ急に戻ってきたのか』って言ってただろ。
てことは、親書はそういう内容じゃねえ。
むしろ逆の可能性が高えな】
「逆って、戻ってくるなってこと?
どうして……あ」
言いかけて、ようやく気づく。
「そうか……『東』……イシュリアだね」
ディドさんは渋い表情のままうなずく。
【そういうこった。
こないだバカ大臣ともめたから、東の国境つーかイシュリアを警戒する必要がある、東の砦の警備を薄くするわけにはいかねえと、王太子は考えてるだろう。
親書は、砦の奴らに警戒を促す内容だろう。
俺が知ってる限りでイシュリアが攻めてきたのは一度だけだが、今の国王は野心が強いみてえだから、警戒するのは当然だろう。
なのにルィトが勝手に王都に戻ってきちまって、しかも砦に戻らねえとなったら、かわりが必要だと言い出すはずだ。
おまえが王太子に不干渉を約束させたが、国境警備は『竜騎士団の任務として必要なこと』だと主張してくるだろう。実際そうだしな】
「そうだね……」
【王都にいる中から誰か一体に砦に行ってもらいたいとか言ってくるだろうが、ネィオはもうトシだから砦は向いてねえし、逆にキィロはガキすぎて向いてねえ。
俺は『団長専用』って扱いだから王都から出ることはねえだろうし、フィアとルィトは問題外だ。
だが、誰も行かねえと言っても、王太子どもは納得しねえだろう】
「だろうね」
フィアが幼生を生んだことはウィルさん以外には隠しているから、フィアとルィトさんは子育てがあるからダメだと言うわけにはいかない。
夫婦だから離れたくないという理由にしたら、あの王太子なら、ならばフィアがルィトと一緒に砦に行けばいい、とか言いそうだ。
だけど、そもそも国境警備にドラゴンが二体も必要なのだろうか。
「ねえ、ディドさん。
私は砦の任務がどんなふうなのか知らないけど、ドラゴンが二体も必要な内容なの?」
思いついたことを問いかけると、ディドさんは不思議そうにしながらも答えてくれる。
【いや、王都とほとんど変わりはねえ。
一日一回の巡視と、非常時の防衛だ。
砦っつーか国境付近は荒野だから、攻めてくりゃあすぐわかるし、風でぶっとばすのも簡単だ】
「砦にいるもう一体って、どんなドラゴンさんなの?」
【名前はシィノ、トシは 三角半 すぎ、こっちに来たのは 一角前ってとこだな】
「シィノさんだけじゃ、砦の防衛はできないの?
イシュリアの軍隊ってそんなに大人数なの?」
しばらく考えこんだディドさんは、ゆっくりと言う。
【できる、だろうな。
シィノは風の扱い方がうまいし、イシュリアの軍隊はせいぜい数千人だから、数回ぶっとばせばすむ】
「だったら、シィノさんだけでやってもらうことにすれば、問題解決なんじゃない?」
にっこり笑って言うと、ディドさんもにやっと笑った。
【確かにそうだな。
それで押し通すか】
「うん」




